囚われの姫1 ネルソン再び
それはもう、何年も前の出来事だ。
少女と青年が言い争いをしている。
「やっぱり素早さと技量を上げるのが一番だよ。敵の急所に、敵より早く攻撃すれば勝てるじゃない」
「いいや、耐久力と力だろ。耐えながら敵を一掃したほうが効率はいい」
それは二人が良くやる口喧嘩で、周囲の人間は見てみぬふりをしている。
そこに、一人の少女が現れた。
「貴方達、イグドラシルが本当に大好きだね」
それから起こったことを、歌世は、神の祝福だと思っていた。
けれども、今では違う考えを持つようになった。
今の歌世はこう思うのだ。
あれは、悪魔の祝福だったのではないか、と。
「そんなにあの女がいいんですか?」
ログインするなり女の声が聞こえてきたので、シンタは戸惑った。
昨日は変わった場所でログアウトしたのだろうかとも思ったが、周囲を見回してみてもいつもの町外れの溜まり場だ。
シュバルツと見知らぬ女性が、何やら話し合っている。
女性はシンタから視線を逸らし、シュバルツは少し気まずげに笑った。
「よう」
「どうも。出かけておきますね」
とりあえずその場から逃げ出すことにしたシンタだった。
その肩を、シュバルツが掴んだ。
「いや、ここは俺達の溜まり場じゃないか。ゆっくりしていけよ」
「えええ……話し合いの途中じゃないですか」
「いいや、話は終わった。そうだろう? イリーナ。俺には今の仲間がいるし、お前も今の仲間を信じるべきじゃないかな」
イリーナと呼ばれた女性は、一瞬恨みがましげにシンタを見たが、目を伏せると諦めたように溜息を吐いた。
「また、来ます」
シュバルツは苦笑をするだけで、返事をしなかった。
イリーナが去り、後には男二人が残る。
シンタとシュバルツは、普段座っている場所に腰を下ろした。
「愁嘆場ですか?」
「違うって」
苦笑顔でそう答えたシュバルツは、ギルドメンバー全体に向かって声をかけた。
「終わったぞ、ヤツハ」
「あら、ご苦労様」
遠くにいるらしいヤツハの声が返ってきた。
数分ほどで、ヤツハも溜まり場にやってきた。
「こんばんわ、シンタくん」
「こんばんわ」
「タイミングが悪かったね」
ヤツハは苦笑顔で言う。
「俺にとってはベストタイミングだったよ。さすがシンタだ」
「それって褒められてるんですかね」
いいように利用された気がするシンタだった。
「この人はこういう人だよーシンタくん。他人を使うことに躊躇がないんだ」
「そうじゃないとお前もそこまでレベルが上がらなかったけどな」
この二人は、兄弟のように仲が良いなとシンタは思う。
「結局、なんの話だったんですか?」
そんなにあの女がいいんですか? なんて台詞、男女関係のもつれが原因でないと出てこないのではあるまいか。
「ちょっと大規模な、チーム戦のトーナメントが開かれるんだけれどな。昔の知り合いが、復帰してくれって言いにきたのさ」
なるほど、と思ったシンタだった。あの白騎士相手に、シュバルツは一度だけとはいえ耐え切ってみせた。その実力に惹かれる人間は多いだろう。
「優勝したら全ての参加チームの登録費が貰えるんでしょ? 参加すればいいのに」
ヤツハは、勿体無いとでも言いたげだ。
「けど、あのチームは人数全然足りてるんだよ。俺が入って誰かが弾かれるなんて可哀想だろ」
「ああ、確かに」
「けど、入れば色々鍛えてもらえるから、シンタが興味あったら紹介するけど。即レギュラーってわけにはいかないけどな」
「遠慮しますよ」
今のレベルでは、あまりにも場違いなことを自覚しているシンタだった。
翌日、シンタがログインしてしばらくすると、ヤツハがログインした。
話題に上がるのは、昨日の出来事だ。
「シュバルツは、なんだか極端な人なんだよね」
長年付き合っている聖職者を、ヤツハはそう評した。
「はまるとずーっと人を狩場に拘束するし、自分が満足しちゃうと誘っても面倒臭がるし。俺様系って奴なのかな」
「フォロー役に回ってる印象があるけどな」
歌世とゴルトスが揉めかければ話題を逸らすし、オフ会が飲み会に変わりそうになれば未成年を連れて先に帰る。戦いの場でも、前衛が崩れれば自ら盾となって後衛を守る。
彼の行動は、いつも周囲のことを考えているように思う。
「ああ、それはねー。要領が良いだけだよ」
確かに、シンタを口実にイリーナを追い払ったこともあわせて考えると、要領が良いのかもしれない。
「あの人、高校時代はサッカーで名の知れたプレイヤーだったんだよ」
ヤツハの言葉に、シンタは驚いた。
「本当に?」
「県の強化選手に選ばれたって言ってたし」
「へー……」
サッカーのことは良く知らないが、県の中から選ばれたということは相当の実力者だったのだろう。
「けどそのサッカーも、大学に上がるとあっさりやめちゃった。ゲームとかでもね、攻略法を掴んだと思ったり、望んだスキルが揃っちゃったりすると、満足しちゃうみたい」
そのエピソードからは、どこか淡泊なシュバルツの姿が見えてくる。
「イグドラシルだって、そうでしょう? 今じゃもう、ログイン時間はメンバーの中で一番少ないし、私が誘わないと狩りにもいかないし。ゲームというよりは、通話ソフトとして使ってるよ。だから私は、たまーに歯痒くなるんだよね」
ヤツハは、苦笑交じりに言う。
「ゲームでだってリアルでだって、あの人はやろうと思えばなんだってできるのにって。対人ギルドだって、攻城戦ギルドだって、あの人を重宝するだろうにって。このまま、忘れられたプレイヤーになっていくのかなって」
「それは、ヤツハさん達だって一緒じゃない?」
「私達は、そもそも対人畑の人間じゃないから。私やゴルトスさんは、移動の早い狩りや作戦には対応できないしね。結局のところ、私達の強さは、ステータスを特化したことによる恩恵である面があるから」
当たり前の話だが、バランス良くステータスを伸ばしたほうが汎用性は上がるのだ。
「私とゴルトスさんは、パーティー全体がハイペースに走る狩りなんてなかった時代のキャラだから、対応し辛くなっている面はあるんだよね」
それならレベルを上げて素早さを高めれば良さそうなものだが、そうもいかないのだろう。このゲームでは、レベルが上がるたびに次のレベルに到達するための必要経験値が増える。ヤツハ達がレベルアップするために必要な経験値は、シンタにとっては想像がつかないものだろう。百時間狩ってもレベルが上がらない、なんて人々も存在するのだ。
「大会で活躍するシュバルツを、見てみたいなあ」
シンタは、歌世やゴルトスやヤツハに対しても同じことを思うのだが、きっと彼らはそれを拒否するだろう。
歌世とゴルトスは面倒臭がり、ヤツハは実力不足だと謙遜するに違いない。
「ヤツハさんがそそのかしてみたら?」
「んー」
ヤツハは少し考え込んだ。
「ちょっと前にそれをやった人がいるんだけれどね。参加し始めると、仲間達に支援する回数が減っちゃうからって断っちゃったの」
シュバルツは仲間思いなのだな、とシンタは思った。
「何を言えば他人が薦め辛くなるか、よーくわかって言ってるんだよね、あの人は。困った人だよ」
考えてみると、このギルドのメンバーはそもそも狩りにほとんど出ていないのだった。
気がつくと、シンタのレベルは九十を超えていた。
古代遺跡で狩りをするのが楽しくなると、ヤツハが教えてくれたレベルを超えていた。
事実、古代遺跡での狩りは順調で、レアアイテムが出ることもしばしばだった。
仲間のステータスも、装備も、日に日に良くなっている。
以前は鋭く感じた敵の太刀筋を、今は軽々と受け止め、押し返し、逆に切り倒す。そんな場面も増えた。
その成長ぶりに、ヤツハはこんな感想を述べたものだった。
「廃人さんだねえ」
「ヤツハさんに言われたくないよ」
シンタはそうとしか言い返せない。
同じ魔術師であるレルを見ていてわかったことだが、ヤツハの詠唱速度に達するにはまだまだレベルが足りないらしい。
レベル九十を超え、中級者となったレルでそうなのだから、ヤツハのレベルは計り知れない。
歌世達は相変わらずの、集まっては酒を飲む生活を満喫しているようだった。
ただ、気が向いた時に、歌世はシンタを鍛えてくれるようにはなった。
ダンジョンのボスであるネルソンと再び遭遇したのは、そんなある日のことだった。
城の支柱の影に隠れて、その巨体の行進を四人は見守る。
それまでも、シンタ達は何度か彼の姿を目撃していた。そのたび、こっそりと距離を置いていたのだ。
「今なら、勝てるんじゃない?」
レルが言う。
彼女がそう言えば、もう決まったも同然なのだ。
「やるか」
スイが、腹を決めたとばかりに言う。
リューイも異論はないようだった。
「行こう」
盾を構え、シンタは駆け出した。
ネルソンがそれに気がつき、シンタの身の丈ほどもある厚い刀を振るう。
シンタはそれを受け止めず、地面へと受け流す。
それだけの技術が、今のシンタには備わっている。
ネルソンの目に矢が射られ、地獄の底から沸いて出たような悲鳴が周囲に響く。
ネルソンは叫びながら、狂ったように刃を振り回した。
それを、シンタは辛うじて回避し、時には盾で受ける。
片目を失ったネルソンの攻撃は、酷く雑だった。
歌世の攻撃に比べて、それを回避するのは容易かった。
歌世との訓練は、着実にシンタの反応速度を上げていた。
その瞬間に、レルの魔法が発動した。
雷光が蛇のようにネルソンに絡みつく。痛みのあまりに硬直したその巨体の首に、シンタは刃を突きたてていた。
しかし、致命傷にはまだ至らない。
ネルソンが鬱陶しげに手を振り、シンタを地面に叩き落す。視界が揺れ、ヒットポイントが削られる。
しかし、即座に、スイの法術がシンタを回復させた。
再び上げられた刀を、シンタは盾で受ける。
再びシンタは、レルの魔法の詠唱が終わるまで時間を稼ぐのだ。
ネルソンの鎧が赤くなっていると気がついたのは、その数分後のことだった。
「来るぞ」
叫んだが、遅かった。
ネルソンの剣から放たれた風の刃が、リューイの右手を吹き飛ばし、スイの腹部を切り裂き、レルの肩を弾き飛ばしていた。
シンタだけが、それを盾で受けとめていた。
その時、不可思議な出来事が起こった。
シンタが受け止めた風の刃が、まるで時間が逆転したかのようにネルソンへと飛び、その首を切りつけたのだ。
この風の刃が放たれた直後に、ヤツハがネルソンを倒したことを、シンタは覚えていた。
刃を掻い潜り、シンタはネルソンの膝を踏み台にして跳躍する。
そして、兜から露出している相手の顔面に刃を突き立てた。
今度こそ、致命傷となったらしい。
ネルソンの体がその場に倒れ付す。
巨体が消えていき、後には重々しいゴールドの袋が残された。
「やったぞ!」
シンタが叫ぶ。
「やったな」
他の三人は、戦闘不能に陥っていたが、顔には笑みが浮かんでいる。
かつては倒せなかった敵を倒したという満足感が、四人の間にあった。
ふと、盾の表面を見て、シンタは戸惑った。
あれほど激しい衝撃を受けながら、傷の一つもないのだ。
イグドラシルオンラインの装備は、基本的に消耗品だ。一定の損傷を受ければ、修理しなければ使えなくなるし、シンタが以前使っていた剣のように再起不能に陥る場合もある。
しかし、この盾はまるで消耗とは無縁であるかのようだ。
そういうこともあるのかもしれないと、シンタは考えぬことにした。
シンタは、蘇生アイテムをスイの口に垂らす。
どうか、全員が復活するまで敵が現れませんようにと、シンタは真剣に祈った。
帰ってみると、普段は閑散としている田舎町に、人が溢れていた。
怪訝に思いながらも、仲間とアイテムやゴールドの分配を終えると、シンタはいつもの町外れに足を踏み入れた。
人が多い理由を知っている人間が、そこにはいた。
「シンタくんも聞いて。なんだか今度のイベントは力が入ってるらしいの」
楽しげに言うのはヤツハだ。
普段はゲームの話なんてどこ吹く風の面々も、話に聞き入っている。
「本当に、あの運営の仕事と思えない力の入りっぷりだこと」
歌世が苦笑交じりに言う。
「何か、凄いことが起きるんですか?」
「イベント限定のダンジョンを公開するんだって。地下九階まであるダンジョンで、最下層には魔王が待ってるらしいの。公式ページに乗ってるよ」
シンタは、エッグのウェブブラウザを起動した。イグドラシルのゲーム上にパネルが現れ、それを操作してイグドラシルオンラインの公式ホームページを表示する。
すると、トップページが普段と違うものに変わっていた。
明日からのイベントを告知するものだ。
ダンジョンもボスも新規で、それをクリアすれば報酬もあるらしい。囚われの姫君を救え、という煽り文字が入っている。
それを見て、シンタは少なからず興奮を覚えた。
魔王を討ち、姫を救う。ロールプレイングゲームの王道だ。
ただ、そのダンジョンの中で蘇生法術や蘇生アイテムは使えないらしい。
死んだらそこまで。かなり厳しいルールだ。
「明日からですか。急な話ですね」
「まあ、私が帰ってくる頃には全部終わってるんだろうな」
歌世は、拗ねるように言う。社会人の彼女にとって、この手のイベントは参加し辛いものらしい。
「わかりませんよ」
ヤツハがとりなすように言う。
「なんだか力が入ってそうなイベントですから。歌世さんが来ても、ボスが倒されてなかったりして」
「それじゃ、そっちの可能性に賭けとくかな。そのほうが仕事を頑張れる」
「まあ、最悪、リヴィアさんが動画を撮ってるでしょう」
シュバルツが言うと、歌世はにこやかに微笑んだ。
「あいつに頭を下げるのだけは、勘弁だわ」
酒を飲み交わしても、二人の仲はそこまでよろしくないようだった。
イベントの開始時刻は、昼の三時からだ。
その時間になると、新太は授業が耳に入らなくなってしまった。金田などは、学校を休んでしまっている。今頃は、新規ダンジョンで大暴れしているのだろう。
休み時間になると、新太はパネルフォンを操作して、ウェブブラウザを起動した。
ネットの書き込みを見て、情報を集めるためだ。
二階で迷子になったという書き込みや、五階でボスに囲まれたという書き込みがある。
どうやら相当手の込んだダンジョンらしく、七階以降に進んだ人間はまだいないらしい。
四時に授業が終わると、新太は駆け足で教室を飛び出た。
「ちょっと、新太」
沙代子が呼び止める声がして、新太は首から先だけを教室に戻す。
「なんだよ」
「今日、ちょっと付き合ってほしい場所があるのよ」
「頼む、来週にしてくれ」
新太は両手を合わせて懇願する。
沙代子はしばらく考え込んだが、溜息混じりに頷いた。
「わかったわ。けど、月曜日にはこき使うからね」
「うん、ありがとな」
そう言って教室から出た新太だが、不可思議な錯覚に陥った。
もう二度と、沙代子とこうやって会えない気がしたのだ。
イグドラシルオンライン運営部は、混乱の真っ只中に会った。
何せ、朝になって出社してみると、自分達の知らない未知のイベントが告知され、未知のダンジョンがアップロードされていたのだ。
前回の白騎士とは、比較にならない規模のハッキングだった。
部長は真っ青になっている。それは、他の面々も一緒だ。
「開発部に尋ねたけれど、我々は知らないの一点張りです」
「じゃあ、誰がこんな手の込んだアップデートをしたんだ」
部長の声に、しばし誰も応えられなかった。
「警察に届け出たほうがいいんじゃ……」
その声で、部長はある程度冷静さを取り戻したようだった。
「その前に、上に相談する」
偉い人に決めてもらおうというわけだ。
部長がパネルフォンを手に取り、操作を始める。
下手をすれば、原因がわかるまでサーバーは稼動できなくなる。それは、顧客離れを生む可能性すらあった。
そんな迷いのうちに、イベントは運営の手を離れて開始されたのだった。
未知のダンジョンは公開され、皮肉な事に絶大な評判を呼んでいる。
「思うんですけどね」
社員の一人が、呟くように言う。
「知らない人間の介入って、実はずっと以前から存在していたんじゃないでしょうか」
その言葉に、周囲は戸惑うしかない。
「だって、俺達が知らない装備や、知らないキャラクターが、この世界には散らばっている。今回はただ、その規模が大きいだけなんじゃないかと」
「じゃあ、なんだ。俺達の他に、このゲームを運営している連中がいると言うのか」
部長の戸惑うような声が、運営部に溶けて消えていく。
後には、沈黙だけが残った。




