最終話
一つだけ晴兄は嘘をついた。私はお母さんの両親を探したことがあった。ずいぶんと手間はかかったけれど、お母さんの実家は鳥取にあることを知った。そして私は晴兄に気がつかれないように、日帰りの往復切符を買って新幹線に乗り、そのお母さんの実家まで行ってきた。そして、確かにお母さんの両親はそこで暮らしていた。もちろん声なんかはかけなかったけれど、たまたま家から出てきた老年の女の人と他人のふりをしてすれ違った。写真のお母さんとそっくりな顔立ちのその人の、優しそうな顔のしわを見て私は少しほっとしたのだ。
一つの嘘が全てを嘘にするわけでもない。それに、もし仮に晴兄が私に嘘をついているのだとしたら、それは自らを傷つけ血を流すこともいとわない、優しい嘘だ。なら、私は晴兄の嘘に最後まで騙されようと思う。
「あんたら、最近仲いいよね」
そう話しかけてきたのは野口さんだった。私はぽかんとしたまま思わず野口さんを見返してしまった。なんせ高校入学以来、初めて高坂さん以外の人から話しかけられたのだ。
「なんだよ、野口。何の用だよ」
私の隣に座り話していた高坂さんはギラリと光る瞳で野口さんを威嚇した。
「こわっ」
「裏で陰口立てるお前みたいなやつ、嫌いなんだよ。あっち行けよ」
そういってしっしと高坂さんは犬を追い払うようなジェスチャーをした。
「まあね。けどそりゃあ、あんたたちみたいな変わりもんの宿命みたいなもんでしょ」
悪びれる様子もなくそういうと、野口さんはお洒落に微笑んだ。
「うーん。よくわかんないんだけどさ。お前はわたしに喧嘩を売ってんの」
高坂さんは首をかしげながらそう尋ねた。
「うんにゃ。むしろ逆かな?」
「は?」と高坂さん。
「今度、一緒に遊ばない?」
「はい?」と私。
「いやさ、あんたら最近二人でつるむようになってなんか空気変わったじゃん。茅原は全然しゃべんなくて、お高くとまってすかしてるってイメージだったし、高坂に関してはもう野獣だったじゃん。けど、最近のあんたらは柔らかくなったしさ。正直、みんな興味シンシンなんだよ。あんたらのこと」
そう言って野口さんは親指で後ろをさすと、後ろから様子を窺っていた野口さんのグループの子たちがごそごそっと慌てたように身動きした。
「ま、そういうことだからさ。今度の土曜あけといてよ。連絡するからさ、とりあえずあんたらのメアド送って」
そして私と高坂さんは促されるがままに、携帯の赤外線でメアドを交換した。恥ずかしいことに私なんかはなれてないものだから、だいぶ手間取ってしまったけれど。
「サンキュー」といって野口さんは何事もなかったかのように戻って行った。
私と高坂さんはお互いに顔を見合わせて、そしてしばらくしてから同時におなかを抱えて笑い出してしまった。
ああ。なんて、簡単に世界は広がっていくんだろう。
それは夏の昼下がりの教室のことで、窓から見える吸いこまれそうなほどに青い空には、びっくりするほど大きな入道雲が浮かんでいて、蝉の声と私たちの笑い声だけが心地よく耳にひびいていた。