第4話
「あんた。こんなところでなにしてんのよ」
上級生の女の人が私を見て驚いたように目を丸くした。
「なんだ、知り合いか?」とロン毛の男が上級生たちに尋ねた。
「いや、そういうわけじゃないけど・・・・・学校で有名な変わり者だよ」
まずいところを見られたとでもいう風に、その上級生は顔をしかめた。
「関係ないなら、どっか行けよ」
そういうとロン毛の男はあっちに行けとでも言うように手を振った。
「関係あるから。私はどこにも行かない」
私がそういうと、男は気が立っていたのだろう、私の胸倉をつかんで凄んできた。私は一度だけ高坂さんに視線を移し、そして再び男に戻した。
私は怖かった。この人を、私は殺してしまうかもしれない。けれど、それでもこのまま何もしないよりは私はその罪をかぶろうと思った。
私はどうしようもなく震えてしまう手でマスクをようやくずらすと、久しぶりに新鮮な空気をたくさん吸って、そして吐いた。
男は白目を剥いて倒れた。
いきなり倒れた男を見て、上級生の女の人たちも金のネックレスをした男もわけがわからないといった具合に茫然としていた。そして理解できないものへの恐怖が刻まれた瞳を私に向けてきた。
私は、そのまま金のネックレスをした男へと歩を進めた。その人は本能的に危険を察したのか、一歩、二歩と下がったが、私は駆け寄って間近で息を吹きかけた。すると男はさっきと男と同じように白目をむくと泡を吹いて倒れた。
「あんた、なんなの。なにをしたの?」
上級生の女の人たちは蛇に睨まれた蛙のように、ぴたりと静止したまま唇だけを僅かに動かした。
私は彼女たちも許せなかった。彼女たちは卑劣だった。けれど私はマスクをつけなおした。彼女たちまで毒にさらすことは私にはどうしても出来なかった。
「あ、あんたおかしいよ。こんなの、人間じゃない。化けものだよ」
いまさら私は傷つかない。そう思っていたけれど、私は自分が思っていたよりも弱かった。
「化けものじゃねえよ」
澄み透った声が、空気を裂いて、響いた。そして私は振り返った。
「私のクラスメイトだよ。なあ、茅原夕?」
立ち上がった高坂さんと私の視線が交差した。そして彼女はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「なんで、お前起き上がってんだよ。これ食らったらふつう数時間は気を失うはずだぞ」
スタンガンを使った上級生の女の人は信じられないものを見たかのように、震える指先で高坂さんを指刺した。
「はっ、知るかよ」
高坂さんは立ち上がったけれど、足が冗談みたいにぶるぶる揺れていて、膝が笑ってしまっていた。そんな足で立てているのが不思議なくらいだった。それでも彼女はファイティングポーズを構えた。そして小刻みに震える手で上級生たちに手招きをした。それに応じて三人の上級生は大声を上げながら高坂さんに襲い掛かった。その一人一人に高坂さんはボディーを深々と打ち込むと、彼女たちは肺から大量の空気を吐きだして、もんどりうって倒れた。
「お前らも一応女の子だからな。顔は勘弁しといてやる」
そんな男前過ぎるセリフを吐くと、高坂さんは大の字になって後ろに倒れこんだ。
私が慌てて駆け寄ると、高坂さんは大きな声で「あー。疲れた!」といって笑った。
私は高坂さんから携帯を借りると、どうにか晴兄の番号を記憶の片隅から引っ張り出してきて電話をかけた。
『誰?』
「私、夕だよ」
『ああ、俺の宝物を全部消去して、さらには俺を社会的に抹殺してくれた夕さんですか』
どんよりとした暗い声で晴兄はそういった。どうやら相当大きなダメージを受けたらしい。しかし、私はそのことを喜んでいる余裕もなく、簡潔に事情を説明すると「めんどくさいな」と一言言って晴兄は電話を切った。
私は電話を終えると、倒れている男の人たちの様子を窺った。どうやら全員息はしているようで私は胸をなでおろした。それから寝転がっている高坂さんを覗き込むようにしてしゃがみこんで声をかけた。
「大丈夫、高坂さん?」
「んー、まだ舌の先までしびれてる」
そういうと高坂さんは大の字に寝転がって目をつぶりながら、舌だけぺろりと出した。
「なんか、飲み物とか。持ってこようか?」
私がそう尋ねると、高坂さんは手を振っていらないというジェスチャーをした。気丈に振る舞ってはいるけれど、やっぱりダメージは確実に身体に残っているようで目をつぶっている高坂さんのまつ毛がときたま震えた。私は静かにしていた方がいいだろうと判断して、高坂さんの隣に膝を抱いて座った。
「なあ、なんでお前こんなとこにいたんだ?」
ふいに高坂さんは目をつぶったまま、そう尋ねてきた。
「昨日のことを謝りたくて、追いかけてきた」
「昨日のこと?」
高坂さんは分からないといったふうに眉を寄せると、その大きな瞳で私を見上げてきた。
「屋上で私が癇癪起こして、高坂さんに八つ当たりした」
「そうなのか? わたし、無神経だからさ。お前の気に障ること言っちゃたんだと思ってた。っていうか言っちゃったんだろ? お前は理由なく人に八つ当たりするような奴には見えないけどな」
「違うの。私がいけないんだ。だから。本当にごめんなさい」
ようやく、謝ることが出来た。
「なんだお前。じゃあ、謝るためだけに追いかけてきたのか?」
「うん」
「・・・・・馬鹿だ」
「うん」
私がそう答えると、高坂さんは目を細めて、楽しそうに微笑んだ。
「やっぱり面白いぞ、お前。それと、ありがとな」
そう言われて、今度は自分でも恥ずかしいほどに嬉しくなってしまった。
それから少しして、晴兄が車でやってきた。うちからの距離と時間を考えると相当急いできてくれたらしい。けれど車から降りた晴兄は緊張感もなくへらへらしていた。
「よお、この子がライオンちゃんか。仲良くなれたみたいじゃん。ほらな、俺の言うことはいつも正しいんだよ。雨降って地固まるって奴だな。まあ、見たとこ降ったのは血の雨って感じだけど」
そういって晴兄は鼻血などを出してのびている男の人たちをちらりと見ると、なぜか嬉しそうにはしゃいだ表情になった。
「ライオンちゃんって、もしかして私のこと?」
きょとんとしながら高坂さんは自分のことを指差した。
「ごめん、変わってんだこの人」
恥ずかしいから、頼むからいつもの奇行は控えてくれと願ったのだけれど、無駄だった。晴兄は軽い足取りで男の人たちの方へ向かうとごそごそと彼らのポケットなどを探って、四人分の携帯と財布を取り出した。
「ちょっと、晴兄何する気?」
「いやー? お金と生徒証を預からしてもらうだけだよ? おお、こいつら頭悪そうな面して結構金持ってるぞ、生意気な。で、携帯は・・・・・アディオス!」
そういって、四つの携帯を何の躊躇もなく川に投げ込んだ。とことん容赦ない。嫌なところでルーツの類似点を見つけてしまった。
「はは、面白いなあの人。茅原の兄貴?」
「いや、一応叔父さんなんだけど・・・・・」
頼むから、これ以上恥をかかせないでくれと叫びたいのをぐっとこらえた。
そして、晴兄は満足したのか昔の特撮の悪者がよくしたような大きな高笑いを六月の多摩川の河川敷に響かせた。恥ずかしさのあまり私は手で顔を覆った。
その後高坂さんが大丈夫だと言い張るのをなだめて、晴兄は高坂さんを背負って車に乗り込むと、うちに連れて行った。
「ライオンちゃんさ。我慢してるみたいだけど、こぶし相当痛いでしょ。消毒して包帯巻いてやるから手出しな」
うちに着いた晴兄は第一声でそういうと、どこからともなく救急箱を持ち出してきて高坂さんを手招きした。晴兄がそういうのを聞いて、私は初めて高坂さんの両手のこぶしから血が流れていることに気がついた。
「骨は大丈夫そうだ。なんか格闘技やってんの?」
「えっと、ボクシングです」
消毒液で傷口を洗われて、僅かに高坂さんは顔をしかめながらそう言った。
「高坂さん、すごく強かったんだよ」
「まあ、そうだろうな。高校生の男を四人のしちまうんだから大したもんだ。ライオンちゃんはジムとかは行ってんの?」
「北海道でわたしの親父がジム経営してるんで。生まれてからこのかたずーっと、って感じですね。私一応プロ目指してるから」
「・・・・・プロ?」
プロボクサーってことか? 女の人でプロボクサーがいるのだろうか。
「女子プロボクサーなんて認知度低いだろうけどね」
「そんなことねえよ。レイラ・アリが出てきてからは盛り上がってるだろ」
「知ってるんですか?」
びっくりした顔で高坂さんは晴兄に尋ねた。もちろん私は聞いたこともない名前だったけれど。
「モハメド・アリの娘で世界タイトルとってんだ。知らなきゃにわかだよ」
晴兄が包帯を巻きながらそう答えると、高坂さんはこれ以上ないってほどに目を輝かせた。それから高坂さんと晴兄は延々とボクシング話に花を咲かせ二人の世界に入っていってしまったので私はすっかり蚊帳の外になってしまった。
「もうこんな時間か。親御さんに連絡入れなきゃな。番号は?」
晴兄から常識的な発言が飛び出したことに驚いたのと同時に、外がすっかり暗くなってしまっていることに気がついた。
「あー、そのですね・・・・・・」
高坂さんは珍しく言葉を濁した。しかし観念したのかため息を吐いてからきまりわるそう話し始めた。
「わたし、今一人暮らししてるんですよ」
「え、両親は?」
たしか、お父さんの仕事の都合で上京してきたといっていたはずだったのに。
「一人暮らしって言っても、私のおばさんが管理してるアパートに住んでるから完全に一人暮らしってわけじゃないんだけど。私の親父がさ、とにかく女でプロボクサーになるなんて許さん! とかいって聞かないんだ。自分が元プロボクサーだっていうのにだよ? そんで頭来て喧嘩したんだけど、どうにもならなくて。そこらへん理解してくれてるおばさんを頼って、親父から逃げて上京したんだ。学校には秘密ね」
何という度胸なのだろうか。私は半ば感心して半ば呆れてしまった。
「お母さんは?」と私は尋ねてみた。
「わたし母親いないんだ。だいぶ前に親父に愛想尽かして逃げちゃった。まあ、気持はわからなくもないんだけどね」
そうカラッと高坂さんは答えた。きっと高坂さんにとってそれは風化してしまった過去のことなんだろう。けれど触れられていい気持ちはしないに決まっている。私は謝ろうかどうか、迷った。しかし、逆に気を使われるのは高坂さんにとっては迷惑なのかもしれない。
そんなことをもんもんと考えていると、先ほどから真剣な顔をして考え込んでいる晴兄が眉を寄せながら尋ねた。
「もしかして親父さん、元東洋チャンプのレナード高坂?」
「あ、そうです。ホント、よく知ってますね」
高坂さんは嬉しそうに答えた。しかし、晴兄はじっと真面目な顔をしたまま高坂さんに詰め寄り両肩に手を置いた。それは私が見たこともないほどに真剣な顔だった。
「ライオンちゃん―――」
「はい?」
「結婚しよう」
晴兄がそう言い終わる前に私が渾身の力で救急箱をその大バカ者の後頭部に叩きつけてやったのはいまでも正常な判断だったと思う。それを見て高坂さんは目に涙をにじませながら腹を抱えて笑った。
後に晴兄が語るにはレナード高坂こと高坂さんのお父さんは晴兄が最も尊敬するボクサーなのだそうで、晴兄は昔からレナード高坂が父親ならばと夢見てきたらしい。正気かと疑うような理由だったが、しかしいかにレナード高坂が素晴らしいボクサーであったかを語る時の晴兄のとろんとした不気味な顔は嫌な真実味を与えた。




