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リトル・バード

作者: 広瀬直樹

 スズメはベンチの脇に降り立ち、ヒマワリをじっと見ていた。早く種を落としてくれないかなと毎日のように来ているのだけれど、このヒマワリはとても辛抱強かった。なんせ、植えられた日から五十回ぐらい日が落ちたぐらいの時間が経っているのだから。

 公園に植えられた一輪だけのヒマワリ。ヒマワリを囲うように植えられているパンジーやコスモスなどの色鮮やかな花と違って、背が高く、花がとても大きくてとても存在感があった。公園の周りでは都会化の進行が進んでいて、土という土はなくなり、灰色のコンクリートで埋め尽くされていた。誰よりも辛抱強く、他の成長を妨げるあの雑草が生えるスペースでさえない。都会には虫が一匹もいないけど、人間がよく落とす食べ物が自分たちの生活を楽にしてくれると、鳥たちは大はしゃぎしていた。しかし、中には死を至らすようなものもあった。仲の良かったハトやツバメも、人間が落とした食べ物を食べた直後や数日後には死んだ。

 だから、腹が鳴っていても、喉が渇いても、都会の食べ物には手を出さないようにしている。人間はつくづく恐ろしい生き物だと実感させられた。

 残るはここのちっぽけな公園にある虫や木の実ぐらいだ。都会には害するものがあると分かったのか、わずかしかない公園のえさを求めに鳥がたくさんやってきて、えさの取り合いはとても激しくなっていった。他の鳥との喧嘩は当たり前。人間にパンくずをおねだりするのも当たり前。穏やかだった公園もいつの間にか一段とぴりぴりとした雰囲気が漂っていた。

 そんなときに、ヒマワリがぽつんと植えられたのだ。

「まだ落としてくれねぇのか」と黒い羽毛に白い横縞があるコゲラが、足で頭を掻きながら言った。

「当分先ですよ。しおれるどころか、まだ生き生きしています」と首元から後ろの尻尾まで続く黒いラインのあるシジュウカラがヒマワリを睨みながら言った。

 ぼうっとしていたスズメは、ベンチでそのような会話をしていた二羽の鳥がいることに、今気づいた。まだ話したことないけど、いつも二羽一緒に居てとても仲がよかった。スズメはそんな二羽が羨ましかった。スズメが独り立ちして以来、友だちが次々といなくなっていき、今は一匹たりともいなかった。弱肉強食の世界だと自分に言い聞かせても、人間が支配しているんだと言い聞かせても、寂しさや悲しみが和らぐことはなかった。殺した動物や人を憎いとは思わない。

 ただ、独りでいるときがとてもつらい。死を目撃するよりも。

「あとどれくらいだよ、おい?」

 跳ねながらベンチの下に移動して、こっそりと聞き耳を立てた。わざわざ隠れているのは、話の内容が気になるし、聞き終えたあとにこっそり驚かしてやろうと思ったからだ。

「涼しくなってきてからです。ヒマワリは暑い時期に咲く花で、涼しくなれば種を落としてくれるはずです」

「本当かよ!——で、あと何回日が沈む頃なんだ?」

「一番暑くなってから今日まで数えると大体三十回ぐらい日が沈んだから、長くてあと五十回くらいでしょうかね」

「短くてあと何回だ?」

「四十回ぐらい」

 植えてから五十回も日が落ちたというのに、まだそんなに時間がかかるのか。心の底からがっかりした。

「おいおい、それまでに飢え死んでしまうぞ!」

「いや、もしかしたら喰われているかもしれませんよ、例えばタカとか」

「タカなんていねぇよ! もし見かけたら尻尾巻いてここから逃げてるわい」

「尻尾なんて巻けないですよ」

「言葉の綾だ、バカやろう! お前は賢そうに見えて、実は頭よくないんだな」

「冗談だと見抜けない鳥にそんな風に言われても、なんとも思いません」

 二羽の会話にくすくす笑っていると、コゲラがスズメの声が聞こえたのか、ベンチからすうっと地に降りてきた。スズメの後ろから近づくコゲラは大きな声を発しながらスズメに訊いた。

「これはこれはスズメさん。こんなところでいったい、なにをしているのでしょうかな?」

 スズメはあまりにもびっくりして、その場で二十センチぐらい跳ねた。振り返って見ると、コゲラの口は半開きになり、今でもスズメのことを食べてしまいそうだった。

 しかし、スズメはすぐに心を落ち着かせた。スズメより大きいとはいえ、所詮は小鳥で、動物を食べないのは知っている。口を半開きにしているコゲラがなんだかマヌケに見えてきた。

「コゲラさん、わたしのことを食べる気?」

「一日に小さな虫一匹でなんとか生きながらえてきたんだ。少しくらい豪華に食べてもいいとは思わないかい? たとえばスズメとかなぁ!」

 コゲラは翼を広げてみせ、くちばしを前へ突き出して威嚇するように言った。

 コゲラに続いてシジュウカラもベンチから降りた。とても暑そうに翼で扇いでいた。

「コゲラくん。そんな言い方は良くないですよ。すみませんね、スズメさん。十分に食べていないせいか、コゲラくんはいつも以上に口が悪いんです」

「いつも以上に口が悪い? だったら俺はいつも口が悪いとでもいいたいのかよ、お前!」

「こらこら。ただでさえ暑いのにそんなに怒鳴らないでほしいものです——スズメさんはここで羽を休ませていたのですか?」

 シジュウカラは暑苦しいコゲラの話をそらさせ、スズメに訊いた。

「あなたたちと同じように、わたしもヒマワリが種を落としてくれるのを待っていたの。でも、シジュウカラさんの話を聞いて、少しがっかりしちゃいました」

「そうでしたか。わたしも久々に種を食べたいと思っているんですけど、秋がなかなかやってこなくて、本当に待ち遠しいです」

「秋?」

「おい、まさか季節も知らずにここまで生きてきたのかよ」

 呆れ顔でコゲラがそう言うと、何も知らないスズメはとても恥ずかしくなって俯いた。

「コゲラくんは、まずその口を直した方がいいと思うよ」

「口に傷一つもないのにどこを治せと?」

「秋というのはね、スズメさん、暑い夏が終わって涼しくなる時期のことだよ。ほら、葉っぱや木の実が地面に落ちる時期があるでしょ? それが秋なんだ」

 シジュウカラはコゲラの言うことをきっぱりと無視して、スズメに向かって話した。

「ということは、今はとても暑いからまだ夏で、涼しくなる秋はまだ先なのね」

「そういうことだよ、賢いスズメさん」

 シジュウカラが微笑んだ。

「よかったらなんですけど、このあと虫を探しに行くんです。スズメさんも行きますか?」

「もしお邪魔じゃなければ——」

「はぁ? こんな女子と?」とコゲラが間を割って入り、とても嫌そうに顔を歪めた。

「いいじゃないですか。いい鳥ですし、コゲラくんのことを邪魔しないと思いますよ」

 唸っているコゲラはぶるぶる体を震わせ、顔をうずくまっていた。そしてあきらめたのか、目をきっと細め、二羽を交互に睨みながら言った。

「あぁ、もう、勝手にしてろ!」

 そう言うなり、コゲラは翼を広げ、ばたばたとはためかせながら飛び立った。なんでコゲラくんが怒っているのか、よく分からなかった。




 それ以来と言うものの、スズメはコゲラとシジュウカラとともに過ごすようになった。

 さらに五十回日が沈んで涼しくなった今でも、コゲラは相変わらずスズメには冷たい態度を取っていた。理由もわけも分からないまま、今まで過ごしてきた。

 シジュウカラの予測通りにヒマワリの花びらや茎がやっと茶色になりつつあったが、いまだに種を落としてくれなかった。

「コゲラくん。きみはどうしてスズメさんにはそんな態度を取るのでしょう?」

 食事中に、スズメが話しかけても断固として返事をしないコゲラに、シジュウカラはついに訊いた。シジュウカラもコゲラの態度に困っていて、なんとかスズメと仲良く話せるくらいには誘導したいと思っているらしい。

「そんなの俺の勝手だろうが」

 そう怒鳴って、コゲラは久々の大物を存分に食べる喜びに浸るために、食べることに専念した。

 普段、食事は昼間に済ませるのだけれど、コゲラのわがままのせいで夜に食事するはめになってしまった。公園の電灯の明かりでなんとか足下に転がっている虫を食べることができるけど、他は全く見えない。なんとか目を凝らすと二匹がやっと見えるくらいだ。真っ暗闇で、外敵がどこに潜んでいるのか目視することさえできない状況にいるのに、コゲラは大して気にしていない様子だった。

 スズメよりも賢いシジュウカラが、コゲラが夜に食べようと言ったときに真っ先に反論した。

「それはいけません。とても危険だということは承知のはずでしょ?」

「星を見ながら食事するのが、何が悪い!」

 コゲラがそう言い張って、長い間二匹は言い争っていたが、ついにシジュウカラが負けてしまった。スズメもシジュウカラに代わってコゲラに反論したが、結局、結果は変わらず、夜に食事しようということになった。とても理不尽で、呆れてただ小さく笑うしかなかった。

 目を細めながらちらりとコゲラを見た。星を見ながらと言ったものの、都会の中にある公園から見た夜空は、とても深みがかった紺色ではなく、その色に強引に灰色に変えたような色をしていた。そして、雲一つもないはずなのに、北極星でさえ本当にあるのか怪しいくらいに星たちの輝きがなかった。

「スズメさんがいないときは上機嫌というか、調子がいいんですけど、スズメさんをちらりと見かけた途端、すぐああいう風になるんですよ。全く困ったものですね」

 シジュウカラの隣で食べているスズメにこっそりと言った。

「コゲラくんになにか気に障るようなこと言ったのかな……?」

「いや、スズメさんのせいじゃなくて、彼が悪いんです」

「コゲラくんが?」

「はい。今まで、初対面の鳥に対しては少しかしこまった言い方をするのですが、スズメさんのように大げさに怒鳴り散らすのは初めてです。スズメさんも驚いていると思いますが、わたくしも実はあのときのコゲラには驚きました。わたくしの推量なんですが——」

「おい、なにこそこそしているんだ。見ていると落ち着いて食事もできねぇだろうが」

 コゲラはシジュウカラとスズメの会話を中断させた。しかし、顔はしっかりとスズメの方に向いていた。

 なんでわたしだけに怒鳴ったんだろう、冷たい態度を取ったんだろう。昔、どこかで鉢合わせて、恨みを買うようなことをしたのだろうか。

 スズメは小さな虫を平らげ、コゲラをじっと見た。コゲラはすぐにスズメの視線に気がつき、ふんと鼻を鳴らしながらそっぽ向いた。やっぱり、コゲラくんになにか悪いことをしたのかな。

 一台の車が公園の側を通り過ぎた。ヘッドライトが三匹に当たった。そして、コゲラは顔を上げてはっと気づいた。

 光が三匹に当たった直後、スズメの背後から、音もなくすっと大きな黒い影が現れた。黄色い目玉が小さなスズメを睨んでいる猫は一歩大きく前進した。ジャンプしてスズメを襲いかかれるくらいの距離だった。

「逃げろ!」

 コゲラがそう叫ぶと、スズメの元へ飛びつき、シジュウカラは高く飛んだ。スズメは瞬時に後ろを振り向き、姿勢を低くして今にも襲いかかろうとする猫にやっと気づいた。凝視する猫の目に恐怖を感じてしまい、その場から動けなかった。

 猫はジャンプしてスズメに襲いかかった。

「スズメさん!」

 シジュウカラはすぐにスズメを助けようと急降下した。

「来るんじゃねぇ!」

 ぴりぴりとした声と同時に、スズメはやっと体が動けるようになり、早く恐怖から逃れたいと必死に翼を動かした。間一髪で爪に引っ掻かれなかった。

 暗闇の中で、猫の鳴き声と鳥の鳴き声が混ざりあっていた。何が起きているのか分からない。どれくらい時間が経ったのか分からない。分かることといえば、コゲラが傍にいないことくらいだ。

「コゲラくん! コゲラくん!」

 必死になってスズメが甲高い声を張り上げた。しかし、返ってくるのは痛ましい音だけだった。

 シジュウカラは意を決したように急降下して応戦した。すると、猫の鳴き声と足音が遠くなり、辺りには静寂が包まれた。

 もう終わったのだと察し、スズメは地上に降り立った。

「コゲラくん、どこにいるの! シジュウカラさん!」

 とにかく心配で心配でならなかった。胸や頭の中には嫌な予感しかなかった。良い予感のかけらなんて、一つもなかった。

「ここだよ」

 電灯の下にいるシジュウカラが片方の翼で大きく振って、居場所を知らせていた。

 スズメはシジュウカラの傍に降り立った。地面には、コゲラが横たわっていた。翼にはところどころ引きちぎられ、胸には引っ掻かれた痕があった。頭からも赤い液体が流れていて、息も絶え絶えだ。

「ざまぁないな……まぁ、か弱い女子が……元気でいられるなら、それでいいか……」

 コゲラは天をじっと見つめたままだった。

「だから言ったでしょ! 夜は危ないって! なんでことになるって分かってなかったの?」

「平和ボケしていると……危険を冒したくなる…それに——」ゆっくりと、顔をスズメの方へ向けた。「——心に決めたことも、あったしな……でも、それは……無理そうだ」

 コゲラは弱々しく微笑むと、シジュウカラに向けた。

「頼んだぞ」

 シジュウカラはもうすでに覚悟ができているように、口を一の字に結んだままうなずいた。

 コゲラの目がゆっくりと閉じた。そして、いつも下向きの頑固な口元が、わずかに上向きになった。

 コゲラの胸の上にぽとりと何かが乗った。じっと見ると、それはヒマワリの種だった。




 その時からさらに十回ぐらい日が落ちた頃、日差しは弱まり、涼しくなって、とても過ごしやすい陽気になった。

 シジュウカラはいつも通りに振る舞っていたが、コゲラのいない今では空回りしていて、なんだか物足りなかった。

 ヒマワリの前に群がる鳥たちに紛れて、スズメとシジュウカラもできるだけたくさん取っていき、公園の隅っこでそれを食べていた。しかし、コゲラの死を見て以来、空腹感に襲われることがなく、食欲がわかなかった。

「スズメさん、あの夜、わたくしが言いかけていたことの続きを、言ってもいいですか?」

 スズメはただ黙ってヒマワリの種を見ながらこくりとうなずいた。

「コゲラくんは、きっとあなたのことを一目惚れしたんだと思いますよ」

「え?」

 予期もしないことを言われ、思わずどきっとした。

「あのときの昼、コゲラくんはわたくしに言ったんです『もし、俺とお前、どちらか一方死んでしまったら、ちゃんとスズメを助けていけるのか』って。『なんでそんなことを言うんです?』と問いただしたところ、『今夜、どうしてもスズメに言っておきたいことがあってな。俺が死んじまう前に頼んでおこうって思ってな』って答えてきましてね、『昼間ではだめなんですか?』とまた問いただしたら、『暑いし、だるい』って返ってきましたね。おかしいでしょ? そんな汗ばむような天気じゃないですし。最後に、『頼み事ってなんです?』って訊いたら『俺が死んだらスズメを頼む』って言いましたね」

 シジュウカラは一度ため息を吐いた。

「確信しましたよ。あの夜、猫がスズメさんに襲いかかったときに取った行動も納得できます。コゲラくんは四六時中、いつもあなたのことを心配し、愛していたんです。一方的だとしても、少なくともあなたのことを嫌いではなかったのです」

 スズメもため息を吐いた。胸の重みがなくなるどころか、一層重くなった気がする。

「それだったら、なんでわざわざ夜に食べようなんて言ったの? いくらコゲラくんでも、夜は危ないと心得ているはずなのに……」

「実は今夜、流星群が流れるはずだったんですよ。スズメさんが流れ星に見惚れている隙に、愛の告白でもしようとしたんでしょう。でも、都会が放つ光があまりにも明るすぎて星が見えませんでした。コゲラくんは怒っていたんでしょう——いや、もしかしたら落ち込んでいたかもしれません」

 シジュウカラは食事に戻った。しかし、目だけはなんだか悲しげに光っていた。

 夏は終わった。そして秋が始まった。でも、その境ってなんだろう。そう思ったときにふと思い浮かんだのは、コゲラくんのあの世に羽ばたいていったところだった。ヒマワリが種を置いた、あの瞬間だった。

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