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冷笑主義  作者: 不二 香
第一章 Before 1492
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第4話【魔女狩り】前編

魔女狩り:諸国家と教会が異端撲滅と称して特定の人物を「魔法を使って悪事を働いている魔女」とし、裁判を行って次々と刑に処した一連の歴史的事実。

魔女を見つけ、事実を明らかにして取り締まる者が異端審問官である。


 時は中世十五世紀後半。地はフランス南部の片田舎、パーテルという名の小さな町。

 フランス内外からの貴族が都の喧騒を逃れて羽を伸ばすこともあるほど景観も治安もよく、こじんまりとした教会が数箇所にあって、時を告げる澄んだ鐘の音はどこにいても聞くことができる。町の外には畑が広がり、緑の山と青い空がそれを彩る。

 実に牧歌的な風景のパーテルだが、一応は内陸の要所を繋ぐ中継地点であり、商業の町としての一面も持っていた。

 商売道具を下げて行き交う行商人、誰よりも大声を出そうと頑張っている葡萄酒の呼び売り、一等地で必ず繰り広げられる場所取りの喧嘩や、値段交渉をする威勢のいい婦人──そういった人々の活気が町の大通りを埋め尽くす。

 路地に入れば職工たちの工場の音やら家々の食卓の香りやら、歩くだけで人生の充実を得られそうな生活が広がり、疲弊した上流階級がここで魂を癒そうとするのもうなずける。

 しかもそうした気持ちに余裕の生まれた貴族や裕福な商人が施してゆくため、ローマでは来る日も来る日も生きるか死ぬかの戦いを強いられているような貧しい者たちも、この町ではそれなりに生きているのだ。

 物乞いの顔さえ穏やかで、殺伐とした影はない。


 そしてそんな町の裏手は──山の裾野を広大な森が覆い尽くしている。

 鬱蒼と針葉樹が立ち並び、下草や藪が茂ったそこは昼間でも薄暗く、狩りに入ろうものなら道を失い帰ってこられない。

 おまけにこの森のどこかには、“ヴィス・スプランドゥール”という異形の化け物が集う暗黒都市があるのだと、昔から言われていた。

 人間たちの間でも噂になっていた。

 そしてもうひとつ。

 その森の入り口で入る者を監視するようにある大きな屋敷。

 昼間は門の前を掃き掃除をするメイドがひとり。真っ黒な剣士衣装に身を包んだ若い男が時折出入りして、それ以外に人らしき姿はない。

 しかし黄昏時になると屋敷のあちこちに炎が灯り──夜ともなれば人々は、身を縮めた家の中から、その屋敷の方向へと走るいくつもの車輪の音を聞く。

“あの屋敷には化け物が住んでいる”

 何百年前からだったか、そんな噂が囁かれた。

 そしてそれはやがてもっと確定的な口伝に変わっていった。

“あの屋敷にはシャルロ・ド・ユニヴェールが住んでいる”



◆  ◇  ◆



 秋の収穫も終盤に近づいた、ある夜。

 豊穣を祝い、あらゆる聖人を祝う万聖節ハロウィン。死者の魂も、地獄の魔物も地上に返ってくる季節。その前日のことだった。


 いつもと同じく静寂の黒が家々を包み、申し訳程度に灯された十字路のランタンの光までが、濃い闇色に首をすくめていた。

 通りに人影はなく、声もない。

 聞こえるのは、窓をかすめ行く北風。そしてざわめく木々の笑い声。

 そして黒い森に巣食うものたちが夜を祝す杯の音。

 しかし。

 闇がわだかまる地面を、黒い森の方向からコロコロと転がってくるものがあった。

 くすぶった黒煙を丸めたようなその物体。風にとばされる綿ぼこりのように、二、三個でもってコロコロ転がる。その真ん中には、愛嬌のある小さな目がふたつ。

 彼らは目当ての屋敷──化け物屋敷と名高いアレだ──の玄関にたどりつくと、精一杯伸び上がり、それこそ千切れて真っ二つになってしまうのではないかと自身で危惧するほど伸びあがり、獅子の取っ手をつかんでノックした。玄関ランプの淡い琥珀の光に照らされて、彼らはじっと扉を見据える。


「──何用ですか?」

 扉を開けたのは、濃い灰色のドレスエプロンを身につけたメイドだった。

 この屋敷で唯一の、生きた人間とも言える。

 彼女は足元で転がる煙球をみても、さして驚きはしなかった。

「どうしたの?」

 彼女の問いかけに、煙球たちは歪んだり伸びたり縮んだりで事を伝えた。

「ユニヴェール卿が。泥酔して。さらわれた。……へぇ」

 意が伝わったことを知り、声こそないがきゃっきゃと飛び跳ねる煙玉たち。

 が、反対にメイドの顔は渋くなる。

「限度を知らずに意識がなくなるまで飲むのは、あの方のどーしよーもない悪癖ね……。そんなにお酒に強いわけではないのに。……で、さらわれたというのはどういうことかしら? そんなバカげたことしたのは誰かしら?」

 彼女の口調に危機感は、ない。

 だが、メンドクサイことをしてくれたという刺があった。

「魔女。魔女がさらった。猫も一緒に。……あぁそう、ルナールも一緒なの」

 メイドは暗い森を眺めてため息をついた。

「きっと私が行かなくたってどうにでもなるでしょう。でも行かないときっとひがむでしょう。……魔女だなんてたかが人間のクセに余計なことをしてくれて」

 彼女は手にしていた雑巾を廊下へと放り投げる。艶やかな黒髪までが不満げに跳ねた。

「準備よし」

 ひとりごち、彼女は視線を未だコロコロしている煙玉へと落とす。

「あなたたちがパーティーをしていたのはどこ? 詳しい話を聞かなければね」



◆  ◇  ◆



 この世のものとは思えない人……。彼女はそう思った。

 夜空に広がる薄い雲にぼやけた月光と、隅に置かれた一本のロウソク。

 彼女の前には、それだけの僅かな光に浮かび上がる、ひとりの男がいた。


 夜より深い黒衣をまとい、凍えるような銀髪に神経質っぽさのある端正な細面。欲の張った成り上がり貴族なんかではなく、由緒正しい血脈を思わせる静謐。

 彼の横たわる朽ちた寝台が、滑稽に不釣合いだった。

 いや、粗末な木造りのこの部屋──小屋そのものが似合わない。


 部屋には、随分前に教会からもらってあった聖水をまいた。

 寝台は、銀の小さな十字架をたくさん床板に突き立てた結界の中にある。

 男の両手も、銀の鎖で縛った。

 どれほど効力があるのかは知らないが、小屋の板壁には山査子さんざしやら大蒜にんにくやらも打ちつけてある。

 吸血鬼の中の化け物だというこの男を殺そうとしているのだ。どんなに迷信めいていても、用心を重ねるに越したことはない。


“死者の魂が地上に戻り地獄の魔物が放たれる“万聖節前夜ハロウィン・イブ”。あの屋敷の吸血鬼も酒宴に参加するはずです。──ユニヴェールは生前から酒に強くもないくせに浴びるように飲んでは潰れるという、神に仕える者ならざる男だったというから、そこを突けば貴女でも滅ぼすことができるかもしれません”


 異端審問官の言葉が彼女の脳裏によぎった。

 魔女と称して酒宴に混ざるのも簡単だった。介抱と称して場を抜け出すのも楽だった。何もかもうまく行き過ぎて、怖い。

 死んだように眠っている男。肌の白さが死人のそれなので、今彼を見た者は誰もが死者と疑わないだろう。

 この死者の胸にくいを打ちさえすればいい──そう審問官に教えられた。

「杭を打ちさえすればいい」

 壁へと視線を移した彼女の碧眼に、立てかけられた杭とつちが入る。

「そうすればみんなも私も助かる」

 何度も耳元で囁かれた言葉。

 何度も繰り返し自分に言い聞かせた言葉。

「そうすれば──」

 手が震えた。

 生まれてこの方、その意志をもって何かを殺したことなどないのだ。

 口が渇いて、吐き気がした。

 心臓が早鐘を打っている。

「この人を殺しさえすれば皆助かるのです……」

「どうかな?」

「!?」

 突然かけられた声に彼女が振り返れば、酔い潰れて眠っていたはずの男が半身を起こして笑っていた。

 両手が使えないにもかかわらず背筋を伸ばして足を組んで、しらっと寝台に座っている。

 紅の瞳を面白そうに輝かせて。

「何故私を殺して貴様が助かる。私は貴様を殺す気などないから、助かるも何もないぞ。というか貴様など初めから知らんな、お嬢さん(マドモワゼル)

「……そ、そういう約束だからです」

「約束?」

「あなたを殺せば、私の友人も私も罪咎つみとがなく解放してくれると」

「甘い」

 じゃらじゃらと鎖の音をさせながら、吸血鬼は人差し指を立てて軽く振ってくる。

「貴様が私に襲われているならば、私を殺せば貴様は助かる。それは疑いようもない。だが、第三者の混じった生死の取り引きなど信じる奴がどうかしている」

 シャルロ・ド・ユニヴェール。

 そういう名の吸血鬼だと、教えられた。聖職者の間では有名らしいが、ただ少しばかり裕福なだけの商家の娘が、しかも世間知らずの烙印を押されている娘が、そんなことを知るはずもない。

 綺麗に編みこんだ金髪、他色混じらぬ碧眼。美しい美しいと誉めそやされ、そこまでの身分ではないのに深窓の貴族ご令嬢よろしく育てられた。近隣の娘たちとも遊んだが、年を重ねるにつれ、親が友人を選んだ。そして必要なことだけを教えられた。少しでもその心を暗澹あんたんとさせる可能性のあることは教えられなかった。

 だから、世界の裏側に君臨する吸血鬼のことも何一つ知らなかった。

「私が騙されているというのですか」

「信じる必要はないがね」

 言いながら、男は柳眉をしかめてコキコキと首を動かしている。

 色々な吸血鬼対策が実を結んでいるのかもしれない。

「神に仕える異端審問官様が約束を違えることなどありません」

「貴様と貴様の友人は一体何が理由で捕まったのだ」

「……私たちが“魔女”だと……」

「魔女は神など信じぬぞ」

「ですから私は魔女ではなく!」

「では何故魔女ではないのに魔女だといって捕まったのだ」

「……黙りなさい」

 彼女は一度唇を噛むと言い捨てて、隣の部屋へと走った。

 固い木の椅子に放り出してあったものをぎゅむっと掴み、戻る。

「おとなしく私に殺されなさい。これがどうなってもいいのですか!?」

「…………」

 一瞬厳しくなりかけた男の顔だったが、突き出されたものを目を細めて見ると── 一変、投げやりにつぶやいた。

「……構わんよ」

 すると彼女が手にした毛玉、縄でぐるぐる巻きにした黒猫が非難がましく声をあげる。

「“僕は貴方の飼い猫ではなくてパルティータの飼い猫だから、そんなこと言って後でどうなっても知りませんよ” だと?」

 猫語が分かるのか、吸血鬼が声に出して通訳した。しばしの後、彼は黒猫に向かってびしっと指差した。無論縛られているため両手だが。

「貴様は勘違いしているぞ、ルナール。あの屋敷で一番偉いのはあのメイドではない。主は私なのだ。だからあいつは私が貴様に何をしようが嫌味を言うだけだ。よって貴様に人質としての価値はない」

 とんだ茶番だと言いたげに、男が首を左右に振る。

「──くだらん。何を信じてどう行動するかは個人の自由だが、何を信じるかは頭を使って考えた方が身のためだぞ、貴様」

 嘆息混じりの視線は、こちらへ。

「第一本物の魔女が捕まるわけなかろうに。魔女でもない女を次から次へと捕えて殺してまわる輩が尊敬され、崇められ、信用されるとは、世も末だな」

「…………」

 彼女が黙して喘ぐと、それみろと言いたげに吸血鬼が笑った。

「それでも私を殺すか? 信じれば信じた分だけ裏切られた時の代償は大きいぞ? ことは命に関わる」

「それは脅しですか」

「いや。ただの忠告だ」

 目の前の紳士は、穏かな顔つきでこちらを見つめている。

 見つめ返してもその真意は分からない。

「今、パーテル周辺の町々に来ている異端審問官は、ハインリヒ・クレーマーとヤーコプ・シュプレンガーだと私は聞いた。彼らは狂信的な魔女狩人でな、魔女とまともな取り引きをするとも思えんし、魔女と判断した者をわざわざ生かしておくとも思えんよ」

 さしずめ──と、彼は薄笑いを浮かべたまま続けた。

「貴様と共に捕まった友人というのは皆、大した地位のない者たちであろう? 普通の町人、村人は権力がない、処刑したところで両親が嘆き悲しむだけのこと。だが、貴様のようにそれなりの家柄の者は、処刑ともなると色々面倒なのだよ。各方面から赦免の願いが出たりしてな。だが先のふたりは“魔女”と聞けば積まれた金など払いのけるような連中だ」

「それじゃあ……」

「まさか貴様、本気でこの私を殺せる──滅ぼせるとでも思っていたのか?」

 よほど驚いたのか、彼の秀麗な顔の上で目が点になっていた。

 吸血鬼は数瞬そのまま凍りつき──そして染みだらけの天上を仰ぐ。

「……無知とは恐ろしい。無知だと知っているだけでは何の役にも立たんのだぞ? 無知だと知っているならば知識を集めねば。無知だと知っていて何もしない輩と、無知だと知らずに無知のままでいる輩と、どこが違う。結局同じだ」

「ではどうしてあの人たちは私に貴方を殺させようと!」

「貴様に私を殺させようとしたのではないさ。私に貴様を殺させようとしたのだ」 

「!」

 彼女は絶句して口元を押さえた。

 身体中から力が抜ける。

 予想していなかったわけではないが、断言されればつらい。

 何よりも、自分に期待して待っている友人のことを想うと目の前が真っ暗になった。

 彼女たちは昔からの友達なのだ。うわべだけのおべっかを使ったり、形式ばって食事に招いたり、口元を隠して笑いあうような、そんなくだらない友達ではないのだ。

 自分の命だけしかかかっていなかったら、こんな美しい吸血鬼を殺そうと思わなかっただろう。

 彼女たちの命がかかっていたから、ここまでやったのだ。一生背負うことになるのだろう十字架を負う気になったのだ。

 抜け殻になった頭で、男の声が空虚に響く。

「酔い潰れているとはいえ、私が単なる人間の小娘に杭を打たれて滅びるようなつつましい吸血鬼ではないことくらい、奴らは知っている。ヴァチカンの連中はずっと私を滅ぼそうとしてその度に敗走しているのだからな! 貴様が吸血鬼退治に向かって死んだのなら、口うるさい有力者どもも名誉の死として納得するだろう。おまけに審問官の使命たる魔女撲滅もできるわけだ。これぞ一石二鳥! なんと簡潔に小賢しい」

 吸血鬼が立ち上がる。

「…………」

 床にへたり込んだ彼女が成す術もなくその姿を視線で追うと、彼は十字架を無遠慮に蹴っ飛ばし、聖水の水溜りを踏みつけて、彼女の前にすらりと直立した。

 鮮血の双眸が言葉なく見下ろしてくる。

 冴えた月光に浮かぶその白皙は、死の恐ろしさを忘れさせた。

 魅入って魅入って、心が虚ろになってゆく。

「殺してみるか?」

「……え?」

 突然現実に引き戻されて、彼女は間抜けな声を出した。

 だが吸血鬼は、あくまでも涼しい顔で見下ろしている。

「私を、殺してみるか?」

「殺すって……でも……」

「滅ぼせはせんさ。杭で打たれようと炎で焼かれようと首を刈られようと私は滅びない。全部経験済みだが今こうしてピンピンしているからな。だが、殺せぬわけではない」

 美貌に邪気が横切った。

「私の首を持ち帰ってみろ。奴ら、絶対に慌てるぞ。ヴァチカンの連中が今まで何度やって出来なかったユニヴェール討伐を、単なる小娘──しかも魔女だと言って処刑しようとした娘がやってのけたとあっては! 面目丸潰れだ!」

「でもそれでは貴方が……」

「私は何も困らんぞ」

 彼女が言いたかったのはそういうことではなかった。しかしこの男が率先して殺されたがっているのは一目瞭然である。

 実に楽しげで、実に上機嫌だ。

「こ、殺すって杭を打ったり首を刎ねたりするんですよね?」

「まぁ、そうだな」

「……痛くないんですか?」

 心底からの疑問に、吸血鬼が吹き出した。

「うちのメイド並みに可笑しなことを言う奴だな、貴様」

 彼が彼女のかたわらに片膝をついた。薄い唇が三日月の形になって碧眼に近づく。

「痛みなど気にしていたら生きてはいられん」

 鎖に繋がれたままの手が上がり、長い指が彼女のあごのラインをなでた。

「痛みなどとうの昔に忘れたな。精神の痛みも、身体の痛みも」

「そう……ですか」

 不思議と、恐くはない。

 そこにあるのに何も映していない紅の瞳も、笑みの端から時折のぞく牙も、すべてが心地良い花の香に中和されて恐くない。

 誰もかれもを暗黒に引きずり込む死神のような男だと聞いていたが、この男ならば地獄まで付いて行っても悔いが残らないように思えた。

 彼女が見たことのあるどの聖職者よりも高潔で、悟っている。

「本当は首を落とされるのが印象的にも長く死んでおくにも一番なんだが……しかし貴様のような娘では酷だろうな。杭を打つ方が汚れずに済むか」

「首を落とすなら──私がお手伝いしましょうか? シャルロ・ド・ユニヴェール」

 予期せず背後から響いた声音に、吸血鬼が眉を跳ね上げた。

 彼が振り返ると同時に付け加えられる。

「様」



◆  ◇  ◆



「だから言ったでしょう? 私が行かなくてもどうにかなるって」

 パルティータは床を転がっている煙玉に向って嘆息した。

 そして主へと水平な視線を送る。

「彼らが貴方が酔い潰れてさらわれたと教えてくれ、シャトー・ガイヤールの幽鬼が、連れ去られる貴方の尾行をしてくれていたのです」

「……告げ口したな」

 邪悪に光る吸血鬼の目に、煙玉が慌ててパルティータの影へと逃げ込んだ。

 彼女は語気を強めて尋ねる。

「ユニヴェール様。そちらのお嬢さんはどちら様ですか?」

 パルティータの視線の先には、彼女よりは年上に見えるがそれなりに美しい、身なりのしっかりした女性がいるのだ。彼女をここまで引っ張り出した、魔女。

 金髪碧眼。薄幸そうに感じられるが、それが本質ならばシャルロ・ド・ユニヴェールをさらってくることなどできるはずがない。

「この娘か? 魔女狩りされそうになっている人間だ」

「……それで?」

「ご友人も異端審問官に捕らわれて、彼女が私を殺してくれば全員無罪放免だと約束されたらしい」

 ようやくユニヴェールが女の傍らから立ち上がった。

 黒衣の誇りを雑に払い、背筋を伸ばす。

「それを試してみるわけですか」

「世界を見るといって欲しい」

「そんなものは見るまでもありません」

「何故」

「血染めの外套と衣装、誰が洗濯すると思っているのです」

「……分かった」

 主が目を閉じて肩をすくめた。と、同時に銀の鎖が床に落ちて重い音をたてる。

 この吸血鬼にとっては鎖など何の障害でもないのだ。例えそれが銀であっても。

「この寒くなりかけの時期に、何も羽織らんでここへ来たのか?」

 薄目を開けて、主はパルティータを上から下まで眺めてくる。

 彼女はいつもと同じメイド服だ。それさえも彼女自身であるかのように。あるいは、そうすることを課しているように。

「私が滅ぼされることなんてないのだから、もっとゆっくり支度をしてくればよかったのだよ」

 ユニヴェールがおもむろに歩み寄ってきた。

 そして自らの外套を脱ぎ、彼女の肩にかける。

「これからが面白いのだ。風邪をひくわけにはいくまい? 人間はもろいだろう」

「騙されませんよ」

「…………」

 ユニヴェールの柔和な笑みにヒビが入った。

「同意とはいえたかが人間に殺されるとあっては、ユニヴェール家末代までの恥です。許しません」

「ではどうしろと」

「貴方の頭ならいくらでもイヤガラセの方法くらい思いつくでしょう」

「…………」

 主は片眉をあげてしばらくこちらを見つめ──、ややあって床に座り込んでいる金髪の女を見やる。

 そして言った。

「お嬢さん。無知とはいえ私に手を出した勇気は誉めてやる。それを買って貴様の友人を助けてやらんでもないぞ。──ただし、追加料金は高くつくがな」

 令嬢のすがるような眼差しが吸血鬼を見上げた。


 神より罰を受けし者。

 死してなお死ねず、生ける屍として世に留まりし者。

 それがつまり、“吸血鬼”だ。

 彼らは化け物だが化け物ではない。彼らは化け物であって人間なのだ。

 破門を受けて死んだか、悪行をなして赦されぬまま死んだか、呪いを受けて死んだか……。

 彼女の目の前にいる冷凛としたこの男も、また死人なのだ。

 神に見放された者。


「追加料金?」

「貴様の命ではどうだ」

「…………」

「殺そうというのではない。血をいただくだけのことだが──知っているな? 我々の手にかかった者は、死するか我々の仲間となるか、道はふたつにひとつ」

「どちらにせよ貴方は死にます。世界から消えるか、世間から消えるか、その違いだけ」

 パルティータは平面顔で補足した。

「……貴女も?」

 碧眼の女が彼女に視線を移してきた。

「いいえ」

 彼女がどんな答えを期待したかは分からないが、パルティータはきっぱりと首を振る。

「私は普通の一般人です」

「……そう」

 女のつぶやきは、褪せた花の声音。

 エメラルドの中に浮かんで消えたものは何か、パルティータには知る由もない。

 彼女はメイドであって、獲物ではないのだから。

「どうする?」

「……私の血で皆の命が助かるのならば」

 ユニヴェールが口端を吊り上げた。

「お嬢さん、名前は」

「テレーズ・フォンデンブロー」

「私が滅ぶまで覚えておこう」

 月光に映える銀髪を揺らし、ユニヴェールが外を見た。

 藍色に落ち、息を殺す夜の街。

「で、どうなさいます?」

 パルティータが問えば、主が首をコキコキしながら顔をしかめて断言。

「無論、正面から奇襲をかけてやる」

「……で、そんな渋い顔をなさって貴方はどうなさったんです?」

「飲みすぎの頭痛だ」

「…………」

「吐き気までする」

「…………」




シャトー・ガイヤール:十二世紀頃、イングランドのリチャード獅子心王によって、フランスのレザンドリーに建てられた城。


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