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冷笑主義  作者: 不二 香
第三章 After GENOCIDE
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第20話【ゴルゴタの丘】前編




「すべての命が平等だなんて綺麗事を、まさか信じているわけじゃないだろう?」

 まだ冷たい濃紺の風。

 しかし茫洋と広がる闇はほのかに明るく、耳を澄ませば聞こえるプリマヴェーラのささやき。

 ゆるむ土、ほころぶ蕾、身じろぎするサナギ、木々の欠伸、飽和する水の匂い……。

「毛皮を売る、肉を買う、子どもを売る、奴隷を買う。誰もが目を背けながら知っているのさ。絶対を崇拝しながら相対化されたこの世界では、いつの間にか命に値段が付いている」

 赤茶けたフェッラーラの街は寝静まり、明日咲く小さな白い花の夢を見る。

「吊るされた兎と自分の魂が同じ重さだと、誰が思っているだろう」

 月が支配する石畳の通りを、緋色のマントを羽織った仮面の男が歩く。

 かつて人間だったものをひきずりながら。

「君には価値がない。君が思っているほど」

 深い深い眠りの町、その足音を聞く者は誰もいない。

「これから創られる神の国に君は必要ないよ」

 彼は仮面の奥で屈託なく笑った。

「不安だったんだろう? 自分に価値があるかどうか。はっきりして良かったじゃないか!」



◆  ◇  ◆



 荒野とも表現できる剥き出しの地肌に、延々と続く深い緑のオリーブ畑。眼前に広がる懐かしい風景を、潮に満ちた夜の寒風が撫でてゆく。

「島を出るのは何百年ぶりか」

 背後に黒々とした海原を従え崖の上に佇む女は、足下につぶやいた。

 下僕の如く寄り添っている一匹の狐。白い毛並みのそれは、耳だけを彼女へ向けて遠くを見つめている。

「この景色の空虚なこと」

 女の眼差しにも郷愁が混じり、南イタリアの大地へと注がれる。

 頬でほつれる赤褐色の髪、髪から額へと輝きを連ねる真珠、はためく白い衣、繊細な刺繍が目を引くサッシュ。

 やがて狐の耳がピクリと動き、なだらかな丘の向こうから黒塗りの馬車がやってきた。覆面をつけた青毛馬ブラックは夜を裂く矢の如く、滑るように近づいて来ると静かに停車する。

「お迎えが遅れて申し訳ありません」

 馬車の中から出てきたのは、意外性の欠片もない闇色の隊衣に身を包んだ黒騎士、ウォルター・ド・ベリオールだ。

「お久しぶりです」

 男は殊勝に頭を下げてひざまづき、女の白い手を取って口付けた。

「陛下をはじめ我々一同、最大の謝意をもって歓迎致します」

「……ひとりを除いて」

 彼女は無表情に騎士を見下ろして言った。

「あの男は私に赦しを請う気になったか?」

 詰問ではなく自問。

 騎士は顔を上げず目を合わせず薄い笑みで立ち上がり、流れる所作で手を翻す。

「さぁ、こちらへ。お足下にお気をつけください」



◆  ◇  ◆



 白い光に含まれる熱はまだ弱く、しかし降り注ぐ先には色が宿る。

 冬と春の間は特別だ。

 抑圧されていた世界そのものが弾ける、恐るべき流れの真っ只中に立たされる時。

 刻々と視界は色を変え、日ごとに無数の生命が生まれてゆく。

 静謐の中で血の流れた夜も、昼の躍動する奔流の中で散り消える。


「──この男を知らないか?」

 赤味の強いレンガの家並みを、白い聖人が渡り歩く。

 しかしその低く押し迫った声も、街人の歌声、リュートの響き、小鳥たちの讃歌に消える。

 

 フェッラーラ公国。

 異人を華やかな調べでまやかす、沈黙の街。



◆  ◇  ◆



 長官室は溢れんばかりの光に満ち、集った白の群れを一層清廉に見せていた。

「デュランダルというのは非公式の部隊です。しかし各国に配置された聖騎士隊、ヴァチカンが公式に所有している騎士団や白十字団、彼らの頂点に立つ存在だというのも周知の事実です」

 部屋の女主人シエナ・マスカーニは今日も緋色の聖衣に煌びやかな宝石をまとい、聖を俗で蹴倒している。

「私の言いたいことはお分かり? カリス・ファリダット」

「いいえ、まったく」

 金糸の刺繍が施された白のソファにもたれ、指名されたカリスが悪びれもせず即答した。

 フリードはその横で小さく首をすくめる。

「そう」

 マスカーニ枢機卿がつまらなそうに扇を広げ、場を見渡した。

 広い部屋は執務室というよりは貴族のサロンに近く、召集をかけられたデュランダルの面々は、ある者は応接用のソファや肘掛椅子に座り、ある者は本棚や出窓によりかかり、上司のありがたいお言葉を拝聴していた。

 つまり、好き勝手。

「私が言いたいのは、本来デュランダルというのはユニヴェールを討つためだけの部隊ではなかったはずだということです」

 まだ、“悪魔のクルースニク”と揶揄されたソテール・ヴェルトールとシャルロ・ド・ユニヴェールが両名そろって在籍していた時代、デュランダルは対暗黒都市、対魔物の組織だった。

 しかしそれはユニヴェール家の凋落と共に変容してしまった。

「原点に回帰すれば、あらゆる魔物や悪魔から神の子どもである民を護る。それがデュランダルの使命のはずです。ユニヴェールを追うことしかできないのならば、デュランダルを維持する必要はない。それが私の持論です。貴方たちの延命だってけっこうお金がかかっているんだもの。見合った成果を期待するのは当然よね?」

 今までそれを表立って指摘する者がいなかったのは、誰もデュランダルに関わりたがらなかったからだ。

 聖なるひつぎに手を触れれば、必然、影なる柩にも触れることになる。

 デュランダルに関われば、ユニヴェールとも向き合わざるを得ない。

「それに私は、デュランダルは魔物を相手にする以上の責務を負っていると考えています。我々の敵は魔物だけではないものね? 教皇の命を狙う者も多く、枢機卿内で反目している者もいる。教皇領を狙う不届きな王もいる。デュランダルは、それらすべてからこのヴァチカンを護ってこそ存在する価値があるのです」

「デュランダルに傭兵の真似事をしろと?」

「真似事ではないわ、ミトラ・マンノウォー」

 部屋の一番奥、書棚に背を預け腕を組む赤毛のクルースニクにマスカーニ枢機卿が麗しい笑顔を向ける。

「貴方たちには、ヴァチカンに忠実な傭兵になってもらわないと困ると言っているの」

 窓辺に飾られた白い花の向こうには、青々とした芝生が見える。

 続いているようで続いていない、ガラス一枚隔てたこちら側とあちら側。

 あちらは抗いようのない現実で、こちらは砂上の楼閣だ。

「このことについては、もちろんソテール・ヴェルトールとも話し合いました」

 しかしその隊長殿はこの場に姿を見せていない。

 フリードは少し伸び上がって部屋を見回したが、やはりいない。

「上は、正直言って貴方たちの扱いに困っているのよ。そのうえヴァレンティノ・クレメンティの計画は失敗、被害も甚大。兵が必要なら各国に協力させればいいんだからデュランダルはもういらない。そういう話になるのも分かるわよね?」

 誰もうなずかなったが、マスカーニは続ける。

「デュランダルの廃止は貴方たちの死を意味するわ。でもそれでは今まで尽くしてくれた貴方たちに対してあまりの仕打ちだし、これだけの兵力を手放すなんてもったいない。だから、交換条件にしました」

 マスカーニ枢機卿は注意を引くためだろう、ひとつ声のトーンを上げてきた。

「デュランダルを存続させる代わりに、職務の拡大を行い、先の失態の責任を明らかにすること」

 不満があるかもしれないけれど──、とマスカーニはこちらに背を向けた。

「ソテール・ヴェルトールと我々上層部の間で了解済です」

 つまり、しがないヒラは口を挟む余地がないということ。

「デュランダルはヴァチカンの非公式部隊であり、その目的はふたつ。ユニヴェールを含む暗黒都市の住人、あるいはそれ以外の魔物や悪魔から人々や各都市を守ること。そして陰謀、暗殺、戦禍、あらゆる犯罪、害悪からヴァチカンを守ること。よって規定を改定、聖剣ではない剣の帯剣も認めます」

 追加点、お偉いさんのお守り。変更点、人殺しも合法。

「それから、今日ここにいないソテールについて。ジェノサイド事件でクレメンティ枢機卿の計画が失敗したこと、特に命令された任務を放棄したことについて彼に責任を取ってもらうことにしました。ソテール・ヴェルトールの隊長職を解き、除隊。今後の処遇については後日審問会を開いて決定します」

 金髪の聖人が振り返って唇を閉じた。

 誰かが何かを言うのを待っているように。けれど誰も何も言わないのを分かっているように。

 すべては望まれた台本のとおりに進む。

「次に人事異動について。隊員を四名追加します。フリード・テレストル、ヨハン・ファウストを正式にデュランダルの隊員に迎え、パーテルからシルヴァン・レネック、フェッラーラからルカ・デ・パリスを招聘しょうへいすることになりました。フリードはまだ若いからしっかり面倒みてね、カリス」

「……了解です」

 ──よりよって本人を殺そうとした自分に任せますか?

 フリード自身はもう何とも思っていないのだけど、言外に苦いカリスの心の声が聞こえてくる。

 だが枢機卿殿はそんな人類の心の機微などまったく意に介さない。

「加えて、長らく空席になっていた副隊長職もしっかり任命することにします」

 もったいぶった一呼吸を置いてから、一言。

「ヨハン・ファウスト、お願いね」

 瞬間、視線は交錯した。

 今まで実質的に副隊長を務めていたミトラと、古株を蹴落とした若い錬金術師。

「これからの時代は力だけで押せばいいというものではありません。ヨハン・ファウストの父君がゲオルク・ファウスト博士だということは皆さんご存知ですね? 父君を超える錬金術や科学、医学の貢献に期待します」

 長椅子に横になり本を読む格好を取っていたヨハン・ファウストが、本を畳んで身体を起こした。

 動作も空気も顔つきも粗野な不良青年だが、薄い眼鏡と白衣が理性の盾を作っている。

 彼は自分を注視している強面のクルースニクたちをぐるりと見渡しながら、

「剣は持てませんが、天秤とペンを持って頑張ります」

 引き気味の愛想笑いを浮かべた。

「まずは、剣がなくても吸血鬼を絶滅させるすべを確立しますんで」

 それは剣士への挑戦なのか、意図のない言葉なのか。

 フリードはミトラとカリスを盗み見たが、どちらの顔にもはっきりした表情はなかった。……そもそも、感情を表に出すような人間たちではないけれど。

「最後に」

 錬金術師が元の体勢に戻ったのを確認して、マスカーニが声を張った。

 一段高い己の机の横からこちらを見下ろす目に、楽しげな光が灯る。

「最後に。ソテール・ヴェルトールの更迭によって空席となったデュランダル隊長には、ルカ・デ・パリスを任命します。フェッラーラの騎士隊で素晴らしい功績を残してきた聖騎士であり実力は疑うまでもありませんし、クルースニクとしての資質もじゅうぶんと判断しています。貴方たちの望む仕事をしてくれるでしょう」

 最後の一文は、ソテールへの当てつけだったのかもしれない。

「パリス聖騎士、簡単な挨拶を」

 女枢機卿に促され、部屋の隅で気配を殺していた優男が姿勢を正して軽い会釈をした。

 ──あれが? と全員思っただろう。

 なにせ、金髪碧眼の絵に描いたような貴族のお坊ちゃま。戦場に出たことがあるのかも疑わしいほど、柔和でさわやかすぎる。土の匂いも血の匂いもせず、汗を払ったら光りそうだ。背丈も幅も厚みも特徴なく、強いて言えば背はフリード自身より高くカリスよりは低い。たぶん。

「ご紹介に預かりました、ルカ・デ・パリスです。聖騎士隊に入る前は、フェッラーラのエステ家に仕えておりました」

 しかしその中身が外見どおりでないことは、彼の目を見て初めて分かる。

 隠そうともしない、忠誠を要求している目。デュランダルはこの若者に、恭しく頭を下げることを求められている。

「若輩者ではありますが、マスカーニ枢機卿のご指導の下、この世界から魔物と邪心を一掃し、神と神の御子が望まれる平穏を創り上げるべく身を削らせていただきます」

 窓から降り注ぐ日差しに双眸を細め、彼は続ける。

「私はソテール・ヴェルトールほど強くはありませんから、みなさんのお力がなければこの困難な使命は果たせないでしょう。しかし、みなさんそれぞれの功績がすべて私やデュランダルの功績とまとめられてはヤル気なんて失せますよね」

 パリスが言葉を切り、マスカーニ枢機卿へ笑いかけた。

 マスカーニも演技過剰に二、三度深くうなずく。

「各人の功績にはそれぞれ相応の賞賛を。すでにマスカーニ枢機卿にも話は通してありますが、これが私の方針です。──誰にも遠慮はありません。みなさんの持てる力を思い切り見せてください。それはみなさん個人の名誉、富となって返ってきます」

 この男は、影なる聖人たちに何を約束しているのか。

「これだけの人間が集まっているのですから、みなさんが本気で剣を振るえば闇を駆逐することも、人間のあさましい悪知恵をひねり潰すことも、そしてあのパーテルの化け物を滅ぼすことも可能です。そうでしょう?」

 決して叫んでいるわけではない。力説しているわけでもない。

 けれど皆、いつの間にか耳を傾けていた。

 なんとなく、明るい未来があるような気がしてくる口調。

 断言と断言の間には虹の橋しか架かっていないのに、理論的に思えてしまう錯覚。

 顔を逸らさせない眼光。

「疲弊の時代は去りました。やりたい放題している奴らに、デュランダル本来の力を見せ付けてやりましょう」

 吸血鬼始末人クルースニクの長。その証である白く長い外套を羽織った彼はそう締めくくり、再び軽くお辞儀をすると身を引いた。

 同時、横からパチパチと拍手が聞こえる。

 カリス。ミトラ。

 ややあって我に返った隊員たちがそれに続く。フリードも半ば放心したまま手を叩いた。

 ……何に対して手を叩いているんだろう?

 気持ち悪い違和感を抱えながら。

「頼もしい限りね」

 マスカーニ枢機卿が部屋の中央へ進み出た。

 聖なる白の狩人に囲まれた、花園の中心。

「全員、ソテール・ヴェルトールに対して責任を感じないこと。隊の責任を取るための隊長職なんだから、当たり前のことなのよ」

 フリードは反射的に立ち上がりかけたが、カリスに制される。

「貴方たちが立派に職務を果たすことこそが、彼への報恩になるわ」

 脊椎反射で神父を睨みつければ、彼は思わず驚いた顔を見せ、しかしすぐにそれを消し首を横に振ってきた。

「時代は変わるもの。これが、デュランダルの新たな一歩です」

 大人は沈黙を守る。

 嵐が過ぎるまで。

 黙っていれば自らに被害は及ばないと信じているのだ。何を失ったかも気付かないくせに。




 百合の高潔と薔薇の嘘で彩られた長官室を後にして、青年はしばし口を開くのを我慢した。

 しかし廊下を曲がって裏から庭に出た瞬間、前を行く聖人の腕を捕まえる。

神父パドレカリス」

「……フリード」

 白い法衣のカリスはお決まりにそう言い置いてから、口元に笑みをのせてきた。

「良かったですね。これで正式にヴァチカンに留まる理由もできましたから、肩身の狭い思いをしなくて済み──」

「どういうことですか?」

 どういうこともこういうこともないのは分かっている。あれが全てだ。

「ある意味、とてもまっとうな決定なんですよ。みかけは」

 カリスが「ねぇ?」と横のミトラに振り、盲目の大男は黙って肯定してくる。

「経緯はともかく、隊員が多く死傷し計画そのものも失敗。ヴァチカンがソテールのパーテル行きを計算に入れていたとはいえ、持ち場を離れたのは事実。今更感と更迭の是非はあるでしょうが、最も高い位置にいる人間が何らかの責任を負うことは当然です。科学が台頭してきた今、ヨハン・ファウストを副隊長に据えたのも理に適っていますしね」

 新芽がわいてきた芝生。

 これから夏に向けてぐんぐん育つ。

「我々は納得せざるをえないんです。ソテールが責任を取らなかったら、デュランダルそのものの存続が危うい状況でしたからね」

 綺麗に刈られた茂みの中から雀が数羽転がり出てきてケンカをしながら駆けてゆく。

「彼らは、実に合理的にソテールを組織から排除できたわけです」

 手入れが行き届き均整の取れた庭を歩きながら、カリスが眉間にシワを寄せる。

「ここまでがあのクレメンティ長官とマスカーニ女史の計画だったとしたら、たいしたものですね」

「……ソテールはどうなってしまうんでしょう」

 フリードは白長外套(ロングコート)のソテール・ヴェルトールしか見たことがないし、“隊長”と呼ばれているソテール・ヴェルトールしか知らない。

 別にフリード自身が失ったわけではないのに、それらの喪失はひどく不安だった。

「何の考えもなしに決断したのだとしたら相当バカですよ」

 前を向いたまま辛辣なカリス。

「ボルジアに媚売って枢機卿にのしあがる用意をしているだとか、ヴェルトール家はもともとローマ帝国系だからマクシミリアンに取り入っているだとか、何かそういう驚きの切り札があるんでしょうよ」

「…………」

 この人は、無駄にハードルをあげて楽しんでいるだけだ。

「……嫌な空気だ」

 だがそんな飄々とした麗人の横で、ミトラが天を仰いでいた。

 さきほどまでの穏やかな天候は一転。ローマの空には灰色の雲が流れ込み、雀たちが黒い点になって飛んでゆく。

「色々なものが混じっている」

 それに応えるでもなく、カリスがつぶやいた。

「しかしルカ・デ・パリスという男の素性は洗った方がいいかもしれませんね……」

「──私がどうかしましたか?」

『…………』

 まぁ、こうなるのは基本だ。

 噂をした瞬間、本人が現れるというのは。



◆  ◇  ◆



 宿屋の一階、食堂の片隅。

 テーブルにひじをつき顔の前で手を組んだ白の男は、顔を険しくしていた。


 ルカ・デ・パリス。


 エステ家に仕えていた貴族で、その後聖騎士団に抜擢。

 ここ最近魔物討伐で目を見張る成果を挙げ、隊長からの推挙でデュランダルへ。

 パリス家は流行病に襲われ全員死亡。

 廃墟となった小さな居城を確認。

 お身内を亡くされても気丈に振舞われていました、とはかつてパリス家で雇われていた者の証言。

 聖騎士団での評判も上々。

 皆口をそろえて言う。

「あの人はデュランダルにふさわしい人です」



◆  ◇  ◆



「恥ずかしながら、お名前を存じ上げないと話しておりました」

 カリスはこういう時に“包む”ということをしない。特に好意や敬意を抱いていない相手には。

 そのうえ確信犯なので一切悪びれない。しかもたいてい一緒に行動しているミトラは全くフォローしない。

「あぁ、そうですよね。無名の隊長ですいません。でも頑張ります」

 声に出さず笑って、パリスがこめかみを掻く。

 そしてその延長で彼の碧眼がこちらに向けられた。

「君がフリード・テレストル?」

「……はい」

「あのパーテルの魔物の……。すごい血筋ですね」

「すごい血筋なんてとんでもない。母親はどこにでもいる修道女ですし、父親の方の家系は不良品の集まりです」

 何故か即反応して謙遜したのはカリス。

 ……謙遜?

「ユニヴェール家とヴェルトール家とは天地の差があるんですよ」

 結局それが言いたかったのか。

 ソテール・ヴェルトールはユニヴェールを凌ぐほどの血統書付だった、お前はどうなのか、と。

「ヴェルトール。ずいぶん凄腕で厄介な御仁だったようですね」

 誰から話を聞いたのか、新しい隊長殿は先代をそう評した。

 そして改まってカリスを見据える。

「彼は数日後、審問にかけられます。今までの功績から死罪ということはまさかないと思いますが、封印の棺に戻される可能性は高いです」

 “死罪”。

 あまりにも唐突で重い言葉に、フリードは息を止めた。

 身体の外側が冷えて、動悸がする。

「私だっていきなりみなさんの不興は買いたくないので、救済のため、できる限りかけあう所存です」

「アレが大人しく棺に戻るでしょうか」

 声が頭の中の遠くで反響する。

 目の前にいる白い隊長衣の男は、ソテールではない。背格好が違う。言葉遣いが違う。温度が違う。空気が違う。動作が違う。声が違う。

 別人だと分かっているのに、すべての違いに吐き気がする。原因の分からない耳障りな不協和音が奥底から鳴り響いてくる。

「──今、彼はどこにいますか?」

 カリスが訊いた。

「彼は逃亡癖があるというので、地下牢に」

 パリスが真面目な面持ちで教えてくれる。

「お会いになりますか?」




「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 結論から言うと、地下牢にソテールはいなかった。


「確かに、脱走常習犯のあの人にしてみればこんな牢なんか意味ありませんね」

 カリスが肩をすくめる。

「手錠もきれいに外してありますね」

 なんだか心が軽くなったフリードは面白半分に牢をのぞきこむ。

「あの人は奇術師でじゅうぶん食べていけますよ。そっちの方が稼ぎがいいかもしれない」

 いい加減な神父の台詞を聞き流しながら、あぁ、自分は弱っているソテール・ヴェルトールを見たくなかったのだと気付く。

 いつかこの教皇庁の庭でみせた雨に打たれ自責に苛まれる姿。あれを再び見ることが怖かったのだ。

「脱走なんかしたら、申し開きが立たなくなりますよ!」

 声を荒げる隊長殿に

「もちろん、マスカーニ枢機卿は彼が蒸発することくらい計算済ですよ。ジェノサイド事件の時と同じことでしょう」

 カリスは斜めから視線を刺し、“貴方もそうでしょう? 心配するフリなんかして”とあからさま。

「神父カリス! そんな嫌味を言っている場合ではありません!」

 さっときびすを返すパリス。

 階段を駆け上がる靴音が消えてから、名指しで怒られたカリスが冷ややかに口を開いた。

「嫌味ってのは通じてたみたいですね」

「カリス」

「すみませんねぇ、ミトラ。思わず台詞を間違えてしまいました」

 こちらの顔も見ず、神父の法衣がパリスの影を追う。

「私はフェッラーラへ行ってきます。新しい隊長の素性を暴きに」


 しかしその予定は地上に帰った途端に潰えた。

 突然増えた光量に三人で目をしぱしぱさせていると、緋色の衣を翻して老年の枢機卿がこちらに寄ってきたのだ。

「あぁ、神父カリス、ミトラ、フリード、捜していたんですよ。マスカーニ長官が新しい隊員選びの件を貴方たちに一任したいとお呼びです」

「……あの女」

 カリスの歯軋りは、ユニヴェールのそれと同じくらい珍しい。



◆  ◇  ◆



 アスカロンがパーテルのユニヴェール邸へ帰ると、彼の主は玄関ホールでメイドを従え今まさに出掛けようとしていた。

「なんだ、どっか行くのか?」

 扉の内側に寄りかかって訊くと、

「城に召喚されたんだよ」

 紅の虹彩だけが寄越される。

「呼び出しかよ。また何か怒られんのか」

「心当たりは山ほどある」

 吸血鬼の軽薄な笑みに反省はない。

 アスカロンは軽いため息をつきながら、神父用の法衣を脱いで放り投げた。ギラリと光ったメイドの目を見なかったことにして、声を落とす。

「知ってるか? ソテールが更迭されたぜ。隊長を降ろされた」

「とうとう!」

 彼は重大な話をしたつもりだったのに、ユニヴェールは大きく手を打ち高笑いしそうな勢いで振り返ってきた。

「あの優柔不断をクビにするのに三百年もかかったか!」

「枢機卿の一人がうちのシスターに口を滑らせたらしい。ようやくあの聞き分けのない隊長殿から解放されるって嬉し涙流してたんだとよ」

「そりゃそうだろう。私でさえ生きていた頃ずっと不思議だったんだ。何故自分が副隊長をクビにならないのか、何故ソテールが隊長をクビにならないのか」

「……そうかよ」

 ソテール・ヴェルトールやシャルロ・ド・ユニヴェールの、そういう地位に対する無頓着さも、当時の周囲を苛立たせた要因なんだろう。

 自分が必死で守っているものを、一方では歯牙にもかけていない者がいる。二人のその姿は、自分の人生がどれだけ滑稽なのかを突き付けてくるのだ。

「で、調べたんだが、ソテールは隊長を降ろされただけじゃなくてデュランダルからも外されたらしい。そこから先の処分は──ヴァチカンから追放だとかグロッタに再封印だとか、そういうのはこれから審問会で決めることになっている」

「大方、デュランダルの解散と引き換えの取引だろうな。ヴァチカンはそういう手元大事の条件しか出せない」

「だがアイツは今ヴァチカンにいない」

「?」

 白い手袋をはめながら、今日初めてまともに人の話を聞いている顔をする主。

「ソテール・ヴェルトールはフェッラーラに逃亡中。まったく、アンタといいアイツといい、牢屋に鍵かけるのがバカみたいだな」

「フェッラーラ?」

「ちなみに隊長職の後任はルカ・デ・パリスってフェッラーラ出身の男だそーだ」

「…………」

 聞いて、吸血鬼が彼の背後で外套を着せようとスタンバイしているメイドに一瞥やった。

「どう思う、パルティータ」

「興味深い名前ですね」

 全く興味深そうではないテンションでメイドが棒読みする。とりあえず、「主もパルティータも“ルカ・デ・パリス”という名前に心当たりはあるが、金は絡んでいない」ということだけが分かった。

「よくそこまで調べられたな」

 銀髪にシルクハットをのせて、片眉を上げているユニヴェール。

「仕事はきっちりやるさ」

「良い心がけだ。──あぁ」

 無声の一瞬だけ見せた強い視線。ランプの炎に包まれた魔物たちの家にわずか走る緊張の糸。

「お前も来い、アスカロン」



◆  ◇  ◆



 その世界にあけすけな白い光は無い。


 永遠の夜の中に存在を許された明かりは赤い月の月光。照燈ファロの中で揺れる琥珀の炎。燭台に灯された蝋燭の火。

 深いブロンズの街はステンドグラスを通して昏い光彩をふりまき、貴族たちの磨かれた黒塗りの馬車がなまめかしい艶を残し、本人たちは極彩色の上から闇の薄布をかけた派手な衣装で酒を交わし秘密を交わし忍び笑う。そして通りを漂うしっとりと重い香油の香り。


 まるで閉じられた宝石箱の中のように、暗がりの中で妖しく輝く魔都。


 そしてその魔都の中心、女王の居城の一室に魔物が三匹。

 グラスに注がれた赤いワインを挟んで対峙していた。


「お前さんのところの“ルナール”を我がエクリプスに貸してほしい」

「ルナールを暗黒都市の近衛隊エクリプスに?」

 客人用のフレンチソファで足を組みひじをつき、ユニヴェールが繰り返した。

 吸血鬼の探るような眼差しの先では、初老の男がアームチェアに深く腰掛けている。

 ワインを辞退して壁際に立っていたアスカロンもまじまじとその男を見やる。

「それほど奇抜な話でもないと思うがね」

 白髪に髭ひげをたくわえたその御仁は老いてなお筋骨逞しく、黒に塗り潰した鎖帷子ブリガンディーヌの奥は年季の入った覇気で満ち溢れ、簡潔に言えば“何もかもが大きい”。

 威圧感ではなく重量感、鋭利な詭弁もひねくれた思想も吸い込まれそうな包容力。

「貴方のところには将来有望なベリオールがいるでしょうに」

「確かにアレは有能だが、そもそも人手が足りない」

 この狸親父は一見元気のあり余った人間のじいさんだが、もちろん人間ではない。

 北欧で名を馳せた凶狼ウールヴヘジン──戦場に放たれれば策も戦略もなく敵味方関係なくただただ目の前にあるものを殺して殺して殺しまくるという、純粋な殺戮者だ。

 とにかく最後に自分だけそこに立っていればいいという美学の種族なので、滅びを演出したがる吸血鬼とは対極と言ってもいい。

「何故今更人材確保なんか始めたんです?」

「今だからだ」

「ワケあって人手が足りなくなったと?」

「そのワケはお前さんが一番よく知っているはずだが」


 暗黒都市の権力の頂点が女王なら、軍事力の頂点はこの好々爺だ。

 魔都が誇る戦力は、血気盛んなウールヴヘジンや狂戦士ベルセルクといった荒くれ者たち、その中の精鋭が“黒騎士”、さらにその中の精鋭が女王近衛隊“エクリプス”。

 このじいさんはエクリプスの隊長であり、闇にひしめく血に飢えた者たちの親玉なのだ。

 大地に轟く咆哮ひとつで無法者どもを束ねる、通称“白狼はくろう”。


 ちなみに、ベリオールもエクリプスの一員だ。

 

「丁重にお断り申し上げます」

 ユニヴェールはさらっと“ワケ”を回避して言った。

「ほう?」

「ルナールの腕は私も評価しています。貴方のところの騎士の誰と比べても遜色はないとも思っていますし、奴はベリオールとさえ良い試合をするでしょう」

 言葉が切れた。

 ユニヴェールの紅は頬杖をついた姿勢のまま白狼の底の無い双眸を見、薄暗い応接間の空間をなぞり、宝石の散らばる夜の街を眺める。

「しかしルナールはあぁ見えてまだ“不思議な人間”の部類であって、“人間っぽい魔物”ではないんですよ。貴方のところの斬っても斬っても立ち上がるような無神経な輩とは違って、殺されたら確実に死ぬんです」

「そのわりに戦場に引っ張り出しているのではないか?」

「私の家人は、私の監視下で戦っている限り誰も死なないし誰も滅びません」

「…………」

 この数百年。

 デュランダルがどれだけ人員を失おうと、女王近衛隊エクリプス、その下に組織された黒騎士隊がどれだけ欠員を出そうと、ユニヴェールの抱える少数精鋭が減ったことはない。

 それは事実だ。

「ではお前さんは、あのまま屋敷に囲って彼の未来を殺すつもりか?」

「もし奴の未来が貴方たちの考えているとおりになるならば、それは奴がそうしようと思ったからに他ならない。私は阻止もしませんし、後押しもしません。それが奴の決断なら、ね」

「やはりお前さんは彼の素性に気付いている」

 台詞を続けない老将。

「…………」

 朝の来ない夜を目に映したまま、口を開こうとしないユニヴェール。

 体温のない死人が二人に魔物が一匹。

 熱の足りない空間はひんやりとした沈黙を守り続け、しかし当人たちは冷たさも温かさも感じていない。

 心臓の鼓動も、時を刻む脈拍の音もない。

 そこにあるのは惰性の呼吸だけ。

 死んでいることさえ忘れそうな静寂の後、

「──フリードリッヒ・フォン・バーベンベルク」

 根負けしたのか大人の譲歩か、白狼が聞き慣れない名前を発した。


 バーベンベルク。

 すぐに思い出されるのはオーストリア女公マルガレーテ・フォン・バーベンベルクだ。またの名をマルガレーテ・フォン・エスターライヒ。

 あのカステル・デル・モンテの主、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世の嫡男、ハインリヒ7世の元后。


「これはまた古い名前を」

 ようやく、ユニヴェールが白狼へと目を戻した。

「それにどれほどの意味が」

「意味が分からんお前さんじゃなかろう。ルナールはハインリヒ7世の息子。母の名を借りバーベンベルクを名乗っていた、皇帝フリードリッヒの孫ではないのかね? だとすれば、歴史が大きく動く」

「ルナールを傀儡の皇帝にまつりあげて世界の覇権を暗黒都市が握るおつもりで?」

「陛下のお考え次第だが」

「彼は単なるうちの居候ですよ」

 ユニヴェールが背を正し、組んだひざの上に手を置いた。

「そんなに大層な血筋なら、すでに私が奴を使って世界をのっとっているでしょう」

「お前さんはそんなことに興味はないはずだ」

 白狼が赤い液体の入った杯を掲げてあおった。

「──そもそも、お前さんには存在し続ける目的がない。面白半分にかきまわしているが本当は何がどうなろうとどうでもいい。表面を覆っている愛も情も人間の真似事に過ぎない」

「随分な言われように聞こえます」

 老将に向けた眼差しの半分で笑った吸血鬼。

「だが事実だろう」

「昨日より今日を美しく楽しく、目的はそれではいけませんかね?」

 生きる目的が定まっている者、守るものがある者は、それだけで強いという。失うものが何もない者も腹さえ括れば強いのだという。

 では、深遠な無だけを抱え自らそれをのぞき込んでニヤニヤしている者は、何なのだろうか。

「真似事もけっこう面白いものですよ」

 そこに投じられる裏切りも謀略も敵意も嫉妬も挑戦も嘆きも憐憫も情愛も忠誠も、すべて波紋すら残さず呑み込む者は。

「お前さんはどうしてそんなにルナールの素性を隠したがる」

「隠しているわけではなく、知らないと申し上げているんです」

 違う。

 吸血鬼はルナールの血にこだわっているのではなく、暗黒都市の要求の裏を測っているのだ。広げられた盤に置かれた駒の位置を知るために。

「──分かった。では彼の素性についてお前さんから言質を取るのはあきらめよう。だが彼の力を借りたいことには変わりない」

「それは命令ですか?」

 厳かなまばたきを白狼に向けるユニヴェール。

「ご命令だ」

 単語を訂正した老将は続けてわざと顔をしかめてきた。

「ベリオールから、ローゼンクロイツについての報告が入っている。しかし居合わせたというお前さんからは全くそのような話は入っていない。どういうことかな?」

「二人が同じ報告をしても意味はありませんよ。どちらかがすればいいだけのことです」

 人材が足りない理由。

 それがローゼンクロイツ──サマエルにあるだろうことは察しがつく。暗黒都市でさえ対処が不明な死の天使なのだ、下っ端がいくらいても意味はない。

「そう言い逃れるだろうとは思っていたが」

「斬新なことが申し上げられず恐縮です」

「お前さんには先に伝えておこう。それに絡んでアイエイエー島のドンナ・ファルコーネをここへ呼んでいる。くれぐれも彼女を逆撫でするような言動は慎むように」

「ファル……あぁ、魔女キルケですか。彼女には一方的に嫌われていますからね」

「彼女の愛する者をお前が殺したんだ、仕方あるまい」

「…………」

 またも、ユニヴェールは声なく笑う。

 そして彼は立ち上がった。

「では、こうしましょう」

 大窓に寄って輝く魔都を見下ろし、指を一本立てる。

「ルナールのエクリプス入りについて()承諾しましょう。ただし条件がひとつ。キルケをフェッラーラ経由で迎えてください」

「……?」

「いかがでしょう?」

 振り返る。

「──いいだろう」

 うなずいた白狼の答えにかぶせて、

「あぁ、そうそう」

 吸血鬼がわざとらしく手を打った。

「ルナールの主人は私ではなくウチのメイドのパルティータ・ディ・セーニです。ルナールをエクリプスに入れたければ、次は彼女を説得してください」

「お前さんのメイドなのだからお前さんから話をすればよかろう」

 さも当然のようにのたまった暗黒都市最強の戦士。

 アスカロンの主人はおどけて大きく腕を広げた。

「あれを説得する? 無理です」




ゴルゴタの丘 → 正式は「ゴルゴタ」のようですが、日本では「ゴルゴダ」が一般的のようです。

エクリプス:[英] Eclipse 蝕

校正時BGM Within Temptation [The Truth Beneath The Rose] [Our Solemn Hour]

2010年


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