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冷笑主義  作者: 不二 香
第三章 After GENOCIDE
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第18話【愛の夢】後編




「すみません。歩くたびに“怪しい奴!”って斬りかかってきたもので……みんなやっつけちゃいました。お宅の衛兵だったんですね」

 屋敷の玄関ホールでルナールがぽりぽりと頭をかくと、

「あぁ、はぁ……」

 ここリヨンでは名の通った貴族だというダルレ卿が、曖昧なため息をついてきた。

 主人の衣装に代金をケチった形跡はなく、象牙色で整えられたホールの趣味も良い。

 家名の塗装を繕うのに必死な類の困窮貴族ではなさそうだ。

「お詫びに僕が代わりを務めましょう。こんなに大きな邸宅だというのに警備をする者が誰もいないのは危険すぎますから。もちろん、お詫びですから報酬なんて要求はしません」

「え、それは……ッ!?」

 ルナールの隣に立っていたパルティータは咄嗟に文句を言おうと声を上げ、その瞬間足首の骨を蹴られてうずくまる。

 いかにカリスマメイドといえど痛いものは痛い。この猫剣士のブーツには鉄が仕込んであるのだから尚更だ。

 ギリッとルナールを睨みつければ、

「い、今なら、も、もれなくメイドが付いてきます」

 こちらを指差す彼の声が裏返る。

「いや、メイドは間に合っているんだがね」

「そこをなんとか」

「うーん」

 ──なんて屈辱的な会話だろう。

「メイドもただ今無料です」

「君単体ではダメなのかね」

「僕と彼女は一心同体な──」

「私は彼の飼い主です。私を雇わなければ彼は雇えませんよ」

 ルナールの戯言を気迫で妨害し、パルティータは両手を腰に力強く立ち上がる。

 でも足首はまだ痛い。

「さぁ、どうしますか」

「…………」

「…………」

 骨と皮だけの老メイドと顔を見合わせるダルレ卿。

「……この方たちに屋敷を案内してくれるかな」

「はい、ご主人様」

 メイドの返事に、ルナールが親指を立ててきらめく笑顔を送ってくる。

 しかしそのまま微妙に顔をしかめ、

「なんか、この屋敷、変なニオイがしますね」

 仰ぐ。

「そお? そんなこと言ってると追い出されるわよ」

 眉を寄せながらパルティータも仰ぐ。

「貴方がた、お名前は?」

 背景で、メイドが何か言っていた。




 フリードの体調がかんばしくないということで、ふたりはダルレ邸を辞した。カリスは明日また訪れる条件になってしまったが。

「……これはなんですか」

 屋敷の前庭を抜けた先、ソーヌ川沿いの公道に出たところで、フリードは立ち止まった。

 道のど真ん中に点々と、警備兵と思しき人間が転がっているのだ。

 敷地の終わりと思われる箇所まで。

「気にしないでください」

 苦笑を浮かべるダルレ卿に見送られ、ぴくぴくしている衛兵たちを避けながら宿へと帰る。

 古代ローマの風漂う石畳、この地を栄えさせえている絹商人や文化人の邸宅が赤い屋根を延々と連ね、目を上げればフルヴィエールの丘。

 川の向こうには兵士の寝倉や物資の倉庫が乱立する開拓途中の半島。さらにその向こうには、青の源流、遥かアルプスのローヌ氷河からレマン湖を経て悠々と流れ込むローヌ川。

 高い青は秋の空、その手前に広がる灰色の薄雲は冬の使者。

 首元を過ぎる冷気に襟を正すと、一歩前からカリスの笑い声が流れてきた。

「ソテールも呑気なものですね、私に君を預けるなんて。いくら御曹司チェーザレの相手から手が離せないと言っても」

「信頼ですよ」

 フリードは憮然と言い返す。

「信頼しすぎて何度も痛い目にあってるでしょうに」

「それでもめげないのが隊長の強いところですよ」

 ユニヴェールが生と死を惑わす蝶の羽ならば、ヴェルトールは決して折れない竜の骨。

 どちらも常人には持ち得ないもの故に、人は畏怖し、憧れる。

「学習しないとも言うんですけどね」

 カリスの双眸がこちらを見下ろし、フッと笑んだ。

 ──機嫌がいい。

「そういえば、神父カリス。先程の話、聞いてもいいですか?」

「?」

「三百年って……嘘ですか?」

「嘘ではないですよ」

 落ち葉を運ぶ木枯らしが神父の金糸をさらう。

「私がデュランダルにしがみつき続けていたのも、彼女のためです」

 二人分の白い外套が対称を描いて翻る。

「長いですよ。届かぬ者を愛する三百年は」

 そうつぶやく吸血鬼始末人の声音に苦味はない。

 いつもどおり穏やかで、若干楽しげで、規則正しく淡々としていた。

 まるで、それが最上の幸せであるかのように。




「あらぁ」

「わお」

 ダルレ邸に転がり込んだ夜、メイド長が客人の世話をしろと言うので葡萄酒を用意して応接間に向かえば、その訪問者はパルティータが実によく知る人物だった。

「びっくりしたわ、どうしてこんなところにいるの? パルティータ」

 ──それはこっちの台詞。

 客人の肩書きは背約の三使徒、蒼の魔女。名はフランベルジェ。

 彼女は王女然とした佇まいで、暖かな琥珀色の世界が全く似合わずそこにいた。

「転職です」

「え?」

「冗談です。ユニヴェール様捕獲作戦中です」

 ほうけた顔をした魔女が、時を置いて吹き出す。

「相変わらずあの方は自分勝手ね」

「女王陛下の勅命から逃亡したんですよ。私を盾にして」

「まぁ、大変ね。ソテール・ヴェルトールもよくあんな人を片腕にしていたものだと思うわ。私を拾ったのも自分勝手な気まぐれだったもの」

「拾ったって──」

「それよりも」

 訊き返そうとした台詞は当のフランベルジェに遮られる。

「私の媚薬、効かなかったって本当?」

「標的にはね。連れは具合が悪くなったそうです。明日は標的だけが来ることになっているそうですよ」

「……うーん。なんか分量間違えたかしら」

 全く悪びれていない様子で白いレースに包まれた指があごに当てられる。

「やり方が悪かったんじゃない? ねぇ?」

 主が主なら部下も部下だ。すぐに他人のせいにする。

「分かったわ。明日はもっと強力なのを用意しましょう。そして私が直接手を下せば死角はないわ。絶対、即婚約発表よ」

 依頼人もいないのに勝手に決める。

「そういえば、貴女、ひとり?」

「まさか。ルナールを連れてきています」

「じゃあ気をつけてね」

 軽いというより軽薄な調子の彼女に「何が」と問えば、

「猫にはちょっと危ない薬だから」

 やはり粉雪より軽く返ってくる。

「危ない?」

「酔うって言うのかしら」

 確かに、無駄に強いだけあって、理性を失ったルナールというのは危険極まりない。

 しかしパルティータはフランベルジェに負けないくらい適当に流した。

「あぁ。でも、まぁ、大丈夫ですよ。彼、朝から晩まで外番ですから」




 翌日。ダルレ卿の令嬢、ソレンヌ・ド・ダルレが想いを寄せているという客人は、ソーヌの川面が黄昏の金色で飾られる頃やってきた。

 応接室にはフランベルジェがより強力にしたという魅惑の香を焚いておき、フランベルジェとパルティータは隣室で壁に耳を付けた。


「連れの方のお加減はいかがですか?」

「ご心配をおかけしました。もう何ともありません。今日、彼は役所に用事がありまして、慣れない仕事ですでに疲労困憊しているようだったので宿に置いて来ました」

「そうですか。大事がなくて何よりでした」

 地方貴族として力を保ち続けるには、特にこの商業都市リヨンのような性格の都市で名門を維持し続けるには、社交力が欠かせない。

 ソレンヌ嬢が恋に恋する乙女でありながら世間知らずを感じさせないのは、幾度となく園遊会だの夜会だのに顔を出しているからなのだろう。

 ひとり娘であるという彼女の肩には、このダルレ家の行く末がのっている。

「わたくし、昨晩色々と考えました」

「そうですか」

「三百年同じ方を愛し続けることは素晴らしいことです。私が彼女であったなら、きっとそれを望むでしょう。百年、三百年、五百年、千年、貴方が生きている限り私を想い続けてほしい、と。それが例え貴方をずっと同じ過去に縛り付けることになっても、言うべき正しい言葉は貴方を未来へ促す決別であったとしても」

「未来へ促す決別?」

 地中深くで悠久の時を眠る冷たい鉱石を思わせる声が、壁を通して耳に届く。

「いつまでも私の思い出をひきずっていないでしっかり前を見て生きなさいって」

「それは、私には痛い言葉ですね」

 ──この声、どこかで聞いたことがあるような。

 パルティータが横のフランベルジェに目をやれば、彼女も怪訝そうな顔をしている。

「私も自覚しているんですよ。いつまでも過去の選択を後悔している、いつまでも過去を取り戻そうとしている、いつまでも過ちを清算したがっている。どうしようもない、本当は皆さんに説教できるような聖人ではないとね」

「私が彼女であったら今の貴方に喜んだかもしれないでしょう。けれど、私は死んだ人間ではなく生きている人間です。だから、貴方がどれだけ痛かろうが彼女の望みが何であろうが、言わせていただきます」

 せきを切ってひと呼吸。

「前を見てください。今ここにいる私を見てください」

 怖れなく、相手を直視する令嬢の姿が目に浮かぶ。

 恋は怖れたら負けだ。

「彼女を忘れろなんて言いません。どれだけ愛していたっていい。でも過去に生きるのはやめてください。遠くばかり見るのはやめてください」

「…………」

「今ここにある世界を感じてください。見てください」

 相手がどんな顔をして黙っているのかは壁を隔てて見えようもないが、黄金の風景を切り取る窓の内には沈黙の影が落ち、夜へと冷え込み始めているだろう。

 やがてサン・ジャン大聖堂の晩課の鐘が響き渡り、世界は生を覆う死へと変貌を遂げる。

 その前に彼の手を引きこちら側に連れ戻さなければ、ほんのわずか架けられた生への橋はまた沈み、この人間は過去の死の上を歩き続ける──ソレンヌ嬢の落ち着いた声音の中に潜む焦燥が、深々(しんしん)と静謐に積もってゆく。

 誰が何を思おうと、時は進み闇は迫る。

「もう!」

 突然、フランベルジェが新しい香を持って廊下へ出て行った。

 慌てて追いかけると、大きな扇を装備した彼女は隣室の扉をほんの少し開けてもくもくと煙を送り込んでいた。

 だがいかんせん隙間は狭く、その大半が廊下を漂い屋敷に流れ始める。


「私は」

 男がようやく言葉を紡いだ。

「貴女とは歩む世界が違うんですよ」

 期待を裏切る否定の言葉を。

 フランベルジェの肩がぴくりと動き、扇を動かす手が早くなる。

「世界は生きて歴史を刻む存在です。けれど、我々デュランダルは時を止めて歴史に従う存在です。貴女がたが前を向き生ける世界と対決できるよう、我々は後ろを向き死せる過去を払うのです」

 ──デュランダル?

「その時の流れはあまりに違い過ぎて、私にはもう戻れません」

 部屋の中の気配が動いた。

 男が席を立ったのだろう。

「私が愛するのはこれから先もずっと彼女だけなのです。例え、望む結末が訪れることはないとすでに約束されていても」

 パルティータの前で、フランベルジェがすっくと立ち上がった。

 ゆらゆらと怒りの火炎が見える。

 ……あまりにも薬が効かないのでキレたのだ。

「!!」

 パルティータは無声で叫び、扉を開けて乗り込もうとする彼女の腕を掴んだ。

 だが、ただのメイドが魔物に敵うわけがない。

 二人はもみあいもつれたまま、応接室の中になだれ込んだ。

「痛……」

 下敷きになった手首の調子を確かめながらパルティータが起き上がると、

「……フランベルジェ、パルティータ」

 はっきりと聞き覚えのある声が降ってきた。

 驚きと呆れが混じる、神父以外の何者にもなれない高見の声。

 まさかこんなところで出くわすとは思わなかったが、現実なのだから仕方がない。

 立っていた男の名は、デュランダルの誇る白の芸術品カリス・ファリダット。

 彼が目を丸くして口を開けているなんて、一生に一度見られるかの怪現象だ。

「──まぁ、カリス」

 上半身を起こして男を見上げ、氷の魔女が朗らかな笑みを走らせる。

 もくもくと煙を上げている手元の皿を掲げ、

「それで効かなかったのね! コレ、貴方から教わった薬だもの! バッチリ耐性あるんじゃどれだけ焚いても無駄だわ!」

 放り出す。

「…………」

 皿が足下に転がってなおしばらく唖然と微動だにしなかった神父だが、しかしさすがデュランダルと言うべきか、立ち直りは早かった。

 道化師が泣き顔と笑い顔を瞬時に入れ替えるように、驚きはすぐに去りカリスたるカリスが戻ってくる。

 彼はくるりとソレンヌ嬢へと身体を戻すと、

「そういうことで、このお話はどうあってもお受けできません。申し訳ありませんが」

 未だ事態についていけず呆然と突っ立っている彼女に一礼。

 切れ目ない流れで扉へ向かってきた神父は、フランベルジェの横で立ち止まると見下ろして片眉を上げる。

「フランベルジェ・ド・モントヴァン。いつかあの男から取り返しますからね」

 滑る視線はこちらも捕らえ、

「ついでに貴女もですよ、パルティータ」

 ──オマケか。

 神父は颯爽と部屋から出て行った。

 残されたのは、斜陽の街を望む空虚な部屋、密度の濃い花園の芳香、三人の女。

「クルースニク時代ね、あの人、私の薬学の先生だったのよ」

 フランベルジェが乱れた髪を耳にかけた。

 パルティータが何の返答もせずにいると、

「ねぇ」

 おっとりとした口調で呼びかけられる。

「素敵でしょ? 永遠に追いかけてくれる人がいるって」

 ── 一生やってろ。




 フランベルジェは、縁談が破談になり全額返金を求められたにも関わらず上機嫌で帰っていき、ソレンヌ嬢は自室に引きこもってしまい、屋敷は謎の香で煙たくなり、パルティータはとりあえず言いつけられた廊下の掃除をしていた。

 ダルレ卿の夢もソレンヌ嬢の夢もはかなく散った、抜け殻のような屋敷の中。

「パルティータ」

 呼ばれて振り返ると、薄闇と夕暮れがせめぎ合う廊下に黒尽くめの剣士が立っていた。

「卿は?」

「まだ見つからないわ。……どうしたの、ルナール」

 いつも能天気な表情をしている男が、うつむき加減で柳眉をひそめていた。

 心なしか、息が荒い。

「気持ち悪い」

「は?」

 ──あぁ、フランベルジェの薬か、と思い当った時には、肩にルナールの頭がのっていた。

「熱っぽい。喉がカラカラ。頭がまわらない」

 ヤバいと感じた次瞬には、両肩を掴まれ、目の前には目尻に涙を滲ませた男の顔。

 そのまま、大きな犬に飛びかかられた格好で後ろに倒される。

「どうしよう、ねぇ、どうしよう」

「重い重い重い!」

 したたかに頭を打ち付けるかと思ったが、ルナールの手が先に回りこみ免れる。

 だが鍛えた剣士の身体は鋭利な見た目よりも重かった。

 逃れられないのは当たり前だが、上に乗られると苦しい。

 あげく、身体を浮かせたかと思えば、

「熱くてどうにかなりそう」

 甘噛み同然の口付けを喉元に降らせてくる。

 歯型がつきそうな勢い。

 いかにカリスマメイドといえど、このまま喉笛を噛み切られたらオシマイだ。

 だが魔性に火がついたのならば、忠実なルナールでさえそれをやりかねない。

「大丈夫、ねぇ、外に行けば大丈夫だから!」

 美しい鴉の濡れ羽の黒髪を引っ張るのは躊躇ためらわれて、彼の肩を押し退けて遠ざけようとしたが、切羽詰った口付けは喉を過ぎ口元にまで注がれる。

 ミルクを舐めるような甘えた舌使いと、犬歯の刺さる熱情。

「くぉら! ルナール!」

「キャ──ッ!」

 パルティータの怒声に女の叫びが重なり、刹那視界に黒い毛玉が横切った。

 どんという衝突音。続いて、ぎゃん、という獣の悲鳴。

 途端に身体が軽くなり、飛び起き膝を付くと、その眼下にはギャーだのシャーだの爪を牙をき出し取っ組みあっている二匹の黒猫がいた。

「……えーと」

 よく見れば、上で喰いつこうとしている猫の目は赤。下で爪を振り回し抵抗している猫の目は金。

「はいはいはい引き分け引き分けー」

 我を失って騒ぎ続ける二匹をべりべりと引き剥がし、赤い方を一段高く持ち上げる。

「何やってんですか、ユニヴェール様」

 応えてこちらを向いた猫の双眸は、何もかもが気に食わないという不満大爆発の色。

「猫が! 猫が!」

 どこかから令嬢の声が響いてくる。

「お嬢様の猫が逃げました! 誰か、見つけなさい!」

 メイド長の声も追ってくる。

 バタバタと床を叩く複数の靴音。

「──お邪魔しましたっ」

 パルティータは二匹の黒猫を両脇に抱え、そそくさと逃げ出した。




◆  ◇  ◆




 パーテルへ帰る馬車の中、“怒っているけれど怒っていないと装いつつ、装っていると分かる程度の怒気は残しておく空気”を醸し出している吸血鬼。

 スカーフや手袋は座席に置かれたまま、ブラウスのボタンは留めるのを途中で放棄され、ベストも黒い外套も羽織っただけ。

 寒くないかと訊けば、そんなものはもう感じないとミもフタもない答え。

「何故あんなところにあんな格好でいらっしゃったんですか?」

「お前は何であんなところにいたんだ」

 問いには問いで返される。

「探しに行ったんじゃありませんか」

 さすがに、捕獲とは言えない。

「行方不明なら陛下も諦めるだろう」

 嘘だ。

 そんなことで諦めるような女王でないことは、この男が一番よく知っている。

「いかに陛下のためとはいえ、召使の真似事は性に合わん」

 ねた口調で口を曲げる男に、パルティータは胸中で手を打った。

 そうだ、この吸血鬼は拗ねていたのだ。拗ねて家出した。

 何故か? かなかったからだ。

 この男が陛下と踊り陛下の手を取り杯を交わすことにパルティータがカケラも妬かなかったから、ご機嫌が斜めになったのだ。

 ならば、主の居場所が簡単に分かったことにも充分な理由が付く。

 何代にも渡って薄まったセーニの血など頼りになるものか、主が自分で見つけろオーラを出していたのだ。

「猫になってやりすごそうと歩いていたら、あのご令嬢に捕まってカゴに押し込められた。あの女は猫もカゴの中で飼うもんだと思っているらしい」

「……ユニヴェール様はあの匂い、大丈夫だったんですか?」

 ルナールは最終的に匂いにあてられて目を回した。今は座席の下のバスケットの中で静養中だ。

「はん、あんなもの。私は理性の動物なんだよ」

 理性がぶっ飛ぶタイプのくせに、よく言う。

「それはそれは。お疲れ様でした」

 パルティータは吸血鬼の蒼白く冷たい手を取ると、その甲に唇を落とした。

「…………」

 中指を飾る紅玉と同じ色の瞳がしばしその手を見下ろし、だがふいっとそっぽを向く。

  ──意地っぱり。

 メイドは小さく嘆息すると、腰を上げ片膝をクッションの上にのせ、

「シャルロ」

 呼んだ。

 突然響いた己の名前に、男が緩慢な動きでいぶかしげな目を寄越す。

 そのあごを押さえて上から唇を合わせれば、切れ長の双眸が大きく見開かれる。

「機嫌は直りましたか?」

 血の通わぬ偽りを感じる前に身を引き、語尾を上げる。

 こちらの目を凝視したまま固まり息を止めていた吸血鬼は、だがすぐにニヤリと口端を吊り上げてきた。

 指をそろえた右手を左胸に当て、

「──猊下げいかから御下賜いただくとは身に余る光栄」

 斃世の微笑を惜しげもなくさらしてくる。



 陛下、今日も暗黒都市の番犬は単純です。




THE END





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