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冷笑主義  作者: 不二 香
第一章 Before 1492
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第3話【パルティータ誘拐事件】前編



「パルティータはどうした?」

 ユニヴェールはナイフとフォークを動かしながら、斜め横に座っている黒長髪の男に尋ねた。それは極めて機械的な、事実のみを追った問いかけ。

「……知りませぇん」

 案の定返ってくる答えにも意味はなかった。

 否──、正確に言えば情報としての意味はある。だが価値はない。

「もうここ二日くらい姿を見ていないような気がするのだが……」

 葡萄ぶどう酒と香辛料で煮込まれた牛肉をきれいに切り分けながら、彼は小さく嘆息した。

 シャルロ・ド・ユニヴェール。彼はこの屋敷の主にして、子爵の地位を与えられた由緒正しき貴人であった。

 冬の月光をも凌ぐ冴えた銀髪に、紳士然とした黒衣。いささか嘲笑の混じる白皙は世の女という女をとりことし、物柔らかな振る舞いは場を彩る。……だが、微笑にのぞく牙と底なしの紅の瞳とが、彼の本質を冷たく物語っていた。

 夜に生き、神を足蹴あしげに、人を喰う。鏡には映らず、だがそこに存在し、闇の中から薄く笑う。死してなお死なず、運命と未来、そして時の大河から見放された者。

 それが、彼だ。

 シャルロ・ド・ユニヴェール。

 彼に与えられたもうひとつの名は、吸血鬼。


「暇をやった覚えはないし、暇を乞われた覚えもない」

 彼は一切れ口に放り込み、燭台に揺れるロウソクの炎を見つめて考える。

「ならば何故いない?」

「給料少ないから辞めたのではないでしょうか」

「馬鹿を言え。普通の貴族が払う倍はやっているぞ」

 ユニヴェールは下の方から上がった言葉を一蹴。

 だが彼はゆっくりと視線をそちらに移した。

 そこにはロープでぐるぐる巻きにされた男が、疲れ果てた形相で椅子に座っている──いや、座っていると言うよりも椅子に腰を置いてテーブルに身を投げ出している。

 自慢の黒髪はテーブルに流れ、不気味なアイラインの引かれた目は宙をふらつく。

 羽織った上衣も中の剣士服もうっとおしく黒統一で、まともな人間が対面すれば、誰もが「悪魔!」と叫ぶだろう。

 ちなみに通称はルナールというのだが、本名は自分でも忘れてしまったらしい。どこぞの魔女の呪いを受けて、昼は人間夜は黒猫の姿になる。まぁ悪魔といわれても否定はできない境遇にいる若造というわけである。

「この忙しい時に消えるとは、あの馬鹿娘が……」

 つぶやいてから、ユニヴェールは静止。

「…………」

 斜め上方を見やり──柳眉を寄せる。

「……本当におかしいな。いつもだったら“その馬鹿娘を雇った貴方はもっと馬鹿なのです”とかなんとかぼそっと後ろから聞こえて来るんだが」

「屋敷にいないんだから返事がなくて当たり前じゃないですか?」

「黙れ」

 ユニヴェールは寝起きで機嫌が悪いことはほとんどなかった。よく眠れないとか寝覚めが悪いとかいう可愛らしい神経など持ち合わせていないからである。

 だが彼はここ数日、もっと実質的なところで機嫌が悪かった。

 パルティータの不可解な不在も然り。

 そして──。

「貴様がありがた迷惑な伝達屋ゴッコをしてくれたおかげでこの私がどれだけ神経をすり減らしていると思う! 仮にも相手は女王陛下だぞ? 勝手に婚姻承諾の返事を送るとはいい度胸だ。実は結婚する気なんぞ欠片もありませんと御前で言わねばならなかった私の身になってみろ」

 実際にすり減らしているのは神経ではなく弁解のための口舌なのだが、とりあえず置いておく。

「……僕の体力と精神も随分擦り減りました……」

「あげく。恩知らずかつ能無しで今すぐ土に埋めてやりたいほど可愛い可愛い我が居候が私を想うあまりに暴走したのだとどれだけ説得しても聞く耳をお持ちにならん」

 蚊の鳴くようなルナールの訴えを瞬殺し、ユニヴェールはキャベツの煮込みスープに手を伸ばす。

 食事はこの屋敷に憑いている幽霊の女中がいるから不自由はしない。だが、メイドがいないのは不便だった。

 世を恐怖で戦慄させる吸血鬼が、皿洗いだの掃除だのでは様にならないではないか。

「ですから~~、ずいませんでした~~」

 人間の姿猫の姿問わず三日三晩ロープで縛って転がしておいたのが効いたのだろうか、ルナールは涙を流しながらうめいてくる。

 生物、長時間“何もしないことしかできない”ということは、ある種の極限状態をもたらすものなのだ。

「…………」

 窓の外を見れば、時は夕刻から夜刻へと移りつつあった。

「貴様もうすぐ猫になるな? 縛り直すまで逃げるのではないぞ? あと三日くらい縛っといてやるんだからな」

「ぞーんなぁ……」

 ルナールの非難がましい声音に、吸血鬼は双眸の紅を強くした。

「地獄の王のもとへ送り届けてやってもいいのだが?」

 一瞬息が詰まったように空気が引きつり──、ルナールが顔色を失くしてぶんぶんぶんと首を振る。

「いえいえいえいえいえいえいえいえ、結構です文句言いません縛られています」

「よろしい」

 軽くうなずいてユニヴェールはナイフとフォークを置いた。

 そしてテーブルにひじをつき、およそ神の創れる完璧な造形だろう両手を眼前で合わせる。

「一昨日、昨日、今日と連夜で婚姻断りの説明をしに行くのは、陛下のご不興を買いかねんな……。パルティータでも探しに行くか? あいつのことだからただ旅行に出てみたなんて話もあり得るが……そういえば今夜から暗黒都市のウォーリングフォード劇場でアダム劇をやるとか言っていたな……。暇潰しにでも出かけるか……?」

 ユニヴェールの屋敷は広い。

 ロマネスク様式が随所に見られるその建築物は、華美なところのないパーテルの町と沈んだ色の黒い森によく似合い、重く積まれた時代の風合いが見る者に畏敬を抱かせる。

 部屋の数は両手両足の指以上。地下にはワインの貯蔵庫、食糧庫、書庫、その他必要なのかどうか首を傾げる穴倉が数個ある。

 廊下はすべて赤絨毯が敷かれ、ユリやスズラン、蛍袋などという花をかたどったランプがぼんやりとした琥珀の光で夜を照らしていた。

 以前はそれなりに名のある貴族が住んでいたのだが、今となってはただ三人だけ。しかも目下はメイドが行方不明なので主と下僕のふたりだけ。

 そんなわけで広大な屋敷はいつでも薄暗闇と厳かな静寂に包まれ、誰かが玄関扉の前で叫んだりすれば、奥まった食堂までも筒抜けの状態にあった。

 もちろん、今夜もそうだったのである。


「シャルロ・ド・ユニヴェール! 聖騎士ヴィスタロッサです! ここを開けなさい!」



◆  ◇  ◆



 世界には永遠に続くだろうふたつの面がある。

 それは光と闇。

 そしてそのふたつの色が最も濃く対立していたのが、いわゆる中世暗黒時代である。

 古代よりの伝統と物語を身の内に飼いながら、近世への思想と科学の目覚めに突き進む。

 時の境目さかいめが渦を巻く混沌に翻弄され、確かなものを見失いながら確かなものを探す時代。

 富を持つ者と持たぬ者、権力を持つ者と持たぬ者。聖なる緋色の枢機卿が集い神に祈りを捧げるヴァチカン、その門の外ではローマの物乞いがボロ布をひきずって路地を徘徊する。

 その荒んだ闇に魔物は潜むのだ。

 そそのかす言葉は巧み、き付ける囁きは甘美、弱き人には抗う術もない。

 彼ら(魔物)の楽しみは、騒乱。惨劇。悲劇。それを演出するためには手段を問わない。


 光が強ければ強いほど、照らされないわだかまりの闇は深さを増す。

 闇が濃ければ濃いほど、光はまばゆく輝いて見える。

 それがまた、闇を生む。




「急な用件なのです! 捕まえたりせぬから開けなさい!!」

「誰が捕まるか」

「な! シャルロ・ド・ユニヴェール!」

 彼が屋敷正面の扉を開けると、自分で呼び付けたクセに彼女は叫んで大袈裟に跳び退いた。

 この前対峙した時の様に甲冑は身に付けていないものの、規定の純白騎士服を身に付け細剣を帯びたヴィスタロッサは、確かに常人よりも凛々しい気迫はある。

 しかし、たかだか二十数年しか生きていないような小娘の威嚇を真に受けるほど、ユニヴェールはマメではない。

「…………」

 彼がわずかに目を細めれば、

「何でお前が出てくる!」

 喉の奥から唸り声さえ上げそうな勢いで、ヴィスタロッサが指を突きつけてきた。

「ここは私の屋敷なのだから私が出てきて当たり前だろうに。──何か用か?」

 対してユニヴェールの口調に険はない。

 彼にしてみればヴィスタロッサなど子ども同然だ。そもそもヴァチカンの教皇もフランス国王も、神聖ローマ帝国の皇帝も、全員子どもに等しい。この吸血鬼、外見こそ若いものの、時代を渡って三百年程になる。

「…………」

 しばしの後、口の中で何やら躊躇ためらっていた金髪女が、勢いよく顔を上げてきた。

「……ユニヴェール卿、お前は教会を恐れるか?」

「…………」

 ユニヴェールは無言の白い眼差しで彼女を見下ろした。

 口を真一文字に結んでまた一歩後退する彼女に、自然と薄い唇が笑みの形を作る。

「神も十字も恐れぬものを、何故教会など恐れる必要があるのだ」

「吸血鬼ならば恐れよ」

 いささかムッとした表情でヴィスタロッサがそっぽを向いた。

 綺麗に巻かれた金髪が揺れる。

「吸血鬼ならばロザリオで逃げろ。銀の銃弾で倒れろ。太陽の光で灰となれ。山査子さんざしの茂みには近づくな。福音書の言葉に泣け。聖剣で滅びよ」

「あいにくと私はそんな繊細な輩とは違う出来でね、お嬢さん(マドモワゼル)

 ユニヴェールは切れ目のない動作で腕を伸ばし、ヴィスタロッサのあごをつまむ。

 と、瞬時に彼女の額に口付けた。

「!!!!?」

「……ふむ」

 完全に凍りつく彼女を横目、吸血鬼はまたもや信じられないという表情で眉をひそめる。

「何故パルティータは来ぬ? 普段なら“節操なし”とか言われるパターンなんだがな」

 あごに手をやり首をひねる。

 と、その足元を黒い塊がすり抜けて外へと出てった。

「ルナール!」

 鋭く叫べどソレは振り向きもしないで夜の闇へと消えて行く。

 猫の姿になったものだから縄が意味をなさなくなってしまったのだ。

「食堂の扉を閉め忘れたか……。まぁいい、明日帰ってきたら今度は縄が緩んだら死にそうなくらい高いところから吊るしてやろう」

 黒猫が逃げていったのは、濃紺に浮かび上がる黒々とした森の中。微風にさえもざわめく木々は互いに話をしているように聞こえ、だがそれは、中に入る者を二度と帰さぬわらい声にも聞こえてくる。

 この深い森は昼でも暗く、道を知ろうと奥を見据えても、あるのはただ右も左もなく広がる闇、のみだ。先は無く、後も無い。

 人間がその森に足を踏み入れれば、まずその届き得ぬ何かに畏怖する。そして慣れる。だが、長居をし過ぎれば──潰される。

 悠久の時を内包する原始の針葉樹林。広がる闇は世界の源であり、天を覆い林立する木々は生命のいしずえであり、腐敗した落ち葉を蓄えた大地は全ての辿り着く場所だ。

 しかしいつか人は、この森を焼き、ひらくかもしれない。

 暗黒都市への入り口が白日のもとにさらされる日が来るかもしれない。

 それはもちろん、ユニヴェールがこのパーテルから去っていることが条件だろうが、そうである時、世界の様相はどうなっているのだろうか。

 人が闇を駆逐くちくした時なのか、人が追い詰められあえぐ時なのか──。



 夜独特のひんやりとした空気を吸い、ユニヴェールは思考を止めた。

 ふいの口付けを受けて固まっていたヴィスタロッサがようやく動いたからだ。

「ぶ、無礼だぞお前!」

 彼女の手は腰の細剣にかかっていた。

「何が」

 投げやりに言ってやれば、彼女はぱくぱくと口を開閉してくる。

 だが、ユニヴェールはもう飽きていた。

「すまんが、メイドを探さねばならない。用件があるなら早くしろ」

「……それであの女が出てこなかったのか……」

 横へとそうつぶやき、ヴィスタロッサが顔を上げた。

 おそらく間違った方向へ純粋なのであろう、碧眼がひたと紅を見据えてくる。声音もしっかりしていた。

「頼みがある。幽霊を退治してくれ」

「は?」

「あのだな、私の友人が勤めている教会でだな、さ、最近……ゆ、幽霊騒ぎが起きているわけであって、私がその退治を頼まれた」

 おそらく幽霊という類が苦手なのだろう。

 説明し出してから彼女の声は異様に震えていた。まぁ、人間誰にでも苦手なものというのは存在するのではあるが……紅唇までもが色褪せている。

「だ、だがその教会というのがクセものであってだな。お、お前は三十年前にあったというロバン事件を知っているか? れ、礼拝に来ていた一般人を、ひとりの男が無差別に斬りつけたという事件だが。死者は十三名」

「あぁ、知っている」

 サイド・ロバンという貴族の子息が起こした事件だ。ひとりの男に、大人も子どもも無差別に殺された。

「今の幽霊騒ぎはその時殺された奴等だと?」

「悔しく無念であった彼らは未だ神の御許へ行けず、嘆き哀しみ、その寂しさゆえに生者を同じ道に引き入れようとしているのだ。あぁ私も引きずり込まれてしまう。まだ死にたくないのだ! 恐ろしい! そんなところへ行きたくない」

「それが聖騎士の言うことか」

「頼むユニヴェール卿、前回のことはなかったことにしてやるから私に力を貸してくれ。知り合いで幽霊も化け物も死も悪魔も恐れぬ輩といえばお前しか思いつかなかったのだ」

 彼女は驚愕の握力でユニヴェールの手を握り締め、懇願してくる。

「前回のことはこっちがなしにしてやったという記憶があるな」

「解決してくれたらパルティータを返してやってもいい」

「貴様が誘拐したのか?」

「そうだ」

 ヴィスタロッサの断言。

「──違うな」

 だがそれは、割って入ったやけに渋い声によって完全否定された。

「貴様は何者っ!」

 ヴィスタロッサが聖騎士なりに聖騎士っぽく怜悧に反応した。非情の銀色をした細剣の切っ先が、光る。

 夜風が庭を渡り、森を全体を揺らした。

 沈黙が計られ、冷涼な中に緊張の糸が一本現れる。

 正面の門へと続く道。そこにいつの間にかソイツはいた。

 面会の約束はないはずだ。

 が、ユニヴェールは月に嫉妬されるだろう美貌をぴくりとも動かさない。

 夜陰に紛れたその男。

 背はユニヴェールと同じ程。だが細身の吸血鬼とは違って身体の造りに厚みがあるため、ひとまわりは大きく見える。

 黒の長い騎士服をまとい、腰には二振りの長剣。一本の短剣。青みがかった黒髪に飾られた顔は美しいというより野性的であり、しかし余計に色気はある。

 そしてユニヴェールの視線が猛禽類だと例えるならば、その男のそれは凶暴な肉食獣だ。一撃必殺よりも、狩りなぶることが好きなタイプ。頭が良く、喰えない輩。

「女王陛下にお仕えする黒騎士がどうした、ウォルター・ド・ベリオール」

 ヴィスタロッサのために付け加えた最後の一言が、その侵入者の名前であった。

 ウォルター・ド・ベリオール。

 吸血鬼に対するのがローマのクルースニクであるならば、聖騎士に対するのがこの黒騎士という者たちである。

 詳しくはユニヴェールも知らないが、悪魔に──正確には暗黒都市の女王に魂を売った騎士が、不死と引き換えに堕ちた姿こそ黒騎士なのだという。

 もっともこのベリオールは元から人間ではなく、生粋の北欧由来の魔物だが。

「聖騎士のお嬢さん。嘘はいけない。仮にも神を崇拝するヴァチカンに仕える身であるならな。お前さんはココのメイドを誘拐してはいねぇだろ」

 ベリオールが粗野に笑った。

 言葉はヴィスタロッサに向けられているが、彼が視界に入れているのはユニヴェール。

 そして彼は、好戦的に笑う。

「邪険にしてくれるなよ、番犬。俺は陛下からの大事なお言葉を預かってきたんだ。“メイドの命が惜しくば婚姻の儀、行なうのみ”ってな」

「…………」

 挑戦状だ。

「どうするよ。ん? 俺は言葉を伝えに来ただけだがな」

 女王の我侭ではある。

 だがこれは、同時この男からの挑戦状でもあるのだ。

 軽い口調とは裏腹に、ベリオールの目はユニヴェールがどう出るかを待っている。シャルロ・ド・ユニヴェールという者を試している。

 番犬と称された吸血鬼は、ただ強いだけの視線を黒騎士に向け──

「面白い」

 笑いも怒りも困りもせずに、そう一言だけ告げた。

 それが、宣戦布告だった。



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