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冷笑主義  作者: 不二 香
第三章 After GENOCIDE
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第13話【特別】後編




 光の差さない黒い森の魔物道を進んで行くと、やがて暗黒都市の入り口が見えてくる。

 生い茂る木々の中に忽然こつぜんと現れる石積みの城塞。何世紀も歴史家に忘れ去られた遺跡のようなそれは、目で見ることのできる闇と光の境界線だ。

 ローマから呼びつけられたアスカロンが手綱を握りユニヴェール家の馬車が近付けば、門は軋んだ音を立てて上がってゆく。

 その向こうに広がるのは、赤い月が禍々しく輝く闇の森、その奥に広がるのは永遠の夜に抱かれた暗黒都市。

 三使徒、できそこない吸血鬼、メイドの五人を乗せて馬車は通りを突っ切る。



「来るの、遅いわ」

 窓から顔を出し、青い髪をなびかせフランベルジェが言った。

「あの……」

「教会で説教してたんだよ! 俺はローマでは“神父様”なんだからな! 突然消えるわけにもいかねぇだろうが!」

 手を挙げたパルティータを無視して、“神父様”な格好のまま御者台に座っているアスカロンがこめかみに青筋を立てて叫び返してくる。

「御者がいないと困るのよ」

「馬動かすためだけに俺を呼ぶな!」

「だって緊急事態なんだから」

「なんで!」

「私たち、追われているの」

 魔女のウインク。

「楽しそうだな、オイ」

 げっそり切り上げて前を向こうとしたアスカロンに、

「ねぇ、クルースニクじゃなく魔物に追いかけられてるみたいなんだけど」

 パルティータはようやく口を挟んだ。

「ほんとだーー」

 何も考えていないシャムシールの歓声が神父な御者にトドメを刺す。

 げんなり後ろを振り返る彼にあわせてパルティータも再度背後を見た。しかし何度見たところで現実は変わるものではない。子どもが夢見たら一生傷になりそうな集団が、まるで親の仇の如く押し寄せてきていた。

「ね」

「ね。じゃねぇよ。誰か何がどうなっているのか筋道を立てて教えてくれ……」

 アスカロンが手綱を放り出して顔を覆う。

「前見て、前!」

 パルティータは窓から身を乗り出し、一方で、

「パルティータがエーデルシュタインのところの吸血鬼──パッセを拾っちゃったの」

 シャムシールがマイペースに話し始める。

 しかもフランベルジェと交互に。

「そうしたら、クルースニクではないけれど教会関係者っぽい人が“パッセを返せ”ってウチに押しかけて来たのよ」

「一匹は不意打ちでルナールが手を落としたんだけど、もう一匹は意外と強くてさぁ。あのルナールといっぱしに渡り合ってたんだ。援軍でも来たら派手にやりあうことになって、またパーテルを崩壊させかねないでしょ」

 言外に“逃げてきたわけではない”と強調している。

「それで、ココのユニヴェール邸なら絶対安全だから彼女を移すことにしたのよ。でもパルティータは一応人間でしょう? ウチにある直通通路を使うのは酷だから、馬車にしたの」

 一応人間……?

 パルティータは水平な目のまま、ほんの僅か眉を寄せた。

「分かった。でも分からねぇ。つまり、追いかけてきてる魔物はエーデルシュタインの手下だろ? じゃあ何だってこのお嬢さんはクルースニクに狙われるんだ?」

「クルースニクじゃないってば。十字架は背負ってたけど、クルースニクの紋章じゃなかった」

「分かった分かった。なんで正義の味方からも狙われてるんだ?」

「……それは……やっぱり……、私が吸血鬼だからじゃないでしょうか」

 詰まりながら答えたのはパッセだった。

 寝ていたところを無理矢理起こしてしまったせいで、白い夜着に白いガウンという出で立ちの彼女。パルティータの横で肩身狭そうに縮こまっている。

「馬鹿言え!」

 その弱気をアスカロンが豪快に払いのけた。

「そんなくだらねぇ理由でユニヴェールの屋敷に乗り込んでくる奴がいるかよ。優等生ぶりたいなら、その辺うろついてる吸血鬼を斬っとけばいいんだ」

「そうですよ。彼らにとって、血も見られないような出来損ない以下の吸血鬼なんか、山の如き危険を冒してまで成敗すべき相手ではありません」

 もちろんパルティータはフォローしたのである。

「……………」

 パッセが微妙な表情を浮かべたのは何故か、彼女は分かっていない。

 そんな寸劇コントの間にも馬車を追ってくる魔物は数を増し、雄たけびや奇声がご近所迷惑な騒音になっている。

 首がみっつもある狼やら、定番の骸骨兵やら、首なし馬に乗った首なし騎士やら(何故前が見えるのか)、種としての固有名詞があるのかも曖昧な魔物たちの寄せ集め。

「──私が聖印を切ってなんか唱えたら、全部一気に滅ぼせるかしら?」

 パルティータは額の上でひさしを作り、うごめく魔物を見渡した。

 なんだか、できそうな気がする。

 昔誰かエライ人が“何事もやればできる”と言っていたような気がする。

「彼らが滅ぶとしたら、たぶん僕たちもね」

 しかし彼女のヤル気はシャムシールの正論に撃破された。可愛い顔をして小憎たらしい。

「それじゃあ……」

 方法はひとつしかない。

 約束を守るためには、賭けるしかない。彼女には、給料受領の次に忘れてはならない約束があった。今となっては大昔、ユニヴェール邸で働くよりも前、まだ彼女がヴァチカンにいる時に交わした約束だ。

「こうしましょう」

 パルティータは立ち上がり、馬車の扉を開けた。

「パッセをよろしくね。いい?」

 言うや否や無謀なメイドは馬車から飛び降りる。

『げ』

 高低見事な男ふたりの唱和は認識する間もなく流れてゆき、彼女は転がりながら痛みを弱めて飛び起きた。

 迫り来る魔物めがけて仁王立ち。黒髪なびかせエプロン翻しついでにすりこぎ掲げて、闘うメイド様。

「えーと、最初なんだったっけ」

 ここ十年くらい式文など唱えていない。

 むしろ吸血鬼である主の方が、元クルースニクという職歴鮮やかにすらすらうたえるのではなかろうか。というかこんなことをしていたら今度こそひっぱたかれるのではなかろうか。

 色々な疑問符を棚に上げ、彼女は目を険しくした。

「えーー、Sanctus, Sanctus, Sanctus,Dominus Deus Sabaoth.」

 普段は省エネのため抑えている声量を、惜しみなく解放する。

 霧がかったおぼろげな暗唱と、胸元で切りまくる聖印。

「Pleni sunt caeli et terra gloria tua.Hosanna in excelsis.……」

 だが──

「Benedictus qui …………」

 魔物の足は止まる素振りなど欠片もみせない。

 彼女はきっぱりと唱えるのを止めた。

「……きっとロザリオがないからいけないのね」

 肩をすくめ嘆息。すると、

「──パルティータ!」

 背後から美しい声がした。

 振り向けば蒼の魔女。

 どうやら身を案じて追いかけてきてくれたらしい。

 パルティータは近付いてくる彼女に向き直り、顔の前でパタパタと手を振った。

「ダメ。効かない効かない」

「── って、言ってる場合じゃないでしょう!?」

 彼女の冷たい手に腕を掴まれ、ぶんっとひっぱられる。

「逃げるのよ!!」

 この人でも活動的なことがあるんだわと思いながら、自分で自分の脚を動かし始めるパルティータ。

 一方フランベルジェは袖から青い粉を取り出し手の平にのせ、肩越しに魅惑の息を吹きかける。

 通称「氷の吐息」。

 見る間に石畳が氷結していき、先頭を切る牛頭の怪人が凍りつく。氷の波は高く早く、自ら懐ふところに突撃してくる黒い群れをパリパリと呑み込んでゆく。

「早く! 長くは保たないから!」

「了解!」

 酒場、宿屋、宝石屋、立ち並ぶ店々から、騒ぎを聞きつけた魔物たちが顔を出している。

 煽り立てる者、呆れた顔をする者、軽蔑の眼差しを送ってくる者……。通りにうねるざわめきをかきわけて、ふたりは全力で逃走した。



 そして──……。

「何やっているの?」

 走り続けたふたりは、先行したはずのアスカロンとシャムシールに出会った。通りのど真ん中。もちろん彼らの背後には馬車もあるが……。

「パッセはどこ?」

 パルティータが馬車の中を探しても、できそこない少女が見当たらなかった。

 いちいち訊かなくても起こったことはおおよそ見当がつくが、話が進まないので訊く。

「さらわれた」

 同じ事を思っているのだろう、アスカロンの返答も簡潔。

「突然エーデルシュタインが現れて、パッセと一緒に消えた」

 エーデルシュタインも闇を渡ることのできる吸血鬼。当然といえば当然の手段か。──本気でユニヴェールに楯突くつもりならば。

「ここまでして取り戻さなきゃいけないほど大事なのかしら? あの吸血鬼パッセが」

 フランベルジェの柔らかな疑問を背景に、アスカロンが続けてくる。

「卿には全部報告した」

 無茶をして怒られること確定。

「何て言ってました?」

 パルティータが上目遣いに探りを入れると、神父の目が三使徒の目に変わる。暗黒都市の番犬に仕える忠誠の魔物。

 彼は主の口ぶりを真似てひと言。

「“反逆者(ルベル)”」

 氷を乗り越えてきた魔物たちの地鳴りが、近付いてくる。




 ──その頃パーテルでは。


 玄関先の階段に腰掛けたルナールが、雪の上に置き去りにされた手首を眺めていた。

 彼自身かすり傷ひとつ負うことはなかったが、自称“異端審問官”を仕留めることもできなかった。

 彼が小型審問官と刃を交えている間に、手負いの中型をどこかに隠してきた大型審問官が屋敷を裏から探っていたらしい。誰もいないと踏むとふたりして疾風の如く逃げてしまったのだ。

 呆然とするくらいの引き際の良さだった。

 残されたのは手首だけ。

「なんだって、クルースニクでもない人が」

 誰のためでもないため息をついて、彼は黒い森へ視界を移した。

 白い化粧をした森は鳥の声ひとつなくただそこに在り続けている。そして、まだ誰も帰ってこない。

「この手首、ここに置いといていいかな。家の中に入れたらパルティータに何言われるか分からないし……」

 彼は再び遺留品に目を落とす。それは、重要な手がかりとなるはずだった。

 白い手袋の隅、法衣を着ればあの袖にすっぽり収まってしまう部分にこれまた小さく描かれた紋章は、彼らが背負っていたものとは違う。大義名分の十字架ではなく、

「鷲ね……」

 まるで裏切りの密書であるかの如く隠されたそれは、羽を広げた鷲だった。あまりもありふれたモチーフで、今ではそれだけで血筋の判別など不可能だ。

 今では。

「鷲か」

 強い者が掲げていた紋章だからこそ、強さに憧れる者達はそれを自分のものにしたがる。同じものを身に付けて、少しでも焦がれる者に近付こうとするのだ。

 それゆえに、かつて強者が愛した紋章は時代を経るごとに濫用されありふれたものに成り下がる。

「…………」

 彼らが憧れる過去たち、栄光の過去に鷲の紋を冠していた強権な血筋を、ルナールはふたつ知っていた。


 ひとつ、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世のホーエンシュタウフェン家。

 ひとつ、ローマ教皇インノケンティウス三世を輩したセーニのコンティ家。


「卿なんてチョウチョだもんなァ」

 彼はぼやきながらまた階段に座り、長い外套ですっぽり己の身体を覆い、手首見張り番の体勢を取った。

 長く化け物に囲まれて暮らしてきた彼にとっては、本体から切り離された手首とて、目を離すとふらふらどこかに行ってしまいかねない化け物なのだ。




◆  ◇  ◆




「僕には君が逃げた理由が分からない」

 少年の口調は、錬金術師のそれに似ていた。

 秘本どおりにやっているのに何故金に変化しないのか分からない。どこかの解釈が間違っていたんだろうか──?

 そんな合理的で機械的な声音は、寝台に寝かされた少女に向けられている。


 暗黒都市、中央の城に程近いエーデルシュタイン邸。

 女王の居城とは対照的な白亜の館は、数百という堕ちた芸術家たちによって創り込まれ、神が見たら悲鳴をあげんばかりの富に溢れている。左右両翼に広がる建造物の中には、全面鏡張りの迷路や、蝶舞う室内植物園、生きた玩具が飛び回る子供部屋までが造られていて、エサとなる人間たちを惑わせる。


 そしてその一室、限りない白で塗りつぶされた空間に、屋敷の主と少女はいた。

「この街の外に出たら、君みたいな吸血鬼はすぐにクルースニクに捕まってしまうと教えただろう?」

 少年のレースに包まれた手が少女の顎を撫でる。

「君は貴重だったんだから」

 ユニヴェール家のメイドに似た、だがあまりも素直に下級貴族然とした少女は、何も言わず美しい魔物を凝視する。

「君は特別なんだよ。素晴らしいことじゃないか」

 単調な言葉の端に、何故か怒りとも思える曇りが混じる。

「伯爵、私は──」

「何?」

「売られるのは嫌です」

 早口に言い切った少女の言葉を、少年はそのまま返す。

「売られる?」

「聞きました。私は特別だから、売られるって。だから逃げたんです」

 少女の顔は真面目だ。真面目なのは結構だが、何かが違う。

 闇に潜み成り行きを傍観していたユニヴェールは、眉間を寄せた。

「誰に聞いたのかは知らないけど、売りはしないさ。特別な君を僕の手元から離して、僕に何の利益があると思う?」

「…………」

「正直に言おう、ちょっとだけ君を貸してやろうと思っただけだよ。売るんじゃなく」

「貸す?」

 貴族たる吸血鬼にとって、飼っているものは“物”に等しい。対等に扱うことなどない。

「困っている連中がいてね、君なら彼らの助けになるかもしれないと思ったんだ」

「私が、助けに」

 少年が、少女の手に自らの手を重ねた。

「そう。君は特別だから」

(何かが違う。何かが違う。何かがズレている)

 ユニヴェールは胸中で繰り返して思考回路を組み直した。

 “逃げてきた”──そう聞けば、ひどい仕打ちをうけたに違いない、もう二度と戻りたくないのだろう、そう思うのは自然な流れだ。

 だがこれはどうも、恋わずらいの突発的家出……。

「でも、君は特別すぎたね。貸す前に滅びがそこまで来てしまった。全然血を飲んでないだろう?」

 少年のため息を聞き、少女の蒼白い顔にかげが差す。

 悲哀の翳とも滅びの翳とも見える色。

「君は弱りすぎて、もう貸すことさえできないみたいだ」

 優しい死刑宣告が囁かれ、

「だから貸さないことにしたよ」

 少年が少女の額に口付けを落とした。

「その代わり」

 そして少年は手を伸ばし、サイドテーブルに乗せられていた小瓶をつまむ。小瓶は細かくカットされた蒼硝子だったが、中の液体は濃い色をしていて、ユニヴェールからは黒に映る。

「これを飲みなさい」

 フタが開かれた瞬間、パッセが身を引く。少年が逃れられないよう肩を抱く。

 まばゆい白の部屋を漂ったのは、かすかな血臭。

 ひと嗅ぎで分かった。パルティータの血だ。

「誰もいない場所で滅ぶのは嫌だろう? 僕が見守っていてあげるから」

 子供は怖れを知らない。子供は思い通りにならないことが嫌い。子供は自分のものを取られるのが嫌い。


 子供は──特別扱いされる奴が嫌い。


 ユニヴェールはようやく、エーデルシュタインの底にあるものを悟った。何故、あんなに彼から恨みを買ったのかも。

「ヴァチカンにもユニヴェールにも君を渡すもんか」

 愛しさと憎しみが同居した、強い語気。

 少年が少女を押さえつけ、背けられる紅唇に小瓶を近付ける。飲ませることがかなわないとみるや、自ら口に含もうと──。

「やめておけ」

 ユニヴェールは闇から踏み出し躊躇いなく引き金を引いた。

「──!!」

 白を裂く銀の弾丸。

 いっそ小気味よい音をたてて硝子が砕け散り、白い寝台に血が滴り、エーデルシュタインが目を見開いて振り返ってくる。

「それはウチのメイドの血だろう? あの娘に殺しはやらせないさ。とはいえ、私以外の吸血鬼にあの娘の血が有効なのかは知らんがね」

 彼は未だ銃を構えたまま、続ける。

「パルティータの血がそれだけの量、ヴァチカン以外に存在するはずがない。貴様ヴァチカンと通じているな? 邪魔者がいたらそれを使って消せと言われている。違うか」

 少なくとも彼女がユニヴェールの小間使いとして働き始めてから、暗黒都市が彼女の血を採取する機会はなかった。ジェノサイドの時にもその素振りはなかった。だとすれば、彼女がヴァチカンから出奔する前に集められたものと考えるのが妥当だ。

「ユニヴェール」

 少年がうなり、割れた小瓶を捨てた。

 全身に緊張を走らせ、怒りを露わに睨みつけてくる。

「問答無用。パッセは私のメイドが拾った私の所有物、それをさらうとはいい度胸。あげく私のメイドを三下ざこどもで追い回すとは傲慢甚だしい。最後に、陛下を裏切りローマと取引するとは言語道断」

「番犬が……どこでそんな飛び道具を手に入れたんですか。それこそ、ヴァチカンでなければまだ──」

「私は貴様と違って多趣味なんだよ」

 つまらないやり取りに時間を割くつもりはなかった。

「パッセをヴァチカンとの取引材料にしたな? 向こうは何と言ってきた? 何が見返りだった? 血を受け付けない吸血鬼を研究するつもりだったのだろうかね、神の都は」

 その全てに正直に答えたところで未来は何も変わらないのだと、エーデルシュタインは知っているはずだった。

「…………」

 少年は寝台の横に立ち上がり、白けた顔でユニヴェールを見返してくる。

「貴様は自分が特別になりたかっただけだ。そのためには反逆すらいとわなかった」

 糾弾は低く早い。

「吸血鬼を根絶やしにしたければ、血を断てばいい。人間の血がすべて吸血鬼の毒となったら、我々は容易く滅びるだろう。ヴァチカンはやっとそのことに気付いたか? 材料をかき集めて研究を始めたか? 格好の材料を手に入れたお前は、それをネタに“ヴァチカン側の吸血鬼”──滅ぼされない唯一の吸血鬼としての地位を得ようとした。違うか? そうやってお前は、特別になろうとした」

 だがパッセが逃げ出し、パルティータが拾い、ヴァチカンがそれを感知した。彼らは吸血鬼と取引することよりも、自分たちの手でパッセを捕獲することを選択した。

 一番辻褄のあう、勝手な推論。しかし違っていようが合っていようがどうでもいい。

 パルティータを殺せと言った時点でエーデルシュタインの消去は確定しているのだ。

 実行がいつか、の問題だけで。

「吸血鬼は、他人の命によって永遠に存在し続けることができる。それがどういうことだか分かるかね?」

 ユニヴェールは一方的に質問し、

「己に関する記憶が滅びていく様を目の当たりにしなければならないということだよ」

 一方的に完結させた。

「お前が“生きていた”ことを知る者は刻々と減っていく。よほどの偉業を成した者でなければ、歴史には遺らない」

 やがて彼が生きていたことを知る者はいなくなる。

「己の存在──あるいは存在していたという記憶が滅びに瀕した時、愚かなお前たちは初めて我々(吸血鬼)の孤独を知る。ある者は滅びを受け入れ孤独に埋没しようとし、ある者は滅びに耐えられず何か事を起こして自らの存在を叫ぼうとする。忘れ去られまいと足掻あがくのだ。──お前のように」

 男は銃口を少年の眉間に合わせた。

「我々は二度滅びる。一度目は生きていた証を奪われ、二度目は過去も未来もない存在だけになった己までもを奪われる。我々が呪われた魔物だと言われる所以だよ。神のもとへ連れられてゆく者たちは、己の滅びに身を切られることがない」

 吸血鬼として生きているではないかと言う者もいる。だが弱き彼らにとっては、屍の自分など生前の影法師。例え真っ暗な闇の中でさえ、生きていた自分を探し続けて追いかける。

 生者より生に執着するからこそ化け物と成り果てたのだ。

「お前はまだ滅んだことがない」

 少年が深い呼吸で告げてきた。

「確かに」

 男は銃口を下ろし、両手を挙げた。

 確かに少年の言うとおりだった。シャルロ・ド・ユニヴェールはまだ一度も滅んだことがない。

 不屈の吸血鬼始末人クルースニクソテール・ヴェルトールが聖剣をひきずり追いかけてくる限り、ユニヴェールの血生臭い過去は生き続ける。

 三使徒も、デュランダルのミトラやカリスも、彼を生かし続けている。

 それが、彼を化け物たらしめている。

 褪せない記憶、閉じられない昔日せきじつ、眠らない死。

 それが彼を最強にしている。

「お前は始めから特別なんだ。始めから、何もかも違う。神はお前を愛している。お前は恵まれすぎている」

 子供は──吸血鬼は、特別扱いされる奴が嫌い。

 エーデルシュタインが記憶の滅びから逃れようともがいている間にも、パッセやユニヴェールは世界に記憶のくさびを打っていく。

 ヴァチカンが素性調査をし、クルースニクが闘志を燃やし、彼らの生前を克明にする。

 パルティータもそうだ。セーニとしてヴァチカンにも暗黒都市にも確固たる記憶を残し続けている。

 “特別”だから。

「お前は、必死になったことなんてないだろう」

 エーデルシュタインの言葉に、英才教育を受けたソテールと互角の剣術を手に入れたのは、一族の謀略から生き延びるため死に物狂いになった結果だ──そう返したところで何になるだろう。

 エーデルシュタインの末路は決まっているのに。

「私のことはどうでもいい」

 ユニヴェールは顎を引き、紅の双眸で少年を射抜いた。

 一歩一歩と彼に近付く。

「お願いします、やめてください」

「!」

 パッセの小さな哀訴に、エーデルシュタインが彼女を見下ろした。

 眉を寄せ、唇を噛み、彼女からユニヴェールへと視線を戻す吸血鬼には、もはや華の色彩などない。

 華は、いつか枯れるものだ。

「お願いです、ユニヴェール卿」

 ユニヴェールには、パッセの願いを叶えてやる義理はない。

 もっとも、彼女は自分の主が“滅ぼされる”などとは思っていないだろう。捕まって裁判にでもかけられるのだとでも、常識の範囲内で怯えているだけだ。

 何にしろこの娘は、メイドのために生かしておけばいい。

「セーニはいずれ魔を滅ぼす。パッセも、三使徒も、お前も! あいつに滅ぼされるんだ!」

 言い放ち、吸血鬼が闇に潜る。

 ユニヴェールは鼻で笑うと後を追った。


 前を行く標的を捕えようと手を伸ばすが届かない。

 それならばと闇そのものを動かした時、少年が突然浮上した。



「逃げるのはもうやめか?」

 エーデルシュタインが逃げ込んだ先は暗黒都市の界隈だった。魔物の残骸が山と積まれたその頂上。

 視界の中には魔物を足蹴に佇む三使徒がいて、エーデルシュタインが差し向けた三下どもはすでに片付けた後なのだと理解する。

「エーデルシュタイン」

 ユニヴェールが山の中段から見上げれば、少年はユニヴェール家のメイドの手を取って立っていた。突然現れた美少年に手首を握られたメイドは、叫ぶでも暴れるでもなく無言で突っ立っている。

「何やってんの? ユニヴェール様」

「ちょっとアンタ、自分の部下くらいちゃんと教育しろよな。馬車動かせってだけでローマから呼ばれてたまるかっつの」

「そんなこと言ったって、暗黒都市の馬を御すなんて私には無理ですわよね?」

 ──やかましい。

 ユニヴェールがガバッと振り向き睨みつけると、シャムシール、アスカロン、フランベルジェの三人が口をつぐんだ。

 吸血鬼が凍った目を山の頂に戻すと、三人の化け物もそれに続いた。


 赤い月に染められた赤い空。流れることなく渦巻く黒い雲。少年とメイドの背景に、女王の居城が影絵となってそびえ立つ。

 頭蓋を突く腐敗臭に、ユニヴェールはわずか顔を歪めた。

「セーニは魔を滅ぼす」

 もはやそれを伝えることだけが、少年の存在意義なのかもしれなかった。

「お前は、」

 少年がメイドを指した。

「いずれあの男を滅ぼす」

 その小さな指が、ユニヴェールに向けられる。

「そうですか」

 メイドが砂のような声で答えていた。

「セーニの血を持っていても、それに支配されるような娘ではないよ」

 逆光になっているせいでパルティータの細かい表情までは分からない。

「セーニの血は幾度歴史を変えた!?」

 屍の山を滑り落ちる悲鳴に近い怨嗟えんさ

「知らんよ。数えたことなどない」

 化け物と呼ばれる吸血鬼は、冷たくはねのけた。

「数えるだけ無駄だ。例え未来セーニが我々魔物を滅ぼしたとても、それは死者を殺すようなもので、何の意味もない。我々には始めから実体などないとお教えしたでしょうに」

 詭弁だ。ではヴァチカンは人間は神は何と対峙しているのかということになる。

 だが、だからこそ彼らは恐れるのだ。

 自らが何と対峙しているのか実は分かっていないから。

「それに、いくらセーニとて女王を完全に滅ぼすことはできない。彼女が存在する限り、暗黒都市が消えることも魔物が潰えることもない」

 ユニヴェールは大きく息をつき、パルティータ目掛けて叫んだ。

「──やってよし!」

 一拍遅れて頂の影が動き、

「馴れ馴れしい!」

 気合一声、すりこぎ一閃、少年をかっとばすパルティータ。

 抵抗する間もなく小さな身体は魔物の骸を滑り落ち、ユニヴェールは黒衣の中から抜剣。

 少年が体勢を整えたのと吸血鬼が飛んだのは同時。

 顔を上げたエーデルシュタインの両眼が吸血鬼に向けられ、ユニヴェールは対魔の銀剣を振り下ろし──……。

 そのまま時が止まった。

 死の都市が息を止めた。

 百戦錬磨一撃必殺の男にとって、子供の骨を断つなど造作もない。

 そしてその男は、時に神よりも容赦ない。

 結末は見るまでもない。


「……お前には、」

 自らを半分以上薙いだ刃を握り、乾いた息で少年が喘いだ。

「“我々”なんて言う資格……ない」

「…………」

 ユニヴェールは何も返さず身をかがめ、腕をまわし、彼を支えた。

「……お前は、神に……愛されている」

 それは呪詛か羨みか。

 おそらくはその両方だ。

 ヴァチカンの特別になろうとパッセを売る。手違いで滅びの迫ったパッセを見て、己の手で“特別”を滅ぼす愉悦に浸る。それが、己が特別になる機会を逸することになろうとも。

 それほどまでに矛盾した、渇望と憎悪。

 吸血鬼は、どうしようもなく弱い。

「エーデルシュタイン伯」

 ユニヴェールは薄い唇に微笑をのせ、幼い屍に囁いた。

 焦点を失くした少年に届くよう、深くゆっくりと。

「私は、神よりもずっと、すべてを愛している」

 だからいつまでもこの形をもって留まっているのだ。

「…………」

「人も、魔も、すべて」

 少しずつ、腕の中から重さが消えてゆく。滅びの灰がさらさらと落ちてゆく。

 空虚な音をたてて、剣が転がった。


 男が紅の視線を上げると、無表情でこちらに降りてくるメイドの姿が映る。

 彼は立ち上がり、煌びやかな街に向かって盛大に灰を払った。




◆  ◇  ◆




「貴様がもっと早くに見つかれば話が早かったものを」

「俺はお前だけの医者じゃない」

 エーデルシュタイン邸の広すぎる廊下を、黒と白の男が歩いていた。

「私が瀕死になったらどうするつもりかね?」

 シャルロ・ド・ユニヴェール。

「大丈夫、お前なら執念でどうにでもなるさ」

 ドクター・ファウストこと、ゲオルク・ファウスト。

「それで、パッセはどうだ?」

 相変わらず身なりを気にしないボサボサ頭の戯言を聞き流し、ユニヴェールは尋ねた。

 メイドが助けたがっている吸血鬼。彼女はエーデルシュタインの末路を聞いて涙を流したものの、“滅ぶか賭けるか”の問いには“賭ける”と答えた。彼女が何を思ってそう言ったのかは興味がない。メイドが満足するなら何でもいい。だが、この医者がさじを投げるならば本当にどうしようもない。

「簡単な話さ、任せとけ。これで身体に直接血を入れる」

 白衣の先生様が擦り切れた黒鞄から取り出したのは、硝子の円筒に細い針がついた奇妙な道具だった。

「人間にやったら痛みで死ぬかもしれないが、吸血鬼だったら痛みなんか感じないだろう?」

 渡された器具をしげしげ眺めれば、なるほど原理はなんとなく分かる。筒の中に入れた血をピストンで後ろから押せば、針先から出てくるというものだ。

 これで血管に直接血を送り込めるなら、飲む必要はなくなる。

 狩りならばいくらでもやってやるし、金をはたいて暗黒都市からボトルを買ってもいい。

「しかし貴様もつくづく使えないものを作るな」

「俺の仕事相手は人間だけじゃないからいいんだよ」

「今回の件、金は望むだけ積む」

 言いながら、彼は別のことを考えていた。


 あんなにばかばかしい戦いをふっかけてきたヴァチカンが、“血”に目をつけた。

 エーデルシュタインの気位の高さから考えて、彼からヴァチカンに擦り寄る確率は低い。何らかの形でパッセを知ったヴァチカンが接触してきたと見るのが適当だ。

 吸血鬼を一匹残らず滅ぼすには、剣よりも血。

 誰が気付いた?

 誰がそんな毒の血を造れる?


 医者の猫背を眺めながら、そこに重なる青年の影。

(──ヨハン・ファウスト)


「ゲオルク、子息はどうしている?」

「さぁな、知らないよ。お前のせいで薬学より錬金術に傾倒しちまったみたいだったが」

 言葉を切って、分厚い眼鏡が振り向く。

「何か用か?」

「──いいや」

 今すぐ腹を抱えて笑い出したい衝動に駆られながら、ユニヴェールは軽やかに歩を進めた。

 立ち止まっているゲオルクを過ぎ、身を反転。

 両手を広げて天を仰ぐ。

「生者に絶望を注いで夢を与え手なずけて、この世をおのが国とするのが神の目的。その悪意を嘲笑い、今日を生き延びてやるのが生者の意地。神を阻み、この混沌を護り続けることが死者の務め。だからこそ──」

 が、その演説は涼しい案内嬢に遮られる。

「ドクター、お待ちしておりました。こちらにどうぞ」

 いつの間にかユニヴェールの真横に立っていたパルティータ・インフィーネ。

「あぁ、ありがとう」

 何の感想もなく通り過ぎてゆくゲオルクに続き、主を無視して回れ右をしようとするメイド。

 吸血鬼は研がれた爪でその襟をつまんだ。

「パルティータ、一点訊きたいことがあるんだが」

「何ですか?」

「お前は何故パッセを助けたい? セーニの血に抗いたいからか?」

 半瞬メイドの真顔にセーニが過ぎり、しかし輪郭を捉える前に消え去る。

 改めてみた彼女は、難しい顔をしていた。

「そりゃまわりでバタバタ魔物が滅びて何も感じない人間はいないと思いますが……」

「が?」

「ユニヴェール様は」

 パルティータがしっかり向き直ってきたので、ユニヴェールも無意識に背筋を正す。

「慰謝料というものはもらうだけではないということをご存知ですか?」

「…………」

「私には今回、過失があります。正当防衛とは言い難い過失が」

「…………」

 力が抜けた。

「お金を貯めるということは、何もたくさん手に入れるだけの話ではありません。入る口は大きく、出る口は小さく、それが重要です」

 なるほどね。

「もらうという状況は量産し、払うという場面は極力回避しなくてはいけません」

 あ、そ。




 ──ついでのパーテル・ユニヴェール邸。


「へっくし」

 ルナールは未だ玄関先で手首の番をしていた。

 北風が身に染みる。

「ちょっとー、誰か早く帰ってきてよー」




THE END




校正時BGM Daughtry [Ghost of me]

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