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冷笑主義  作者: 不二 香
第二章 中編 GENOCIDE
31/88

GENOCIDE-7. 汝の名は、地上の守護者



「ユニヴェールは屋敷から離れていません」

 絵本を広げたような長閑なパーテルの町を見下ろしながら、フリード・テレストルはかたわらに立つ白の男に告げた。

「…………」

 しばらく待っても答えが返ってこないのでちらりと見上げれば、男の作り物めいた双眸は何もない蒼空を見ていた。

 ちぎれ雲さえ浮いていない青塗りの空。見つめ続けていると吸い込まれそうで、伸ばせば手が届く錯覚にまで襲われる、そんな空だ。

「神父カリス?」

「……あぁ、すみませんフリード。もう一度お願いします」

 ようやくフリードへと戻された視線は、柔らかい声音とは裏腹の硬質な石だった。

 長い年月の重さによって凍てついたペリドット。

「シャルロ・ド・ユニヴェールは屋敷に留まったままです」

 若者が極力感情を消して繰り返せば、

「……貴方はダンピールだから、あの人の居場所が分かるんでしたね」

 しみじみとつぶやかれる。

「はい」

 フリードはカリスから目を逸らし、うなずいた。


 だからここにいるのだ。

 隊長、ソテール・ヴェルトールのいないデュランダルと足をそろえ、南フランス、このパーテルに。

 対ユニヴェールのためだけに存在していると言われる教皇最後の剣──デュランダル。

 それは常人の生と引き換えた、名誉の称号だ。

 クルースニク・ユニヴェールがヴァンパイア・ユニヴェールへと転落した三百年前、彼らは封印された。そして、事が起きれば目覚めさせられ終息すれば地下墓地グロッタひつぎに戻されるという、地上の守護者となった。

 神のため。教皇のため。ローマのため。人のため。

 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。

 太陽は幾度となく昇り地を照らし、彼らの時は止まった。神に召されることが他の人々より先送りされているだけだとしても。


「ミトラ。どうしますか?」

 およそ血生臭い事には無縁な容姿の神父カリス。

 彼は真っ直ぐに長い金髪を肩に払い、クルースニクの証である膝丈ひざたけの白外套を翻し──地面をかする程の長衣は名目上隊長であるソテール以外に許されていないのだ──背後の林で休む仲間の方へと声をかける。

 木漏れ日が揺れるそこには、デュランダル、白十字、無印、合わせて百を超える聖衣の始末人たちがいるはずだった。

「ユニヴェールはあの屋敷にいるそうですが」

 カリスが言いながら歩を進めて立ち止まったのは、ささやかに会話を交わしている若者たちとはひとり離れて木に背を預けていたクルースニクの前。

 赤銅色した髪の下、枢機卿の衣と同じ深紅の布切れが男の両眼を覆っている。

「ユニヴェールを滅ぼせ。パルティータを連れ戻せ。それがクレメンティの命令だったろう」

 視界のない騎士が、不敵に口元を歪める。

「はい」

「だったらそれを遂行するまでだ」

「そうですね」


 神父ミトラ。聖騎士あがりだという締まった身体つきのクルースニクは、ユニヴェールが在籍していた頃からデュランダルの実質的な長だったという。

 教皇庁の慣習として、デュランダルの“隊長”称は光を我が物とするヴェルトールに与えられる。“副隊長”の名は、隊長が誰かを選んで勝手に与える。長年それで上手くいっていたのだが──三百年前のデュランダルは、その隊長ソテール副隊長シャルロ双方があまりにも傍若無人過ぎたらしい。問題を起こすことも治めることも全てふたりだけでやってしまった。教皇の密命はデュランダルにではなくふたりに下った。デュランダル長官を介した召集がかかった時、必ずそのふたりはどこかに逃げ去り欠けていた。

 結果、いつしかデュランダルは“ふたり”と“残り”に分裂してしまっていたのだ。

 誰も、何かが悪かったとは思っていない。分裂してしまったことも、それが悪かったとは思っていない。

 仕方なかったのだ。それが事を上手く運ぶ最良の状態だったのだから。

 あまりにも差があり過ぎたのだ。

 彼らと彼らとの間には。


 そして副隊長だった人間がフランスで命を落とし化け物となって甦った後──、隊長ソテール・ヴェルトールはその化け物だけを追うようになった。他のどんな魔物が動こうと彼はたいして興味を示さない。業を煮やした教皇が“ユニヴェール”の名をちらつかせてようやく動かしても、それが嘘だと分かった途端に行方をくらまし、事の決着がついてからでないと帰ってこない。

 それが日常茶飯事。

 凡庸だった父と比べられ、その非凡な才に目一杯の期待をかけられて英才教育を施された聖なる始末人の、ささやかな反逆。深い迷走。

 ユニヴェール在籍中から除籍後まで、そんな隊長不在同然のデュランダルをいつもまとめて率いていたのが、このミトラだったのだ。


「向こうの出方を心配する必要はない。あの男が策を立てて罠を張ることなどしないのはお前も知っているだろう? 策をろうしなければならないのは、正面から戦って勝つ力のない者だけだ」

「我々のように」

 カリスがサラリと付け加えた。

「そうだ。我々のように」

 ミトラが笑った。そしてカリスの方へと顔を向ける。飾り気のない、武人の顔。

「護るものがある者ほど強いと人は言うが、私は──ユニヴェールと対峙していると本当にそうなのか疑わしく思うよ」

「彼が護っていたものなど何もない。彼には何かを護る気なんてサラサラない。それなのに彼は誰よりも強い。そういうことですか?」

 デュランダルは世界を護る。

 彼らを置いて時が流れ、彼らに直接関わる縁者も友さえもこの世にいなくなっても、護り続ける。

 闇におびえる光の世界を。

 神より与えられたこの地上を。

「お前は感じたことがなかったか、カリス」

 再び仲間たちへと顔を戻したミトラに問われ、カリスが心持ち背筋を正す。

「私は生前のユニヴェールを見ながらいつも思っていた。目の前にいるこの男の本体はどこにあるのだろう、とな」

「本体、ですか」

「私の目の前に現われるあの男は、いつでも役者の入っていない道化だった。虚ろだというのではない、心ここにあらずというわけでもない。だが、自らが世界の中心であるかのように振る舞いながら、アレはそんなことに少しも執着していなかった」

 ミトラは自分で言って自分でうなずく。

「そう、執着だ。ユニヴェールには、目的、標的、使命、欲望、そういうものに対する執着が全くなかった。全く、だ。ユニヴェール家が貪欲に力を欲したのに対して、あまりにも全く。……あの男は流れの真ん中に身体を置いて、流れのまま翻弄されるのを楽しんでいただけだった」

 護るべきものを背負った者の強さと、空っぽの捨て身で突っ立っている者の強さ。

 勝敗表を見る限り、後者の全勝ということになる。

「そういうのって、“自棄”って言いませんか?」

 気に入らなかったのかカリスが語尾を上げたが、

「自棄とも違う」

 クルースニクの長は言葉の意味を確めるようにゆっくりと首を振った。後ろで結ばれた布が合わせてひらひらと揺れる。

「自棄ではない。あの男は自分の思うとおりにならない世に対して投げやりになったわけではないだろう。彼が本気で頭を使って力を使えば、思うとおりにならないことなんてほとんどなかったはずだからな。ソテールもいたことだし」

「では……」

 思わず口を挟んでしまい、フリードは慌てて両手で口を押さえた。

 それすらも気配で分かるのだろうか、ミトラが苦笑いをしてこちらに顔を向けてくる。

「彼はただ単に興味がなかったんだ。シャルロ・ド・ユニヴェールという存在について。自分自身について」

「だからあの時(アヴィニョン捕囚)大聖堂にユニヴェール銘の聖剣が放り出されていたわけですか……」

 カリスの独り言。

 続くミトラの淡白な肯定。

「己に興味なく、他人に興味なく、彼の関心を引くのは日々風向きを変え刻まれてゆく歴史の行く末だけだった」

 そして一拍。ミトラの大きな手がフリードの銀髪に置かれた。

「人間味の欠片もないあの男のこと。息子を他の魔から護ってやるなんてマメことをするはずもなし、ともすればお前は身の危険を感じた父親に──……命拾いしたな」

「はい」

 フリードは神妙な顔を作って神妙な声で答える。

 彼だってミトラが呑み込んだ言葉くらい予想がついていた。


 魔に喰われずにここまで成長できたのは、父が魔物も恐れる化け物だから。

 父を滅ぼせる唯一のダンピールでありながらも彼の手によって殺されなかったのは、ユニヴェールが自身の存亡にさえ興味を持っていないから。

 それだけの話。


「カリス。昼間のうちに片をつけよう。夜はかなり分が悪くなる」

 ミトラが木から背を離し、器用に両手の篭手こてを付け直しながら言った。

「分かりました。そろそろ出発しましょうか」


 カリスとフリードは林の中をまわり、点々とグループになって休息しているクルースニクたちに出発を告げてまわった。

 言われるままに次々と腰をあげミトラのところへと集まってゆく白い剣士。それを視界の端に波から外れて歩いていたフリードだが、ふと立ち止まった。

 柔らかく大地を踏むカリスの足音が消えていたのだ。

「…………」

 振り返れば、物静かな麗人はまた、まだつぼみすらつけていないヒースの茂みの横でぼんやり空を眺めていた。

 フリードは小さく嘆息して声をかける。

「神父カリス。何か心配事でもおありなんですか?」

 すると、

「彼女は──何故ユニヴェールを追って魔物になったんだろうかと思ってね」

「……はい?」

 あまりにも脈絡のない言葉が返ってきた。

 彼女?

「ミトラのココにも、同じようなトゲが刺さっているはずです」

 若者の疑問符を無視して、カリスはそっと己の左胸を指差し続けてくる。

 薄い唇には憂愁の微笑。

「彼は我々よりもソテールよりも先に目覚めさせられていました。何故か知っていますか?」

「いいえ」

「師となるためです。パルティータ・インフィーネの」

 急に声が絞られる。

「パルティータ・インフィーネ」

 ユニヴェールの屋敷にいたメイドだ。フリードの記憶には単調な灰色のイメージしか残っていなかったが、その名前だけはかろうじて覚えていた。

「そう、貴方とソテールが先日会ったというメイドのお嬢さんです」

 彼女の師がデュランダル・ミトラ?

 つまり父のメイドはクルースニクの弟子?

 ならばヴァチカンは総力を上げクルースニク大勢を動員して、クルースニクの弟子ひとりを奪還しに行くのか?

 あるいは彼女はヴァチカンから放たれた間諜かんちょうなのか?

 それがバレてあの屋敷に捕われているのか?

 疑問は尽きない。だが、フリードはそこで留まった。

 クルースニク・カリスが切れ長の目さらに細め、つぶやいたのだ。

「彼女はミトラの手の中から飛び出して行った」

 その声の中に幾ばくかの畏怖が混じる。

 だがそれには気付かず、

 ──飛び出した

 ひとつのフレーズが若者の身体に落ちた瞬間、彼の脳裏であのメイドが薄く笑った。

 瞬間、得体の知れない焦燥が身体を駆け抜ける。

「そして彼女が行き着いた先は事もあろうに、あの吸血鬼ユニヴェールの元だった」

 わずか息を乱すフリードを余所に、カリスの透明な嘆きが通り過ぎてゆく。

(…………)

「彼女が何故自分の手から出て行ったのか。何故ユニヴェールの手の中に行ったのか。ミトラはその答えを渇望しているんですよ、きっと」

 カリスがこちらに白い背を向けた。

「我々は神の使いとして闇をぐ。あの男はその盾として君臨し続ける。神は彼をゆるすでしょうか。彼に追従した者を赦すでしょうか。それとも、彼らはもう赦されているのでしょうか」

「…………」


 ユニヴェールの屋敷にいた黒の剣士は言った。

 ──ユニヴェールという人は他人に対しての責は最後まで負う人です、と。

 それで父を知った気になっていた。それが父だと思い込みたかった。自分が望んでいた答えを聞いて、それ以上何かを聞くことを止めたのだ。

 しかし、

(ソテール、ルナール、ミトラ、カリス)

 それぞれの真実が共謀した今、彼にはそのどれがシャルロ・ド・ユニヴェールなのか分からなくなっていた。全て本物かもしれないし、全て仕組まれた余興かもしれない。

 フリードの清涼な蒼い虹彩こうさいとは逆に、胸に立ち込める霧は深く先が見えなくなってゆく。

 突然、林を吹き抜けてきた乾いた強風が若者の外套を巻き上げた。

 それはクルースニクの白ではない、灰色に蒼が混ざった寒空の色。

(ダンピールは闇ではなく、光でもない)

 首にかけただけのスカーフが意志ある如く陽射しの中に踊る。

 懐かしい大地の匂い、そして葉擦れのざわめきが身体の横を過ぎていく。


 街を見下ろす神父カリス。彼のオリーブ色の瞳は、真実どこを見ているのか。

 フリードも彼の後方から同じ方角へと目をやった。

 そこにあるのは、小さな箱庭のように可愛らしい家々が立ち並ぶ町。

 喜怒哀楽、人々の物語が交錯するこじんまりとした舞台。

 その名はパーテル。

 その意は──父。


 若者は腰に帯びた聖剣のつかを握った。

 ソテールが頑として反対したのを、ミトラがこっそり渡してくれたものだ。

 三百年の年月が流れてもなお折れず錆びず行方不明にもならずに存在し続ける、シャルロ・ド・ユニヴェール銘の不気味な聖剣。


 虚空の一点に焦点を合わせたフリード。その顔から、おっとりとした幼さの欠片がはがれ落ちた。血の気が引くように、カリスと同じ顔つきになってゆく。

 背後で、ミトラが仲間達を鼓舞する言葉がした。


「吸血鬼シャルロ・ド・ユニヴェールが欲しているのは、渇きを癒す甘い女の血ではなく、恐怖の冷たい血でもなく、流させる血でも流される血でもない」

 彼の喉を潤すものはただひとつだけ。

「──流し合う血だ」




◆  ◇  ◆




「まぁ、あの人らしい滅びと再生ね。でも、どうして貴方たちは彼の後を追って化け物になったの」

 パルティータは冷めたミルクティに口をつけ、カップの淵越しにアスカロンを見やる。

 しかし、

「それは──」

 彼がニヤリと笑って口を開きかけた瞬間、階下で派手に何かが割れる音がした。

『…………?』

 それも一回ではない。

 皿か花器か、いずれにしろ何かが次々割られていく。

 壁に投げつけられているのか、床に落とされているのか、定かではないが。

『…………』

 パルティータ、ルナール、三使徒、全員黙して視線だけを下へと向けた。

 少し待っても、地底から聞こえてくる無機的で非音楽的な破壊音は止みそうにない。

「誰に後始末させるつもりかしら」

 パルティータがテーブルに両手をつき立ち上がりかけると、

「見てくるわ」

 それを制してフランベルジェが先に立ち、食堂を出て行った。

『…………』

 全員の視線が氷の魔女を見送って、必然訪れる軽い沈黙。

 アスカロン、シャムシール、ルナール、三人ともパルティータと目を合わせようとしない。

 アスカロンは“卿ってば何やってんだか”という顔で頬杖をつき、斜め上を見上げている。

 ルナールは紅茶のレモンをつつき、シャムシールは──落ち着きなく目を泳がせていた。

 非常にあやしい。

「……何なの」

 パルティータは腰に両手をあてて立ち上がった。

 ガタンと大きな音を立てた樫の椅子に、シャムシールの肩がびくりと跳ねる。

 ……所詮お子様だ。いや、見かけはお子様でも三百年近く生きているはずだが。

「何なのこの空気は」

 だがお子様をいじめるのは可哀相なので、矛先はルナールに向けてみる。

「屋敷の主も含めて重苦しい」

「重苦しいわけじゃありませんよ。卿のご機嫌が斜めなだけですよ」

「何で」

 低く問えば、

「アンタが原因さ」

 軽薄な仕草でアスカロンに指を差される。失礼な。

「……何で」

「アンタは何者だ」

「何者かなんて聞かないじゃありませんでした?」

「アンタは似てるんだ」

 揚げ足を取ってやったが、無視され即座に返される。

「似てるって、誰に」

「あの人に毒杯を渡したフランスの王女様に」

「……あ、そう」

 また複雑な立場の人間に似せられたもんだ。

 返答のしようがないではないか。

「彼女はクルースニクを毒殺した罪と魔女である罪で即日ヴァチカンに連行され、火刑にされた。卿は柩の中、ソテールは牢の中。時の教皇に逆らえる者は誰もいなかった。もっとも──彼女が犯人でないとあの時知っていたのは卿と真犯人だけだったんだけどさ」

「似ていたって……私はイタリア生まれ。王女はフランス生まれでしょ?」

「顔じゃねぇよ。雰囲気だ。愛想のないところなんかソックリ……ってユニヴェール様が言ってました」

 無意識に眉が吊り上がったのかもしれない。他人のせいにしつつアスカロンの語尾が改まる。

 その後を継いでルナール。

「僕は彼ら(三使徒)のようにその場にいたわけではないので真相は分かりませんけれど、卿なりに責任でも感じていたんじゃないですか? 三百年、彼女の墓参りを欠かしたことはありませんよ」

 紅茶をすすって目を閉じる。

「貴女がフリードに尋ねた肖像画があったでしょう。あの金髪の方がマルグリート王女です」

「へぇ」

 この広い屋敷に肖像画はふたつ。

 ダンピール・フリードの母と、間接的に主を死に至らしめたフランス王女。

「ユニヴェール卿はお酒が入るとほんの少しだけ口を滑らせることがあるんですよ。僕が猫の姿で何も言い返せない、下手な相槌あいづちを打たない、知ったかぶって諭したりしないのがいいんでしょうね。でも仮に人間の姿であっても、言い返したら何が起こるか分からないから黙ってますけど。それで──そうそう、その時に言っていました。私に関わって死ななかった人間はソテール・ヴェルトールくらいだ、って」

 言い過ぎなんですけどね、ルナールはそう言ってカップを置く。

「貴女の前のメイドさん──ルイーゼ嬢だって危ない目にあったとはいえ、まだ生きているんですから」

「でも彼女も魔女として殺されそうになったわね?」

「それなんだ」

 アスカロンが椅子を引いて足を組む。腕は頭の後ろへ。

「ヴァチカンはシャルロ・ド・ユニヴェールを滅ぼすことはできない。でもあの人の周りにいる人間を消すことはできるわけさ。“魔女”の烙印を押すだけでいいんだからな。マルグリート然り、メイド(ルイーゼ)然り。だからあの人はフリードの母親もヴァチカンが消したと思ってる」

 もちろん、ユニヴェールにとって彼女らを救うことなど児戯に等しく簡単なことだったろう。けれど彼はそうしなかった。世界の流れをひたすら傍観し続けていた。

 ルイーゼの時だって、パルティータが謀略を企てなければ彼女は処刑されていたのだ。

 しかし彼は、己の手を離れた者、意志を持って決別した者の行方に干渉しない。

 それがあの吸血鬼の美学なのかもしれなかった。

 しかし──。

「マルグリート王女はあの人に刺さった棘さ。彼女は彼女の選択によって死んだわけじゃない。あの人の嵐みたいな人生の波に巻き込まれただけなんだ」

「その王女に私が似ているから、私も彼女のようにヴァチカンに殺されるんじゃないかって? それでユニヴェール様が不機嫌? バカバカしい」

「バカバカしい」

『…………』

 突如聞き飽きた声がして、四つの視線が一点へと収束した。

 そこには、食堂の扉前には、黒衣をほこりだらけ泥だらけにし、本来純白だったはずの手袋を土色にした主が立っていた。地底で一体何をしていたのか、墓場っぽい湿った大地の匂いに背中が少しだけ涼しくなる。

「私は乙女が夢見る王子様か? えぇ?」

 彼は毒づき、まとわりつく埃に咳き込んだ。

「そんなに色々影を背負わされたら、乗ってきた白馬が灰色になるぞ」

 顔が蒼白いところなんかは、病弱な乙女に通ずるところがあるかもしれない。

 万民に却下されそうだが。

「ユニヴェール様、そこで埃を払わないでください。食堂が汚れます。外で、外!」

 その場で黒衣を叩こうとする主。

 パルティータは飛んでゆき、腕を掴んで間一髪制止した。

 この人は、興味がないことに関しては本当に無頓着なのだ。一度屋敷中をひとりで掃除させてみれば、少しは頭を使うようになるかもしれない。

「なぁ、どこまで聞いてた?」

 頭の後ろに手をやったまま、上目遣いにアスカロン。

「前半はフランベルジェから聞いた。後半は“ヴァチカンは卿を滅ぼすことはできない”からだ」

「うわー」

 やさぐれ男は鳶色の髪をわしゃわしゃとやり、

「……ほぼ全部か……裏切ったな、フランベルジェ」

 舌打ち。しかし裏切った当人はいつまでたっても食堂に現れない。

「私が引きずっている影は“死”だけだ。それだってお節介な生者が勝手にそう言ってるだけだぞ。なんだお前たちのお涙頂戴物語は。教会のシスターにでも話してやれ。可哀相だと言ってむせび泣いてくれるだろうよ。改心して暗黒都市にやってくるかもな」

 埃を舞い散らさないよう静かに脱ぐくらいのことは出来るらしい。

 土塊が惜しげもなく散りばめられた黒衣が、メイドの手に渡される。

「パルティータ」

 そして同時に呼ばれる。

「はい?」

「三流幻想小説だ、忘れろ」

「はい」

「……パルティータ。その手は何か聞いてもいいかね?」

 片手の平を差し出したパルティータに、白けた紅の眼差しが下りる。

 対してメイドは心動かされた様子もなく、言う。

「相手に物事を忘れさせる時の常識をご存知ありませんか?」

 貴族の常套手段、忘却料。

 吸血鬼が天を仰いで額に手をやった。

「主をゆするメイドなんぞ誰が雇ったんだ!」

『…………』

 三本の指が無言でユニヴェールを差す。

 アスカロン、シャムシール、ルナール。

「分かっていることにいちいち答えてくれるな」

 悲しみにくれ涙を拭ぬぐう仕草を見せながら、主は首元のスカーフを緩めようと骨ばった指をかける。が──彼はそこで動きを止めた。

 血の気のない唇がすーっと吊り上がる。

 それは喜劇に興じていた道化が、血に飢えた化け物に変わった瞬間だった。

「パルティータ、お客様が大勢いらっしゃるようだ。すぐに新しい外套を持って来なさい」

「御意」

「やっと来たんだ!」

 シャムシールが椅子から飛び降りて窓辺に走った。

 アスカロンに抱き上げてもらって外を見た少年は口笛を吹き、楽しげな声音で手を叩く。異国の珍獣を見たかのように。

「すごい! みんな来てるよ、懐かしいねぇ~!」

「こりゃ墓穴掘るのが大変だな」

 アスカロンもケラケラ笑う。

「先陣を切るって言ってたベリオールの奴はどうしたんだ? デュランダルがここに到着ってことは、跡形もなく惨敗かァ?」

「時に──」

 いつもと変わらない(いつもより不遜な)彼らを横目、パルティータは食堂を出て行こうとする主に向かって訊いた。

「さっきは地下で何をしていらしたんです?」

「財産を掘り出していた」

「……はぁ?」

「不埒な輩にくすねられぬよう、金銀財宝を壺につめて地中に埋めてあったのだよ」

「リスですか」

「掘り出したはいいが壺のフタを開けてちまちま取り出すのは面倒臭くてな。全部叩き割ったまでだ」

「…………」

「ハイ」

 手を挙げたのは少年。

「何だ、シャムシール」

「フランベルジェはどうしたの?」

「端から叩き割っていたら、この壺だって高価なものなのにもったいないと冷ややかに怒られてな。だったら後はお前がやれと地下に置いてきた。せっせとフタを開けてるところだろうよ」

「ハイ」

 今度はルナール。

「うるさい、猫」

「その財産、どうするんですか?」

 さすが彼は打たれ強い。

 どんな言葉にもひるまない。

「決まってるだろう? パーテルの復興支援のためにくれてやるのだよ」


 デュランダル vs ユニヴェール。

 確かに街ひとつ壊れかねない。


「やるからには、最初から最後まで責任を持つさ」

 スカーフを整え直し、吸血鬼が笑った。そして今度こそ出て行こうとする。

「ユニヴェール様」

 再度メイドに呼ばれた男が、今度は振り向かずに動作を止めた。

「貴方が滅びない限り、私に危険が及ぶことはありません」

 それだけは疑いない真実だった。この男がどこまで知っているかは知らないが、彼女が巻き込まれているのではない。巻き込まれているのはこの化け物の方だ。

 こんなものは序章に過ぎない。これはきっと、始まりに過ぎない。

「…………」

 空白は長かった。

 そして一言。


承知した(ダコール)




フリード:[独] fried 平和・守護 より

テレストル:[仏] terrestre

(フリード・テレストルはFrido Terrestre)

ミトラ:[伊] mitra 司教冠

カリス:[羅] calix 聖杯

パーテル:[羅] pater 父

 →「天にまします我らの父よ(パーテル・ノステル)」より


校正時BGM Nightwish [Ghost Love Score]

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