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冷笑主義  作者: 不二 香
第一章 Before 1492
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第9話【カステル・デル・モンテ】後編




「時は我らに味方したようだな」

 カステル・デル・モンテはどこぞの軍に完全包囲されていた。

 だが世界が闇に包まれようとしている今、人間がどれだけ集まろうと魔物の敵ではない。

 規則正しい鎧の音を大地に轟かせながら迫ってくる軍勢に、ユニヴェールは悠然と対峙する。

「……ん?」

 だが、彼は広げようとした両腕をふと降ろした。

 凝らされた紅の双眸が、標的を捉えて大きく見開かれる。

「黒い鷲の紋章──ホーエンシュタウフェン家の軍勢か!」

 吸血鬼が思わず声を上げると、横からアスカロンの呆れ声。

「待ってくれよ、ホーエンシュタウフェンは途絶えたんだろ?」

「あぁ、絶えた」

 ユニヴェールはその紋章が掲げられた旗を凝視したまま、言う。

「グレゴリウスの後を継いだインノケンティウス四世はフリードリッヒの皇帝廃位を決めて、あらゆる諸侯に“偽皇帝フリードリッヒ討伐”の十字軍を命じたのだ。破門を恐れぬのはあの男くらいのものだからな、ドイツでもイタリアでもフリードリッヒへの反乱の火は上がり、それでもアレは戦い続けた」

「で、戦に戦を重ねた末に死んだのか」

「直接は病が原因だったがな。そしてあの男の息子たちも孫も皆、教皇と組んだフランスのシャルル・ダンジュ-によって討たれ処刑された。ホーエンシュタウフェンは途絶えたのだ!」

「ってことは……あれは亡霊か」

「の、ようだが……」

 含んだ言葉を残し、ユニヴェールは地を蹴った。

 外套をひるがえし、一斉に槍を向ける軍勢の中へと踊り込む。

 そして着地した瞬間片腕を一閃。

 木々が嵐に薙ぎ倒される如く兵士たちが音も無く崩れ、消え去る。

 自らの影に殺られたのだ。


 ──真の吸血鬼は、闇そのもの。


「亡霊ごときが魔に敵うものか」


 そうつぶやき、すぐさま彼は身を反転させて振り下ろされた剣を素手で掴んだ。

 持ち主は白尽くめ。

 染め抜かれた紋章は、重ねられた二振りの剣に燦然さんぜんと輝く十字。

「やはりクルースニクが混じっていたな」

「…………」

 吸血鬼は低い声で吐き捨てると、銀剣を突き放す。

「おかしいと思ったのだ。あの城の結界は構造にる。なのにアデリーヌが出入り出来るとはな。それを可能にするためには、あの魔物と人間が結託していなくてはならん。と思う」

 ユニヴェールは切れて伝った己の血を手首で舐め、見えない彼方を睨みやる。

「クルースニクがいるとなればヴァチカンの差し金で間違いなかろう」

 彼は自らの影の中からひと振りの剣を取り出した。

 大した銘もなければ逸話もない、通りがかった露店の隅に置いてあったのを焼き菓子十個分くらいの安値でパルティータが買ってきた、そういう一品だ。

「だがどういうつもりだ?」

「…………」

 もちろん相手のクルースニクは何も答えない。

 ユニヴェールはひとりでしゃべり続けた。

「亡霊なんぞをいくら集めたところで私に勝てぬことくらい承知しているだろう? ……貴様らのようなクルースニクも同じことだ。……あぁ、もしやルナールをエサにして私を呼び寄せ、アデリーヌに喰わせるつもりだったか? だが生憎私はあの城に入れなくてね。迎えも来なかったし、わざとらしく入り方を教えてくれるような親切な奴もいなかったぞ」

 向こうにはこちらの言葉を黙って聞いている義理もなければ義務もないわけで、クルースニクは最後まで聞かずに斬りかかってきた。

 だがユニヴェールはそれを、剣術の稽古をつけているかのように軽くあしらってゆく。

 そしてふいに叫んだ。

「ソテールはどこにいる!? 私を滅ぼすための計画ならば、あの男がいるはずだろう!? 私はここにいる! 貴様はどこにいる!?」

 剣を大きく払って牽制。

 ユニヴェールは亡霊を薙ぎ、白い影を探した。

「ソテール・ヴェルトール!!」

 だがかかってくるのは相手にならぬクルースニクばかり。

「──鬱陶しい!!」

 彼は噛み付くように怒鳴ると左手にした影の大鎌を一閃させた。

 剣圧に大地がえぐれ、彼のまわりから亡霊の群れが消え失せる。

 生身のクルースニクも遠くに吹き飛ばされていた。

「アスカロン!」

「何だ?」

 男の声は、吸血鬼の影の中からした。

「屋敷に戻れ」

「──えぇ?」

「ソテールがここには来ていない。だがヴァチカンが動いているのにアイツが動かぬわけがない。……となると行き先は我が屋敷(パーテル)しかない」

「隊長が相手かよ……」

「デュランダル隊そのものが来ているかもしれんな。だが戦ってはならぬとフランベルジェとシャムシールに伝えろ。ソテールが本気で剣を奮うのは私にだけだ。お前たちが手を出さなければアレは何もしない」

「デュランダルが暗黒都市に侵入しようとしたら?」

「……私を滅ぼさずに目先の利を狙う男ではないよ。例え部下が先走ってもあの男が止めるだろう」

 ユニヴェールは、性懲りも無く剣をとるクルースニクを遠くに見、嘆息。

「あの男が三百年経っても未だに存在しているのは、暗黒都市を討つためではなくて私を滅ぼすためだからな」

「意味が分からない。アンタをプーリアにおびき出してその隙を狙って暗黒都市を討とうってのがヴァチカンの考えだろ? なのにアンタがいなけりゃデュランダルは動かないってどういうことだよ」

「さぁな。理由なんぞ知らんよ。だが勝手に筋書きを作ってはいけない。ヴァチカンの考えなど事実の断片につながれた我々の妄想に過ぎんからな。自分ではまともだと思っていても、人間の思考は大抵まともでない」

「そういうもんか」

「ソテールが私を討たずに暗黒都市へ入るというのなら、ルナールを放って闇を渡り戻ればいいだけのこと。まずはパーテルの状況を知るのが先だ。今はまだ、事を大きくする時ではない」

「……了解(ダコール)

 気配が消えた。

「……さてと」

 ユニヴェールは悠々と歩いて、カステル・デル・モンテの正面扉の前に行く。

 振り返って剣を構えれば、丘のふもとからわらわらと亡霊兵士たちが登って来るところ。

 彼はそれを氷の眼差しで見下ろした。

 軍隊に混じって見えるいくつかの純白はクルースニクのものだろう。

 砂の混じる雪よりも白く、そこだけ別の意志が宿っている。

「私はフリードリッヒの友人なのだが、何故こうも閉め出されたり攻められたり散々なメにあうのかね。何かあの男に悪いことをしたんだろうか」

 言葉はまるで他愛ない愚痴のように軽く。

 そして彼は腕を掲げ、これまた軽くパチンと指をならした。

 奇術師がやってみせるアレである。


 ──が。


 瞬間、世界からあらゆる音が消えた。

 ガシャガシャと小うるさい甲冑の擦れあう音、軍馬が地を蹴る音、槍の穂がぶつかりあう音、地鳴りのような行進、それらがすべて消えた。

 黒の権化が立つ眼下は、何も無いただの荒野に戻っていた。

 亡霊も、人もいない。

 石と、草と、わずかな雪と、暗雲の夕影。

 天と地の境界を作りながら横切る鳥の影。

 吸血鬼がふと目をやると、その大地から銀剣の先が突き出ていた。

 底無し沼に引きずり込まれる途中で止まったような、図。


 彼は小さく肩をすくめると、もう一度指を鳴らす。

 すると、地面に落ちた銀剣自身の影が蠢き伸び、そして剣の切っ先にからみつき──そのまま音も無く大地の中に引きずられて溶け消えた。


 後には刃もなく、影もなく。


 ──真の吸血鬼は、闇そのもの。

 闇はすべてを飲み込み、無に返す。



「茶番だな」

 ユニヴェールは笑うと、後ろに向かって声量を大きくした。

「どうした? ルナールは生きていたか?」

「ルナールは生きています。ホーエンシュタウフェンの亡霊軍だというから一度見てみようと思い戻ってきたのですが」

 返ってきたのはメイドの平坦な声音。

「惜しかったな。全部まとめて地の底へお帰りいただいたところだ」

 ユニヴェールが振り返るとすぐ後ろに彼女はいた。

「──?」

 そのまま有無を言わさず手首を掴まれる。

 そして城の中へと連行。

「ちょっと待て! 私はこの結界を通れな──……」

 単独だと吸血鬼など受け付けてくれないその見えない壁は、いとも簡単にふたりを通した。

「…………」

 ユニヴェールは狐につままれたような顔で、城の内側から扉を見やる。

 外套の裾が石畳にひらめく。

「人間が一緒だと通れるみたいですね。アデリーヌも僧侶を従えていましたし」

「お前まさか確信も無く私を引っ張り込んだのか」

「…………」

 パルティータは肯定も否定もせず、ただ笑ってきた。




◆  ◇  ◆





「この方は──フリードリッヒの血縁かもしれませんよ、ユニヴェール卿」

「それは興味深い」

 言葉とは裏腹に、吸血鬼の声は零下の響きだった。

 広間の窓際に置かれた長椅子に座っているのは、貴族と称してもおかしくはない儚い姫君。金髪碧眼、豪奢な白いレースに飾られたドレスをまとい、髪には目を引くエメラルドの飾り。

 ──シチリアのアデリーヌ。

 夜を照らすランプの灯が側壁に色づいて、その緋色を一層鮮やかにする。しかし床に落ちた影は染み付いた時代の分だけ濃い。

「あの、ユニヴェール卿……」

「黙れ」

「…………」

 吸血鬼の勘気かんきを知って、ルナールが口を閉じる。

 彼は、ユニヴェールとアデリーヌが相対するその中点よりやや外れたところに立っていた。

 やや居心地悪そうなのは当然だ。

「わたくしにお怒りですか」

「ヴァチカンは何を考えている」

 アデリーヌの容姿も態度もこの城に劣らない。

 だが明らかに空間を支配しているのは新参の吸血鬼だった。神秘を内包し客人を惑わしていたその城は、現れた吸血鬼に気圧されただの石積みの住居と化している。

「お前がヴァチカンに飼われて魔物を喰らい続けたのは何のためだ。ルナールをさらったのは」

「わたくしはただ言われたとおりにしただけです」

「この部屋に向かっている途中で部下から連絡が入った。案の定ソテールは我が屋敷に来ていたようでな。おまけに暗黒都市からは黒騎士ベリオールの騎士団が出てきたという。──ソテールに私の不在を告げなければ、剣の交わりは避けられなかっただろう」

「貴方は戦いがあった方が楽しいのでしょう」

「私をこちらに引き付けてその隙に暗黒都市に討ち入るというやり方は分からなくもないが、ソテールがそんな策に従わないことくらい分からぬヴァチカンでもあるまいに。何年あの男を飼っているんだ」

「命令系統は必ずひとつだとは、限らないものです」

 アデリーヌが静かに石畳へと視線を落としてつぶやいた。

「ヴァチカンの意志はひとつでない、と?」

「ローマにはふたつの頭があります。枢機卿ヴァレンティノ・クレメンティ。そしてデュランダル長官シエナ・マスカーニ。彼らの視線は同じ方を向いているようで──おそらくは微妙にずれています。それから……」

 彼女がユニヴェールに顔を向けた。

「暗黒都市もまたひとつではないでしょう」

「…………」


『 Attention 』


 お気楽貴族の文面がよみがえる。


 だが男は笑い捨てた。

「まぁ結局のところ、何が真実だろうと何が虚偽だろうと私には関係ない。今回のことは、枢機卿も私を滅ぼそうとし、デュランダル長官も私を滅ぼそうとした。だが互いの意思疎通がなっていなかった。そういう話にしておいてやろう」

 パルティータが見やった主の双眸には、そう思っている気配など感じられなかった。

 その男は騙される愚か者を演じたがっているだけなのだ。

「互いに出し抜きあっている者どものうち、一体誰が私を滅ぼすだろうな!」

 声高にわらう吸血鬼に恐怖も恐れもない。

「貴方は暗黒都市に裏切られているかもしれないのですよ!」

 アデリーヌが立ち上がった。

 だがユニヴェールの哄笑こうしょうは止まない。

「裏切られて滅びるような可愛らしい魔物であれば、何ということだろうと嘆き悲しむかもしれんがな。生憎、裏切りにおびえるほど繊細な神経は持ち合わせていない。ヴァチカンだろうと暗黒都市だろうと、私にかかってくる奴らは全員叩き潰すまでだ」

 つかつかと靴音を鳴らした吸血鬼が、無遠慮にアデリーヌの細首を掴んだ。

「貴様とて暗黒都市を裏切った罪人なのだがね」

「──ユニヴェール卿!」

「黙れ」

「黙りません!」

 ルナールが珍しく本気で反抗した。

「その人はフリードリッヒ帝の皇子がこの地をフランスのシャルル・ダンジューから護ろうと戦った時に、共に戦ってくださった貴族の令嬢なのですよ!」

「アデリーヌとはフランス名であろうが」

「……え」

 詰まったルナールをかばうようにして、アデリーヌが声を絞り出す。

「父上は……シャルル・ダンジューのやり方を……否定なさったのです」

 歴史に聞き及ぶ中では、ルイ聖王の弟、シャルル・ダンジューはかなりの戦好きであったという。彼の統治に反乱を起こした民の鎮圧方法は、皆殺しであったのだと伝えられるほどに。

「ほぅ。どこまでも裏切りの家系だったわけだな」

 淡々と皮肉る吸血鬼に、

「そういう言い方はないでしょう!」

 ルナールが食ってかかった。

 しかし当の主は怒れる剣士を視界に入れようともしない。

「私は暗黒都市の番人だ。裏切りがあれば制裁を下す。この城には入れないと知っていたから今までアデリーヌが何をしようと黙認してきたが、私はこの機会を逃すような甘い男ではないのだよ」

「──ユニヴェール様」

「ホーエンシュタウフェン家は教会が“まむしの子”と称して、それこそ蛇蝎だかつの如く嫌った家系だ。ルナールがそれかもしれぬと知られれば、ヴァチカンやデュランダルの標的は私だけでなくなる」

 パルティータが挟んだ呼びかけは無視された。

「口止めしようというわけですか! 僕はそんなの嫌ですよ! 僕は狙われて死んだって構わないんです! 普通に魔法をかけられただけでこんなに生きているわけがない、どうせ一度死んでるんでしょうからね!」

「貴様の意見など聞いていない」

「ユニヴェール様」

 もう一度怒気を含ませて声を上げると、主の気配だけがこちらを向いた。

「制裁を下すとは?」

「……吸血鬼は人の血を喰らう。だが、魔物を喰らうこともある」

 魔物は魔物を喰らって力を大きくすることがあるのだ。

 ヴァチカンがアデリーヌにやらせていたのもそれだろう、そう主は言った。

「私に対抗させるつもりだったのかもしれないが──屑どもをどれだけ寄せ集めようとたいした力になりはせん」

「アデリーヌはずっとこの荒野を彷徨っていたんですよ!? 彼女は寂しかったんです! だからヴァチカンにくみするようなことになったんです。僕だって貴方に拾われなかったら同じ道を歩んでいたかもしれないでしょう!?」

「フリードリッヒの血統ならば、どれだけ堕ちたとてこんな無様なことになりはしないだろうさ」

 主とルナールの言い争いは不毛だった。

 放っておけばいつまででも同じ応酬をしていることだろう。

 ルナールが突っかかり、ユニヴェールが払いのける。

 パルティータは声を大にして言った。

「ユニヴェール様。ここで彼女を喰らうのは人としてどうかと思います」

「──パルティータ」

「はい?」

「黙れ」

「…………」

 彼女は一瞬不機嫌を全開にして、しかし黙る。

 上から降る男の声は“暗黒都市の番犬”の声だったのだ。

 化け物貴族の声ではない。

「私は外界における暗黒都市の“法”に等しい。法は情の例外は認めぬ」

「人でなし」

「私を何だと思っている。お前は私を何だと思って仕えているのだ?」

 吸血鬼の双眸が僅かにこちらを向いた。

 小バカにした、怜悧な紅。

「…………」

「分かったらルナールと共にこの場を離れていろ」

 口答えは出来ない厳かなテノール。

「…………」

 パルティータは無言のままずかずか歩いてルナールの外套を掴むと、

「ちょっとパルティータ!」

 拒む優男を引きずって部屋を後にした。




「もしかしたらわたくしは……貴方が裁きに来るのを待っていたのかもしれませんね」

 広間にはふたりの影だけになり、首から手を離されたアデリーヌはそう言った。

「ヴァチカンの言葉に耳を貸したのも、そのせいかもしれない」

「滅びを望むか」

「だってわたくしには目的がありませんもの。この世への執着が。死んだのも知らずに父上の姿を探していたら、魔物になってしまっただけで」

主よ 永(レクイエム)遠の安息(エーテムナム)を彼ら(ドーナー)に与えたまえ(エイス ドミネ)

 彼女の言葉を聞いているのかいないのか、白い首筋に軽く口付けを繰り返しながら、吸血鬼が低く囁く。

絶えざる光(エト ルークス)を彼らに照(ペルペトゥーア)らしたまえ(ルーケアト エイス)

「貴方からミサの式文を聞こうとは……」

 歌うようにか細く、アデリーヌの言葉が途絶えた。

 男がゆっくりと身体を離せば、崩れ落ちるようにして亡骸は石畳に横たわる。

 それはまるで乾涸びた野の花のように──

「アーメン」

 吸血鬼は、魔物の骸に背を向けた。

 翻った黒の外套に撫ぜられたそれは、パラパラと形をなくし塵の如く虚空に消える。


 王の足音が遠ざかり、永遠の静寂が訪れたそこにはもう、何もない。

 燃え尽きるまで揺らめき続ける炎が照らすべきものは、何もない。




◆  ◇  ◆




「きーさーまーらーーーーーー」

 麗しい身なりの王が、開け放たれた扉の内側で叫んでいる。

 見えない壁を叩くようにして、唸っている。

「ここから出せーーー。さもないと殺すぞーーー」

「自分から死んだハインリッヒっていうのは違うと思うのよ。貴方、権力欲ないでしょ」

 あからさまに主を無視してパルティータがルナールに言った。

 横に座った黒猫がにゃあと鳴く。

 どうやらこのおかしな城のせいで、彼は夜になっても猫にならなかったらしい。

 パルティータと一緒に扉を出た瞬間に、戻ってしまったのだ。

 彼女は城の中から持ち出してきた古めかしい家系図を広げていた。

 これまた手近な部屋から持ち出してきたランプを近づけて、

「王様って呼ばれた記憶もないんでしょ? ってことはシチリア王にはなっていなかったってことになるわよね」

 ルナールの出生について話し合う。

 猫も興味があるのか、のぞきこんでいる。

 背後では、主がまだ喚いていた。

 人の手を借りないとこの城の中には入れないのと同様、やはり人の手を借りないと魔物は外にも出られないのだということが見事に立証されたのだ。

「パルティータ、いい加減に機嫌を直せ。仕方なかろう? 私は暗黒都市に雇われているんだ」

 諦め悪く、結界にバチバチ言われながらも男は障壁を殴り続けている。

「…………」

 名指しされた彼女は、眉を水平に荒野を見つめて動かない。返事もしない。

「ルナール! その女の機嫌を直せ! 今すぐにだ! 今すぐ私をここから出せ!!」

 むちゃくちゃな家主の仰せに、黒猫は微妙に固くなりながらも明後日の方角を向いた。

「ルナーーーール、貴様覚えてろよ」

 一番働いたのではないかと思われる一番偉くて一番強いその男は、ひとしきり怒鳴ると疲れて障壁に背を預ける。

 そして眉間に手をやり、ため息まじりにのたまった。

「あぁもう、どいつもこいつも聞き分けのない……!」




THE END




2003年

校正時BGM:Brahms [Hungarian Dance No.1](Piano Solo)

Thomas Bergersen [Sonera]

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