尼子の忍び 鉢屋外伝 其の伍
尼子の忍び 鉢屋外伝
死来也妖術編
大内義隆の月山富田城攻め
深い晩秋の装いを見せる月山、富田の山並みに抱かれた城郭は、燃え立つような朱や鮮やかな黄金に染まる木々の中で、柔らかな秋陽を浴びて穏やかな静けさに包まれていた。
鉢屋ヶ成の館傍の道場では、若き忍び達が集い、鉢屋衆の稽古が行われていた。
「正拳突き十本!気合いを入れてっ!」
若頭の安長の掛け声に合わせ、十数人が並んで同時に正拳突きを繰り出した。
「せいっ!せいっ!せいっ!…」
無駄を削ぎ落とした、一閃の突き。拳に集約された全神経が、空気を裂く鋭い風鳴りとなって放たれた。
「回し蹴り十本!気合いを入れてっ!」
続けて掛け声に合わせ、回し蹴りを一斉に繰り出した。
「せいっ!せいっ!せいっ!…」
迷いは微塵もない。ただ一点へと集中した意識が、光陰の如き速さで蹴りを出していた。
月山に稽古の掛け声が響き渡る。
夕暮れとなった城下を往来する人影は少なく、民家の屋根から、 仄かに薪を炊く煙が、空へとか細く立ち上っていく。富田は、まだ平和が保たれていた。
かつて、月山富田城は大内義隆の軍勢に包囲された。
尼子経久が死去すると、大内義隆は出雲に向かって大内軍本隊を率いて出陣する。
大内軍は大内義隆自らが総大将となり、陶隆房、杉重矩、内藤興盛、冷泉隆豊、弘中隆兼らが兵を率いた。
また、大内義隆の養嗣子大内晴持も併せて出陣する。厳島神社で戦勝祈願をしたのち、出雲に向かった。
毛利軍の毛利元就は、小早川正平、益田藤兼、安芸、周防、石見の国人衆を集めて大内軍に合流する。
出雲に侵入し、赤穴城の攻略に日数を要し、三刀屋峰に本陣を構えた。
その後、年を越して月山富田城を望む京羅木山に本陣を移し、尼子氏の居城月山富田城を包囲する。
攻撃が開始されたが、城攻めは難航する。また、補給路は尼子軍の奇襲を受け兵站の補給に苦しんだ。
尼子氏から大内氏に鞍替えして参陣していた三刀屋久扶、三沢為清、本城常光、吉川興経などの国人衆が城を攻めると見せかけて堂々と城門から尼子軍に合流して再び尼子方に寝返った。
配下の国人衆の寝返りにあって、尼子晴久に大敗し、大内方は劣勢となる。
大内軍は撤退にとりかかり、大内義隆と大内晴持は共に出雲意宇郡出雲浦へと落ち延びた。
尼子軍の追撃は激しく、大内家臣の福島源三郎親弘、右田弥四郎たちが防ぎ戦死する。
その間に大内義隆と大内晴持は別々に周防まで退却を図った。
大内義隆は、宍道湖南岸の陸路を通り、石見路を経由して山口に帰還する。
大内晴持は中海から海路で退却しようと揖屋浦で乗船する。水中から船に乗り込もうとする尼子軍の兵を船上の者が棹で払い落とそうとした為、船が傾き転覆して大内晴持は溺死した。
大内晴持は容貌の優れた美男子であり、文武に秀で、和歌や管絃、蹴鞠といった雅な教養があり、公家の名門一条家の血筋もあって、大内義隆に可愛がられていた。
溺死した大内晴持の遺体は後日、漁師の網にかかり、揖屋の網元の吉儀惣右衛門らに手厚く葬られる。
溺死した揖屋浦では、暴死や怪火が起きるようになり、その霊魂を人々は恐れ、鎮魂の為に小さな社を建て大内権現と称して祀った。
大内義隆が尼子氏に敗れ、┄┄二十一星霜、月日は流れ去り、再び月山富田城は毛利元就によって包囲されようとしていた。
ザビエルの大内義隆謁見
木枯らし吹き、時折、時雨 が降る。移り気な冷たい雨が降り頻る中、一人の男が揖屋の大内権現にやって来る。死来也という世鬼一族の忍びである。
死来也は、中国の筆記小説の諧史に登場する盗賊の我来也を気に入り、それに因んで死来也と名乗った。
南宋の官僚で文人、沈俶によって書かれた筆記小説の諧史は、日常の見聞や雑話、諧謔や奇談などを記した書で、本書のなかに登場する盗賊は京城を徘徊して壁に「我来也」と書き残した。
我来也は、「我、来たるなり」という意味で、 盗みに押し入った先の壁に「我来也」と書き残して去っていく、大胆な盗賊である。
大内晴持が祀られる大内権現で、死来也は古書を開き、大内晴持の霊魂を復活降霊させる。
「誰だろう…、我を呼び寄せる者は…」
大内晴持の霊が呟く。
「死来也で御座います。」
そして、大内晴持の霊を連れて揖屋灘から舟に乗り、月山富田城のある富田へと死来也は向かった。
旧約聖書第二正典の書であるバルク書を持つと、死来也は死者を復活降霊する不思議な妖術が出来た。
降霊術はバビロン、エジプト、ギリシア、ローマで行われ、悪魔を呼び出す黒魔術とキリスト教の異端と結びつき、死者の復活降霊を扱う妖術になる。
妖術使いの死来也は、ローマ数字で「テン」、「エックス」の発音であるXという、第十の死神に死者を復活降霊させていた。
その術は、杵築大社の門前町にいる世鬼一族大将の世鬼政時にも分からない妖術で、死来也という人物自体、世鬼政時にとって何処からやって来た者なのか、知らない謎の存在であった。
キリスト教はフランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられた。この際、マタイによる福音書の一部などが日本語に訳される。
この段階ではバルク書のような外典や続編にあたる詳細な書物までは翻訳されなかった。
ザビエルは薩摩半島の坊津に上陸する。許しを得て、伊集院城で薩摩国の守護大名の島津貴久に謁見し、宣教の許可を得た。
その後、薩摩国から肥前国平戸に入り、宣教活動を行った。信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデスと共に京を目指し平戸を出て、周防国山口に入り、守護大名の大内義隆に謁見する。
大内義隆はザビエルを引見したが、汚れた旅装のままで面会に臨み、ろくな進物も持たず、礼を欠いていたことから、布教の許可を下さなかった。ザビエルは諦めて山口を去り畿内へ旅立つ。
岩国から海路に切り替え、堺に上陸すると、豪商の日比屋了珪から手厚い扱いを受け、支援により、一行は念願の京の都に到着する。了珪の紹介で小西隆佐の歓待を受けた。
ザビエルは、全国での宣教の許可を日本国王から得る為、インド総督とゴアの司教の親書と後奈良天皇および征夷大将軍の足利義輝への拝謁を請願するが、献上品が無かった為、請願は棄却された。
戦乱による室町幕府の権威失墜を背景に御所や京の町は、かなり荒廃していた。京の都での滞在を諦めたザビエルは山口を経て平戸に戻る。
ザビエルは平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入り、再び大内義隆に謁見する。これまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることをザビエルは学び、美麗な服装で飾り、珍しい品々を献上する。
献上品には、本来なら天皇に捧呈するはずで用意していたポルトガルのインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ガラス製の水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などがあった。
大内義隆は、ザビエルに対して布教の許可を与え、その拠点として、大道寺を与えた。
ザビエルによる布教で、福音書、外典や続編になる書物、旧約聖書第二正典の書であるバルク書も配布される。
バルク書には、イスラエルの民がバビロン捕囚という大きな危機の中で、自分たちの罪を悔い改め、神の教えに従って希望を取り戻す姿が書かれている。
バルク書の成立年代は、紀元前二世紀中から紀元七十年頃の間と推定される。
預言者エレミヤが口述し、エレミヤの弟子の写字生バルクが筆記した事でバルク書と呼ばれた。
エレミヤには、列王記の上下、エレミヤ書、エレミヤの哀歌の著書がある。
バルク黙示録は、エルサレム神殿崩壊の更に後、紀元一世紀末から二世紀初頭に成立する。
複数の著者による執筆と編纂で一人の手によって一度に書かれたものではなく、ヘブライ語やギリシア語で書かれた複数の独立した文章の罪の告白、知恵の賛歌、エルサレムへの慰めなどが後に集められて成立した。
昭和九年に日本の聖公会の翻訳委員たちによって、バルク書は旧約聖書続編としての翻訳が進められ、巴録書という表記で日本で出版されている。
神々の囁き
夜明け近くに目が覚めた安長は、皆が寝静まっている道場を出て、外の空気を吸った。次第に空は朝焼けになり、山々に光が差し込んでくる。
安長は、囁き声を聞く。
「ざわ、ざわ、ざわ…」
辺りを見渡したが誰も居ない。後から起きてきた鉢屋衆の見習いの忍びが、安長を見て、声を掛ける。
「どうされました?誰か居るんですか…」
「ああ、いや、何でもない。」
安長は、亀遊山城から豊岡城に偵察に行った時、隕石の落下に遭遇して以来、不思議な囁き声を聞くようになっていた。
毎日、囁き声が聞こえていたが、いつもと違い、何か胸騒ぎがしていた。暫くして、胸騒ぎが治まると呟く。
「今日は、城下町の見廻りの日だな…」
「町奉行に挨拶に行ってくる。朝餉までには帰ってくるから、皆に伝えといてくれ。」
そう言って、安長は鉢屋ヶ成の道場を後にした。
月山富田城の麓は天然の川である富田川と水堀が囲み、塩谷口、御子守口、菅谷口の主要な出入り口の虎口が設けられている。
城下町と城の境界や主要な出入ロには番所が置かれ、不審者や敵の侵入を監視していた。
安長は城下町奉行所で挨拶と午後からの城下見廻りの約束を済ませて帰ろうとすると、再び胸騒ぎが始まり、周りから囁き声が聞こえた。
「ざわ、ざわ、ざわ…」
「この囁き声は、人ではなく、周りの山々や木々、森、林、川、風、雲、空…」
安長は、静かに呟き、神々の囁きを感じた。
胸騒ぎが治まるまで、安長は月山麓の巌倉寺で休憩することにした。
巖倉寺は僧の行基によって創建された。睡虎山巌倉寺は、もとは山佐村の高気山岩倉平にあったが、高顕僧正が富田山麓に移した。歴代城主の祈願所と城の守りの役割も担っていた。
赤門から仁王門へ続く石段や石垣、鬱蒼とした樹木が趣ある古寺の風情を醸し出し、境内の南画は山水画で描かれ、入母屋造の本堂が佇んでいる。
本尊の木造聖観音像と脇侍の帝釈天立像は、国の重要文化財に指定され、子守社は鬼子母神を、太子堂では聖徳太子を祀っている。往時には末寺十五寺をもつ古刹であった。
境内の右手奥には、松江藩の祖である堀尾吉晴公の墓の五輪塔と山中鹿介の供養塔がある。
出雲観音霊場の第十八番札所、及び吉田観音寺の本尊移設による第十九番札所が同じ敷地に併設されている。
安長は、石段に腰を降ろし、胸騒ぎが治まるまで休憩する。その間も、神々の囁き声が聞こえていたが耳障りではなかった。
「ざわ、ざわ、ざわ…」
暫くして、一人の男が安長の前に現れる。囁き声で近づいて来た参拝者に安長は気付かなかった。
「おはようございます、気分が悪いんですか?」
男は石段に座っている安長が、どこか体調が悪いのかと思った。
「いや、大丈夫です。心配してくれて有り難う。」
男に答えると、胸騒ぎと囁き声が更に酷くなる。
「「「「 ざわ、ざわ、ざわ、ざわ…」」」」
安長は、顔を歪める。
「大丈夫ですか?」
再び、男は心配した。
「囁き声が聞こえるんだ…、神の…」
安長は呟く。
「それは、素晴らしい、あなたとは気が合いそうだ。」
男は満面の笑みを浮かべた。
そして微笑みながら安長に聞く。
「ウィスパー・オブ・ゴッド…、神の囁きですか?」
「うぃす…?ああ、神、沢山の囁き声が、聞こえる…」
「沢山?ノー、神は、沢山いない。神は一つ!」
「一つ?神々は多くいる、八百万の神々の囁きだ…」
「あなたとは、仲良くなれない…、気が合いそうだと思ったが、アム・ディスアポインティッド、残念だ…」
男は首を振りながら顔を曇らせ、両方の掌を脇の横で上にして、がっかりする。
安長は、異様なものを感じた。忍刀に手を掛けると、男は後ろに宙返りして安長から離れた。
妖術使い死来也
「富田の者では無いな、何者だ?」
安長は強い口調で男に言った。
「死来也で御座います。」
男は穏やかに答える。
「死来也…?ここで何してる?疑わしければ斬るっ!」
「世鬼一族の忍び、妖術使い死来也、御見知り置きを…」
死来也は笑みを見せた。
「忍び、潜入工作か…、ならば斬るっ!」
安長は忍刀を抜いた。
死来也はバルク書を手に持ちながら呟く。
「見た所、あなたの、その忍刀、鉢屋衆の忍びですね…、しかし、富田には簡単に侵入できた。尼子の守りは、どうなっているんですか?」
二人は向き合ったまま、時が止まったかの様に動かない。暫くすると、死来也はバルク書を開いた。
バルク書から死神Xが出現すると、Xは大内晴持の魂を降霊させた。
死来也は微笑みながら呟く。
「あなたには見えるでしょう、大内晴持様の霊が…、かつて月山富田城攻めで活躍された。尼子には、とても憎しみを持っておられる。」
安長は大内晴持の霊を見て怖じ気付いたが、気合いを入れ直して構えた。そこへ、大内晴持の霊が取り付いて安長を苦しめる。
「うう、胸が苦しい…」
安長は苦痛と同時に聞こえている囁き声が大きくなるのを感じた。
「「「「「 ざわ、ざわ、ざわ、ざわ…」」」」」
突然、突風が吹き、雨が降り始める。
「はははっ…」
死来也は苦しむ安長を見て嘲笑った。
激しく降っていた雨と風が止み、雲の切れ目から日が差し込んでくると雨水が蒸発し、所々で湯気が立ち始める。その湯気は集まり、次第に人の形になる。
人の形になった湯気を見て、死来也は驚く。
「なんだ、これは?」
安長は、咄嗟に呟く。
「須佐之男命…」
「スサノオ…?ホワッツ?」
死来也が考え込むと、次の瞬間、須佐之男命は死神Xを十束剣で一太刀の一撃で切り裂いた。
大内晴持の霊は消え去り、安長は苦しみから解放される。須佐之男命の形をした湯気は消え、騒がしい囁き声と胸騒ぎは無くなっていた。
「ばっ、馬鹿な…、Xが殺られるとは…」
死来也は悲しみ悶えた。
巖倉寺の境内の方から、住職が騒がしい石段の辺りを気にして、何事かと気になってやって来る。
石段に横たわる安長を見て、住職は声を掛けた。
「どうされた?鉢屋衆の安長では?大丈夫か?」
「はい、大丈夫です…、そこに曲者が…」
安長が指差すが、そこに死来也はいない。立ち上がろうと、安長は身体を動かそうとするが、既に体力を消耗していた。
「無理せず、ここで休みなさい。まだ、遠くに逃げてはいないだろう…」
住職は察して直ぐに城下町の番所に報告に向かった。
安長が一人石段に横たわっていると、猫がやって来る。巖倉寺に住み着いてる猫である。その猫は安長の顔を舐めた。
「有り難うよ、若无治郎、心配してくれて…」
若无治郎は安長に可愛がられて懐いていた。
「もう、大丈夫。そろそろ、朝餉の時間だ。」
安長は立ち上がり鉢屋ヶ成の道場に向けて歩き出す。
城下町の番所へ巖倉寺住職の報告を受け、富田領内で死来也の掃討が行われたが、その姿は、どこにも無かった。
道場に着いた安長は、若き見習いの忍びと一緒に、何事も無かった様に朝餉を楽しんだ。
鉢屋ヶ成は、紅葉で紅に染まっている。
秋晴れの下、林の奥から小鳥の囀りが零れていた。




