『断罪予定の悪役令嬢に転生したのに、婚約者が未来を知っていて全力で溺愛してきます』
『断罪予定の悪役令嬢に転生したのに、婚約者が未来を知っていて全力で溺愛してきます』
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、見慣れない天蓋付きのベッドと、金糸で刺繍されたカーテンだった。
ゆっくりと瞬きをするたびに、頭の奥で記憶が溶け合っていく。
柔らかな香油の匂い。遠くで鳴る鐘の音。床を歩く軽やかな足音。
そして――自分が「誰か」ではなく、「何か」に上書きされている感覚。
「……ここ、どこ?」
喉から漏れた声は、自分のものではないほど澄んでいた。
その瞬間、全てを思い出した。
徹夜でプレイしていた乙女ゲーム『ラスト・ロイヤル・ローズ』。
華やかな王宮を舞台にした恋愛シミュレーションで、ヒロインが王太子に愛され、悪役令嬢が断罪される典型的なルート。
そしてその悪役令嬢の名前は――
「アレクシア・フォン・ルーヴェルト……」
公爵令嬢。
容姿端麗、才色兼備。
しかし嫉妬と傲慢により、卒業パーティーで婚約破棄され、社交界から追放される“確定破滅キャラ”。
「嘘でしょ……よりによってそこ?」
思わず額を押さえる。
前世の記憶では、このルートはどうあがいても避けられない「固定イベント」だ。
王太子エドヴァルド・アシュフォードに公開断罪され、ヒロインの踏み台として終わる。
そしてその後のアレクシアは――事故死。
救いなし。
バッドエンド確定。
「いやいやいやいや、無理でしょ」
私はベッドの上で本気で頭を振った。
だが、混乱の中でも一つだけ確かなことがある。
“ここはゲームの世界で、自分は悪役令嬢に転生した”
ならばやることは一つだ。
「目立たず、関わらず、フラグを折って生き延びる」
完璧な回避計画。
婚約者である王太子にも深入りしない。
ヒロインにも近づかない。
社交界では空気になる。
これでいい。
これしかない。
そう決意した、その瞬間――
「アレクシア」
低く、よく響く声が部屋に落ちた。
心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには金の髪に蒼い瞳を持つ青年が立っていた。
王太子エドヴァルド・アシュフォード。
ゲームでは冷酷で完璧、感情の読めない攻略対象。
だが今目の前にいる彼は――どこか異様だった。
視線が、熱い。
まるでずっと探していたものを見つけたような目。
「……殿下?」
私がそう呼ぶと、彼は一瞬だけ目を細めた。
そして、静かに歩み寄ってくる。
距離が近い。
近すぎる。
「昨夜は眠れたか?」
「え?」
「悪夢は見なかったか、と聞いている」
まるで恋人に向けるような声音。
ゲームには存在しなかった会話。
「……いえ、普通に寝てましたけど」
そう答えた瞬間、彼は小さく息を吐いた。
安心したように。
そして――当然のように、私の手を取った。
「ならいい。未来では、君はよく悪夢にうなされていたからな」
「……未来?」
背筋が冷える。
彼の指が、私の手を包む温度だけが異様に現実的だった。
「君も覚えているだろう。卒業式の日のことを」
その言葉で、空気が凍る。
卒業式。
断罪イベント。
婚約破棄。
そして破滅。
「まさか……」
私が言葉を失うと、彼は静かに笑った。
その笑みは、優しすぎて逆に怖い。
「そうだ。私は“知っている”。この世界が一度終わった未来を」
――転生者。
いや、それ以上。
“未来の記憶を持つ王太子”。
私は思わず一歩後ずさった。
彼はそれを追うように、距離を詰める。
「君はあの時、何も言わずに消えた」
声が少しだけ低くなる。
「社交界から追放されたあと、事故死した」
「……っ」
「その瞬間、私は理解した。私は間違えていた、と」
彼の蒼い瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「君を“悪役”だと思っていたことが」
呼吸が詰まる。
ゲームでは描かれなかった真実。
悪役令嬢の内側。
努力も、誇りも、孤独も。
誰にも理解されないまま断罪される存在。
「だから今度は違う」
彼は強く言った。
「今度は、君を破滅させない」
「いや、ちょっと待ってください」
私は慌てて口を挟む。
「私、別に破滅回避とかいいので……できれば穏便に婚約解消して田舎で静かに――」
その瞬間だった。
空気が変わった。
彼の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「婚約解消?」
低い声。
甘いのに、逃げ場がない。
「それは許可していない」
「えっ」
「私は、君と結婚するためにやり直した」
即答。
迷いなし。
「え、いや、そういうルートじゃなくてですね……!」
必死に否定するが、彼はまったく聞いていない。
むしろ楽しそうですらある。
「安心しろ。君の破滅フラグは全て潰してある」
「潰したって何を――」
「ヒロイン候補の令嬢には全員、別の婚約を用意した」
「……は?」
「社交界での悪評は、すべて“彼女は聡明で慈悲深い”という評判に書き換えた」
「…………」
「王宮内の記録も修正済みだ」
「待ってください」
「卒業パーティーの断罪イベントも発生しないよう手配している」
「待ってくださいってば!」
私は叫んだ。
だが彼は静かに首を傾げるだけだった。
「何か問題があるか?」
ある。
ありすぎる。
私は悪役令嬢なのに。
断罪されるはずなのに。
物語が完全に別方向へ崩壊している。
――この人、全部先回りして潰してる。
しかも満面の笑みで。
◇
それからの日々は、もはや“原作”とは別物だった。
ヒロインが登場するはずの学園入学式。
その前日に、彼女は王都外の名門へ転校。
嫉妬イベント。
消滅。
貴族令嬢による陰口イベント。
翌日には「アレクシア様は慈愛の聖女」と噂が改変済み。
断罪フラグ。
発生前に粉砕。
「殿下、ちょっとやりすぎでは?」
「君の未来を守るためだ」
即答。
迷いなし。
しかもそのくせ――
二人きりになると、異常に距離が近い。
「アレクシア」
「はい」
「今日も美しいな」
「……そういうのはやめてください」
「なぜだ?」
「心臓に悪いので」
「それは困る」
まったく困っていない顔でそう言う。
この人は、政治的には完璧な王太子なのに、私への扱いだけバグっている。
◇
そして迎えた卒業パーティー。
本来なら断罪イベントが発生するはずの場所。
会場は華やかな光に包まれ、貴族たちの視線が一斉に中央へ向かう。
私は嫌な予感しかしなかった。
――来る。
絶対何か来る。
だが次の瞬間。
王太子エドヴァルドが壇上に上がった。
そして、静かに口を開く。
「本日をもって、アレクシア・フォン・ルーヴェルトとの婚約を――」
来た。
断罪だ。
終わった。
そう思った瞬間。
「王命により、正式に強化する」
「…………え?」
会場が静止した。
「彼女は未来の王妃である。異論は認めない」
断罪どころか――公開強化宣言。
ざわめきが爆発する。
私はただ立ち尽くすしかなかった。
そのまま彼は私に手を差し伸べる。
「アレクシア」
「……はい」
「今度こそ、共に未来を歩いてくれるか?」
選択肢など、もう存在しなかった。
「……はい」
その瞬間、歓声が上がる。
本来のゲームとは真逆の結末。
断罪エンドは消え、溺愛ルートだけが確定する。
◇
エピローグ
夜。
王宮の窓辺で、彼に抱きしめられながら私は小さく息を吐いた。
「結局、全部変えちゃいましたね」
「君を失う未来よりはいい」
即答。
相変わらず迷いがない。
私は少しだけ笑った。
「じゃあ、もし次に生まれ変わっても」
「その時は?」
「最初からちゃんと説明してください。こんな強制溺愛ルートじゃなくて」
彼は一瞬だけ黙り――
そして静かに笑った。
「約束しよう」
「今度は最初から、君だけを選ぶ」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
たぶんこれは、バッドエンドを知っている二人が選び直した、ただ一つのハッピーエンドだ。
世界はもう、元の物語には戻らない。
だがそれでもいいと、私は思ってしまった。
――この人となら。
破滅予定の悪役令嬢は、断罪される未来を捨てて、溺愛の現在を選んだ。
そして物語は、静かに終わる。
いや、終わりではない。
これはきっと――始まりだ。




