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僕が私になるまで  作者: 海丸ひとつ


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12/25

混濁

卒論発表が迫ると、僕は研究室に入り浸った。

何かを振り切るように研究に没頭し、時には食事を忘れ、寝る間を惜しんで論文を書いた。

鬼気迫る様子の僕を皆、遠巻きに見ていた。

田辺さんはそれでも声をかけてくれたし、飲みに誘ってくれたけど、僕は丁重に全て断った。

ナツキチも心配して、声を掛けてくれた。

「そんなに無茶してると体壊すぞ。」

そんな友の優しい気遣いすら、この時の僕には騒音に感じた。

「大丈夫だから。心配しないで。」

そう言ってニコリと笑うのが精一杯だった。


夜、静かな研究室にひとつぼんやりと明かりをつけ、キーボードの音を響かせる。

頭の中だけがやけにうるさくて、

「しずかにしてよ。」

僕は一人つぶやく。

(あと少しで完成する。)

今まで読んだたくさんの論文、教授の助言、僕のアイディア――その集大成がいま実を結ぼうとしている。


ふと、手洗いに行きたくなった。

立ち上がろうとして、よろめいた。

「危ないな。しっかりしないと。」

と、一人ぼやいた。


トイレの前で、頭の中が一層うるさくなった。

――僕は、どっちが正解なんだ。男か、女か。自分は何者なんだ。僕が論文を書くことで誰の役に立てるんだ。アルバイトも上手くいかないのに、この先就職して人の役に立てるのか?友も好きな人も、僕から遠ざかっていく。僕は無価値だ。僕は何のために生まれてきたんだ。何のために生きているんだ――


目眩がして屈み込む。

暗闇に揉まれて、目の前が青と赤の円錐に飲み込まれそうになった。

「カズ!!」

麻里奈の声がする。

意識が遠のく――

「カズ!!カズ!...」


気が付くと、ソファに横になっていた。急速に意識が戻る。足に毛布が掛けられていた。

(ここは――)

通称休憩室。ソファと長机が置かれ、簡単な炊事が出来る部屋だ。

コンロで湯を沸かす人の背中が目に入った。

「麻里奈?」

ビクッと振り向く彼女の目には涙が浮かんでいた。

「カズ!良かったあ」

そう言って麻里奈は泣き出した。

普段勝ち気な彼女の、そんな姿を初めて見て驚いた。

「ごめん、僕どうしたんだっけ?トイレに行こうとして――あ!」

言いながら気付いた。休憩室に備え付けの毛布――その下は何も履いていない。

どうやら失禁したらしい。

麻里奈は突然目の前で倒れた僕を介抱してくれたようだ。感謝でしかない。

「着替えもないし、どうしたらいいか分からなくて。ナツキチに電話したけど出なくて。私――」

そう言ってまた涙ぐむ彼女。

「ナツキチには知らせないで。」

僕は慌てて言った。

「ナツキチにどんな顔して会えばいいか、分からないんだ。」

目を伏せる僕をじっと見つめる麻里奈の目から、涙が止まった。

「何があったの?」

怖い顔をする彼女に、僕は弁解する。

「ナツキチが悪いんじゃないんだ。全部僕自身の問題なんだよ。でも奴には会いたくないんだ。今は。」

麻里奈は涙を拭うと、僕の正面に座り直した。

「何があったか教えて。」

それはもう、いつもの麻里奈だった。


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