第3話・中編 揺れる進路、揺れない心 ― 颯太 ―
翌日。
教室の窓から見える空は、やけに高く澄んでいた。
颯太は、机の隅で小さなノートを開いていた。
昨夜、もらった無地のノート。
何を書くのかも決めないまま、一行だけ書いて眠った。
《バスケ、嫌いじゃない》
その文字をなぞりながら、胸に引っかかる違和感を噛みしめる。
――嫌いじゃない。
でも、“好きだ”とも、言い切ってない。
授業中。
教師が言う。
「進路希望票、来週提出だからな」
クラスの空気が、わずかに張り詰めた。
周囲から聞こえる、小さな声。
「推薦どうする?」
「模試E判だった……」
進路という言葉が、教室中を支配していく。
颯太は、白紙のプリントを見つめていた。
書くべき未来が、見えない。
放課後、部室。
ボールの音が響く。
基礎練習の時間。
ドリブルをしながら、昨夜の料理人の言葉を思い出す。
――“準備期間”。
そんな言葉で、焦りは消えない。
「……」
シュートを放つ。
外れる。
リバウンドが、床に跳ね返る。
「最近、シュート率落ちてね?」
チームメイトが言った。
「……まぁ」
軽く返すが、内心は強く揺れた。
集中できていないのは、自分でもわかっている。
バスケをやめる理由探しをしている自分と、続けたい気持ちを否定しきれない自分が、コートの上で、ぶつかり合っていた。
練習後、一人残って、再びシュートを打つ。
ぼすっ――ネットが揺れた。
久しぶりに決まった一本。
胸が、少しだけ熱くなる。
――やっぱ、楽しいよな……。
帰り道、ノートを取り出す。
ベンチに腰掛け、書き足す。
《シュートが決まると、嬉しい》
《勝った試合の夜は、眠れなかった》
《負けた日は、めちゃくちゃ悔しい》
書いているうちに、次々と思い出が溢れてくる。
《初めてレギュラー取れた日のこと、ずっと覚えてる》
「……あ」
ふと、気づく。
迷い続けているくせに、バスケのことだけは、やたら詳しく書ける。
家に帰り、夕飯。
母親が言う。
「志望校、そろそろ決めなきゃね」
「……うん」
父親は、新聞を畳みながら言った。
「スポーツ推薦、来てる学校もあるって言ってたな」
「……」
推薦。
簡単な道。
と同時に――重たい選択。
「大学行って、何になるんだ?」
「分からない」
「……なら、無理に行かなくても――」
母が口を挟む。
「続けてきたことは、無駄じゃないでしょ。続きの場所として、大学って選択もあるよ」
母の声には、優しさと、期待が混ざっていた。
期待。
それが、怖い。
――応えられなかったら?
部屋に戻り、布団に寝転ぶ。
天井を見つめ、ノートを胸に抱える。
料理人の言葉が、再び響く。
――“続けるか、辞めるか、どちらも間違いじゃない”。
「……でも……」
つぶやく。
もし、続けて中途半端だったら?
結果が出なかったら?
努力して、何も得られなかったら?
それが、一番怖い。
――怖いのは、挑戦じゃなくて、“失敗を形にすること”なのか。
ノートに、迷いを書き出す。
《頑張っても、報われないかもしれない》
《やるなら、意味が欲しい》
書いた直後、ため息が漏れる。
「……意味は、結果だけじゃないって言ってたな」
料理人の声が、脳裏で重なる。
週末。
部室で、顧問が言った。
「来月、練習試合入れた。スカウトも来るらしい」
胸が、跳ねた。
「……マジすか」
「お前、出せるから、しっかり準備しろ」
声が、震える。
評価されるチャンス。
同時に、逃げたかった。
夜。
また、颯太は、あの路地に立っていた。
無意識に、足が向いていた。
――あの店、もう一度……。
だが。
路地に、灯りはなかった。
いつもの闇だけ。
「……来たいって思ったら、来れないのかよ……」
料理人の言葉を思い出す。
――“必要な時にしか、現れない”。
拳を、強く握る。
――今、必要なのは……背中を押されることじゃない。
“自分で、選ぶこと”なんだ。
ノートを取り出す。
大きく、一行、書く。
《一度、本気でやる》
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
怖い。でも、逃げ続けるよりマシだ。
何者にもなれなくてもいい。
“今、全力だった自分”だけは、残る。




