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第九話

以前は何処へ続くか知らずに辿り始めてしまったあの真新しい国道に出る頃、

ついに空から水滴が落ち始めた。

最初は一粒、二粒フロントグラスに当たる程度だったそれは

瞬く間に数メートル先の視界すら煙るほどの雨足にかわる。

片は慎重に運転していく。こんな所で事故に遭う事だけはごめんだった。

以前片が慌てて引き返した標識を通り過ぎ、

しばらく走ると道は山の中に入った。

道そのものは相変わらず立派だったが、

削り取ったらしい崖の方は土の上に盛られた

コンクリートが所々大きくひび割れ、

その隙間から水がちょろちょろと流れ落ち

素人目にもずさんな工事である事が判る。

なんどか急なヘアピンカーブをひやひやしながら曲がった時、

うっそうと生い茂る木に閉ざされていた視界が急に開けた。

「……」

路肩に車を止め、片は強くなり始めた雨の中、

濡れるのも構わず道路におり立って

その先に広がる仙沢村を見つめる。

目に写る村の風景は十六年前の記憶の中のそれと全く変わっていなかった。

田舎の景色は都会のそれと変化する速度が違うのだと頭では判っていても、

一年どころか一カ月単位で建物が様変わりしていく東京や、地方都市とはいえ

活気あふれる若槻市の光景を見慣れていた片には、

悪夢が現実になったような空恐ろしさすら感じる。

一つ頭を振ってその感情をむりやり弾き飛ばすと、

片は再び車のハンドルを握った。

慎重な運転のせいで山田との約束の時間を少し過ぎている。

村に入るとさすがに過ぎ去った時の流れを感じる事が出来た。

狭い棚田の間に点在する民家はどれも

記憶の中にあるそれより大分古びている。

いや、古びている、というより寧ろ……。

心に抱いた感覚を上手く言葉にいいかえられずモヤモヤとしているうちに、

片は山田が来てくれと指定した公民館についた。

ここに来るまで誰ひとり住民とすれ違わなかったほど寂れた村なのに

片が唯一見覚えのない、鉄筋コンクリート造りの

やけに立派な三階建ての建物だ。

すっぽりととんがり帽子のようにかぶせられた

オレンジ色のメルヘンチックな屋根の

せいかもしれないが、周囲の景色からも妙に浮き上がって見える。

記憶の中にあった木造の古びた建物の方が良かったなという気持ちと

以前の住居でもあった診療所を見なくて

良かったという気持ちを半分づつ抱えて

車から降りる。人が死んだ診療所など縁起でもないと思われ、

取り壊されたのか雨に煙る村内にいくら目を凝らしても、

あの診療所は影も形も見当たらなかった。

「やあ、よく来たな。丈一郎君」

公民館の玄関で、山田はこの間よりも一層愛想よく片を迎えた。

これが普段着なのか、仕事帰りにそのままなのかは

判らないが灰色のツナギ姿だ。

「遅かったんだな、皆待ちかねていたんだぞ。こっちだ、こっち」

片は挨拶する暇さえなく、

二階の「集会室」とプレートがかけられた部屋に通された。

五十人はゆうに入れそうなカーペットしきの大部屋の隅に固まっていた

十五人程の人々が一斉に片を見つめる。

殆どが六十をとうに越したような年寄りで、その中に二、三人

山田より少し年上に見える若い顔が混じっていた。

「これが猿渡先生の支持者の皆さんだ」

胸を張って紹介した山田に、片は今日の集まりは欠席者が多いのかと尋ねる。

「とんでもない、欠席者は寝たきりの

うちの祖父さんだけだ。せっかく丈一郎君が

来てくれたからみんな張り切ってあつまったんだぜ。

これでも村の人口の四分の一なんだぜ」

部屋が大きいせいでかえってわびしく見える小集団を改めて見まわして、

片はそっと溜息をついた。

これで村人の四分の一なら、総人口は100人をきっている計算だ。

自分が村に住んでいた時は二〇〇人近い人達がいたと記憶しているから、

一六年の間に人が半減したということになる。

「若い人も大分少ないみたいだな」

「ああ。薄情な連中はみな都会にでていったよ。

あんなゴミゴミした場所の何処がいいんだ

今一番若いのが、近藤のとこの孫娘二人かな。

一七才で若槻市の高校に通っている」

……限界集落じゃないか……

片は胸中で呟く。この村はもう「村」としての寿命が尽きかけているのだ。

と同時に、先ほど心に抱いていた感覚を現す言葉がふいに浮かんだ。

「朽ちかけている」のだ。もう治療手段がない末期がん患者がただ

ベッドに横たわり静かに最後の時をまっているように。

そう思うと、「立ち退き料」という

新たな生活を始めるための軍資金を残った村人たちに

渡してやろうとしている見た事もない「

近藤」という人物のほうが急にまともに思えてきた。

集まった人々は無遠慮に片の全身を眺めまわしている。

その珍し生き物でも観察するかの様子に

片はかつての村での日々を思い出して体が自然とこわばった。

「おい、みんな前に話していた片丈一郎先生、覚えているだろう。

近藤達に自殺に追い込まれた

片敬一郎先生の息子さんで、以前村の小学校に通っていた」

山田の説明にようやく人々は無遠慮な視線を外し、

代わりに納得したようにお互い顔を見合わせて

頷きあう。

「ああ、あの三流医師の」

「ずいぶん立派になって。やっぱりお医者になったんですか」

三流医師、という言葉に片は唇をかみしめた。

死後十年以上たって尚ここの人々は

父をそう呼ぶのか。だが悔しく、いきおどろしい気持は

別の老いた村人が発した一言に吹き飛んだ。

「それで先生、何時から村に来て下さるんかね」

「おい山田!!」

片の怒鳴り声に、元クラスメートは取り繕うような嫌らしく歪んだ笑みを浮かべた。

「お前、この連中にどんな風に今回の事を説明したんだ」

「丈一郎君の言った通りだよ」

へらへらと笑いながら山田は言った。

「俺達は片敬一郎先生の名誉を猿渡先生といっしょに回復してやる。

もう誰にも三流医師なんて

呼ばせやしないさ。でもな、その為にはまず選挙に勝って

先生には村長になってもらわなきゃいけない。

その為には先生が村人に公約した村に常在する医師が必要なんだ。

丈一郎君はまさか自分が何もしなくてもいい、なんて思っちゃいないよな。

人から何かしてもらったらお礼をする

それが最低限の礼儀ってもんだろう」

「お前って奴は……」

震える声でやっと片はそれだけを言った。

山田はさらにべらべらと喋り続ける。

「俺もあれから色々調べたんだよ、

テレビでしょっちゅうCM流している片美容整形外科の院長って

丈一郎君のお母さんだったんだな。

あの家に閉じこもりっぱなしだった陰気な小母さんがと

知った時は驚いたよ。この際だ、

君から頼んであのぼろい診療所を建て替えてもらってよ。

医者が首をくくった診療所なんて縁起悪いし、

息子の為だ喜んで資金は出すだろう」

と太い指が差した方を見つめて、片は息を飲んだ。

公民館の入り口と反対側の方向につけられた窓の外には、

あの古びた診療所がひっそりとたっていた。

無人になって長いらしく大分荒れ果てているものの、

何もかもが当時のまま。そう、わずかにみえる

父が首をつった部屋のカーテンまで。

「なあ、丈一郎君、悪い話じゃないだろう。

お父さんの名誉は回復できるし、村は新しい診療所ができる。

若槻市よりこの村の方がのんびりしていて絶対暮らしやすい。

都会に出ていった連中も医師が来たと判れば

帰ってくるかもしれない。全ては丸く収まって村は栄える。万歳だ」

本気で言っているのか、こいつは。と片は思った。

怒りはすでに限界を超え、それが帰って奇妙な冷静さを彼にもたらしている。

父が死んだ時のままの診療所を見たせいもあるかもしれない。

周りの人々も、山田を諌めるどころか感心したように

彼の言葉に頷いている有り様だ。

ふいに片はここにいる人々全員に恐怖に似た感情を抱いた。

この連中は村にしがみつくことしか考えていない。

その為ならきっとなんでもする。

そしていっぺんの罪悪感も抱く事はないのだろう。

だまし討ちのように自分を村に連れてきて、何度も無理だと

説明したのに、いけしゃあしゃあと村の医師になれと要求する。

まるで井戸の底の中に住むカエルだ。

どんなに水が濁ってもたとえ井戸が泥で埋まりそうであっても

ここが理想郷だと信じ込み、外の世界に決して目を向けようとしない。

そう考えると急に全てが空しくなった。こ

んな連中を少しでも信じた自分が馬鹿だった。

「帰る」

急に鉛のように重くなった体を片は翻した。

「お、おい帰るってなんで。お父さんの名誉を回復したいんじゃないのか」

「君達には無理だよ、やってもらおうとももう思わない」

そう、容易に想像はつく。片がたとえこの村にいついたとしても

今度は猿渡の一族とやらが特別扱いを要求し

片は父と同じ三流医師のレッテルをはられるだろう。

彼はよそから来たのだから、村のヒエラルキーでは

最下層に位置しなければならない。それがこの村にしがみつく人々の理屈だ。

「お前がここに来てくれなきゃ、村はダムの底に沈むんだぞ!!」

背中にぶつけられた山田の叫びに片はほの暗い笑みを浮かべた。

「村が抱えている問題を、全て俺に押し付けるなよ」

その笑顔のまま振り返れば、真っ赤な顔をした山田が一瞬ひるむ。

「たとえ俺が人身御供でここにきても、この村は寿命だ。次世代が育っていないから

時期に滅ぶ。近藤さんとやらは良い選択をしたんじゃないかな」

「近藤の肩をもつなんて、この裏切り者が!!」

的外れも甚だしい罵倒に、

片はもう答える気もせずに村人たちに再び背を向けた。

もう、どれだけ言葉をかさねても無駄だ。

『見捨てるのか、俺たちを見捨てるのか。

医者ってのはそんなに薄情なのか。おい、

答えろ。丈一郎」

背中にさらにぶつけられる罵倒。

「ああそうだ」

振り返らずに片は答える。

「俺は父親とは違う」

返答が聞こえるより早く、片は後ろ手に集会室の扉を乱暴に閉めた。


続く


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