第八話
片丈一郎の父、敬一郎は「書く」事を趣味の一つとしていたようだった。
そうすることで自分の思考を明確化し、
言う事の出来ないストレスを発散していたのかもしれない。
十年用の日記帳には、父が命を絶つその日まで
ほぼ毎日の日付の下に几帳面な字でびっしりと
今日あった出来事や、それに対して思った事が綴られていた。
無論仙沢村に赴任する事になった経緯や、村での日々も。
東京の医大で内科の助教授をしていた敬一郎は、
主に末期がんを診ているうちに
1970年代からカナダで提唱された「緩和ケア」に関心を抱くようになったらしい。
その関心はやがて「緩和ケア病棟」設立への夢にと変化した。
だが、1980年代初めの日本の医療界は「延命の為の治療」が第一で、
敬一郎の唱える「緩和ケア」に耳を貸すものはいなかったようだ。
彼の提案は受け入れられる事はなく
緩和ケア病棟設立の夢は、夢のままで終わった。
敬一郎が所属する医局に仙沢村へ医師派遣の話が舞い込んできたのはそんな時。
本来ならある程度経験を積んだ平の医局員が行くような件を、
彼は自分が行くと申し出て周囲を驚かせた。
「私は、多方向に目を向けるべき医療の世界で、
たった一つの方向しか見ようとしない大学病院に失望していた」
仙沢村に赴任する事を決めた日の日記に、敬一郎はこう記している。
「父は生まれも育ちも東京で、田舎に過剰な憧憬を抱いていたんだろうな」
山田から返された日記帳のページをぱらぱらと弄ぶようにめくりながら、
片は皮肉げに呟く。対面の山田は、重苦しい表情のまま押し黙っていた。
「父は多分夢見てたんだろう」
山間の小さな村の診療所で素朴な村人たちから「お医者様」と慕われながら、
「緩和ケア」の実践を試みる事を。
実際、日記には数ページにわたってその草案が書かれていて、
そして仙沢村はその当時から高齢化が進み始めていた。
「妻は最初は反対していたが、
結局は勤めていた病院を辞めてついて来てくれる事になった。
晶子は受験の為に自分で東京に残る事を選択した。
あの子も15歳、意見を尊重したい」
と日記に記しているように皮膚科医だった母と、小学生だった自分を連れて父は
東京から新幹線で1時間半かかる若槻市から、
さらに自動車で半日の距離の山間にある仙沢村に移り住んだ。
「だけど現実はそう甘くなかったってことだよ」
山田ではなく、遠くを見つめながら言った片の表情も苦いモノに変わる。
東京から来た医師一家を待ち受けていたのは、
牧歌的で素朴な人々が暮らす山村ではなく、
排他的で独自の風習や価値観が色濃く残り、
どこでも人の目と耳が網の目のように張り巡らされている、
「村社会」だった。
敬一郎がまず手を焼いたのは「自分達が医師を東京から連れてきた」と
思い込んでいる村長一族の無茶な要求だった。
不要なビタミン剤の処方や点滴、特別扱いを実感したいがためだけの
時間外往診、不必要な往診。
助教授として大学病院では敬意を表される立場だった敬一郎は
戸惑いつつも、誠意を持って何度も患者は平等であり特別扱いできないと説明し、
その度に「三流医師の癖に、我々に逆らうのか」と罵倒された。
「三流医師」という蔑称はいつのまにか
敬一郎の呼び名として定着してしまった。
村の貧弱な治療設備では、必然的に確定診断ができる病気が限られてくる。
若槻市の病院へ紹介状を書く度に、患者の口からは感謝ではなく
「三流医師だから碌に病気の診断も出来ない」
という言葉が吐かれた。
『厳しい山間で生き抜くために村全体が家族のようになってしまっているここに、
東京から来た私が受け入れてもらえるのは難しい。
しかし、誠意を尽くせば必ず分かってくれるはずだ』
その頃の日記には、敬一郎が自らを励ます言葉で埋め尽くされていた。
そして、村人たちの仕打ちに苦しんでいたのは彼だけではなかった。
母は最初は医師として父と共に診療にあたっていたが、老人達に
「女先生の診察では信用できん」
と言われたのをきっかけに、二度と診療所に出てこなくなり、
家に閉じこもるようになった。
社交好きの母にとっては辛かったと思うが、
村の婦人達に一挙手一投足を監視され、
噂を流されるよりましだと思っていたのだろう。
「俺も、色々やられたな」
片の呟きに、山田が気まりわるげな表情になった。
「東京から来た医者先生の息子」として片は大人達からは大事にされたが、
それがかえって子供達の嫉妬をかき立てる結果になったようだ。
「いやあ、丈一郎君が虫嫌いだったから。ちょっとからかっただけだよ」
もごもごと口の中で言い訳をする山田に、片は冷笑で答える。
ちょっと、か。真冬に火の気のない体育館倉庫に閉じ込めたり、
中身の詰まったランドセルを沼の中に放り込んだりしたことも、
やった方から見ればちょっと、の事なのだろう。
無論、虫を手渡されたり、服にこすりつけられた事は数え切れないほどだ。
何度泣いて家に帰り、母親に無言で抱きしめられた事か。
きっと母も悔しかったのだろう。だが、
抗議すればそれは何倍にもなってしかも複数から返ってくる。
黙って耐えるよる他はなかった。
敬一郎も、妻と子の受けた仕打ちを知らないわけではなかったらしい。
日記に何度もすまない、もう少し我慢してくれと記しながら、彼は
真夜中でも要請があれば往診に行き、
死にゆく患者には、臨終の瞬間まで側に付き添った。
そんな献身的な医師に感謝の声も無論あっただろう。
だが、悪評の方がより大きく聞こえ、
いつまでも残りつづける。それが世の中というものだ。
どれほど敬一郎が村人の為に尽くしても、「三流医師」という評価は変わらなかった。
昼食の為に僅かな時間、買いものに出ただけで
「患者を待たせて買いものか」
と嫌味を言われ、次の日診療所に来た患者達に「怠け者」とののしられた。
日記には、村人たちから受けた仕打ちが詳細に綴られつつも、文章の最後には必ず
「いつかきっと判ってくれる」という言葉が空しく書かれていた。
そして、村に来て1年半後、敬一郎の日記は激変した。
几帳面な文字はミミズののたくったような乱れたそれに代わり、文章の代わりに
「疲れた」「しんどい」「東京に帰りたい」「人の目が怖い」
という単語ばかりが並ぶようになった。
派遣の契約は三年。まだ半分しか過ぎていなかった。
それでも敬一郎は精神と肉体、両方をぎりぎりまで追い込まれながら
それでも診療を続けたのだろう。
だが、「夜訪れる患者さんの為に、自費でつけた電灯を、割られた」
「税金で、無駄遣いするなと書かれたビラが、貼られた」
この二文が彼が綴った最後の日記。
その後ろのページに書かれているのは
「私の死が、多くの医師とそれを必要としてくれる人達に何かを考えさせ、
気付かせてくれる事が最後の願いだ」
という、遺書。
以前のように美しく整った文字が、彼の死へのゆるぎない決意のようで
かえって痛々しかった。
そして敬一郎は村に来て以来もっとも長い時間を過ごした診療室で、
首をつりそれを学校から帰った彼の息子が発見した。
「……知らなかったよ」
「そりゃあ、君は子供だったからな」
ため息と共に呟いた山田に、片は皮肉げに答える。
「近藤のやろう、陰湿なやり口は昔っからだな」
「その、さっきから君がいっている近藤って誰なんだ」
片の問いに、山田はああ、と居住まいを正し声を低くした。
「村長を何回か務めたくらいで村を牛耳った気になっている
鼻もちならない野郎たちさ大体な……」
と語りだした山田の話を要約すると、
仙沢村は昔から「近藤」と「猿渡」という有識の家が二つあり
村の実権を握ろうと争ってきた。狭い村の事、残りの家は自然とどちらかの家に
組みする事になり、それは戦後任期制の「村長」の座を狙った激しい選挙合戦に
変化した。そして、選挙の結果によって村内での人の力関係はがらりと変わり、
また、それが皮肉にも村を衰退させる原因の一つになった、ようだ。
「自分達に逆らう者は手段を選ばず追い詰めて叩き潰す、それが近藤の
やり口だ。自分の要請で村に来たはずの片先生が、特別扱いしてくれなかったので
激高したんだろう。今度だって俺達が支持する猿渡先生がせっかく若槻市までの
立派な道路をこしらえて下さったのに、それが気にいらないからと言って
村そのものをダムの底に沈めようとしている」
「そうか」
つばを飛ばしながら喋る山田に、片は無表情に頷いた。
今更父親を死に追いやった原因を、小さな村の勢力争いに絡められて
説明されてもなんの感慨もわかなかった。だが、
「丈一郎君、やっぱり仙沢村にきてもらえんだろうか」
「何度も言っているだろう、医者は……」
「いや、片先生の、お父さんの名誉回復の為に」
そう言われて片は黙り込んだ。
父親の自殺は村では「不浄で不快な出来事」として扱われ
葬儀は東京からやってきた姉だけが加わった母子三人の寂しすぎるものだった。
「三流医師の癖に、最後まで村に迷惑かけて」
それが二年間村人の為に尽くし、そして母親の胸にすっぽりと抱く事ができるほど
小さくなって村を去っていく父にかけられた最後の言葉だった。
東京に戻った後、母は猛然と働き始めた。
それは、父を失った悲しみを忘れ去ろうとしているようでもあり、
「女である」というだけで自分の診療を拒んだ仙沢村の人々への
当てつけ、のようにも見えた。
都心の雑居ビルの一室でひっそりと開業した「片皮膚科」はやがて協力者を得て
「片美容整形外科」となり、十年で都心に自社ビルを建てるまでに成長した。
が、その一方で父の話は家の中ではほぼタブーとなり、たとえ命日であっても
各々がひっそり墓参りに行くだけになっていた。
父の名誉回復、山田に言われて始めて片はそれを望んでいる自分に気づいた。
黙りこんだ片を脈ありと見たのか、山田はさらに続ける。
「実は今村は村長選の最中なんだ。
丈一郎君がお父さんの日記を持ってきてくれれば
近藤陣営に強烈なダメージを与えられる。
なにせ、自分達が要請して、そして派遣された
医師を自分達が自殺に追い込んだんだから」
相変わらず黙りこくっている片に、山田は来るんだろう、いつ来てくれる?
早い方がいいな、と畳みかける。
「来週の、日曜日なら」
長い沈黙の後、ようやく呟くように答えた片に、山田は満面な笑みを向けて
よかった、まっている、ありがとう。と一しきり礼を言った後
もう一か所寄らなければ行けない場所がある、と机上に皺くちゃの一万円札を置くと
慌ただしく店を出ていった。
そして、それが店の空調に吹き飛ばされ店員が慌てて拾い上げてもまだ、
片は日記に片手を置いたまま宙空を見つめ続けていた。
※
「ただ今所用で電話に出られません御用の方は……」
耳に流れ込んでくる無機質な声に片は苦笑して携帯電話を切った。
山田と会ってから1週間が過ぎた日曜日、約束の日。いまさら何を迷っている。
全ては自分で決めた事じゃないか。
それでも、数分待って片はもう一度携帯電話を耳に当てる。
流れてきた先ほどと同じような無機質な声の後に
「ああ、姉さん俺だけど、今日仙沢村にいってくる。
上手くすれば父さんの名誉を回復できるかもしれないから」
とだけ告げた。
駐車場に止めてある愛車のランドクルーザーに乗り込み、エンジンをかける。
これほど重い気持ちでこの車に乗るのは初めてだな、
と気付いてまた苦笑が浮かんだ。
おりしも梅雨の最後の長雨の時季で、
雨こそ降っていないものの空には厚い黒雲がたちこめている。
その空の下、片は車を走らせる。
十二の年に追い出されるように出てきて以来、
二度といくものかと誓ったはずの仙沢村へ。
続く