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087. 万縫箱の修繕

3月28日1回目の投稿です

 バルド先生はループタイを大切そうに撫でながら、満足げにひとつ頷く。そして、ふっと表情を引き締めると、椅子から立ち上がった。


「……さて、ではそろそろ授業を始めるか!」


 その声が響いた瞬間——


 先ほどまでの朗らかな雰囲気が一変し、バルド先生の顔が「師匠」のものへと切り替わる。厳格で、職人としての威厳を備えた表情。その眼差しには、ただの修理作業ではなく、「技術を継承する者」としての真剣さが宿っていた。


  ツムギはその変化に一瞬背筋を伸ばし、すぐに気を引き締める。

 素早くノートとペンを取り出し、作業台の端に広げた。師匠の言葉を一つも逃さないように——メモを取る準備は万全だ。


「今日は、前回修理を見送った万縫箱を修繕する。前にも言ったが、これはただの裁縫箱ではない。自動制御の魔導機構を持ち、持ち主の魔力に応じて動作を変える特注品だ」


 バルド先生は作業台の上に、重厚な万縫箱をそっと置いた。


「ふむ……まずは、お前が覚えている修理の方針を言ってみろ」


 ツムギは即座に、前回の授業で学んだ内容をメモを見ながら、きちんと整理して答える。


「万縫箱は魔力制御機構の調整が最優先です。外側の修理をしても、制御機構が正常に機能しなければ意味がないので、まずは内部の魔力の流れを確認し、制御系の修正を行います!」


「……うむ、よく覚えているな」


 バルド先生は満足げに頷く。


「ぽぺ!(ツムギ、ばっちり!)」


 ぽても誇らしげにツムギの肩の上で弾んでいる。


「では、実際にやってみるぞ。まずは蓋を開けろ」


 ツムギは慎重に万縫箱の蓋を開く。


 ——カチリ。


 中には、魔導裁縫箱とは比べものにならないほど精巧な魔導機構が詰まっていた。細かな歯車、魔導回路、そして中心部には魔力を蓄える小さな結晶体が埋め込まれている。しかし、その表面にはくすんだ痕があり、長年の使用で劣化していることが見て取れた。


「……やっぱり、魔力制御機構が傷んでいますね」


「そうだ。ここを慎重に調整せねばならん。魔導具の中でも、こういう自動制御機構を持つものは、全体のバランスが重要だ。ひとつの歯車が狂えば、全体が動かなくなる」


 バルドはツムギの横に立ち、指で魔力の流れをなぞるように示す。


「まずは、この魔力伝導路を確認するんだ。どこで詰まり、どこで乱れているか——それを見極めるのが第一歩だ」


「はい!」


 ツムギは目を輝かせながら、慎重に魔力の流れを調べ始めた。


 万縫箱の表面にそっと手をかざし、ゆっくりと魔力を送り込む。すると、箱の内部から微かな抵抗が返ってきた。まるで古い機械が錆びついた歯車を動かそうとしているかのような、ぎこちない感触。


「……やっぱり、魔力制御機構がうまく働いていないみたいです」


 ツムギはその感触を確かめながら、手元のノートに素早くメモを取り始めた。魔力を流すごとにどこに引っかかるのか、どの部分が正常に動いているのかを、一つずつ確認していく。


「ふむ、いい判断だ。細かく記録して、異常がある部分を特定するのが第一歩だな」


 バルドは腕を組みながらツムギの作業を見守り、適宜指示を出す。ぽても「ぽぺ!(ここ みて!)」と興味津々に万縫箱の表面をつつき、ツムギと一緒に観察している。


「バルド先生、ここの魔力の流れが特に鈍いです。おそらく、魔力制御機構のコアが劣化してるのかも……」


「よし、では次に分解して、内部の状態を確かめるぞ」


 バルドが工具を手に取り、作業台の上に万縫箱を置いた。ツムギはごくりと息を飲み、気を引き締めながら工具を構えた。


「いよいよ、本格的な修理ですね!」


  期待と緊張が入り混じる中、ツムギは慎重に万縫箱の蓋に手をかけた。錆びついた金属がわずかに軋む音を立て、ゆっくりと開いていく。


「……!」


 内部には精密な魔導機構が張り巡らされていた。細やかな魔力制御のための回路が幾重にも重なり、その中心には、制御の要となる魔導結晶がはめ込まれている。だが、その結晶は本来の輝きを失い、くすんだ色をしていた。


「やっぱり……魔石が劣化してる」


 ツムギは慎重に工具を使い、魔石の周囲を覆う枠を外しながら状態を確認する。ぽてもツムギの肩から覗き込み、「ぽぺ……!(ひかりが うすい……)」と小さく呟く。


 バルドも万縫箱の内部を覗き込みながら、顎に手を当てた。


「ふむ……長年使われてきたことで、魔力の蓄積と放出のバランスが崩れ、制御機構全体がうまく機能しなくなっているようだな」


 ツムギはノートを広げ、劣化の進行具合を確認しながら記録していく。


「先生、この魔石は……交換ですか?」


「交換するのが一番手っ取り早いが、それでは修繕の意義が薄れる。お前ならどうする?」


 ツムギはしばらく考え込んだ後、ふとある可能性に気づく。


「……結晶自体が壊れているわけじゃないなら、魔力の流れを整えれば、まだ使えるかもしれません!」


「ふむ、その通りだ。ではどうやって整える?」


 バルドが鋭い目で問いかける。ツムギはすぐにノートをめくりながら、これまで学んできた修繕の知識を思い返した。


「まず、魔導石の魔力の通り道を掃除して、詰まりを取り除きます。それから、魔石に魔力を補充し、魔力制御機構の歯車や回路も確認して、必要なら調整を……」


「うむ、良い判断だ」


 バルドは満足げに頷き、工具を手に取る。


「ならば、さっそく始めるぞ。お前が主導でやってみろ」


「はい!」


 ツムギは気を引き締め、慎重に万縫箱の修繕に取り掛かった。


 ツムギは慎重に魔石の表面をなぞり、魔力の流れを探った。詰まりを取り除く作業は順調に進み、制御機構の歯車や回路も問題なく調整できた。しかし——

 魔石に魔力を補充しようとするたびに、うまく流れ込まず、表面ではじかれてしまう。


「バルド先生……魔力が全然入っていかないです」


 ツムギは眉をひそめながら、もう一度試みる。魔石に手をかざし、ゆっくりと魔力を送り込もうとするが、どうしても一定以上は浸透していかない。


「ふむ、なるほどな。お前の魔力の流し方が、まだ魔石に適したものになっていない」


 バルドはツムギの様子を見ながら頷き、手を差し出した。


「少し見本を見せる。よく見ていろ」


  そう言うと、バルドは魔石の表面にそっと指を添え、ごくわずかに魔力を流し込んだ。ツムギが送り込んだときとは違い、魔石の表面に波紋のような揺らぎが広がり、穏やかに魔力が染み込んでいく。


(すごい……)


 劣化した魔石は本来交換されるもの。ツムギは、これほど自然に魔力を馴染ませ、再び使えるようにする技術を持つ魔導具師を、今まで見たことがなかった。そんな貴重な技術を目の前で見せてもらえることに、胸が高鳴る。


「コツは、魔石の持つ性質をよく理解することだ。こいつは長年の使用で蓄積された魔力が偏り、いわば固まった状態になっている。そこにいきなり外部の魔力を入れようとしても、弾かれて当然だ」


 バルドは手を離し、ツムギを見つめる。


「まずは、お前の魔力を『馴染ませる』ことから始めろ。力を入れすぎず、ごく微細に、魔石の奥深くに届くような感覚で魔力を流し込んでみろ」


 ツムギはバルドの教えをまずノートに書き、頭の中で反芻しながら、再び魔石に手をかざした。ゆっくりと、焦らずに——。


 今度は、魔力を一気に押し込むのではなく、魔石の持つ魔力に寄り添うように、少しずつ同調させるよう意識する。


 すると——


「……あっ!」


 魔石の表面が、微かに淡く光を帯びた。ツムギの魔力が、魔石の中へと浸透し始めたのだ。


「そうだ。その感覚を忘れるな」


 バルドが満足げに頷く。


 ツムギはそのまま慎重に魔力を流し続け、魔石全体に均等に行き渡るように整えていく。しばらくすると、くすんでいた魔石が少しずつ輝きを取り戻していった。


「……できました!」


 ツムギはそっと手を離し、目の前の魔石を見つめた。まさか自分がこの技術を習得できるとは思わなかった。驚きと喜びが入り混じり、胸が高鳴る。


「ふむ、前回よりずいぶん魔力の制御が上達しているようだな」


 バルドは腕を組みながらツムギを見つめ、ふっと口角を上げる。


「渡した魔法陣練習帳で、ちゃんと練習しているみたいだな」


「もちろんです! 毎晩寝る前にやるようにしてますから!」


 ツムギは胸を張って答えた。


「ぽぺ!(つむぎ えらい!)」


 ぽても嬉しそうに弾んでツムギの肩に乗る。


「いい心がけだ。その積み重ねが、職人としての力になる」


 バルドは満足げに頷きながら、修繕の進み具合を確認した。


「よし、これで魔石の調整は完了だ。次は、制御機構と魔力の流れの最終調整に入るぞ」


 バルドの言葉に、ツムギは頷きながら工具を手に取る。


 魔石を慎重に元の位置に戻し、魔力制御機構の細かな歯車や接続部分を確認していく。調整が終わるごとに軽く魔力を流し、正常に作動するかを一つずつ確かめる。


「ぽぺ……!(ちゃんと うごいてる!)」


 ぽても興味津々にツムギの肩から覗き込みながら、小さく揺れる。


 万縫箱の内部の機構を慎重に組み直し、最終的な固定作業を終えると、ツムギはそっと蓋を閉じた。


「これで、修繕は完了です!」


 バルドは満足そうに頷くと、万縫箱の表面に手をかざし、ゆっくりと魔力を流し込んだ。


 かすかに振動しながら、箱の内部で魔力が循環し始める。しばらくして、蓋がカチリと小さく音を立て、自動で開いた。


 すると、中から小さな金属製の針と糸が浮かび上がり、ゆっくりと作動を始める。


「ちゃんと動いてる……!」


 ツムギの目が輝く。


 バルドは満足げに腕を組み、万縫箱の動作を確認しながら、静かに頷いた。


「うむ、完璧だ。これで本来の機能を取り戻したな」


「やったぁ!」


 ツムギは思わずぽてと顔を見合わせ、にこっと笑う。


「ぽぺぺ!(つむぎ すごい!)」


 ぽてが嬉しそうに跳ねるのを見て、バルドは微かに微笑んだ。


「よくやった、ツムギ。修繕の手順、判断、どれも見事だった」


「ありがとうございます! バルド先生のおかげです!」


 ツムギは嬉しそうに頭を下げた。


「ふむ……そんなことないぞ、お前の努力が一番の要因だ」


 バルドはそう言いながら、静かに万縫箱を撫でた。


「これで、また誰かの役に立つ日が来るだろう」


 ツムギはその言葉を聞きながら、万縫箱を見つめる。


 大切に使われてきた道具が、もう一度活躍できるようになった。そのことが、何よりも嬉しかった。


「よし、これで今日の修繕は終了だ」


 バルドが静かに言い、ツムギはほっと息をつく。


 工房に満ちていた集中の空気が、少しだけ緩んだように感じられた。

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。

明日は夜(22時〜23時)に更新予定です。

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