004. ふかふか素材の実験室 01
次の日、ツムギは作業台の上にポシェットをそっと置いた。
ハルの“宝物”を守るための、ふかふかポケットをつくること――
それが今日のミッションだ。
「……ふかふかで、でも大事なものをちゃんと守れる生地かぁ」
ツムギは悩んでいた。
ふわふわしてるだけじゃ足りない。
硬すぎたら、やわらかい羽や花びらは守れない。
独り言をつぶやきながら、ツムギは考え込む。
ふわふわしてるだけじゃダメだし、逆に硬すぎると柔らかいものが傷ついてしまう。
「……お父さんなら、何か知ってるかも?」
ツムギは工房の奥を覗き込んだ。
ジンは作業台の前で木材を削っており、細かい木屑が静かに舞っている。
「お父さん、ちょっと相談があるんだけど……」
ジンは手を止め、振り返る。
「おう、どうした?」
ツムギはノートを抱えながら、説明を始めた。
「ハルくんのポシェットに、壊れやすいものを守るポケットを作りたくて……できるだけふわふわで、でも衝撃を和らげられる生地ってないかな?」
ジンは顎に手を当て、少し考える。
「……ふわふわなら、ミストウールがあるな。霧羊毛とも呼ばれるやつで、軽くて柔らかく、空気をたっぷり含んでる」
ツムギはメモを取りながら、首をかしげる。
「でも、それだとふわふわすぎて、守る力が弱い気がするんだけど……」
ジンはくすっと笑い、手元の工具を置いた。
「だったら、スライムのジェルを使ってみたらどうだ?」
「スライムのジェル?」
「スライムは、衝撃を受けるとそのエネルギーを分散させる特性がある。
スライムそのままだと扱いづらいが、適量を混ぜれば、しなやかさを保ちつつ弾力もつけられるかもしれないな」
ツムギは目を輝かせた。
(衝撃吸収……!そういえば、異世界に来る前に見たことあるな……)
前世の記憶がふと頭をよぎる。
確か、衝撃を吸収するシートみたいなものがあったはず。
強い力がかかると一時的に硬くなるけど、普段は柔らかい──まさに今、必要なものだ。
……スライムのジェルをミストウールに染み込ませれば、衝撃を吸収するふかふかの布になるかも!
ツムギは興奮しながらメモを取り、父を見上げた。
「お父さん、スライムのジェルって、どこで手に入る?」
ジンは腕を組み、少し考えた後、工房の奥の棚を指さす。
「確か、前に少しだけ仕入れてたのがあるはずだ。試しに使ってみるか?」
ツムギは頷きながら、道具を揃え始めた。
「うん!試作してみる!」
ジンはそんなツムギを見て、微笑む。
「なるほどな……ツムギ、お前、本当に創術屋になるつもりなんだな。
昔のお前なら、『ふわふわの生地が欲しい』って言って、それで終わってた。
でも最近は、どうすればより良くできるかを考えてる」
ツムギは、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……ハルくんが喜んでくれるにはどうしたらいいかなって、考えてただけだよ」
ジンは満足そうに頷き、手元の木片に戻る。
「なら、試してみるといい。失敗しても、それが次に繋がるからな」
ツムギは「うん!」と元気よく返事をし、作業台に向かう。
ツムギは袖をまくり、作業台の上に材料を広げた。
ジンが棚から取り出してくれたスライムジェルは、小さな瓶に入っていて、とろんとした透明な液体がゆっくりと揺れている。
「これがスライムジェルか……思ったよりプルプルしてるなぁ」
瓶のふたを開けると、ほんのり甘いような、不思議な匂いがした。
ツムギは指先で少し触ってみる。
指を押し込むとゆっくり沈み、離すと元の形に戻る。
この弾力が衝撃吸収のカギになりそうだ。
「ふふ、これをうまく布に馴染ませられれば……」
ツムギは、もう一つの材料であるミストウールを手に取った。
霧のようにふわふわの羊毛で、空気をたっぷり含んでいる。
柔らかく温かみのある手触りが心地よい。
「さて……まずは、このスライムジェルをミストウールに染み込ませてみようかな」
ツムギは、いつもの実験ノートとペンを手に取り、実験を開始した。
試しに、少しずつジェルを垂らしながら、ウールを揉み込んでみる。
ジェルが羊毛に絡みつくと、ゆっくりと浸透していく。
「おお……なんか、いい感じかも?」
ツムギは期待しながら、軽く布を握りしめてみた。
すると──
びちゃっ……!
ジェルが染み込みすぎて、指の間からぽたぽたと滴り落ちる。
羊毛はびしょびしょになり、まとまりがなくなってしまった。
ツムギは、指に絡みつくジェルを見つめながら、小さく息をついた。
「……うまくいかないなぁ……」
ハルの期待が頭をよぎる。
ツムギの胸の奥に、小さな不安が波紋のように広がった。
(私、ちゃんと“形”にできるかな)
──“ただ直す”だけじゃなく、“ハルの願いを守る”って、思ってたよりずっとむずかしい。
(でも……やってみたい。創術屋として)
ツムギは思わず肩を落とす。
スライムジェルの量が多すぎたのか、布全体がベタベタしてしまい、クッションどころかただの濡れた布になってしまった。
「うーん……ジェルの量を減らせばいいのかな?」
今度はほんの少しだけジェルを垂らし、優しく揉み込んでみる。
しかし、染み込みが足りないのか、布の表面にジェルが固まってしまい、ところどころ硬くなりすぎる部分ができてしまった。
ミストウールのふわふわ感を残しつつ、スライムジェルを均等に馴染ませるにはどうすればいいのか?
ツムギは手元の濡れたウールを見つめながら、小さく息をついた。
「試作、一回目は失敗かぁ……」
ふと顔を上げると、ジンが少し離れた作業台で腕を組んでこちらを見ていた。
「お前さん、失敗したな?」
ツムギは苦笑しながら、濡れた布を広げる。
ジンはくすっと笑いながら歩み寄ると、ツムギの作業台を覗き込む。
「さて、どうする?」
ツムギは悩みながら、もう一度スライムジェルとミストウールを見比べた。
──試作は、まだ始まったばかりだ。
ツムギは、作業台の上に広げた濡れたミストウールをじっと見つめた。
スライムジェルを染み込ませすぎるとベタベタになり、少なすぎると均等に馴染まずに硬くなってしまう。
「うーん……スライムジェルの量を調整するだけじゃ、うまくいかないなぁ」
頬に指を当て、じっくり考える。
(ミストウールのふわふわ感を残したまま、スライムジェルを均等に馴染ませるには……)
考えを巡らせながら、ふと前世の記憶がよぎる。
(確か……液体を湿らせたいときって、直接かけるんじゃなくて、霧吹きで均等にするとか……)
ツムギはハッとした。
「そうか! スライムジェルをそのまま布に染み込ませるんじゃなくて、もっと均等に広げる方法を考えればいいんだ!」
ツムギは工房の棚を探し、小さなガラス瓶と細い金属管を取り出した。
これは、布用の染料を調合するときに使う霧吹き道具だ。
染料で穴が詰まらぬように、すこし大きめの穴が空いている。
「これでスライムジェルを細かく霧状にできれば……」
ツムギは小さな瓶にスライムジェルを少しだけ入れ、水でほんの少し薄めてみた。
そして、金属管を差し込み、軽く押してみる。
シュッ、と霧が布に舞った。
ふわっとした手触りと、ぷにっとした感触が、指先に心地よく伝わってくる。
「……これなら、いけるかも!」
ぽても、うれしそうにふわふわと揺れた。
ツムギは試作布を胸に抱きながら、にっこりと微笑んだ。
「ハルくんのポシェット、きっと今までよりずっと丈夫で、
ずっと“特別”なものにするんだ」
──そう思ったそのとき。
工房の窓の外で、風が一段と強き木の枝の揺れる音がした。
「……風、強そうだね」
ツムギの声に、ぽてが小さく鳴いた。
「ぽぺ」
(……鋭利なものにも強い生地探さなくちゃ!)
ツムギはぽてを見て、小さく笑った。
次の挑戦は、すぐそこにある。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。
ツムギの世界図鑑(この物語の設定を書いている小説です)の中の「ツムギの実験ノート」に本日の実験の詳細を載せています。