029. 初契約と報酬設定
2月26日2回目の投稿です
澄み渡る青空の下、ツムギは工房のカウンターの前に座っていた。
机の上には、ツムギが普段使っているスケッチ帳と筆記用具が並べられている。
(今日はついに、正式な契約の日……)
朝から、ソワソワと落ち着かない気持ちが続いていた。
ぽてもいつもなら工房の隅で毛糸玉のように丸まっているのに、今日はツムギの膝の上でそわそわしている。
「ぽぺぺ……(なんか緊張する)」
「うん、私も……」
ツムギは小さく息を吐き出しながら、ポシェットの端をぎゅっと握る。
仕事を受けるのは初めてではないけれど、今回は正式な契約だ。
今までとは違う「商売」としての責任が生まれる。
「よし、大丈夫、大丈夫……」
自分に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
コン、コン――
工房の扉が叩かれ、外から明るい声が響いた。
「こんにちは、ツムギ。準備はできてる?」
イリアだ。
「は、はい! どうぞ!」
ツムギは慌てて立ち上がり、扉を開けると、イリアともう一人の人物が並んで立っていた。
長身で整った服を着た、落ち着いた雰囲気の男性。
手には革の書類ケースを持ち、その中から数枚の紙が覗いている。
「初めまして、証契士のヴェルナーです」
穏やかで落ち着いた声が響く。
その雰囲気に、ツムギの緊張がほんの少しだけ和らぐ。
「は、初めまして! ツムギです!」
「ふふ、大丈夫よ。そんなに構えなくても」
イリアがクスリと笑いながら、工房の中に足を踏み入れる。
「失礼するよ」
ヴェルナーも静かに工房に入り、カウンターの前に座った。
「証契士は、公正な契約を保証する職業なの」
イリアがツムギに向かって説明する。
「正式な商談や、大きな取引をする時に契約を結ぶでしょ? その契約内容が公正かどうか、トラブルにならないように証人として立ち会ってくれるのよ」
「なるほど……!」
ツムギはヴェルナーを見つめる。
「私の役目は、契約内容を確認し、お互いに不利益がないようにすることです」
ヴェルナーは落ち着いた口調で言いながら、書類ケースから一枚の紙を取り出した。
「これが今回の契約書案になります。まず、契約の内容を説明しますね」
そう言って、ヴェルナーは一枚の紙を机の上に広げた。
そこには、ツムギが受ける依頼の詳細が書かれていた。
「今回の契約は、イリアさんの店にてツムギさんがリメイクしたアクセサリーを販売し、売上の30%を報酬として受け取るものです」
ツムギは少し緊張しながら、契約書をじっと見つめる。
「難しい言葉が並んでるけど……私、ちゃんと理解しないと」
ツムギはぎゅっと拳を握り、真剣な表情で契約書を読んでいく。
そんなツムギの様子を見て、イリアがくすっと笑う。
「ツムギ、すごく真剣ね」
「えへへ……初めての契約だから、ちゃんとしないとって思って……」
「ふふ、大事なことよ。でも、安心して。疑問があれば何でも聞いてね」
ツムギは頷き、改めて契約書に目を落とした。
ヴェルナーは微笑みながら続ける。
「この契約は、双方の合意のもと、公正に結ばれます。契約内容を確認し、納得がいけば、この場で魔法印を押していただきます」
ツムギは驚いたように顔を上げた。
「魔法印?」
「ええ。この国では、契約の証として契約者の魔力を宿した印を押すのが一般的なのです」
ヴェルナーは懐から、淡く光る魔法印のスタンプを取り出した。
「このスタンプに触れると、契約者の魔力が印に記録されます。それを契約書に押すことで、正式に効力が発生するんです」
「すごい……!」
ツムギは興味津々で、魔法印をじっと見つめた。
「魔力がある人なら誰でも押せるんですか?」
「基本的にはそうですが、契約者ごとに微妙な魔力の波長が異なります。それが記録されるので、誰かが勝手に契約を偽造することはできません」
「なるほど……!」
ツムギはじっと契約書を見つめ、ゆっくりと深呼吸した。
(よし、大丈夫。落ち着いて、ちゃんと確認しよう)
ヴェルナーが契約書の内容を一つ一つ説明しながら、ツムギはしっかりと耳を傾けていった。
契約の大枠は理解できたものの、商売の話となると、やはり初めて聞くことが多い。ツムギは思わず、隣に座るジンの袖をぎゅっと握った。
「お父さん……私、大丈夫かな……?」
ジンはそんなツムギの手を軽く叩いて、にやりと笑う。
「大丈夫だ。ちゃんと聞いて、納得できるまで確認すりゃいい」
「うん……」
ツムギは深呼吸し、改めて契約書に目を向けた。
「じゃあ、次は報酬の話ね」
イリアが優しく微笑みながら、契約書の一部を指さした。
「今回の仕事は、古いアクセサリーのリメイクね。ツムギの創術で新しい価値を生み出して、それを私の店で販売する形になるわ。その売上の30%を、あなたの報酬として受け取る形になるの」
「30%……!」
ツムギは指で数を弾きながら計算してみる。
「例えば、もしリメイクしたアクセサリーが3,000ルクで売れたら……ええと、30%だから900ルク?」
「そういうこと。ちなみに、今回は試験的なリメイクだから、販売価格は私が設定するけれど、ツムギの手間を考えて適正な価格にするわ。安心してちょうだい」
ツムギはほっと息をついた。
「私、こういうお金のやりとりって初めてだから、よく分からなくて……」
「大丈夫よ、慣れてしまえば簡単なものよ」
「商売ってね、売上が全部そのまま利益になるわけじゃないのよ。例えば、お店の場所代や人件費、管理費用なんかもかかるし、もしアクセサリーが売れなかったら、その分のリスクはこっちが負うことになるの」
「なるほど……」
ツムギは納得しながら頷いた。
(そうだよね。私もお店をやるなら、お父さんの工房みたいに道具代や材料費、修理にかかる手間なんかを考えないといけないし……。お店を構えるのは思ったよりも大変そうだな)
「だから、今回は“リメイクにかかった材料費”は先にお渡しするわ。でも、それ以上にどれくらい利益を得られるかは、ツムギのデザイン次第、ってことね」
イリアの言葉に、ツムギはゴクリと喉を鳴らした。
(私のデザイン次第……)
自分が作るものが、本当に「売れる」のか。まだ実感は湧かないけれど、それがこれからの挑戦になるのだとツムギは思った。
「それから、お金の話もしっかり知っておいた方がいいわね」
イリアは優しく微笑むと、懐から銀色の硬貨を取り出し、机の上に置いた。
「これは50ルク硬貨。見たことあるかしら?」
「うん、もちろん!」
ツムギは手に取ってみる。ひんやりとした金属の感触。
硬貨の中央には、王国の紋章と、小さな魔法印が刻まれている。
「ルク硬貨にはね、偽造防止のために魔法印が刻印されているのよ。こうやって指でなぞると──」
イリアが軽く爪で触れると、硬貨の表面が一瞬だけ青白く光った。
「わぁ……!」
「魔力を持っている人が触れると、紋章が光る仕組みになっているの。もし光らなかったら、それは偽物ってことね」
硬貨は普段から使っているが、そんな仕掛けがあることを知らなかったツムギは、興味津々といった様子で硬貨を眺めた。
(この国のお金の単位はルク。1ルク=1円くらいの価値で、500ルクまでは硬貨で、それ以上は紙幣。100万ルク以上の大きな取引には王国金貨が使われる。私は見たことないけど……)
「1,000ルク、5,000ルク、10,000ルクの紙幣は知ってるわよね。これには、それぞれ魔力透かしが入っているの。光にかざすと、王国の紋章が浮かび上がるのよ」
ツムギは目を輝かせながら聞き入った。
「……なるほど。そうやって、お金が偽造されないように工夫されているんですね!」
「その通り。そして、さらに高額の取引になると、100万ルク単位の取引専用に王国金貨が使われるわ」
「お、王国金貨!? そ、それってすごく高価なやつですよね!?」
「ええ。庶民が目にすることは滅多にないわね。でも、商人の間では大きな取引の時に使われるの。ツムギも、これから商売をするなら、いずれは扱う機会が出てくるかもしれないわね」
「そ、そっか……!」
ツムギは少しドキドキしながら、手元の硬貨を眺めた。
イリアはそんなツムギの言葉に目を細め、「ふふっ」と微笑んだ。
「まぁ、お金の話はさておき、ツムギにとって一番大事なのは**自分の作ったものが売れる**っていう経験よ」
ツムギはその言葉にハッとして、イリアの顔を見た。
「今まで、ツムギはものを作ることが好きで、自分や家族のために作ってきたでしょう?」
「……うん」
「でも、今回の仕事は違う。お店に並んで、お客さんが『これが欲しい!』って選んでくれるのよ。それって、すごく特別なことだと思わない?」
ツムギは、ゆっくりと考えながら頷いた。
(……私の作ったものが、お客さんの手に渡る)
それは、今までにない経験だ。どんな人が手に取るのか、どんな顔をして買ってくれるのか……想像するだけで、胸が高鳴った
「とにかく、今回の契約では、売れたアクセサリーの売上に応じて、あなたの報酬も変わるわ。頑張って、お客さんに気に入ってもらえるものを作りましょうね」
「はい!」
ツムギは力強く頷いた。
イリアは満足そうに微笑み、手を差し出す。
「じゃあ、契約成立ね」
ツムギは少し緊張しながらも、その手をしっかり握り返した。
「よろしくお願いします!」
「ええ、こちらこそ」
ヴェルナーが契約書の最後のページをめくり、「では、お互いに合意した契約として、ここに魔法印を押してください」と言った。
ツムギは緊張しながら、魔法印のスタンプを手に取った。
「……えいっ!」
ポンッ、と軽やかな音が響く。
契約書の紙の上に、淡い光とともにツムギの魔力が刻まれた印が浮かび上がる。
「はい、これで正式に契約成立です」
ヴェルナーが確認し、契約書を丁寧にまとめる。
「これでツムギさんも、立派な商人の仲間入りですね」
「えへへ……! なんだか、ちょっと緊張しちゃいました」
「最初はみんなそうよ。でも、ここからが本番よ?」
イリアはウィンクしながらツムギに微笑んだ。
ツムギはドキドキしながらも、ワクワクとした気持ちで胸をいっぱいにした。