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【第1章完結】異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜  作者: 花村しずく
1-01 ハルのポシェット

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002. 初めての依頼

 そのとき、工房の奥から低く穏やかな声が響いた。


 「……ツムギ、お前さん、もうお代はもらったのか?」


 振り返ると、ジンが立っていた。作業着のエプロンの端を軽く払いながら、片手には組み立て途中の木製スツールを抱えている。


 「お父さん……」


 ツムギが声を漏らすと、ジンはゆっくりと歩み寄り、ハルとポシェットに目を向けた。


 「お前さん、そのポシェットは、大事なもんか?」


 少し驚いたように、ハルがジンを見上げる。けれどすぐに、小さく──けれどしっかりと頷いた。


 ジンは、擦り切れた端をじっと見つめる。


 「ふむ……確かに、よく使い込まれてるな。これだけ大事にされてりゃ、ただの布袋じゃないってことか」


 ツムギはそっとポシェットを抱えながら、父へ視線を向けた。


 「ねえ、お父さん。このポシェット……私が、直してみたい!」


 ジンの眼差しが静かに向けられる。


 「ツムギ。お前は、この仕事をどう思ってる? ただ縫い直すだけじゃない。ツムギの仕事を──できるのか?」


 その言葉に、ツムギの心がぴたりと止まった。


 ジンは、ただ形を戻す職人じゃない。使う人の想いごと受け取って、それをかたちにする。ツムギはずっと、それを見てきた。


 ポシェットを抱く腕に、そっと力がこもる。


 「……私は、このポシェットをただ縫い直すんじゃなくて……ずっと、この子が大事にできるように、ちゃんと直したいの」


 ジンはしばしツムギを見つめたあと、わずかに口元を緩めた。


 「よし。なら、やってみろ」


 ぱっとツムギの顔が明るくなる。


 「工房の仕事として受ける以上、いい加減なことはできねぇぞ。最後まで責任、持てるな?」


 「もちろん!」


 ツムギは、迷いのない目で、父をまっすぐ見つめた。


 ジンは満足そうに微笑み、手にしていたスツールをそっと作業台に置いた。そして、ゆっくりとハルへ視線を向ける。


 「さて、修理をするなら料金がいるが……お前さん、お金は持ってるか?」


 ハルはびくりと肩をすくめ、小さく首を横に振った。


 「……ありません」


 ツムギは思わず口を開きかけたが、ジンのまなざしに気づき、言葉を呑みこんだ。


 ジンは腕を組み、静かにハルを見つめる。


 「お金がないなら、どうしたらいいと思う?」


 ハルは戸惑いを浮かべながらも、ポシェットをぎゅっと抱え、懸命に考えている様子だった。


 ツムギはそんな姿をそっと見守りながら、微かに微笑んだ。


(ここからは、この子自身で見つける時間なのかもしれない)


 静けさに包まれた工房で、ハルの小さな手がゆっくりとポシェットの中へと伸びていく。


 カサカサ、と乾いた葉の音。ころり、と木の実が転がる音。


(何を選ぶんだろう……この子は)


 ツムギとジンは無言のまま、じっとその様子を見守っている。


 お金の代わりになるものなど、すぐには見つけられるはずもない。大事なものほど、手放しにくい──。


 ツムギは静かに声をかけた。


 「無理に出さなくても大丈夫だよ。大切なものは、無理に渡さなくてもいいんだからね」


 その言葉に、ハルは驚いたように顔を上げた。そして、ぎゅっとポシェットを抱きしめる。


 「でも、ぼく、どうしてもこのポシェットを直してほしいんです」


 ハルは迷いながらも、決意を込めたように視線を落とし、ポシェットの中から小さなものを取り出した。


 ふわりと風に舞うような草が、ハルの手のひらに乗る。淡く透き通った繊維が、そよ風に揺れるたびに、かすかな音を奏でた。


 ツムギは息を呑む。


 「これは……?」


 ハルは少し照れくさそうに、小さな声で言った。


 「風紡草かぜつむぎそうっていいます」


 ジンが目を細める。


 「ほう……風紡草か」


 ツムギは、その繊細な草を見つめ、そっと指先で摘んでみた。


 ふわふわとした感触。わずかな温もり。そして、風が触れるたびに聞こえる、優しい音。


 「……すごい、風の音がする」


 「この前、風がすごく強い日に、森で拾ったんです」


 ハルは少し恥ずかしそうにポシェットを抱きながら、ぽつりと続けた。


 「ふわふわしてて、触るとちょっとあったかいくて……。幸せな気持ちになれるんです」


 ツムギは風紡草を摘み取り、指先に伝わる柔らかなぬくもりを感じた。


 「……なんだか、不思議な草だね」


 ぽてがふわりと跳ねて近づき、風紡草に顔を寄せるようにして、くんくんと嗅ぐ。


 「ぽぺぺ!(ふわふわー)」


 満足そうな声が響く。


 ハルはツムギをじっと見上げて、不安そうにたずねた。


 「これで修理は難しいですか?」


 ツムギはしばらく風紡草を見つめてから、やわらかく頷いた。


 「ううん、とっても素敵だよ。ありがとう」


 ぱっと、ハルの表情が明るくなる。


 ツムギは手のひらの風紡草を見つめながら、しばらく考える。


 (この草は、この子が大切にしていたもの──できれば、そのまま活かしてあげたい)


 「……このポシェットに、この風紡草を使って見るのはどうかな?」


 ジンはほんの少し目を見開いたあと、小さく頷く。


 「ほう、面白いことを考えるな」


 ツムギはにっこりと笑みを浮かべた。


 「じゃあ、この風紡草と交換で……ポシェット、修理させてもらいますっ!」


 ツムギはぱあっと顔を輝かせ、風紡草を見つめながら声を弾ませた。


 「はじめて扱う素材だから……うん、なんだかすごく楽しみ!」


 その言葉に、ハルの瞳もぱっと輝く。


 「ほんとにいいんですか?」


 「もちろん!」


 ツムギは風紡草をそっと机の上に置き、ポシェットを手に取った。


 ──だが、そのとき。ハルが少し困ったように風紡草を見つめ、小さく口を開いた。


 「でも、これをポシェットに使ったら……代金にならなくないですか?」


 ハルは再びポシェットの中に手を差し入れた。そして、そっと数枚の風紡草かぜつむぎそうを取り出し、小さな手のひらに並べて差し出す。


 「代金になるかはわからないけど……これも、よかったら受け取ってください」


 ツムギは目を丸くし、その手元をじっと見つめた。


 「……いいの? すごく大事にしてたんじゃないの?」


 ハルは風紡草を見下ろしながら、少しだけ照れたように笑った。


 「はい。きっと……何かに上手く使ってくれると思うから」


 ツムギはその言葉を胸の奥で受けとめるように、ふわりと微笑んだ。


 「うん、大切にする。ありがとう」


 ぽてがくるりと跳ねながら二人のまわりを回り、ぴょこっと跳ねて嬉しそうに鳴いた。


 ジンはふたりのやり取りを静かに見守っていたが、満足そうに小さく頷いた。


 「ふむ。これで、しっかりと仕事として成立するな」


 ツムギはほっと息をつき、風紡草を作業台の隅にそっと置いた。


 そのとき、ふと気づく。


(あれ……私、この子の名前、聞いてなかったかも)


 ツムギはハルの方へ向き直り、やわらかく笑みを浮かべた。


 「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」


 ハルは少し驚いたように目を丸くし、それから小さく頷いた。


 「あ……ぼく、ハル。ハルっていいます」


 「ハルくん、か。かわいい名前だね」


 照れたようにうつむくハルに、ツムギもにっこりと微笑んだ。


 「私はツムギ。この工房で、ものを直したり作ったりしてるよ」


 「ツムギさん……」


 ハルはその名を繰り返しながら、じっと顔を見つめる。


 「糸を紡ぐみたいに、人や想いをつなげる人になってほしい──って、父が名づけてくれたの」


 「……ツムギさんに、ぴったりですね」


 ツムギはくすっと笑った。


 その隣で、ジンが腕を組んだまま口を開く。


 「俺はジン。この工房の親方で、ツムギの父親だ」


 ハルは真剣な表情でジンを見上げた。


 「……じゃあ、ツムギさんも職人さん?」


 「うん。でも、まだ半人前なんだ。いつか“創術屋そうじゅつや”になりたいと思って、修行中なの」


 「そうじゅつや……?」


 聞き慣れない言葉に、ハルが首をかしげる。


 ツムギはやさしく説明した。


 「ものづくりの魔法を使ってね。ただ直すだけじゃなくて、持ち主の想いまで、きちんとつなぎ直す仕事なんだ」


 「へえ……」


 ハルは目を輝かせてうなずき、少し安心したように笑った。


 ふと視線を動かし、ぽてを見つめる。


 「ぽてくん……だっけ?」


 「うん、私の相棒。気づいたら動き出しててね、今はずっと一緒にいるの」


 「すごい! ふわふわで可愛いし!」


 ハルがそっと撫でると、ぽては目を細めて心地よさそうに鳴いた。


 「ぽぺぇ……」


 ジンはふたりの様子を見ながら、静かに笑った。


 「よし。これでお互いのことがわかったな」


 ハルはツムギとジンを順に見て、こくりと頷く。


 「うん! ツムギさんとジンさん、よろしくお願いします!」


 ツムギも笑みを浮かべ、手を差し出した。


 「こちらこそ、よろしくね、ハルくん」


 ハルはその手を少し見つめ、それから、小さな手で重ねた。


 「じゃあ……修理を始める前に、一緒に考えてみようか。どうせ直すなら、もっと使いやすくできるかもしれないし」


 ツムギは作業台の端からノートとペンを取り出し、ハルの前にそっと差し出した。


 「ハルくんにとって、一番大事なポシェットにしよう!」


 驚いたように目を見開いたハルは、ぱっと笑顔を咲かせた。


 「……うん!」


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