001. 小さな依頼、大きな一歩 01
工房の扉を開けると、ほのかに木の香りが漂う。壁際には大小さまざまな木箱が積まれ、革細工の道具、糸巻き、布の束が整然と並ぶ。作業台の上には削りかけの木材や縫いかけの布製品が置かれ、それぞれが新たな姿へと生まれ変わるのを待っていた。
陽の光が差し込む窓辺には、乾燥させた草花が吊るされている。ツムギが以前、ぽてと一緒に拾ってきたものだ。風に揺れる草花を眺めながら、ツムギはそっと息をつく。
「よし、今日も頑張ろうっと」
エプロンをつけ、作業台に向かう。
今日の仕事は、父の依頼品の下準備。木材の表面を整えたり、糸を撚って布を補強したりする。一見単純な作業だが、一つひとつが大切な工程だ。
工房は、町の人々が訪れる場所でもある。壊れた椅子を持ち込む老人、新しいカバンを注文する女性、父と世間話をする商人たち……。ツムギはそんな人々のやり取りを眺めながら、自分もいつか父のように頼られる職人になりたいと願っていた。
だが、ツムギはまだその自信がない。
「私は、本当に“創術屋”になれるんだろうか?」
父はただ修理をするのではなく、持ち主の思い出や願いを汲み取るようにものづくりをする。長年使い込まれた椅子を新たな形へ生まれ変わらせたり、傷んだ布を織り直して持ち主の手に戻したり。そのたびに依頼人の顔がほころび、感謝の言葉があふれる。
父のように、人の心を動かせる職人になれるだろうか。
そんなことを考えながら木の表面を磨いていたとき、工房の扉が静かに開いた。
チリン──。
扉の上に取り付けられた小さな鈴が、かすかに揺れる。
「いらっしゃいませ!」
ツムギは顔を上げた。しかし、誰も入ってこない。
扉の隙間から、小さな瞳がちらりと覗く。
ツムギが目を合わせると、相手はびくっとして扉の陰に隠れた。
ぽてがふわりと跳ねながら、ツムギの肩に乗る。
「ぽて?」
ふわふわの小さな丸い影──毛糸玉のようなぽてが、琥珀色の瞳を輝かせながらツムギの肩で揺れる。
ぽては、ツムギが幼いころに作ったぬいぐるみだった。けれど、いつの間にか“生きている”存在になり、ツムギの相棒になった。毛糸玉みたいなふわふわの体に、ひよこみたいな顔である。
ぽての琥珀色の瞳が、工房の入口をじっと見つめる。ツムギには聞こえないが、ぽてには“ものの声”が感じ取れる。
ツムギはそっと席を立ち、入口まで歩いた。
「どうしたの? 入っても大丈夫だよ」
小さな沈黙が流れたあと、そっと扉が開き、小さな男の子が工房へと足を踏み入れた。
ミントグレーの柔らかい髪が、風に揺れるようにふわりと動いた。
ツムギはその子をじっと見つめた。
(……どこかで見たことがあるような気がする)
風にそよぐような柔らかい髪、少し戸惑いがちに揺れる大きな瞳……。記憶の片隅に引っかかる何かを感じたが、はっきりとは思い出せない。
少年──ハルは、少し戸惑った様子で周りを見回しながら、胸の前で大事そうに小さなポシェットを抱えている。
「えっと……ここ……」
ハルは言葉を探すように視線を落とし、ぎゅっとポシェットのひもを握りしめた。
ツムギはそっとしゃがみ込み、ハルと目線を合わせた。
「こんにちは。ここは『継ぎ屋』っていう工房だよ。何か困ってることがある?」
ハルは少し迷った後、意を決したように、手に持ったポシェットをツムギに差し出した。
「すみません、これ……直せますか?」
ツムギは、ハルの手からポシェットを受け取ると、その傷み具合をじっくりと確かめた。
「ふむふむ……布の端が擦り切れて、縫い目もほつれてるね。でも、大事に使ってたのが伝わってくるよ」
ハルはコクリと頷きながら、小さな手でポシェットの紐を握りしめる。
「……お母さんが作ってくれたんだけど、壊れてしまって…」
ツムギは、ハルの言葉に優しく微笑んだ。
「そっか、大事なものなんだね」
ハルは静かに頷く。
ツムギはふと、自分が幼いころに大切にしていたものたちのことを思い出した。ぽてを作る時に使った毛糸、布の端切れ、小さな宝物たち……。お気に入りの布で作った巾着、父が削ってくれた小さな木の欠片──どれもツムギにとって特別で、決して手放せなかったもの。ハルの大切そうにポシェットを抱える姿に、自分も同じ気持ちだったことを思い出す。
「じゃあ、ちゃんと元通りにしてあげないとね」
そう言いながら、ツムギはポシェットをじっと見つめた。
布の端は擦り切れ、縫い目もほつれている。長く使われてきたことがよくわかる。
「よし、まずは状態を確認しよう」
ツムギは作業台の上にポシェットを広げ、布のほつれ具合や縫い目の状態をひとつひとつ確認した。
ハルはそんなツムギの手元をじっと見つめながら、不安そうに小さく問いかけた。
「……直せそう?」
ツムギは顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「うん、大丈夫。しっかり補強して、もっと丈夫にするね」
ハルは、ほっとしたように息をついた。小さな手がゆっくりとポシェットの紐をなでるように撫で、安心したように微かに笑みを浮かべた。
初めまして。
処女作で至らない文章かと思いますが、どうぞお付き合いください。
2025.3/11 追記
少しずつ改稿していきます。改行の仕方や行間などが急に変わっている場合は、改稿前なんだな…と見守ってくださると嬉しいです。
2025.6/19 追記
最初の方の文章が拙く感じるようになってきました。現在は更新を優先しており、なかなか改稿に手が回っていない状況です。読みづらい部分がありましたら、本当に申し訳ありません。
第2章あたりからは、少しずつ文体も安定してきたかと思いますので、もし読みづらさを感じた際には、第2章(101話)から読んでいただくのもおすすめです。