173. カロリーヌの謝罪
「……大体のことは決まったわね」
カロリーヌが椅子の背に軽く身を預け、満足げに息をついた。
散らかった資料を片づけながら、エリアスが穏やかに笑う。
「ええ。あとは、実際に運用していく段階ですね。――赤字を出さずに、少しでも収益化できればいいのですが」
その言葉に、ツムギがぱっと顔を上げた。
「それなら、リナとイリアさんがなんとかしてくれると思います!」
いたずらっぽい笑みを浮かべるツムギに、エリアスは思わず苦笑する。
「出たな、ツムギの丸投げ発言。苦手を軽やかに渡す天才め」
「だって~、あの二人がいたら本当に何とかしてくれるじゃない」
ツムギは肩をすくめて笑い、場に柔らかな笑いが広がった。
その光景を、少し離れた席から眺めていたカロリーヌが、ふと小さく呟く。
「……いい創舎なのね」
その言葉に、隣のエドが穏やかな笑みで応じた。
「はい。みんなそれぞれ得意なことと苦手なことがありますが、強みで支え合って、弱みを補いながらやっています。
――カロリーヌさんの“創舎システム”のおかげですよ」
エドがツムギとエリアスの方を見やると、二人は同時に微笑み返した。
その瞬間、カロリーヌの表情がわずかに緩む。
「……そう。色々とすまなかったわね。そして、ありがとう」
唐突な言葉に、エドは瞬きをした。
「え?」
「君は――ヴァルドシュタイン家の人間でしょう?」
カロリーヌはカップを指先で転がしながら、静かに続けた。
「その名を使えば、私など簡単に排除できたはず。それをしなかった。……“ただのエド”としてここにいた。感謝するわ」
エドは少しだけ目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑った。
「私は本当に“ただのエド”ですよ、カロリーヌ様。
それに、権力なんて使おうとしたら――ツムギに絶対止められたでしょうね」
「……ふふ、そう。ツムギって、そういう子なのね」
カロリーヌは小さく笑みをこぼし、指先でカップの縁をなぞった。
「なんとなく……わかってきたわ
――どうやら、POTENにはこれで借りができたようね」
その声音は、もはや対立者のものではなかった。
「噂については、こちらで責任を持って正しておくわ。本当に、申し訳なかった」
そう言って、カロリーヌは椅子を引き、静かに立ち上がった。
白い手袋を外し、胸の前で手を重ねると、深々と頭を下げた。
その動作は、貴族としての外面を捨てた、心からの謝意を込めたものだった。
エドは一瞬、驚いたように息を呑み、それから慌てて立ち上がる。
「カロリーヌ様……どうか、頭をお上げください」
彼の声は穏やかで、どこか切実でもあった。
「今回のことは、もう過ぎたことです。誰かを責めたいわけではありませんから」
カロリーヌはゆっくりと顔を上げ、ふっと微笑んだ。
「……本当に、優しいのね。――ありがとう、エド」
その瞬間、ふたりのあいだにあったわずかな溝が、静かに溶けていった。
――それからしばらくして。
夕刻の街を、ツムギ、エリアス、エドの三人が並んで歩いていた。
職人ギルドを出たあとの風は心地よく、淡い橙色の空が、長い一日の終わりをやさしく包み込んでいる。
「いやぁ……思ったよりも穏やかに話せたね」
エドが肩を軽く回しながら言うと、ツムギは頷いた。
「うん! もっと厳しい人かと思ってたけど、すごく真剣に話を聞いてくださって。
……なんだか、すごくあったかい人だった」
「そうだな」
エリアスも静かに笑みを浮かべる。
「“鉄の女”なんて呼ばれていたけど、芯が強いだけで、本質はとても誠実な方だ」
「ねぇねぇ、ナギが聞いたら絶対張り切るよね」
ツムギが笑いながら言うと、エドもつられて笑う。
「だろうね。『どうなった? 楽しかなりそう!』って、すぐ準備始めそうだ」
「バルドさんは、もうリナたちと次の段取りを組んでいそうだな」
エリアスのその言葉に、三人の笑い声が夕暮れの通りに広がった。
街灯に火がともりはじめ、石畳が柔らかく光を返す。
ツムギはふと足を止め、空を見上げた。
「これで……また新しい一歩が踏み出せるね」
その瞳には、夕焼けの色と、未来への希望が同じように映っていた。
こうして三人は、穏やかな足取りでPOTENハウスへと帰っていった。
彼らの背中には、もう不安ではなく――確かな誇りが宿っていた。
夜の帳が下りるころ、三人はPOTENハウスの扉を開けた。
暖かな灯りと、どこかそわそわと落ち着かない気配が迎える。
「おかえり!」
ナギが真っ先に声をあげ、続いてぽてが「ぽてぇ!(おそかった!)」と跳ねるように出迎えた。
リビングにはジン、バルド、イリア、リナの姿もあった。
どうやら、三人の帰りをずっと待っていたらしい。
「まったく……遅いではないか。わしはてっきり、また何かひと騒動あったのかと思うたぞい」
バルドが胸をなでおろし、ジンは安堵の息をつく。
「うまくいったのか?」
その問いに、エリアスが笑って頷いた。
「ええ。想像以上に、良い形でまとまりました」
その言葉に、部屋の空気が一気に明るくなる。
リナが手を叩き、ナギが「やったー!」と跳ねる。
「じゃあ、さっそく準備やな! 資料も作らなあかんし、広報も考えな!」
「ナギはもうポスターの構図を考えてそうね」
イリアが笑いながら言うと、ナギは「そりゃもう!」と胸を張った。
ぽてはテーブルの上をちょこちょこ歩きながら、「ぽてぽて?(ハルはまだ?)」と尻尾を振る。
その言葉に、ツムギが小さく微笑んだ。
「そうだね。ハルにも早く伝えたいな。きっと喜ぶよ」
ナギも頷きながら、ふと視線をリビング奥の壁に向ける。
そこには、緊急通知の魔導基盤ボードが静かに輝いていた。
「……もう、帰ってきてもいいのにな」
その声にツムギも目を向ける。
ボードには、各メンバーの魔力を示す小さなランプが並んでいた。
全てが穏やかな緑色に灯り――瞬いている。
ツムギとナギが顔を見合わせ、安堵の笑みを交わした、その瞬間。
――ハルの光が、ふっと消えた。
部屋の中に、誰の声もなかった。
ただ、消えた光を映したまま、静寂だけがそこに落ちた。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
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