172. 鉄の女の微笑み
ツムギはニッコリ微笑み、手元の資料をそっと差し出した。
「今、説明させていただいたこの仕組み――できれば、職人ギルドで実現していただきたいんです」
「職人ギルドで?」
カロリーヌが片眉を上げる。
ツムギは小さく頷いた。
「はい」
「もちろん、職人ギルドの空き部屋なら自由に使ってもらって構わないわ」
カロリーヌが即座に応じると、ツムギは首を振った。
「いえ、そうではなくて……」
その声には揺るぎのない真剣さがあった。
「職人ギルドが主体となり、カロリーヌ様を代表としてこの仕組みを運用していただきたいんです。
私たちPOTENは協力者として、できる限りの支援をさせていただきます。
けれど――この仕組みは“全ての職人のためのもの”であって、POTENだけのものではないと思うんです」
その言葉に、カロリーヌの表情が一瞬止まった。
視線が資料へと落ち、紙の端を指先でなぞる。
そこには確かに――職人ギルドが運営主体が理想的と書かれていた。
「……この資料を見れば見るほど、不思議ね」
カロリーヌはゆっくりと顔を上げ、探るようにツムギを見た。
「あなたたちは、明らかに収益化できる新しい事業を、職人ギルドに譲るつもりなのかしら?
まさか……何か裏があるわけではないでしょうね」
その声音は柔らかくとも、長年ギルドを率いてきた者の鋭い洞察が潜んでいた。
エリアスが慌てて口を開きかける。
「いえ、ツムギは――」
だが、途中で言葉を飲み込み、深呼吸して冷静さを取り戻す。
「……POTENが主体でやってしまえば、それは“POTENだけのシステム”になってしまうでしょう。
けれど、この仕組みは、全ての職人に開かれるべきだと私たちは考えています」
カロリーヌの瞳が再びツムギへと向く。
エリアスは少し肩をすくめながらも、優しい眼差しを向けた。
「うちの職人たちは、新しい技術を学ぶことも、教えることも大好きなんです。
“新しい技術を学べる”と考えただけで、もうワクワクして仕方がないようでしてね」
横で、エドとツムギが顔を見合わせる。
その目はきらきらと輝いていて、カロリーヌに向けられる視線には期待と信頼が混じっていた。
エリアスは小さく笑みを漏らした。
「もちろん、講師となる職人たちが一番やりやすい形に調整してくださって構いません。
創舎システムを築かれたカロリーヌ様なら、それが可能だと――我々は信じています」
そう言って、ふっと苦笑をこぼす。
「……うちの導き手の一人、バルドも今から若い職人たちと魔法陣を組むのを楽しみにしてましてね。
“年寄りの出番がまた来たぞ”なんて、張り切っているくらいです」
カロリーヌは思わず小さく息を漏らした。
その表情には、呆れとも微笑ともつかない、わずかな柔らかさが宿る。
「……あなたたち、本当に不思議な人たちね」
その声音には、初めて“敬意”の色が混じっていた。
しばし沈黙が落ちる。
カロリーヌは手元の資料をじっと見つめ、指先で軽く紙の端を叩いた。
「……たしかに、このアイデアは画期的ね」
低く呟くように言いながら、視線は図面の上をなぞる。
「けれど同時に、まだ荒削りな部分も多い。
私なら――もう少し形を整え、現実的に機能させることができると思うわ」
ツムギたちは息を詰めてその言葉を聞いていた。
カロリーヌは考え込むように紅茶を見つめ、独り言のように続ける。
「ギルドにこのシステムが導入されれば、職人たちは自分の学びたい技術を選び、必要な知識を身につけられるようになる。
これまで“縁”や“弟子入り”でしか学べなかった技が、もっと自由に受け継がれる……」
そこまで言って、ふっと微笑んだ。
「技術の継承という点でも、これは非常に優秀な仕組みね。
ギルド主催であれば、信用も初めからあるし、何か問題が起きたときの補償も行える。……そうね、悪くないわ」
その声は次第に独り言めいていき、
「……いいかもしれない。本当に、いいかもしれないわね」
と、カロリーヌは資料を前に小さく頷いた。
「でも、これを形にするには私ひとりでは無理ね」
顔を上げたその目には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
「チームを作って、あなたたちPOTENにも協力してもらう。
ふふ、なんだか久しぶりに――すごく楽しそうじゃない」
ツムギが嬉しそうに目を瞬かせ、エリアスとエドも思わず笑みをこぼす。
カロリーヌは、再び紅茶を手に取り、静かに言った。
「まだ正式な返答はできないけれど……必ず、この仕組みを職人ギルドの中で動かしてみせるわ」
その声には、確かな情熱と、新しい風の気配が宿っていた。
カロリーヌは立ち上がり、傍らの呼び鈴を鳴らした。
ほどなくして、数名の職員たちが部屋へ入ってくる。
「急で悪いけれど、少し時間をちょうだい」
カロリーヌが軽く手を掲げると、職員たちは姿勢を正した。
「――この新しい講習システムの件、あなたたちにも意見を聞かせてほしいの」
テーブルの上に広げられた資料を囲み、ツムギとエリアス、エドが説明を始める。
職員たちは最初こそ戸惑いの表情を浮かべていたが、次第に目が輝き始めた。
「職人同士が教え合う……? それは、面白いですね!」
「一人の講師が二人に教えるってことは、技術が倍の速度で広がるということですか?」
「ギルド内での講習が実現すれば、若い職人たちの育成も早くなるわ」
そこに、年配の男性職員がふと真顔で口を挟んだ。
「ただ……受講者が新しい講師になるとしても、どこかで“卒業試験”のような仕組みは必要でしょうな。
教える側の質を維持しないと、段々と技術が薄まっていってしまう」
「確かに、それは大事だわ」
別の職員が頷き、メモを取る。
「その試験の監修を、元々の職人や熟練講師にお願いすれば、品質のばらつきも防げると思います」
その意見に、カロリーヌが目を細めて頷いた。
次々と意見が飛び交い、あっという間に部屋の空気が熱を帯びていった。
いつしかカロリーヌも笑みを浮かべ、職員たちの活気に混ざって議論を交わしている。
図面の上にはメモと矢印が増えていき、まるで新しい回路が生まれていくようだった。
ツムギはその光景を眺めながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(ああ……これが、“繋がっていく”ということなんだ)
その時、ふと一人の職員と目が合った。
守り袋の依頼で顔を合わせたあの女性だ。
彼女もツムギに気づき、柔らかく微笑む。ツムギとエリアスも思わず笑顔を返した。
議論は昼を越え、紅茶と軽食を挟みながら、夕方まで続いた。
いつしかテーブルの上は、資料とアイデアの紙でいっぱいになっていた。
そして最後に、カロリーヌが軽く手を叩く。
「――よし。これで方向は見えたわね」
その言葉に、場にいた全員が顔を見合わせ、頷いた。
新しい仕組みが、この瞬間、本当に動き始めたのだった。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
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⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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