170. 鉄の理、ほどけはじめる
ツムギはゆっくりと頷き、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「はい。おかげさまで、POTEN創舎としては多くの方に支えていただいています」
感謝の意を込めてそう口にすると、ふと表情を引き締める。
「ですが――市場というものは、そう簡単に大きくなるものではないと、私たちの市場調査を担当している者が言っていました」
カロリーヌの眉がかすかに動く。
ツムギは続けた。
「つまり……もし今の私たちが“成長している”ように見えるのだとしたら、それはどこかで、誰かの市場を奪ってしまっているということになります」
その言葉は、まるで静かな湖に一石を投じたように、会議室の空気をわずかに揺らした。
「もちろん、それは悪意からではありません。けれど、あまりに急激な変化は、どこかに綻びを生んでしまっているのではないかと――そう考えています」
ツムギの瞳は真っ直ぐで、揺らぎがなかった。
自己弁護も、虚勢もない。
ただ、目の前の問題を正面から見据えようとする意思だけが、そこにあった。
沈黙の中、カロリーヌは静かにカップを持ち上げる。
紅茶の表面に映るツムギの姿を、何かを確かめるように見つめていた。
「……それで?」
淡々とした問い。
けれど、その一言には「続きを聞く価値がある」と判断した者の重みがあった。
ツムギは背筋を伸ばし、まっすぐにカロリーヌを見つめ返す。
「もし、私たちの存在で“綻び”が生まれているのだとしたら……それを修正する方向に動きたいと考えています」
声は小さいが、言葉には迷いがなかった。
「そして、市場そのものを広げ、ものづくりの世界がより活発に、より多くの人に届くようにしたいんです」
ツムギは一度言葉を切り、ゆっくりと息を吸い込む。
「そのためには、どのような形で動くのが正しいのか――
長くこの世界を見てこられたカロリーヌ様に、ご助言をいただきたくて」
静寂。
外の喧騒が遠くでかすかに響くが、この部屋だけは時間が止まったようだった。
紅茶をそっと置く音がして、カロリーヌがツムギを見据えた。
その瞳には、わずかに光るもの――冷たい理性の奥に潜む、興味の色があった。
「……なぜ、そんなことをあなたたちが考えるのかしら?」
カロリーヌの声は静かだった。
けれど、その一語一語が研ぎ澄まされた刃のように、ツムギの胸を正面から射抜く。
「市場――? 独占してしまえばいいのではなくて? 商売とは競い、勝ち取るもの。
利益を優先するなら、それが最も合理的な判断でしょう?」
その言葉に、エリアスとエドがわずかに身を強張らせた。
けれど、ツムギは怯むことなく視線をまっすぐに保つ。
「……確かに、私たちは商いの側面も持っています」
ツムギは一呼吸おき、言葉を選びながら続けた。
「でも、POTEN創舎は“職人”の集まりなんです。利益を追うよりも、ものづくりを受け継ぐことを大切にしてきました」
カロリーヌの眉がかすかに動く。
ツムギは静かに手を重ね、続けた。
「今、担い手は減り、古い技術や魔法陣の記録は失われつつあります。
もし私たちのせいで、さらにその流れが加速してしまうのだとしたら……それは巡り巡って、自分たちの首を絞めることになると思うんです」
「――というと?」
冷ややかな問いが返る。
ツムギはその気配を感じ取り、まっすぐに答える。
「私たちが日々つくっているものは、過去の積み重ねの上にあります。
古い魔法陣の構造や、誰かの工夫の痕跡――それらを参考に、新しい形を生み出している。
もし、それらが途絶えてしまえば……私たちは、自分たちの問題を解決する手段を一つ失ってしまうんです」
「つまり、“過去を守ること”が、“未来を創ること”につながると?」
カロリーヌの唇がわずかに動く。
その声色には、先ほどまでの冷たさが薄れ、興味が滲んでいた。
ツムギはゆっくりと頷く。
「はい。技術は、誰かひとりのものではなく、“受け継がれてきた知恵”だと思っています」
その言葉に、部屋の空気がわずかに変わった。
紅茶の香りが、先ほどよりもやわらかく感じられるほどに――。
カロリーヌは、しばし沈黙したままツムギを見つめていた。
やがて小さく息をつき、わずかに口元を緩める。
「……なるほどね。話はわかったわ」
紅茶をそっと置き、背もたれに身を預ける。
「あなた方は――今ある市場に過剰な影響を与えることなく、市場そのものを広げたい。
そして、古くからの技術も守っていきたい。そういう考えで間違いないかしら?」
ツムギははっきりと頷いた。
「はい。その通りです」
カロリーヌはほんのわずかに目を細めた。
その表情は、これまでの冷たいものではなく、どこか探るような優しさを帯びていた。
「……けれどね」
再び姿勢を正し、指先でカップの取っ手を軽くなぞる。
「あなた方が生み出した技術は、あまりにも革新的すぎるの。
その結果、これまでの職人たちの手仕事が次々と“時代遅れ”になっていっている」
カロリーヌの声は淡々としていたが、その奥には確かな憂いがあった。
「あなた方の商品は値上がりを続ける一方で、他の職人たちの品は値を下げざるを得ない。
市場の原理とはいえ、中には今でも美しい技を持つ者たちがいる。
それが埋もれていくのを見過ごすのは――どうにも、気が重くてね」
ツムギは静かに聞いていた。
自分が思っていた以上に、カロリーヌが職人たちを想っていることが伝わってくる。
やがて、カロリーヌはツムギに視線を戻した。
「……それで? 何か、解決の糸口は見つけてきたのかしら」
ツムギはぱっと顔を上げ、少し緊張を滲ませながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「はい。考えてまいりました。――もしよろしければ、お話を聞いていただけますか?」
カロリーヌの唇が、かすかに上がる。
「いいわ。聞かせてもらいましょう。……あなたたちの“答え”を」
そう告げたその瞬間、紅茶の香りがふたたび部屋に広がった。
対話は、ようやく“核心”へと踏み込もうとしていた。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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