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169. 静かなる幕開け

 みんなに見送られ、POTENハウスを出た三人は、職人ギルドに足を踏み入れた。

 普段なら、金属を打つ音や道具を運ぶ声、交わされる挨拶で活気に満ちているはずの場所だ。

 どこか温かく、人の手の匂いがする――そんな賑やかな空気が、このギルドのいつもの姿である。


 けれど今日は違っていた。

 ざわめきは確かに耳に届いているのに、ツムギにはそのどれもが遠く霞んで聞こえた。

 胸の鼓動の方がずっと大きく響いて、周囲の音がまるで水の中のようにぼやけている。


 「お三方、会議室へどうぞ」

 案内役の男性が穏やかに告げる声で、ツムギはようやく我に返る。


 ――ぽては今日はお留守番だ。心細いが、ナギとバルドがついてくれるので安心している。


 「カロリーヌ様はすぐに参ります。どうぞこちらでお待ちください」

 そう言って、湯気の立つお茶をテーブルに置くと、案内の男性は一礼して静かに部屋を出ていった。


 残された三人の間に、しばしの沈黙が落ちた。

 ツムギは椅子の上で手を重ね、深呼吸を繰り返す。


 「ツムギ、そんなに緊張しなくて大丈夫だ」

 エリアスがやわらかな声で言う。その声音には、静かな安心があった。

 「心配なら、私が話すから」


 ツムギは顔を上げて微笑む。

 「ありがとう、エリアスさん。でも……きっと、自分の言葉で伝えた方が、気持ちは伝わると思うの」


 その言葉にエリアスは短く笑い、頷いた。

 「……そうだな。なら、任せよう」


 エドが隣で、いつもの調子で肩をすくめる。

 「大丈夫。あのアイデアは本当に画期的だし、ちゃんと話を聞いてもらえれば、きっと理解してくれるさ」


 ツムギは頷き、小さく息を吸い込む。

 ――その時。


 コン、コン。


 控えめなノックの音と共に、重厚な扉がゆっくりと開いた。


 革靴の音が静かに響き、光が差し込む。

 ツムギの視線の先に現れたのは、まっすぐな背筋と、冷たい静けさを纏うひとりの女性――


 カロリーヌ・ヴァルネス夫人、その人だった。


 白銀の髪をきっちりとまとめ、深い群青色のドレスに身を包んだ姿は、まるで静謐そのものだった。

 彼女が一歩踏み入れるたび、床石の上をすべるような衣擦れの音が響く。

 その所作ひとつひとつが計算されたように美しく、部屋の空気が自然と張りつめた。


 ツムギは思わず背筋を正す。

 カロリーヌの視線が一瞬だけこちらをなぞり、すぐに三人の前の席へと手を差し向けた。


 「――どうぞ、お掛けになって」

 低く、落ち着いた声。けれど、その響きには有無を言わせぬ力があった。


 三人が椅子に腰を下ろすと、カロリーヌはゆったりと座り、自らも姿勢を整えた。

 その動作に無駄はなく、まるで“礼そのもの”が人の形を取ったようだ。


 「私の名はカロリーヌ・ヴァルネス。職人ギルド理事会の監督を務めております」

 淡々と告げる声は冷たくはないのに、どこか距離を感じさせた。

 「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


 ツムギは一瞬息を呑み、慌てて立ち上がる。

 両手を前に重ね、少し震える声で名乗った。


 「POTEN創舎の代表を務めております、ツムギと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


 頭を下げるその姿に、カロリーヌの瞳がわずかに細められた。

 感情を読み取るのが難しい――けれど、少なくとも軽視してはいないことが伝わる。


 続いて、エリアスが椅子から立ち上がった。

 「同じく、創舎の共同運営を担当しております。エリアス・ヴァルドシュタインと申します」

 その名を聞いた瞬間、カロリーヌの眉がかすかに動く。だが、すぐに表情を整えた。


 最後に、エドがいつもの柔らかな笑みで一礼する。

 「POTEN創舎の技術部門を担当しております、エドと申します」


 カロリーヌの視線が三人を順に見渡す。

 そして、ほんのわずかに口角を上げた。


 「なるほど――若いが、ずいぶん落ち着いた顔ぶれだこと」


 その言葉には、皮肉とも称賛とも取れる響きがあった。

 ツムギは再び深呼吸をし、背筋を伸ばす。

 いよいよ、“本題”が始まろうとしていた。


 カロリーヌは、テーブルの上に置いた紅茶のカップを一度だけ軽く揺らし、ゆったりと口を開いた。

 「それで――今や飛ぶ鳥をも落とす勢いの“POTEN創舎”が、私にどのようなご用件かしら?」


 その声音は、まるで絹のように滑らかでありながら、微かに棘を含んでいた。

 笑みの形を保ったまま、瞳だけが鋭く三人を射抜く。


 その一言に、エリアスとエドの肩がわずかに動いた。

 エリアスは口を開きかけ、エドは眉をぴくりと上げる。

 だが、ツムギがそっと二人の腕を軽く押さえた。


 ツムギの表情は穏やかで、まるで相手の挑発を受け流すように柔らかい。

 「私たちの創舎は……確かに、今は運良く軌道に乗っているのかもしれません」


 その声には、卑屈さも、虚勢もなかった。

 まっすぐで、芯の通った声だった。


 「けれど、創舎のあり方について――いえ、“ものづくりを続ける意味”について、私自身、考えるところがありまして。

 その道を長く見てこられたカロリーヌ様に、ご相談をさせていただきたく、参りました」


 部屋の空気が、ふっと静まり返る。

 カロリーヌの瞳が、ツムギをじっと見つめた。


 軽く、カップを置く音。

 それだけで、エドとエリアスの背筋が自然に伸びた。


 「……相談、ですって?」

 低く、興味を測るような声。

 その声色には、先ほどの皮肉とは違う――ほんのわずかに、意外さの混じる響きがあった。

ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します


同じ世界のお話です

⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜

https://ncode.syosetu.com/N0693KH/

⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜

https://ncode.syosetu.com/n3980kc/

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