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【第1章完結】異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜  作者: 花村しずく
2-04透輝の爪飾り

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160. 風の噂

 夜明け、長い作戦会議を終え、エドはエリアスの部屋を後にした。すっかりご機嫌なエリアスの背中を見送ると、少し足取りを重くしながら自室へ戻る。


 扉を閉めると同時に、ベッドへ腰を下ろし、寝不足の目をこすった。大きくため息をひとつ吐き出す。だが次の瞬間、頬が自然に緩み、ふふっと笑みがこぼれた。


 「エリアス、絶好調だったな……。少しでも役に立てたなら、よかった」


 その声には疲労の色も混じっていたが、心の奥に広がる温かさが勝っていた。


 ――その時だった。音もなく、まるで影からにじむように一人の男がエドの前に現れた。


 「……エド様。よかったのですか?」


 年のころは壮年、無駄のない身のこなしと深い声に、長く仕えてきた者だけが持つ落ち着きが滲んでいた。


 エドは驚くことなく、穏やかに微笑む。だがその笑みの奥には、普段見せる無邪気さではなく、ヴァルトシュタインの名にふさわしい威厳が宿っていた。


 「いいんだ。POTENのみんなに何かあれば、いつでも手を出すつもりだった。それが少し早まっただけさ。……でも、よかった。もしエリアスに受け入れてもらえなかったら、さすがに勝手に動くわけにはいかなかったからね」


 柔らかな口調のまま、ふと一瞬、貴族の顔を覗かせる。その様子に男はわずかに眉を動かしながらも、安堵したように目を細めた。


 「エド様……。きっと大丈夫です。POTENの皆さまは、エド様の身分を知っても何も変わらないでしょう。……現に、エリアス様のエド様への扱いときたら……」


 思わず笑みを噛み殺すように顔を背ける。声に出せば失礼だとわかっているのに、喉の奥でくぐもった笑いが震えた。


 エドも苦笑を浮かべ、肩をすくめる。


 「そうだよね。あれは中々だったよ。……僕、書類仕事なんて得意じゃないのにさ。リナが二度とあの部屋に入りたくないって言った理由が、よくわかったよ」


 その言葉に、護衛の男は心から嬉しそうな表情を見せた。普段のエドの笑顔が、こうして再び戻ってきたことに満足したのだ。


 「では……我々の方でも、今回の件を調べておく形でよろしいですか?」


 姿勢を正し、静かに問いかける。


 エドはしばし考えるように目を伏せ、それから真っ直ぐに頷いた。


 「……手間をかけて申し訳ない。でも頼むよ。僕は……友達と、この居場所を、どうしても守りたいんだ」


 真剣な眼差しに、男は深く頭を垂れた。


 「勿論です。命に代えても……全力でお守りいたします」


 そう言い残し、次の瞬間にはその姿はふっとかき消えるように掻き消えた。まるで最初からそこに存在しなかったかのように。


 残されたエドは、静かな部屋の中で再び大きく息を吐いた。けれどその表情には、先ほどまでの疲労ではなく、仲間と居場所を守り抜く決意が確かに宿っていた。


 ——それから、数日が経った。


 穏やかだった町の空気に、いつの間にか微かなざわめきが混じりはじめていた。それは風に乗って届くささやきのように、広場の片隅で、酒場のカウンターで、商人たちの立ち話の合間に、ぽつりぽつりと姿を現す。


 「POTEN創舎……って、知ってるか?」


 誰かがそう口にすると、周囲がほんの少しだけ静かになる。やがて一人が答える。


 「便利なもんをいくつも作ってるらしいな。この間商会ギルドで配られた守り袋とか、装備に魔法を組み込む技術とか……。最近の冒険者の間じゃ、持ってない方が珍しいって噂だ」


 「……でもよ、あまりにも高機能すぎないか? あんなものが本当に、町の工房で作れるのか?」


 疑念は、小さな種のように、心の隙間にするりと入り込む。


 そして、ある日を境に、その種は一気に芽を出した。


 「先週、透輝液とうきえきを使った新製品を出そうとしてた商会があっただろ? イリア商会のライバルだったらしいぜ。あそこ、突然申請取り下げたらしいんだ」


 「聞いたぞ。しかも、その商品のコンセプトを、POTEN創舎がそのまま使って、商標登録までしたって話じゃないか」


 「盗んだってことか?」


 「かもしれんな。力のある商会が圧をかければ、登録申請の取り下げくらい、いくらでも……」


 囁きは、もはや根拠のない噂ではなかった。誰かが確かめたわけでもないのに、まるで事実のような形で語られていく。


 「“POTENの商標”って、一度使うと自分のアイデアも持っていかれるらしいぞ。共有の技術とか言いながら、登録は全部向こうの名前でされるってさ」


 「創舎ってのも、あやしいよな。あいつら、信用していいのか?」


 「もう、みんな言ってる。“あそこは盗人集団”だって」


 目に見える証拠など、どこにもない。ただ、疑念と妬みと不安が渦を巻くように、人々の間をすり抜けていく。


 誰が言い出したのかもわからぬまま、曖昧な言葉がひとり歩きし、それを否定する者の声は小さくかき消される。


 POTEN創舎——あの新しい工房の名前は、期待と称賛に満ちていたはずだった。けれど、今やそれは、胸の内でそっと舌打ちされる存在へと変わりつつある。


 光が強くなればなるほど、影も濃くなる。まるで、その光を疎ましく思う誰かの手によって、闇が少しずつ広げられていくように。


 空はまだ青く澄んでいる。けれど、地を這う風は、確かに不穏な香りを含み始めていた。

ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します


同じ世界のお話です

⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜

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⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜

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