139. リナの心配事
……エリアス、冷静そうに動揺してないように見せてたけど、あれは内心、けっこう頭抱えてたな。
リナはひとりごとのようにふっと笑い、エリアスとのやり取りを思い出しながら、イリアのもとへ向かっていた。石畳を踏みしめるたびに、胸の奥にある確信が静かに響いてくる。
《POTEN創舎》が、これだけ思い切った企画を動かせるのは、ツムギやバルドさん、そして現場の職人たちの創造力があるからやけど――
それだけでは到底、ここまで無事にやってこれへん。
商売の世界には、“ええもんを作っただけ”では通じひん領域がある。
特許や権利、流通経路に駆け引き。ちょっとした隙を突かれて、価値あるもんを根こそぎ奪われるなんて話、珍しくもない。
ツムギは、優しくて素直でええ子や。でもな、その分、「これは悪用されるかもしれん」とか、「ここが抜け道になる」なんてことは、たぶん考えもせぇへん。
その弱点を、私とイリアさんがカバーする――それが創舎の商人組の役目やと思ってた。
でもエリアスは、さらにその先や。
リナは足を止め、ふと空を見上げた。
彼は“正しさ”でPOTENを守る。どんな制度でも“絶対”とは限らへん。でも、彼が用意した網目は、簡単には破られへん堅さがある。
あの静かな目の奥には、「誰も傷つけさせへん」って決意が、いつもぎゅっと詰まってる。
……うちも、もうちょいちゃんとせなあかんな。
軽く息を吐いて、気合を入れ直すと、リナは商会の通りに足を向けた。
「ただいま戻りました〜。皆さん、おつかれさまです!」
扉を押し開けながら声をかけると、中にいた商会の面々がちらりとこちらを見て、「おかえりなさい」とにこやかに応じてくれた。かっちりしてんのに、どこかぬくもりのある空気が、ここにはちゃんとある。
リナはそのまま手慣れた足取りで奥へと進む。
向かうのは、イリアの執務室。
ドアの前で一度立ち止まり、軽く肩を回してから、こつん、とノック。
「イリアさん、おるー? 入るでー」
声をかけて扉を開けると、きちんと整った室内の奥で、イリアが羽ペンを走らせていた。窓辺から差す光に、艶やかな髪がすっとなびいてる。
その姿を見るなり、リナの目つきも自然とピリッと引き締まった。
「——ただいま戻りました。爪飾りの話、エリアスにしてきたわ!」
「あら、おかえりなさい」
イリアが羽ペンの動きを止め、視線を上げた。柔らかな微笑みを浮かべながらも、瞳は真っ直ぐ、リナの言葉の続きを促している。
「エリアス、さすがにちょっと動揺してた。書類見て、眉がピクリと動いたときには、こっちが笑いそうになったくらいやで」
「ふふ、でしょうね」
イリアも小さく笑い、書きかけの書類を片付けながら、肩をすくめた。
「あの仕事量、普通はチーム体制でまわすべきものよ。一人で処理するには、いくら優秀でも限界があるわ」
「せやろ? 今なんて、職人チームはツムギにエドにジンにバルド先生で4人、商人チームもウチとイリアさんで2人。エリアスだけが、たった一人であの分量抱えてるんや。そろそろ誰か雇ってもええと思うんやけどなあ……だいぶ儲けも出てきたことやし」
イリアは静かに首を振ると、表情を少しだけ引き締めた。
「でもね、リナ。それがエリアスなのよ」
イリアはティーカップをそっと置き、窓の外に視線を向ける。
「きっと単純に、人手が足りないって話じゃないわ。信頼っていうのは、お金じゃ買えないもの。法の整備は細かくて、一つの判断ミスが命取りになりかねない。だからこそ、自分で一から仕組みを作っておきたいのかもしれないわね」
そして、ゆっくりとリナのほうを見て続けた。
「それに……人を雇えば、それだけ情報が外に出る可能性もある。商標のことや、新技術の登録なんて、ほんのわずかな漏洩で全部持っていかれることだってあるでしょう? エリアスはそのリスクを、誰よりもわかってるのよ」
リナは「……なるほどな」と顎に手を当てて、しばし黙った。
「つまり、あいつは——出来るだけ安全に事を進めようと、思ってるってことか」
「ええ、きっとそう。あの子はね、根が真面目で、誰よりも責任感が強いから」
イリアの声には、どこか優しい親のような響きがあった。
リナはふっと息をつき、少しだけ天井を見上げた。
「……まったく、律儀なやっちゃで。放っといたら、ほんまに倒れるまでやりそうやからな」
「だからこそ、私たちが少しずつ支えていかなくてはね」
イリアが静かにそう言って、ふと視線を落とす。その声には、いつものように冷静な理知が宿っていたけれど、どこか遠くを見つめるような柔らかさもあった。
リナは「そうやな」と小さく頷きながら、イリアと共にこれからの方針を話し合った。
——長期的には、信頼できる証契士をもう一人見つけること。
候補に名前が挙がったのは、エリアスの師匠であるヴェルナー。実績もあって信頼できる人物だが、彼は非常に多忙で、依頼も殺到している人気の証契士だ。
すぐに頼るのは現実的ではない。
「ま、焦る必要はないか。エリアスが納得する相手が見つかるまで、ゆっくり探してみるわ」
リナの声は明るかったが、その裏には仲間への強い思いやりがにじんでいた。
一方で、短期的には現実的な対応も必要だった。
「うちは、今までよりもう少ししっかり資料作ってから、エリアスに持っていくようにするわ」
「ええ、それがいいわね」
リナは法律のことにそこまで詳しくないが、彼が必要とする情報が何かは、商売をしているからこそある程度はわかる。分からないことは勉強したり、調べればいいし、揃えるのは得意だ。
その分、増える業務についてもイリアがすぐに申し出てくれた。
「リナ、あなたの手が回らない分、私の商会の仕事は少し他の者に任せるようにするわ」
「え、ほんまに? イリアさんにそこまでさせるんも——」
「ううん。むしろ、そうしておいた方がいいのよ」
イリアは一拍おいて、ちょっとだけ目を細めて笑った。
「こうして、あなたのPOTEN創舎の商人としての仕事が少しずつ増えていくと、私の商会の仕事は減っていく。……でもそれは、誇らしいことでもあるのよ。独り立ちまでもう少しってことだもの」
リナは目をぱちぱちと瞬かせた後、むずがゆそうに頬をかいた。
「……うち、まだまだ足りてへんけどな。イリアさんには、まだまだ頼るで?」
その言葉に、イリアは「ええ、頼らせておくわ」とだけ、優しく返した。
次回は、土曜日23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
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