115. 不穏の兆し
——時は少し遡る。ツムギたちが“お守り袋”の制作に没頭していた、ちょうどその頃
午後の柔らかな光が、イリア商会の応接室に差し込んでいた。
重厚なカーテンが揺れ、風が香る。室内には、仕事の合間を縫って集まった者たちの気配が、静かに満ちていた。
先に姿を見せていたのは、商会主のイリア。きっちりと整えられた帳簿に目を通しながらも、軽やかな動きで茶器の準備をしている。
その向かいのソファに腰を下ろしていたのは、バルド。長い足を組み、紅茶の香りをゆったりと楽しみながら、机の端に置かれたとある資料に目をやっていた。
「……この前、例の商人がまた来たんじゃ。『子供のプレゼントだ』とか、もっともらしいことを言うての」
「あら。今回も、POTENの品を“譲ってほしい”という話だったのかしら」
イリアの声に、バルドは苦笑交じりに頷いた。
そのタイミングで、ジンが扉を開けて入ってくる。作業着の袖を少し折り返したままの姿だ。
「遅れて悪い。ちょっと面白い試作の途中でな」
「まったく、貴方は本当に試作品が好きね」
イリアが揶揄するように笑いながら、すぐに新しいカップを手に取る。
ジンが腰を下ろしたところで、続いて扉が再びノックされた。現れたのはエリアス。手に書類の束と万年筆を抱え、その後ろにはリナが肩掛けカバンを片手に入ってくる。
「遅くなってすみません。報告書、ギルドに提出してから来たので」
「私は例の帳簿、ちゃんと見てきたで。けど、ちょっと妙な動きあるかも」
イリアは微笑みを浮かべながらも、視線をわずかに鋭くさせた。
「——では、揃ったわね。今日は、少し込み入った話になると思うけれど」
紅茶を注ぎ終えたイリアが、ゆっくりと腰を下ろす。
カップの縁から立ち上る湯気が、どこか緊張の始まりを告げているようだった。
そう切り出したイリアの声は、静かに室内の空気を引き締めた。
ジンが眉をひそめ、手元のカップを持ち上げることも忘れたように黙って耳を傾ける。
バルドは組んだ腕のまま、じっとイリアの言葉を待っている。
エリアスは、何かを予感していたのか、すでに手帳を開き、ペンを指に挟んでいた。
リナは唇を引き結びながら、背筋を正すように椅子に深く座り直す。
「POTENの商品が予想以上の人気を得ているのは、皆さんもご存じよね。イリア商会を通じての受注も好調で、売れ行きも上々。ツムギたちの手が追いつかないほどよ」
そこまで言って、イリアは一度、紅茶に口をつける。
湯気の向こう、瞳の奥にいつもの穏やかさとは違う、慎重な光が宿っていた。
「……でも、その人気が、別の動きを呼んでしまったわ。今のところ表立ったことはないけれど、高位貴族の中に、POTENの品を“裏から”手に入れようとしている者がいるという話が入ってきたの」
室内の空気が、わずかに沈んだ。
「私たちが創舎の存在を守るために先回りしておくべき時期に来ていると思うの。特に、ツムギの創術や、ジンとエドくんが開発した技術に注目している声もあるわ。……素材や技術だけを切り取って、自分の傘下に収めようとするような動きが、もう水面下で始まっているかもしれない」
その言葉に、バルドがふぅ、と静かに息を吐いた。
「……そうなるじゃろうな。創舎を立ち上げたばかりで、ここまでの技術力を持つところなど、そうそうあるまい。目をつけられても不思議はないわ」
「ツムギたちには、まだその気配は伝えていないのよね?」とリナが尋ねる。
イリアは静かに首を振る。
「ええ。まだ話す段階じゃないと思ってるわ。彼女たちには、“ものづくり”に集中していてほしい。……それが私たち、導き手と経営チームの役目でしょう?」
エリアスが軽く頷いた。
「では、これを機に対策を進めましょう。創舎の商標登録は私の方で進めていますが、必要であれば、外部の技術悪用を防ぐための対策も検討すべきです。それに——ツムギたちの身の安全も、きちんと確保しておかないと」
「おお、それは助かるな」
ジンが短く頷く。
「技術が広まるのは構わんが、使う側に節度がなければ、それは害になる。……ツムギたちの安全が、まずは最優先事項だな」
「……それと、もうひとつ」
イリアは、テーブルの上に置かれた書類に手を伸ばした。
「これは別件だけれど、ハルくんのこと。先日、彼が見つけたダンジョンの別ルート……あれが深層部に繋がっている可能性があると聞いたわ」
ジンの表情がぴくりと動く。
「ダンジョン発見の権利は、発見者に半年。確かにそうなっていたな」
「ええ。問題は、ハルと同行した《リュカ》という子に、最近いろんな“声”がかかり始めていること。……どうやら、POTENと関係を持つことで情報を引き出そうという動きや、ハルやリュカをパーティーに引き込もうとする者も出てきているようなの」
重たい沈黙が、再び部屋を包んだ。
沈黙を破ったのは、バルドだった。
「高位貴族に関しては、わしのツテを頼って王族に願い入れることもできんではないが……逆に、王族に目をつけられたら本末転倒じゃからのう。
それにしても、子どもを利用してまで得ようとする技術に、いったい何の価値があるというんじゃ」
その言葉には怒りというより、深い失望がにじんでいた。
「ジン、リュカの保護についてはどうじゃ? 本人が望んでいるのなら良いが、狙われている以上、目を離すのは危うい」
「そうだな。ハルとはすごく仲が良さそうだった。……まずは直接会って、本人の意志を確認しておきたい」
「イリアさん」
エリアスが席を正すように背筋を伸ばす。
「POTENの技術と人員、あまりに注目が集まりすぎています。おそらく今後、“表向きの依頼”に偽装した探りや、“協力関係”を持ちかけての取り込みも出てくるでしょう」
「ええ、すでに少しずつ動きは見えてるわ。だからこそ、ツムギたちに直接話すのは、もう少し後にしましょう。……今は、私たち大人と経営側で、壁を立てておかないと」
イリアの言葉に、室内の空気が引き締まる。
エリアスは、手元の小さな帳簿にさらりとメモを入れながら、静かに頷いた。
「私は、家にある貴族関連の記録から当たりをつけてみます。過去に似た動きをした家がいれば、辿れるはずです」
「わしも、昔のツテをたどってみよう。表立ってではないが、王族方面に顔が利く者もおるでな」
バルドは腕を組み、目を細めた。「もっとも、下手に動けば、王族の関心まで引いてしまう可能性もあるが……まあ、そのときはそのときじゃ」
「私とリナは、お得意さまから話を拾ってみるわ。意外とそういうところで、ぽろっと出てくることもあるから」
イリアが軽く目線をリナに向けると、リナも「任せといて」と力強く頷いた。
「それと……」イリアがふと視線を上げる。「今回の守り石。あれの“強化版”を、POTENメンバーとリュカ君用に作ってもらえないかしら。目立たない範囲で、しっかり守れるものを」
「ふむ……それは面白い案じゃのう」
バルドは小さく笑い、「わかった、ツムギと作ってみるよ。職人というものはの、限界に挑戦したくなる性分でな……これはちょっと、楽しみになってきたわい」と言って目を細めた。
ジンも軽く頷きながら言葉を継ぐ。
「じゃあ俺は、ハルから自然な形でリュカを紹介してもらって、様子を見るとする。エドにも声をかけて、二人に合う装備を試作してみよう。今のうちから備えておくに越したことはない」
静かに、だが確かに、POTENの仲間たちを守るための準備が、ここから始まっていた。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
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