104. 守りの魔法陣
3月14日の投稿です
朝の光が柔らかく作業場に差し込むころ、POTENハウスのダイニングでは、ツムギとバルドとハルが並んで紅茶を片手に、ほっと一息つき、ぽてはテーブルの上でちょこんと座り、湯気の立つ小さな器からスープの残りを味わっている。
ハルは、ぽての頭をひと撫でしてから立ち上がる。
今日の彼は、少しだけ冒険者らしい格好をしていた。
膝丈のブーツに、動きやすそうなショートマント。腰には小さなナイフも提げられている。
——そういえば、少し前にまたポシェットが進化し、荷物がたくさん入るようになったのだ。
アイテムボックスのように変化を遂げたポシェットには、いつものセットを入れてもかなり余裕があるという。それに感じる重さも半分くらいになったようだ。この間、エドやバルド先生が興奮して調べていた。
「いってきまーす!」
元気な声を残して、ハルは玄関に駆けていく。
ツムギとバルドが「本当に気をつけてね」「無理するなよー」と笑いながら見送ると、ぽても小さく「ぽへっ(がんばってねー)」と手を振るように跳ねた。
リビングに再び静けさが戻る。
今日はバルド先生と一緒に、守りの魔法陣を作ることになっている。
昨晩はそのために、魔法陣の参考書をいくつも広げ、あれこれと資料に目を通した。準備は、ばっちりのはずである。
ちなみに最近、バルドはPOTENハウスにある本棚をかなり充実させてくれていた。
「調べものをして知識を蓄えるからこそ、アイデアが生まれるのじゃ」と言って、自分の工房や家から使えそうな書籍を何往復もしながら運び込み、せっせと並べてくれている。
魔導系・魔法陣のみならず、ギミックや素材、さらにはなぜか経営や商売に関する本まで揃っていて、その幅広さには思わず笑ってしまうほどだった。
そして最近では、明らかにバルド本人には必要なさそうなタイトルの本まで並び始めていて——
たとえば、「《これさえあれば大丈夫!》——生き延びる冒険者の必携アイテム10選」や「《命あっての冒険譚》——今日も生きて帰るための実践知識100選」など、ハルを絶対危険な目に合わせないという固い決意が透けて見える本や、「染め粉を使ってオリジナルの生地を作ろう」など、ナギしか読まなそうな本まである。
極めつけは「パーフェクト栄養食・保存版」などのレシピ本で、料理本のカテゴリーは最近どんどん増えつつあった。
きっとバルドは、元々持っていた本だけでは足りず、ツムギ達のために、こっそり買い足しているに違いない……と、ツムギは密かに思っている。
しばらくして、ツムギがそっとカップを置いた。
「……バルド先生、そろそろ、お守りの魔法陣の作成始めますか?」
「うむ、ちょうどいい時間じゃな。作業場に行くとするか」
バルドが腰を上げると、ぽてもぴょこんと跳ねてツムギの肩に飛び乗った。
「ぽへ!(いざ、出陣!)」
紅茶の香りの余韻を残しながら、三人は静かに作業場へと歩いていった。
扉を開けると、ほんのりと木の香りが漂う作業場に、朝の光が差し込んでいた。
その中央の机には、すでに魔導裁縫箱——“先生”がちょこんと鎮座している。
「おはようございます、先生。今日もよろしくお願いします」
ツムギがそっと声をかけると、魔導裁縫箱の蓋に『よく来たね。準備は万端かい?』と、いつものあたたかな筆致で文字が浮かび上がる。
「もちろんです。今日は、“守りの魔法陣”ですからね」
ぽてがぴょこっと跳ねて、「ぽて!(がんばるぞ!)」と小さく気合を入れる。
バルドも椅子を引いて腰を下ろすと、机の上に分厚い資料を広げながら、ゆったりとした口調で言った。
「さて、どんな守りを、どうやって“あのサイズ”で込めるかじゃな」
「今回は、子どもたちに配るお守り袋ですからね。できるだけ多くの子が持ち歩けて、ふとした時に“守られてる”って思えるような……そんな魔法陣にしたいんです」
ツムギの言葉に、魔導裁縫箱の蓋がすーっと光り、『想いは受け取ったよ。それなら——』と一文が浮かぶ。
次の瞬間、蓋の表面に幾つかのシンプルな魔法陣の候補が順に表示されていった。
「……ふむ。どれも“危険を察知する”系じゃな。小さな刺激や気配を感じたとき、持ち主に軽く魔力で知らせるような」
「はい。防御結界を張るような力はとてもじゃないけど、あのサイズには刻めませんし……」
ツムギは目の前に表示された魔法陣のひとつに指を添えながら、唇を引き結んだ。
「しかも百個分。手作業で刻むとなると、複雑な陣は破綻するおそれがある。簡素な構造で、なおかつ機能性の高いものが必要じゃな」
「ぽへ……(ら、らくじゃないぞ、これは……)」
ぽてがひそかにぽふっと身体を揺らしながらつぶやくと、先生の蓋に『大丈夫、ぽてくんも手伝ってね』と茶目っ気たっぷりな一文が現れた。
ツムギも笑いながら「うんうん、ぽても何か思いついたら教えてねー」と声をかける。
バルドはいくつかの候補を眺めたあと、ひとつを指さして言った。
「この外周の線、ここまで広げずとも機能は落ちんじゃろ。むしろこの大きさなら、もっと内側に収めたほうが安定するかもしれん」
「なるほど……確かに。先生、ここの調整お願いできますか?」
すると魔導裁縫箱の蓋に、『了解。改良案、こちら——』と書かれ、すぐに修正された魔法陣が表示される。
無駄な線が削ぎ落とされ、中心に向かって柔らかく包み込むような形になった。
「すごい、なんだか……優しい雰囲気になりましたね」
「お守り袋だからのう。攻撃性のあるものより、心を落ち着かせる構造にしたほうがいい」
ぽてがぽふっと跳ねて、「ぽてっ(こども、すきそう)」と賛成の意を示す。
「できれば、この“中心の印”だけは残したいです。これがあると、持ったときに心が温かくなる気がするんです」
ツムギは、小さな指でその印をなぞった。
それは、守りの魔法陣においてごく基本的なものではあったが——どこか、彼女にとって“特別”な印でもあった。
「……おぬしの“想い”が込められとるのじゃな」
バルドが静かに頷くと、魔導裁縫箱の蓋に『その想い、大切にしよう』という一文が浮かび上がる。
その後もツムギは、先生とバルドの助言を受けながら、ノートにメモを取りつつ線を調整し、何度も試行錯誤を重ね、ツムギのノートには、これまでに考えた魔法陣の構成案や、各線に込めた意味、過去の失敗とそこから得た気づきが、几帳面な文字でびっしりと記されていった。
そしてようやく、納得のいく形の魔法陣が出来上がり——次は、実際にきちんと発動するかどうかを確かめるため、試作品の制作に取りかかることになった。
「先生、さっきの簡略化したやつ、もう一度出してもらえますか?」
魔導裁縫箱の蓋に、『簡略化魔法陣表示中』という文字とともに、柔らかな光で魔法陣が浮かび上がる。
ツムギはそれをじっと見つめ、小さく頷くと、机の上に試作用の紙を取り出した。
魔石のサイズはおおよそ二センチ四方になると見込み、紙を同じ大きさに切り揃えていく。
彼女は魔道裁縫箱の中から、小さな魔導ペンを取り出す。
ペン先に魔力を込めると、薄く光る青白い軌跡が浮かび上がった。
「……よし、いくよ」
ツムギは丁寧に、中心の印から順に、静かに線を重ねていった。
何度も練習した手の動きだが、それでも小さなズレが気になって、描いては消し、描いては調整しながら、魔法陣は徐々に紙の上に姿を現していく。
「ぽてぇ……(がんばれー)」
肩の上のぽてが、いつになく真剣な顔で見守っていた。
最後の線を引き終えた瞬間、ツムギの魔力がゆるやかに紙に浸透し——
パッ、と淡い光が紙全体を包んだ。
「……できた!」
紙の中央が、かすかに脈打つように輝いている。成功の証だった。
ツムギはペンを置き、ほっと息をつく。そして完成した魔法陣を披露しようとしたそのとき——
「ただいまー。今、帰ったよー!」
リビングの扉が開き、明るい声が響いた。
「リナ、おかえり! ちょうど今、試作の魔法陣できたところ!」
ツムギが嬉しそうに声を上げると、リナは「おっ、それは見せてもらわなあかんなあ」と笑って中へ入ってきた。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
https://ncode.syosetu.com/N0693KH/
⚫︎ハルの素材収集冒険記・序章 出会いの工房
https://ncode.syosetu.com/N4259KI/