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電災都市  作者: あるふぁ
第二章『新宿クオム』
9/18

『新宿クオム』-6

「じゃあ、組みあがったら使いの者を送るヨ」


 王さんの声を背に、真とアリスはトレーダーの牙城――かつては人々で賑わったディスカウントストアのビルを後にした。


 重厚な鉄扉と金網で覆われたその場所は、今では武器と情報と策略が交差する『商都』とも言える拠点だ。


 そこから、一歩外に出ると、その瞬間、いつもの饐えた街の臭いと砂塵、乾いた風が二人を包む。



 ――結局、当初の予定を大きく上回る買い物となってしまった。


 長物三丁に加えて、新たな拳銃(ハンドガン)……M17に、ウェポンライトとカスタムホルスターという、贅沢なオマケまで付けての追加購入。


 本当は、オーストリア製のポリマーフレームオートが希望だったのだが……王さんの話では、今後もその出物はまず期待できないらしく、泣く泣くM17に落ち着くこととなった。


 M17はアリスのM18とは兄弟分のようなもので、同じP320をベースとする銃だ。

 米軍の要求仕様にブラッシュアップされたモデルで、高い汎用性を安定性を備えている。M18の方はコンパクト化されたモデルで、全長が183 mmと、彼女の手でも扱いやすい大きさとなっている。

 


 それにしても――今日ほど、自らの無防備さと、頭部を護るものの重要性を痛感した日はなかったように思う。

 

 だからこそ、真は迷うことなく、米陸軍仕様のバリスティック・ヘルメットの購入を決めた。

 それに伴い、ヘッドセット用のアダプターや、暗視装置(ナイトビジョン)も追加購入したのは言うまでもなく、……支払額は面白いほどに跳ね上がった。


 傍らを歩くアリスの視線は、氷点下の如く、冷ややかだ。

 まるで、真を『浪費の化身』とでも言いたげな表情で、冷たい視線を容赦なく突き刺さしてくる。


 とはいえ、この装備は単なる趣味や、マニア心を満たすだけの浪漫などではない。


 夜間行動用の暗視装置(ナイトビジョン)も、レヴュラ対策だけを想定したものではなかった。


 ……真の脳裏にあるのは、いつか必ず訪れるであろう、サヴェージスとの戦い。


 実は、既にいくつかの装備をアリスには内緒で集め始めている。

 たとえば、イルミネイター(AN/PEQ-15)

 戦術用レーザーと赤外線照射器を内蔵した精密な光の兵器。闇夜に紛れ、標的を射抜くための装置。

 そして、ピカティニーレールに取り付けるアクションカメラもそのひとつだ。

 記録することも、今や戦場の「力」になる。


 サヴェージス――奴らは、欲望の化身だ。

 人間という名の皮を被りながら、秩序も理性もかなぐり捨て、他者を屠って財を奪い取り、生き残ろうとする獣。

 ……そんな連中が、いつまでも、新宿をはじめとするクオムを見逃すはずがない。

 

 ――この街も、いずれは標的にされる。そう考えるのは、悲観でも妄想でもなく、冷徹な現実から来るものだ。


 この壊れかけた世界で、十本、二十本どころか、頭のネジがすべて抜け落ちたような連中の思考など、常識で推し量るなどできやしない。


 だからこそ……生き延びるために、常に一手先を読む。これはそのための投資であり、備えという名の命綱だ。


 ……そうした考えを自然に持てるようになったのも、王さんとの長い付き合いの中で、培われた経験によるものなのだと思う。


 ――彼は、ただの気のいい商人などではない。

 電災前の欲望や、陰謀が渦巻く混沌の街――歌舞伎町で長きにわたって強大な根を張り続ける事は、並大抵の事ではないはずだ。

 勿論『裏の顔』を行使する事もあっただろうが、それでも彼は歌舞伎町で生き抜き、そして多くの支持と尊敬を集めた。

 

 トレーダーとして生きる今であっても、取引の中に、戦場を生き延びるための知恵を、教訓を巧みに織り込んでくる。

 そして、その影響を受けた真は、知らず知らずのうちに、生きるための勘を研ぎ澄ませていったのだった。



 「真、いつも王さんに乗せられすぎなんじゃないの?」


 アリスが頬をぷくりと膨らませ、明確な不満を漏らす。


 無理もない。今日の買い物は、控えめに言っても『爆買い』そのものだった。

 突撃銃(アサルトライフル)狙撃銃(スナイパーライフル)、対物ライフルに新しい拳銃(ハンドガン)。おまけに装備品のいくつかまでお買い上げだ。吹き飛んだ額も半端じゃない。


 思い返せば、アリスのM18を買ったときもそうだった。

 真が担ぐ軍用嚢(ダッフルバッグ)に収められた69式火箭筒(中国版RPG-7)を手にしたのも、王さんに煽られた末の結果だった。


 ――だが、今回はそれで命拾いしたのも事実だ。


 確かに、今日の買い物でB級レヴュラ討伐の報酬はあらかた吹き飛ぶことになるだろう。

 いや、もしかすると、手持ちの資金にまで手をつける事になるかもしれない。

 だが、真に後悔は一切なかった。


 この先、レヴュラとの戦いが、いつ終わるかなど、誰にも分からない。

 だからこそ、武器は「あるうちに確保する」――それがこの時代における、最低限の戦略だ。


 なにより、今日手に入れた銃達は、いずれ確実に『希少品』となる。

 

 銃も弾も、もはやこの世界で新たに生み出されることはない。

 製造ラインは止まり、供給は途絶えた。

 数は減る一方で、消耗品と化した武器は、やがてこの地上から確実に消えていくことが決まっているのだ。


 だから、「また今度」は存在しない。

 次があるなどと思う者から、先に死んでいく――それがこの世界において揺らぐことのない現実だ。


 中には武器を買う金すらなく、鉄板の切れ端を盾がわりに、釘バットや鉄パイプといった即席の鈍器を手にして、命を懸けた原始的戦闘を展開する者もいる。


 それを勇敢と呼ぶか、無謀と笑うか。

 少なくとも、実戦を知る者であれば、答えは後者だろう。

 レヴュラ相手に、装備の強化も無しに戦うのは愚か者の蛮勇だ。


 鉄筋などの金属棒を強力なスプリングで発射するだけの手製ボルトガン。

 一発撃っただけで機関部が爆ぜ、使い手が尻尾を巻いて逃げてきた姿を何度見た事か。


 木材にパイプを括りつけ、簡素な撃発構造を捻じ込んだ即席ショットガン。

 見た目からして既に『ヤバい』それを、誇らしげに担いで『外』に向かう若者もいる。

 果たして二発目が撃てるのか――いや、撃てたとしても、自分の手が無事かどうかすらも怪しい。


 電災直後から運よく本物の銃を手にしていた者は、実際のところ極僅かであり、真は運よく銃を手にする事が出来たから、今の暮らしを構築することができた。


 結局、この世界では、使う道具の質が、そのまま生き残れる確率を左右させる。

 装備の良し悪しは、依頼の成否に直結し、すなわち報酬、食料、寝床――すべての命綱に繋がっているのだ。


 だからこそ、真は思う。

 良い武器を持つことこそが、この世界で生き残るための「力」そのものなのだと。

 ……誰が言ったか「火力は全てを解決する」と言う言葉。今となっては、その言葉もあながち、間違ってはいない。



 「……今日は戻ったらお肉食べるって言ってたのに」


 アリスが小さく肩を落とし、しゅんとした声で呟く。

 その言葉を聞いて、真はようやく思い出した――そういえば、夕飯の約束をしていたのだった。完全に、頭から抜けていた。


 王さんの店でM4の現物などを見てしまったのが運の尽き。

 あれを前にして、理性なんてものはとっくに吹き飛び、気付けば銃器談義に花を咲かせていた。

 

 そもそも「肉が食いたい」と言い出したのは真自身だったはずなのに……アリスも、それを楽しみにしていたのだと思うと、さすがに申し訳なさが胸を突く。

 ……機嫌を直してもらうまで一苦労しそうだ。精々美味い肉を振舞わなくては。

 

 

 ――仲見世通りを抜け、さくら通りを進む。

 電災が起こる前は、狭い路地にド派手な看板を掲げたガールズバーや、風俗店、時間が停まったままのような、レトロな見た目の飲み屋、風俗案内所などが所狭しと立ち並ぶ猥雑なエリアだった。

 無論、今は営業している店など殆どなく、ここが繁華街であった事すら忘れさせるほどに、静まり返っている。

 

 そんな、通りの一角に、その店はあった。


 看板もくたびれた、数人入れば満席になるような狭い店だ。

 だが、今や貴重な肉料理を出す数少ない場所として、知る人ぞ知る評判を得ている。


 時刻は夜の七時を回った頃。

 戸は開け放たれていて、店内からは香ばしく肉の焼ける香りが、ふわりと流れてくる。

 鼻腔を擽るそれに、真の胃袋は訴えかけてくる――もう限界だ、と。


 ……今日の爆買いに対して、ご機嫌斜めなアリスの機嫌を取らなければいけない。

 幸い、目当ての肉もまだ残っているようだ。

 それだけで、今日一日の苦労が幾許か報われた気がする。

 


 


 真達が店の入り口をくぐった瞬間、カウンターの奥からその姿を目に留めた店主が、手を止めたまま、固まった。


 ――まあ、無理もないだろう。


 このご時世に、肉などという高級食材を扱う店に現れたのは、どう見ても場違いな男。

 煤と埃に塗れ、薄汚れた戦闘服。

 髪には怪しい液体の痕跡が乾き、異臭すら放ちそうなその姿は、どこからどう見ても、浮浪者そのもの。

これが漫画のキャラクターなら、頭の上を飛び回るハエを書き加えられそうだ。


 それでも、太腿に吊るしたホルスターと、その中で鈍く光る暴力の象徴(ハンドガン)が、彼がハンターであることだけを辛うじて証明している。


「……おい兄ちゃん、最近のレヴュラは肥溜めでも襲ってくるのか?」


 皮肉混じりの店主の一言に、真はただ苦笑するしかなかった。

 今日だけで、これと似た反応を何度受けたことか。


 他の客達も視線をちらりと向けてくるが、誰一人として声をかけてはこない。

 決して目を合わせず、関わりたくないという態度の方が正解か。

 空気が微妙に張り詰める中、それでも真は構わず椅子に腰を下ろし、涎をこらえて切実に言った。


「頼む……いいから、肉をくれ。腹が減って、本当にもう、我慢の限界なんだ」


 店主は深々とため息をつくと、戸棚の奥から、使い古されたボロ布を取り出した。

 ……ちなみに、この世界の飲食店に、温かいおしぼりなどという贅沢は存在しない。


「……せめて、それで顔くらい拭け」


 この店に格式なんてものはない。

 だが、今の真の姿は、さすがに他の客の手前、店主としても見過ごすわけにはいかなかったのだろう。


 ――それでも、すぐにつまみ出されなかっただけマシだ。

 この時代、それだけで歓迎と受け取っていい。



 

 カウンターの奥、鉄板の上で肉がじゅうじゅうと音を立てて焼けていく。

 香ばしい煙が立ち上り、わずかに焦げた脂の匂いが空間を満たした。

 店主は無駄のない手つきで肉を返し、タイミングを見計らって皿に盛りつける。


 皿の上の赤褐色の塊にナイフを入れ、一口大に切り分けて口に運ぶ。

 熱と共に、凝縮された旨味が舌の上に溶け広がった。

 とろけるような脂、歯を押し返す繊維の弾力、わずかな塩気がそれらを引き締め、真は思わず目を閉じる。


 ――これが、加工肉だとは到底信じがたい。


 かつては、日々当たり前のように、庶民の食卓にも並んでいたはずの食肉。

 それが、牛であろうと豚であろうと、鶏であろうと、今やこの世界ではめったにお目にかかる事はできない。

 

 レヴュラの侵攻が比較的緩い地方では、電災前ほどとまではいかずとも、未だ畜産を行っている地域もある。

 それらの地方から、トランスポーター達が決死の思いで運んでくるのが、これらの肉だ。

 

 保存のために手が加えられた食材でここまでの完成度。口にできたことが、ほとんど奇跡にすら思える。


 同じテーブルに向かいあうアリスは、無言でナイフとフォークを操っていた。

 どうやら、機嫌の方は直ったらしく、楽しげに肉を切り分ける手元は、どこか優雅さすら感じさせる。

 

 

 ――彼女はメカドール。本来であれば、人間のように、栄養素として食事を摂る必要はない。

 

 だが、メカドールには、人間と原理はまるで違うものの、味覚を感じとる事や、飲食物を消化処理する機構が備わっている。


 ――だが、彼女達にとって食事という行為は単なる嗜好ではない。


 食べるという行為。

 人と向かい合い、同じ皿を囲み、同じ時を共有するという行動は、アリスのようなメカドール達にとって「人間に寄り添う」ため、大切なことであった。


 もし、それを捨ててしまえば、彼女達は、ただの機械であり、道具でしかなくなってしまう。

 それは、彼女達が最も忌む在り方だ。


 共に過ごすこと。共に食すことも、そのひとつ。

 それは彼女達の存在意義そのものであり、人間との間で日々積み重ねられ、同じ生活様式の中で育まれていく、ひとつの「絆」でもあった。

 


 真は冷えたコーラを喉に流し込む。

 炭酸が舌を刺激し、乾いた喉が潤い、胃の底に静かな充足が広がっていくのを感じながら、ふっと息をついた。


 こんなにも満たされた時間は、いつ以来だっただろうか。


 本来なら、こういう場面こそ、ビールで一杯と洒落込みたいところなのだが、真は外で酒を飲むことは控えている。

 

 酔えば隙が生まれる。それはこの街では命取りだ。

 寝首を掻こうとするような者がいないわけじゃない。

 目が覚めたときにはすべてを失っていた――そんな話は御免であるため、真は常に気を張っている。

 無条件で酒に心を許せるほど、今のこの世界は甘くない。


 

 それにしても――と、真はふと考える。

 この極上の肉が、なぜこんな場末の小さな店で静かに供されているのか。


 ――答えは明白だ。


 この世界で肉は、選ばれし者だけが口にできる「価値」だからだ。


 今は、保存期限がとうに切れたカップラーメンですら、一個五千円はする。

 

 ツナバーガーのような電災後に限られた素材で、試行錯誤の末に生み出されたものならまだいい。……問題は代換食材の方だ。物によっては、食ったものをその場でリバースしてしまうような代物も当たり前に存在する。


 市場価格など崩壊したも同然の今、電災以前の懐かしい味を求める者は少なくない。


 肉ともなれば、その価値は跳ね上がり、十倍、二十倍は当たり前。

 その希少な食材にありつけるという事は、生き残った者への「報酬」であり、戦って手にした「証明」でもある。


 それを手にするには、当然、対価が必要だ。


 金を稼ぐ手段もいろいろとあり、例えば、命を張る仕事はそのひとつ。

 クオムの外に出て、レヴュラと呼ばれる機械兵器を狩るハンター。あるいは、情報を持ち帰るスカウトとして暗闇の中を這うといった、命の危険と引き換えに大金を稼ぐ者達……真もその一人だ。

 


 安全な職に就けるのは、一握りの適格者のみ。ユニオン運営スタッフがそれに挙げられる。

 これに関しては、適正と技量が求められるため、元公務員や銀行員等といったビジネスの経験者が多い。

 

 その他には、トレーダーと呼ばれる、物資を売買する商人達。

 

 ただ、トレーダーとして生きていくためには、暴騰した物資を買い集めるための莫大な原資が必要だ。

 何処に潜むかわからない、レヴュラの目を掻い潜る『仕入れ』担当のコレクターを雇う金も必要であり、仕入れた物資を運ぶキャリアーやトランスポーター、そのための機材など、必要な条件は山ほどある。

 おいそれと始められるような商売ではないのだ。

 

 クオムの治安を守るガーディアンと呼ばれる彼らは、ユニオンから選ばれた者達だけが担える任務を背負っている。

 警察機構が壊滅した今、クオムの治安を維持する重要な立場であるため、望んだからといって、誰でもなれるというものではない。


 ならば、どう生きればいいのか。


 多くの人間は、クオム内での肉体労働に従事する事で、対価を得ている。

 瓦礫を撤去し、壁を塞ぎ、配電を支え、水の供給ラインを繋ぐ。

 電災を生き残った者達のライフラインはそんな彼等によって維持されているのだ。

 

 中には人が望まない、汚物を処理する仕事や、食料を作り出す側に回り、汗を流す。

 あらゆる創意工夫で、農作物を作る者もいれば、言葉には出したくない「蛋白質の摂れる何か」を繁殖させる者もいる。

 ――その汗と引き換えに日々を食い繋ぐのだ。


 それらの仕事は、命を危険に曝す心配もないし、飢えるほどではない。

 だが、かといって、贅沢できるほどの余裕を得ることはなかなかに難しい。

 仮に、その努力が報われたとしても、その果実は往々にして大きくない事が殆どだ。


 だが、もっと効率よく稼ぐ者もいる。

 ――自分自身に『値段』をつけ、人の欲望に身を委ねる者達。

 

 かつては禁じられていたはずの行為も、今では咎める法すら存在しない。

 交易者(アクトレス)と呼ばれる女は、今日も際どい服装で男を誘い、路地裏の影宿(ドヤ)へ男と腕を組んで消えてゆく。



 クオムに身を置くために必要な、居住税を払えなくなった者達は、次第にその「輪」の外へと押し出されていく。そんな、彼らの行き先は様々だ。

 幌を連ねて荒れ果てた地を彷徨う、移動型キャンプ集団――『キャラバン』。

 あるいは、文明の恩恵を最小限に抑え、自給自足で生きる独立共同体――『フリーステイツ』

 

 それらに属さず、世の喧騒から一歩距離を置くように、自らの古びた家や、廃墟同然ながらまだ住める建物を拠点に、ひっそりと生きる者達もいる。

 人は彼らを、『ソロビト』と呼んでいた。

 

 都市部の外縁や、レヴュラの侵攻が少ない地方都市では、かつての住まいにしがみつくように暮らすソロビトは少なくない。

 彼等はコレクター達と同じように、探索で金目のものを見つけては、クオムへ出向き金に換え、最低限の物資を調達する。

 そうやって、余計な接触を避けて静かに日々を繋いでいるのだ。


 この世界では、もはや誰もが自らの生を担保にして生きている。

 誰かが差し伸べる「無償の善意」などというものは、もはや夢物語に等しく、座して動かない者に手を貸す余裕など、誰一人持ち合わせていない。

 

 立ち止まった者から順に、沈んでいく。……そういう世界だ。

 

 そして、新宿クオムの中心地――かつて「シネシティ広場」と呼ばれた一角は、今や混沌の縮図だ。

 電災以前から、不良少年達や家出人の吹き溜まりとして知られていたその場所。

 今では行き場をなくしたホームレス達までもが流れ込み、廃材で組まれたバラック群が折り重なるようにして並び、雑多という言葉では到底足りぬ有様を見せている。

 違法建築?不法占拠?もはやそんな生易しい言葉で片付けられるレベルではない。

 

  ……そんな混沌のただなかで、もし肉などという、今の世界で希少な食材など扱ったとしたら?――どうなるかなど、想像するまでもないだろう。


 それ故に、肉というこの時代における最上級の贅沢品を提供する店は、一番街やセントラルロードのような開けた場所ではなく、さくら通りのような裏通りにひっそりと佇んでいる事が多い。

 

 このエリアは、電災の被害が少なく、住居として利用可能な建物が数多く残されているのだ。

 そのため、戦闘経験が豊富なハンターやガーディアン、あるいは武装を伴った外国人トレーダー達が多く拠点を構えている。

 

 クオム内では、原則として武器の使用――特に、正当な理由なき発砲は、厳重に禁じられているが、ここでは「例外」が常に陰に潜んでいた。

 

  日々、レヴュラとの死線を潜り抜けてきた猛者。あるいは、電災前から暴力による解決がルールだった外国人達。

 彼らの多くは、自分の命と武器の使いどころだけは決して間違えることはない。

 この辺で粋がった末、『おいた』などしようものなら、きっとそいつは後悔する間もなく、頭に風通しの良い穴が開くことになるだろう。

 

 電災前は、その暴力性が売りであった半グレ達でさえ、この界隈においては、まるで借りてきた猫のように大人しい。

 それもそうだ。この界隈は、彼らが得意とする恫喝やハッタリなど、何の意味も為さない。

 どんなに腕力に自信があったとて、このエリアは『銃』という絶対的で理不尽な暴力の象徴が支配している。

 

 半グレ程度がチラつかせる、粗雑な黒星(中国版トカレフ)など、この界隈じゃ何の役にも立たない。

 一発でも撃とうものなら、その数十倍の鉛弾が飛んでくるだろう。


 そう考えれば、この裏通りに肉を出す店があるというのは、理に適っている。

 この世界では、『本物の味』にありつける者は、例外なく『選ばれた者』であり、その権利を『掴み取った者』だけなのだ。

 表通りの喧騒ではなく、裏路地の沈黙の中にこそ、その価値が存在している。



 

 久しぶり肉で胃袋を存分に満たした真は、膨らんだ腹を片手でさすりつつ、花道通りから区役所通りへと足を運んでいた。

 

 陽が完全に沈み、暗がりが支配する街には、人の気配と人工の灯りがまだ僅かに残っている。

 その日の商売を終えた小規模のトレーダー達が、笑顔を浮かべながら、ブースに並べた様々な『商品』を片付けていた。

 そんな、風林会館の一角を横目に見やりつつ歩く足取りには、どこか満ち足りた余韻が滲んでいる。



 バッティングセンターを通り過ぎ、さらに数十メートル。そこにあるのが、愛しの『我が家』だ。


 ……もっとも、外観からその正体は容易に推し量れる。

 入口に埋め込まれた薄汚れた看板には「ご休憩:3,500円~/ご宿泊:7,500円~」の文字。

 電災前、この建物が何を生業にしていたかは想像に難くない。


 通りを挟んだ先には、かつて高級ホテルとして知られた高層の建物が無骨に聳えている。

 だが、無残に足場の骨組みを曝したままなのは、居住施設への改装に必要な物資が足りず、工事が中断されているかららしい。


 尤も、実のところ、そんな話はどうでもよかった。

 この荒廃した世界で、プライバシーが確保された清潔な個室を得られることが、どれほどの贅沢か。

 壁があり、鍵があり、ゆっくり眠れる、柔らかいベッドがある。それだけで、この世界ではオアシスだ。


 ハンターにとって、銃は命と同じ。

 その銃を守るには、施錠できる『城』が必要不可欠で、安全な住まいなくしては、装備も命も維持することはできない。

 

 もし、真がトー横のバラックや、劇場跡の共同避難所に身を寄せていたら?

 この世界で圧倒的な力を持つ銃など、真っ先に奪われ、アリスを安心して眠らせる場所すら、得ることはできなかっただろう。


 個人で利用できる物件の家賃は決して安くはない。

 だが、武器と私財を守り、不要なリスクを避けるためには、それすらも投資のひとつに過ぎない。そう判断したからこそ、真はこの場所を拠点に選んだ。


 そんな、真の『城』の前に、獣のような風貌のRV車が一台、堂々と身構えるように停まっている。

 分厚いオフロードタイヤは地を食らうように踏ん張り、フロントにはガードバー、ルーフには煙幕発射装置スモークディスチャージャー

 窓には防弾目的の鉄板が嵌められており、一見すれば、それがただのオフローダーでないことは素人目にもわかる。


 運転席にいた男が、斜めに倒していたシートから体を起こし、真に気づいて顔を上げた。


「真さん、おかえりなさいっス!お疲れさまでした!……って、今日は下水工事っスか?」


 あまりにも人懐っこい笑顔だった。

 だが、そんな悪気の欠片すら一片も無い一言に、真は疲れ果てたように肩を落とす。


「……もう放っといてくれ。今日何人にイジられたか。説明するだけで疲れる……」


 男の名は、佐倉大輝。このエリアを巡回警備しているガーディアンの一人だ。

 どう見ても、『巡回中』というより『絶賛サボり中』にしか見えなかったが、余計なことは言わないでおこう。


 命の危険と引き換えに、大金を稼ぐハンターの住居。そこは同時に、銃器弾薬と現金が眠る場所でもある。

 銀行という概念が瓦解したこの時代、自宅に札束が積まれていることは珍しくない。


 浪費家として、アリスを盛大に呆れさせる真とて、貯えだけなら、そこらの住人よりは持っているだろう。


 そんな、金を求め、追い詰められた人間が最後に選択するのは……暴力であり、略奪。それはいつの時代も同じだ。

 特に、法も秩序も崩れたこの世界では、正義の代行者もいなければ、報復の保証すらもない。


 故に、クオムの賃貸エリアには常に銃器で武装したガーディアンが目を光らせている。

 

 失われた金は、また稼げばいい。

 だが、一番厄介なのは、武器が奪われ、サヴェージスの手に渡る事だ。

 奪われた銃器で、何の罪もない電災難民の命が奪われる……誰もがそれを最も警戒している。


 RV車の助手席には、戦闘散弾銃コンバットショットガンが無造作に置かれ、明らかに防弾プレートが挿入されているとわかる、分厚くなった彼のキャリアプレートには、拳銃(ハンドガン)のホルスターがぴたりと嵌っていた。

 その装備を見れば、彼が常に即応の覚悟を持っていることがわかるだろう。


 佐倉大輝――彼は、その人懐っこい笑顔とは裏腹に、新宿クオムでも指折りの精鋭部隊に名を連ねている。

 小柄な身体からは想像もできないほどの俊敏さを誇り、中でも最も信頼された機動歩兵として、幾多の死地を駆け抜けてきた。

 同じガーディアンであっても、ゲートを守るだけの者もいれば、そうでない者もいる。

 彼は後者の方であり、彼の部隊は、必要であればバリケードの外で、クオム住民を守る任務に就く部隊としても活動している。

 彼の乗るRV車に、物々しい改造が施されているのもそのためだ。


 ――それにしても。

 以前から思うのだが、佐倉のこの笑顔、どこかで見た覚えがある。


 だが、今となっては、確かめる術はない。

 それに、過去に執着するのも、この世界では不粋というものだ。

 だから真は、その記憶の欠片に蓋をし、そっと目を逸らす事にする。


 「今日は五人でこのエリアを担当してますから、安心してくださいね」


 その言葉に導かれるように、彼の視線が向かった先。

 通りを挟んだ向こう、よく見れば、朽ちたビルの屋上にひとつの影が潜んでいた。

 夜の帳に溶け込むような黒の輪郭。

 その中心で、鋭く構えられた狙撃銃が月明かりを微かに受けて鈍く光る。

 

 あの、静寂の中に溶けるような構え。

 もし彼が何者かに狙いを定めていたのなら、気付いたときにはもう、相手の命はないだろう。

 

 電災以前の歌舞伎町――ネオンが弾け、光が騒ぎを際立たせていた頃ならばともかく……今のここ、新宿クオムは、闇そのものが街を支配し、人の気配すら吸い込む。

 そんな中で、あの影の存在に気づける者が一体どれほどいるだろうか。


「……あそこにいるのは、宮内か?」


「そうっスね」


 無造作に返された相槌。だがその名を聞いて、真の胸に、再び微かな既視感が頭を擡げた。


 ――宮内凌介。

 端正な顔立ち。電災前の歌舞伎町なら、ホストとしてもやっていけそうなほどの整ったビジュアルに、不思議なセンスと柔らかなユーモアを備え、場の空気を一瞬で変えてしまう男。

 平時は王子様キャラで人を笑顔にする男だ。

 

 だが今は――その目がスコープ越しに闇を睨み、殺気を孕むような沈黙の中に佇んでいる。

 彼の笑顔の面影はそこにはないだろう。

 完全武装の狙撃手。精鋭の証としての沈黙。


 おそらく他の隊員達も、同じように姿を闇に沈め、この一帯の治安を維持しているはずだ。


 だが、改めて思えば……佐倉や宮内だけではない。その部隊の誰もが、どこかで見た気がしてならなかった。

 

 雑踏に流れる映像だっただろうか……ビルの巨大スクリーンに映る、軽やかにステップを刻む姿――跳ねるように、舞うように、華麗に踊る男達。

 断片的に脳裏に浮かぶのは、何かのショーか、イベントか、あるいは……テレビ越しか。煌びやかなライト、熱狂のステージ、響く歓声。

 ……いや、それとも、朝のバラエティ番組で見た顔か。

 

 遠く、朧げな記憶と、今の彼らの姿が、重なりかける。


 それほどまでに、よく見た顔に似てる気はするのだが。

 


 ……いや、気のせいかもしれない。

 思い出せそうで、思い出すことができない。それに……もし、人違いなら恥をかくだけだ。

 

 真は『その手』の人物には元々疎いし、それに、世の中には、よく似た人間が三人はいると言う。

 他人の空似、思い違い、そんなものなのかもしれない。


 ――それに、今となっては、人の過去など全くの無意味だ。

 この世界では、かつて誰が何であったかなど、知る必要もなければ、掘り返す価値もない話だ。

 詮索好きは嫌われる元であり、『今』を生きるためには、何の意味も持たない。

 真も含めて、電災を生き残った人間は誰一人として、元の生活を喪ったのだ。


 彼らもクオムの治安を維持するガーディアン……それでいい。それ以上でも以下でもない。

 真は自分の中で、佐倉や、宮内、彼等の所属部隊メンバーの出自について、それ以上悩むことをやめた。

 


 この街で彼ら――ガーディアンと呼ばれる部隊の存在は、すでに周知の事実だ。

 新宿クオムに長く暮らす者であれば、彼らの目を逃れることなど不可能と知っている。

 ――逃げられるかどうかを試すようなバカもいないだろう。


 ここは、日本でありながら、日本ではない。

 かつての秩序も、法も、倫理もすべて灰に帰した地。

 『新宿クオム』と呼ばれるこの場所において、彼らガーディアンだけが唯一の「秩序の番人」なのだ。


 彼らに与えられたのは、「無条件の発砲権限」

 警告も、威嚇も必要ない。悪しき者には、問いかけの前に、引き金が引かれる。

 勿論、電災前の警察官のように、威嚇発砲などはしない。必要とあらば、確実に無数の弾で肉体を貫くだろう。

 

 不法者がこの地で策謀を巡らせ、その成功を夢見ることは、もはや命知らずの迷想でしかないのだ。


 電災以後、法律が過去の遺物となると、絶対的な暴力こそが、ただ一つの抑止力となった。

 何もかもが出鱈目で、残酷なこの世界で、生き残るために必要なのは、道徳ではなく力。

 暴力の論理を拒む者は、生きるに値しないと、誰もが知っている。


 そんな中、真はふと我に返る。

 佐倉との会話は心地よかったが、今更ながらに、疲労がどっと押し寄せていた。

 ――いつまでも巡回中の佐倉を引き留めるわけにもいかない。


 重い身体を引きずり、別れの挨拶を交わすと、階段を上り始める。

 ――7階まで。

 

 依頼帰りの脚には辛い道のりだが、エレベーターなどという、文明の利器は使えない。

 だが、この高さこそが、彼にとっての防衛線だった。

 いつだって腹ペコの電災難民が、空き巣目的でわざわざ7階まで足を運ぶ可能性は低い。

 

 計画的な侵入者であれば、ガーディアンの少ないエリアを選ぶはずだ。

 もしそれでも、命と引き換えに強奪を望むなら――もはやそれは、ただの狂気でしかない。


 真が暮らす部屋は、決して広くはないが、アリスと共に過ごすには十分快適な空間だ。

 だから、この不便な階段も、彼にとっては「日常」の一部。


 冷たい鉄の手すりに触れながら、彼はひと足、またひと足と、闇の中を静かに進む。

今回もまた長いエピソードになってしまいました。

作品のメイン舞台である場所ですので、どんな場所でどんな人たちがいるのか、

ひとつひとつ描写していくと、こんな長さに。

とはいえ、新宿クオム編は次のエピソードで一区切りになります。


まだ漠然としか描かれていない『電災』に関して、舞台は徐々に移っていきます。


今回登場したガーディアン部隊の精鋭である、佐倉君と宮内君は当然モデルが

いるのですが、本当に思い付きだったんです。

最初の草稿ではモデルを匂わせる記述もあったのですが、あまりに露骨すぎたので、

少し薄めてあります。

なお、彼等もモブではなく、今後もちゃんと出てきますし、同じ部隊の他の

退院も出てくる予定になっていますが、モデルが誰かはわかっても、生暖かく

見守っていただければ幸いです。

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