『新宿クオム』-5
今回は銃器の蘊蓄話を盛り込んだ関係上、結構長くなっています。
物語の性質上、どうしても3,000文字程度の小割が難しいため、
隔週更新とさせていただいております。
一度、小割を試してみたのですが、あまりにスカスカで…
小割にして毎日更新と言うのも難しいですし、私の愛読
させていただいている某作品様の公開様式に倣って、文字数は
度外視で、更新頻度も書き上げた分をまとめて乗せるという
感じで、隔週更新とさせていただいております。
王さんがケースの蓋を静かに開けると、黒い布に包まれた二丁の銃が、まるで眠りから目覚めた獣のようにその姿を現した。
ひとつは、先ほど手にしていたM4よりもわずかに大型化されたシルエット。
――それは、M110狙撃銃と呼ばれるモデルだった。
だが、M110狙撃銃とひと口に言っても、その名を冠する銃は複数存在する。
ひとつはアメリカ製のM110 SASS(Semi-Automatic Sniper System)。
一般にM110と言えばこの銃を指す。
アメリカ海軍特殊部隊の要求を受けて開発されたMk.11狙撃銃をベースに、さらに改良を施した半自動狙撃銃だ。
M110 SASSは2008年以降、アメリカ陸軍に採用され、Mk.11狙撃銃の方は、海軍特殊部隊や海兵隊の一部が使用しているという。
もうひとつは、その後継にあたるM110A1 CSASS(Compact Semi-Automatic Sniper System)。
こちらはドイツ製のG28をベースとした設計で、SASSの欠点――とりわけ重量や、砂や埃に弱く、ボルトの強制閉鎖機能が無いなどといった問題点を克服すべく、米軍の『コンパクト半自動狙撃銃システム』計画の下で開発された改良型である。
いずれも系譜を遡れば、AR-10を祖とする血統ではあるが、ベースとなった銃そのものはそれぞれ別物だ。
王さんが静かに差し出してきたのは、そのSASS系統の最新型――M110A2だった。
全長と銃身長は従来モデルと同一ながらも、素材と構造の見直しによって、重量は実に約2kgも軽減。
都市戦闘や近接環境にも対応できるよう設計されており、狙撃銃でありながらも取り回しに優れた一丁となっている。
……ここまでは、まだ人間の戦場における銃の話だ。
だが、もう一丁――ケースの中に鎮座していたもうひとつの銃器は、もはや『銃』と呼んでいいのかすら、疑問を抱かせる代物だった。
それは、異様なまでの存在感と威圧感を放つ鉄の塊。
その名は――M107A1。言わずと知れた対物ライフルである。
人間が個人で携行できる銃としては最大級の破壊力を誇る、まさに化け物。
使用する弾は、.50BMG(12.7x99mm NATO)――全長138mm、親指よりも太い重弾頭。
本来は重機関銃などに使用されるものだが、それを単独で運用し、土嚢や壁などの障害物ごと、標的を撃ち抜くことを目的としている。
有効射程は2kmを超え、着弾すれば車両のエンジンを貫通し、人間など木の葉の如く吹き飛ぶ。
イラク戦争では、1.5km先の敵兵士を胴体ごと引き裂いたという逸話もある。
それほどの威力を持つ.50口径弾は、1921年の開発以来、100年以上にわたり現役であり続けているというのだから、その完成度と狂気は推して知るべしだ。
しかも――この弾丸の猛威を、日本人は過去に嫌というほど味わっている。
太平洋戦争当時、アメリカ軍の戦闘機が搭載していた主力機銃も、この12.7mm弾を使用したものが多い。
四門、六門と並べて放たれた銃弾は、空を裂き、無数の日本機を焼き落とし、地上の人間をも容赦なく薙ぎ払った。
そして今――その『歴史的な由緒正しき弾丸』を用いる存在が、このクオムで流通しているという現実。
「おいおい……なんで、こんなもんがあるんだよ……」
震える声でそう呟いた時、自分の中に広がったのは驚きではない。
それは、恐怖。
そして、この世界の『理不尽な現実』に対する、ひどく冷たい戦慄だった。
「これら全部、在日米軍の基地から回収したものネ。こんな上物、もう二度と手に入らないかもヨ?」
王さんはいつもの気さくな口調のまま、誇らしげに目を細める。
どこか芝居がかった微笑みを浮かべながらも、その眼差しには、確かな自信と、したたかな計算が滲んでいた。
――多分、その言葉に、偽りはない。
目の前のM110A2狙撃銃を一目見れば、それは明らかだった。
ピカティニーレールには、光学機器を装着した跡がなく、機関部にも作動時に擦れた痕跡は見当たらない。塗装ひとつ剥がれていないことすらもわかる。
新品――いや、それ以上。 これは『真っ新な未使用品』としか言いようがない、完全無欠のコンディションだ。
さらに隣に鎮座していたM107A1……とてつもない破壊力を秘めた対物ライフルの異形すら、まるで博物館に封印されていたかのような純潔を保っていた。
槓桿にはビニールが巻かれたままで、しっとりとオイルを湛えた銃身は、光を鈍く弾いている。
薬室の中には、弾が通った形跡さえなく、制退器の深奥にはカーボンどころか塵ひとつ舞い込んでいない。
照準眼鏡には未だ保護フィルムが貼られており、機械仕掛けの巨人は、まだ一度も『咆哮』を上げた事もないのがわかる。
――血も、泥も、汗すらも知らない。
その無垢な巨躯は、ただ黙って新たな主を待ち続けていた。
まるで今まさに、運命に選ばれし者が現れる瞬間を予感しているかのように。
「……王さん、ちょっと待ってくれ!」
思わず、真は声を上げた。
焦りというより、呆然とした驚きに近い。現実味がなさすぎるのだ。
「魅力的なのは認めるけど……B級の報酬だってまだ受け取っていないんだ。いくら入るかわからない。第一、こんなの全部一度に買えるわけ……それに、対物ライフルだぞ!? 」
このクオムでの取引は、すべてが現金一括、あるいは物々交換が基本だ。
信用取引? クレジット? そんな優雅なものは、とうに幻想となり果てた。
ましてや命を削って報酬を得るハンターに、後払いを認めるトレーダーなどいない。――王さんのような、やり手を除いては。
確かに、王さんの商品は魅力的だ。
だが現実は非情で、幻想のような武器を前にしても、ない袖は振れない。
だが、真の焦燥などまるで意に介さないかのように、王さんはにっこりと笑った。
まるで――その反応すら、最初から予測していたと言わんばかりに。
「そこは取引ネ。実は、真に少しお願いしたい事があるのヨ」
その一言で、真は訝しげに眉をひそめた。
王さんがお願いを持ちかけるなど、電災前から続く長い付き合いの中で一度もなかったと思う。
明日には雨が降るどころか、レヴュラの擲弾でも空から落ちてくるんじゃないか――そんな冗談めいた不安すら浮かんだ。
「お願いって……何だい?」
直感が警鐘を鳴らしていた。
ただの取引で終わる話とは到底思えない。
甘い話には必ず裏がある――それはこの世界の常識であり、そして何より、相手はあの王さんだ。
まるで三文映画の悪役みたいに、「内蔵を売れ」と、使い古された常套句でも飛び出すのだろうか?
そんな馬鹿な、と笑いたくなる気持ちと、ひどく現実的な不安が、腹の底で入り混じる。
――しかし、王さんの口から出た条件は、予想に反して極めてシンプルなものだった。
「すごく簡単な話ネ。次に入ってくる銃を、お嬢ちゃん用に買ってほしいだけヨ」
お嬢ちゃん――王さんはアリスをいつもそう呼ぶ。
その言葉を耳にした瞬間、真の眉がわずかに動いた。
一方その頃、ハンガーに吊るされた装備を興味深げに物色していたアリスは、自分の名前が聞こえた途端、ぴたりと手を止める。
振り向いた彼女の瞳は、曇りひとつない硝子のように丸く、ただ無垢に真を見つめていた。
きょとんとした表情が浮かび、まるで自分が話題の中心になっているとは夢にも思っていなかったようだった。
「実はネ、これからうちでは、ただ武器を仕入れて流すだけじゃなく、カスタムまで手がけようと思ってるネ。その試作品として、お嬢ちゃん用の銃を買ってほしいのヨ」
王さんの口ぶりはいつも通り飄々としていたが、その目には確かな算盤の光があった。
要はこういうことだ――。
真とアリスが実力あるハンターとして名を上げ、彼らの使用する武器が『王カスタム』だと広まれば、それが自然と最高の広告になる。
新宿クオム内はもちろん、他のクオムからも客足が伸び、王商会の名はより確かなものとなるだろう。
『ソロでB級レヴュラを倒したハンター』が贔屓にするトレーダーの商品ともなれば、飛びつく者は少なくないはず。
……なるほど、理にかなっている。
優れた銃器と信頼のメンテナンス――この世界では、それだけで命を買えるに等しい。
兵器のコンディションは、そのまま生存率に直結する。
死にたくなければ、良い武器を選べ。そんな単純明快な理屈が、この世界を動かしているのだ。
今回の取引は、その『宣伝費』としての先行投資。
代金引換の売約扱い――つまり、支払いは後回しにしてくれる代わり、宣伝塔としての役目を負えという提案だ。
「……どうせなら、少しは値引きしてくれてもいいと思うけどなぁ」
真は、軽い冗談交じりにそう返してみせた。ほんの一瞬の駆け引き。だが、王さんはただ肩を揺らして笑っただけだった。
鼻先であしらうでもなく、圧をかけるでもなく――その穏やかな笑みに、却って「値切る余地など最初からない」と告げる確信が滲んでいた。
――まあ、当然だ。
在日米軍が置き忘れた――などという言葉で軽く片付けられがちだが、それを発見し、回収し、レヴュラの脅威を掻い潜ってクオムまで運び込む事は、命を担保にした行為であり、容易ではない。
仕入れ自体がすでに、ひとつの戦いなのだ。
実際に何人ものコレクター達が、この『仕入れ』で命を落としている。
――命を賭して得られた武器は安易に値引きできるものではない。
「これからモット武器が必要になるはずネ。デモ、今後手に入る銃には限りあるヨ。だから、今のうちにいい武器を手に入れておく事をお勧めするネ」
その言葉は、ありふれたセールストークのようでいて、どこか不穏な響きを含んでいた。
王さんは、いつだって未来を見据えて動く男だ。
誰より早く気配を察し、誰も手を出していないうちに動き、時間をかけ投資し、気がつけば市場を独占するほどの大きな存在へと育て上げる。
まさに|眼觀四面,耳聽八方《ヤングァン スーミェン、アーティン バー》――四方を観察し、八方の声を聞く。
油断なく、目先の利益に溺れず、先を見据え、育てるべきものを見極める眼。
そうした感覚を失った結果が、日本経済の没落を招いたのではないか――そんな一抹の皮肉が、ふと真の胸を掠めた。
レヴュラが次にどんな手を打ってくるのか。
戦いがいつ終わるのか――あるいは、終わりなど来るのか。
そのどれにも、確かな答えなどない。
だからこそ――。
だからこそ、生き延びたければ、準備だけは怠るな。
その言葉は、王さんなりの忠告でもあった。
彼は、商売人としての狡猾さはあっても、甘言で人を騙し、信用を裏切ることはしない。
嘘を並べ立てて、人を欺くことを恥とする、古き商人の流儀を貫く人物だ。
だからこそ、あの混沌と謀略が渦巻く背徳の街――歌舞伎町で、圧倒的な根を張る事も出来たのだろう。
「……あー、わかった。降参だよ、負けだ負け! その条件、全部受け入れるよ」
真は両手を挙げ、降参の意を示す。
そしてその瞬間、財布から羽ばたく紙幣の幻影が、彼の目の前を通り過ぎていった。
――頭痛の種が、またひとつ増える。
ふと横目でアリスを見ると、彼女は静かにこちらを見つめていた。
その視線は、ほんの少しだけ――冷たい気がする。
だが、この世界における『買い物』は、吟味や迷いを許してくれるほど優しくはない。
判断を先送りする者から、順に死んでいく。
あれほどのコンディションを保った銃器が、次もまた手に入る保証など、どこにもない。
『分かっている』ハンターであれば、即決する。
ギルドからの報酬支払いを待っていたら――間違いなく、他の誰かに先を越されるだろう。
ましてや、あの対物ライフル。
射程圏外から一方的に敵を仕留める――それは、まさに神の視座に近い優位性だ。
レヴュラに反撃の機会すら与えず、影も形も残さず屠る事が出来るだろう。
だからこそ、今ここで『売約』という名の唾をつけておく必要があった。
「後悔はさせないから、心配しなくていいヨ」
王さんは満足げに微笑みながら、カウンターの引き出しから一冊のファイルを取り出してみせる。
中に収められていたのは、ぎっしりと記されたカスタムパーツの在庫一覧――銃器に魅せられた者にとっては、まさに宝の地図だった。
それを目にした瞬間、真の瞳に宿る光が一際強くなる。まるで、少年が宝の地図でも見つけたかのように。
だが、その隣で、アリスが小さくため息をついた。
――ここに来てから、真はアリスのことなどすっかり忘れてしまったかのように、王さんと銃器の話ばかりしている。
呆れられるのも、まあ当然かもしれない。
「M4には……そうだな、高度戦闘光学照準器がいいかな。バッテリー問題を考えると、やっぱりこれが現実的だと思うんだよ」
――高度戦闘光学照準器。
通常の反射照準器や光点投影型照準器とは一線を画す、高性能な光学スコープだ。
日中は背面の集光チューブが自然光を拾い、照準線を明るく照らす。夜間には、トリチウムによる自発光で視認性を確保する。最大の強みは――バッテリーが不要であること。
乾電池ひとつですら貴重品となった今、このバッテリーレス機構は装備の生命線とも言える。
どんな極限状況でも確実に機能する装備――それこそが、この世界で生き残るための絶対条件だ。
「キルフラッシュとラバー製のアイピースを装着して、バックアップ用に小型の光点投影型照準器もピギーバックで追加。被筒は……」
火がついた。
真の中のミリタリーマニア魂が、今まさに業火のごとく燃え上がっていた。
かつてゲームのロードアウト画面で時間を忘れ、没頭した日々が蘇ったかのように、現実と地続きになっていく。
頭の中で、各社製レールの互換性まで含めた構成が、次々に組み上がっていった。
金属製の補助照準器という選択肢も一瞬脳裏をかすめたが、レヴュラ相手のお祭り騒ぎの真っ最中、悠長に狙いを定める暇はない。
重視すべきは、迅速な捕捉と即応性――だからこそ、バックアップ用の照準器には光点投影型照準器を選ぶことにした。こいつはバッテリーを要するが、仕方がない。
こうして『真カスタム』の設計が、着実に姿を現してゆく。
次に手を伸ばしたのは、M110狙撃銃。
選んだ照準眼鏡は2.5倍から10倍までの可変倍率を持ち、こちらも光ファイバーとトリチウムを内蔵した、バッテリーレスモデル。
遠距離に対応する上で、これ以上の選択肢はそうそうない。
真は鍛え抜かれた軍人でもなければ、歴戦の狙撃手でもない。
だから長距離狙撃よりも、1km圏内での射撃精度を重視して、この倍率にした。
レヴュラ相手なら、この倍率で十分だろう。
「銃床は可変式に変えて、二脚も追加。……これで、ある程度の距離なら対応できるはずだ」
今まで使用してきた56式歩槍の7.62x39mm弾に対して、M4は5.56x45mmの小口径高速弾。命中精度は高いが、C級以上のレヴュラに対して貫通力に不安が残る。
だが、しっかりと間合いを取り、狙撃条件さえ整えば、より威力のある7.62x51mm弾を使うM110のほうが優れているのは明らかだった。
二丁持ちは確かに重い。
だが、セミオートの狙撃銃だけでは、万一『横沸き』されたときに対応しきれない。
あいつらは、簡単にセオリーを踏み外してくる。常識や予測など、平気で裏切ってくるのがレヴュラだ。
『横沸き』――元々は電災前のネットゲームで使われていた俗語。
突然、プレイヤーの目の前に敵が湧き出す現象のことを指す言葉だ。
今ではそれが、リアルの死地で用いられるようになり、突如、想定外の方向から現れるレヴュラの脅威を、人々はそう呼ぶ。
真は、観測手であるアリスとコンビを組む、いわばソロスタイルのハンターだ。
戦場では、彼女と離れて動く場面も多く、狙撃時に背中を預ける相手はいない。
だからこそ、たったひとつの判断ミスが即、命取りとなる。
――通常の戦術理論やマニュアルは、あくまで複数人による連携を前提としたものだ。
ソロの現実は、それとは違い、異なる原理で生き抜く術を求められる。
だから真は、どんな手段でもいい。
生き残るための策を、手段を、武器を――取れる手は全て取る。
だが、対物ライフルの存在は、さすがの真にとっても予想の範疇を超えていた。
50口径。もはや人が扱うには規格外の――いや、『怪物』と呼ぶに相応しい火力。
この巨獣にどんなパーツを装備すべきか、それ以前にカスタムの余地や必要性があるのかすら、真には判断がつかない。
だが、それでも惹かれてしまうのは――その破壊力だ。
レヴュラがこちらを視認する事すら不可能な距離から、機構の要である関節部を正確に撃ち抜き、瞬時に無力化する。
それこそが、この一挺の銃に課せられた宿命であり、真がその手に握る意味なのだ。
C級程度のレヴュラであれば、ひとたまりもないだろう。
機械の身体が一瞬で吹き飛び、断末魔の声も残さずに崩れ落ちる。
――その圧倒的な力ならば、これから迎える死闘の数々でも、確実に主導権を奪えるはずだ。
そう確信し、予備弾薬の注文に手を伸ばしかけた、その時だった。
ぐい、と袖が引かれる。
真の右腕を掴んでいたのは、無言のアリスだった。
目も合わさず、ただ小さな手に確かな力を込め、彼女は真を引き寄せる。
言葉はない。けれど、その意図は痛いほど明瞭だった。
――「買いすぎ。」
真が口を開くより先に、奥から王さんがひょいと顔を覗かせた。
「?呀ー、お嬢ちゃんには睨まれちゃったネ。でも、安心するいいヨ。大事なお客さんを破産させるつもりはないネ」
そう言って笑う王さんの目には、いつもと変わらぬ自信と余裕が宿っていた。
頬を少し膨らませるアリスの反応に、彼は苦笑まじりに続ける。
「真の財布の中身、ワタシちゃんと把握してるネ。だから、無理な提案なんて絶対しないヨ」
確かに、王さんが不当な取引を持ちかけたという話は、クオムで一度も聞いたことがない。 この混乱した世界では、信頼が何よりの価値を持つことを、王さんは痛いほど理解しているのだ。
かつての東京――電災以前の世界から続く、その確固たる商人としての矜持が、彼を今の地位へと押し上げた。
そもそも、アリスがレッグホルスターに携えているM18だって、元は王さんの店の品だ。
彼の情報網を使えば、真の討伐報酬や所持金の把握など、造作もないだろう。
「つーか……そもそも俺たちが今住んでる部屋自体、王さんの物件だしな。家賃払った後にどれだけ余ってるかなんて、計算しなくてもわかるだろ」
真の一言に、アリスも小さく肩を竦めて見せた。
それは半ば呆れ、半ば納得の仕草だった。
王さんが扱っているのは、銃火器だけではない。
クオムで流通する生活物資、医薬品、発電機、浄水器、時には娯楽品に至るまで……彼が関わっていない物の方が少ないほどだ。
さらに遡れば、ここが新宿クオムと呼ばれる以前――かつて「歌舞伎町」と呼ばれていた混沌の街でも、王さんは数多くのビルや物件を所有していた。
今、真とアリスが暮らす物件のオーナーも、当然その王さんである。
つまり、彼は単なる商人でありながら、二人にとっては『大家』でもあるのだ。
それに、今回の出費は決して無駄遣いではない。
これは生存への投資――もっと言えば、『命を買う』ということだ。
レヴュラを前にした時、人間という存在はあまりにも脆い。
そのことを、真は電災の日に、嫌というほど思い知らされた。
あの日――あの忌まわしき光と破壊の嵐の中で、何百、何千という命が、まるで風に舞う紙のように消えていった。
断末魔も届かぬまま、崩れ落ちる影。
涙を流す暇すら与えられず、名もなく砕けた命。
人が人を見捨て、逃げ惑う中、その背中をレヴュラは容赦なく撃ち抜いた。
その記憶はいまだ、真の脳裏に鮮明に焼き付いている。
そして今、その脅威は、レヴュラだけに留まらない。
――『サヴェージス』
その名を耳にしただけで、多くの者が一瞬にして脳裏に思い描くのは、血と硝煙、そして焼けただれた荒野の光景だ。
かつて人としての尊厳を持ち、この荒廃した世界で、誰かと助け合って生きるという選択肢もあったはずの者たち。
しかし彼らはそれを捨て去り、暴力と略奪を己の信条に据えた。
欲望の赴くままに他者を喰らい、奪い、蹂躙することを選んだ人間の成れの果て。
彼らはもう『人間』とは呼べない。ただ、破壊の衝動だけを燃料に走る、獣の群れだ。
彼ら――サヴェージスは、クオムに命懸けで物資を届けるトランスポーターたちを襲い、移動型の難民キャンプ集団『キャラバン』を狙い撃ちにしては、容赦のない殺戮と略奪を繰り返している。
交渉も、理性も、共存の道も通用しない。
まるで頭のネジが二桁単位で派手に吹き飛んだような連中だ。
言葉を投げかけたところで、返ってくるのは銃弾か、ナイフの切っ先だけ。
――生き延びたければ、撃たれる前に撃て。それだけだ。
それが、サヴェージスという存在に対する唯一にして確実な答えだった。
新宿クオムとて、今後も彼らの襲撃を受けないとは言えない。
この都市が今、静かに呼吸しているように見えても、そのバリケードの向こう側には、常に死の影が潜んでいる。
だからこそ、真は装備を整える。
何かが起きてからでは遅い。
後悔は、命を落としたあとでは役に立たない。
「この先、レヴュラとの戦いがいつまで続くかもわからないネ。まして、サヴェージスのこともあるヨ」
王さんの声には、確固たる現実を踏まえた静かな強さがあった。
「命を守るために、真にはちゃんとした装備を持っていてほしいネ。お嬢ちゃんにも、それは理解してほしいヨ」
真は、王さんの言葉に黙って頷いた。
王さんのその言葉には、取引相手としての顔以上に、どこか親心にも似た響きがあった。
「……分かりました。王さんがそんな人じゃないのは、よく分かってますから。でも……あんまり真を乗せすぎないでくださいね」
アリスはそう言って、ちらりと真の横顔を見た。
「調子に乗りやすい人なんですから。放っておくと、すぐに財布を空っぽにしちゃいますよ」
その口調はどこか呆れを含みつつも、微かな笑みが滲んでいた。
それに応えるように、王さんも肩を竦め、目尻を細めた。
「真は、お嬢ちゃんの前じゃ形無しネ。でも、それでいいネ」
そして王さんは真に視線を戻す。
「長い付き合いだから言うヨ。死んでほしくないダケなのネ。どんな状況でも生き残るためには、事前の備えがすべてネ」
それだけ言うと、王さんは手元の在庫表を指差し、再びパーツの説明を始めた。
真とアリスは黙って、そのリストに目を落とす。
一瞬、アリスは「やられたな」と言いたげに唇を引き結んだが、最終的には観念したように、静かに頷いた。
少なくとも、王さんの言葉に嘘がないことだけは分かっている。
そして、二人は並んでカスタムパーツの在庫表を見つめ、王さんの解説に耳を傾けた。
やがて、それぞれの手に届く銃器――戦場を生き延びるための「道具」について、具体的な話が始まるのだった。
マルチ執筆モード
A
全文字数(縦20×横20)
9221字(37P換算)
保存しました
銃器のロードアウトって、鉄砲好きの人ならワクワクすると思うんですよ。
ただ、どうしてもメーカー名を伏せないといけないので、少しまどろっこしい
言い回しになってしまいがちなのですが、そこは私の文章力の乏しさも
ありますからねぇ。
ここまで、少しずつ、この「電災後」の世界について、様々な蓋を開けて
まいりましたが、どうしても特異な世界であるために、ディティール感とか
モリモリにしたかったんです。