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電災都市  作者: あるふぁ
第二章『新宿クオム』
6/18

『新宿クオム』-3

 人々の間を縫うように歩き、シネシティ広場を抜けた先。

 そこには、目的地でもある巨大なビルが聳え立っている。


 ――電災以前は『歌舞伎町タワー』と呼ばれ、劇場やライブホール、フードコートなどの商業施設やホテルが丸ごと詰まった、この街のランドマーク的存在だったビルだ。

 今では、新宿クオムの心臓部として利用されている。

 

 ビルの一階部分は堅固なバリケードで封鎖されているため、中へ入るには二階から回り込まなくてはいけない。

 今はもう動くこともなく、ただの階段と化したエスカレーターを登り、二階からビルへと入った。


 かつてコーヒーの良い香りが漂い、賑やかな笑い声に包まれていたであろう、大手コーヒーショップの二階客席だった場所。

 今ではハンター達のためのラウンジとして使われており、情報交換の場として利用されている。

 

 そこではひとしきりの歓談が繰り広げられていたが、真の姿を見つけた一人のハンターが声をかけてきた。


「よぉ、篠崎。今日も生きて帰ったか……って、そのツラどうした? トイレでも爆発したか?……お前、メタンには本当気をつけろ?」


 開口一番、皮肉交じりの声が飛んでくる。


「うるせぇ、好きでこんな格好してるわけじゃねぇ」

 真は肩を竦め、その冷やかしを軽く笑い飛ばした。


 トイレが爆発する――メタンと言えば、新宿クオムのトイレ事情というものは本当に最悪だ。


 電災以降、下水道が機能を失ったことで、疫病や汚染を防ぐために、あらゆるトイレは、コンポストトイレや汲み取り式のものが主流となった。

 そのため、新宿クオムの住人は、文明崩壊の実感を『用を足す』たびに味わっている。

 暖房便座やシャワートイレなど、今のこの世界にとっては、遠い昔の遺物のようなものだ。


 ――だが、問題はそれではない。


 電災直後のクオム建築時、突貫工事で設置された設備の中には、適切な換気がされていないものも多い。

 特に夏場はガスが溜まりやすく、汲み取り式トイレに滞留したメタンガスは、僅かな火種で爆発する。

 それが証明されたのは、ちょうど去年の夏だった。


 どこかのバカが不用意に投げ捨てたタバコの吸い殻が引火し、本当にトイレが吹っ飛んだのだ。


 爆音と共に汚物が四方八方へと撒き散らされ、辺り一帯は地獄と化した。

 撒き散らされた汚物や、爆風で飛散した様々な破片。老若男女問わず、多くの者を巻き込んだ、その出来事は、新宿クオム始まって以来の大災害として記憶されている。

 

 その時、現場の片付けに駆り出された連中の顔は、この世のものとは思えないほど醜悪に歪んでいたらしい。


 汚物に塗れた者や、飛散した破片で怪我をした者、周囲に漂う悪臭。本当に地獄絵図のような有様で、現場付近は数か月もの間、悪臭に際悩まされたという。

 


「ホントに気をつけろよ。あれ、爆発したらお前、マジで吹っ飛ぶからな」


 さっきのハンターは、今度は少し真面目な口調で言った。


「……ああ、精々クソ塗れで月まで吹っ飛ばないように気を付けるよ」


 真は苦笑しながら、どこか遠くを見つめた。

(……クソ塗れで吹き飛ぶとか、死んでも死にきれないよなぁ)




 ――適度に会話を切り上げ、ハンター仲間と別れると、そのまま一階フロアへの階段を降りていく。

 そもそも、真がここに足を運んだ理由は、優雅にコーヒーを味わうためでも、仲間と軽口を交わすためでもない。


 無駄な時間を避けるように、真はカウンターに住民カードを滑らせ、その先にいる女性へ声をかけた。


「討伐依頼の報告に来た。……あと、この情報を持ち込んだスカウトをぶん殴っておいてくれ。B級が紛れてるなんて聞いてないぞ」


 カウンターの向こう側に座る女性が、目の前の書類を淡々と捲りながら顔を上げる。


「篠崎さん、討伐報告ですね。お疲れ様です……って、ええええっ!? B級が混じってたんですか!?」


 垂れ気味の目を見開き、素っ頓狂な声を上げる彼女。その表情は驚愕に染まっていた。

 もちろん、その驚きは、目の前に現れた浮浪者の如き汚れた男の顔に対するものではない。

 B級――その言葉に、彼女は反応したのだ。


 あまりにも彼女の声は大きく、周囲のハンターたちは異変に気付くと、無言でこちらを見守り始める。


 カウンターの女性――藤原真奈美は、すぐにファイルを捲り、真が受けた討伐依頼の詳細を確認した。


「えっと……中野2B地区のD級討伐ですよね?」


「ああ、それだ」


 眉をひそめる真奈美を見て、真はすぐに事態の重さを察する。


「これ、持ち込んだのは……経験の浅いスカウトですね。まだ3回目だったみたいです」


 真は思わず眩暈を覚えた。まさか、こんな重要な依頼が、新米スカウトの穴だらけの情報だったとは。

 しかも、よりによって、過去たったの2回しか偵察の場数を踏んでいないだと!?


 ――この場所は、新宿クオムの誕生と同時に発足した自治組織『歌舞伎町ユニオン』

 その傘下であり、『ギルド』と呼ばれている。

 

 その性質は、まるでファンタジー作品に登場する冒険者ギルドそのもの。

 真のようなハンターたちは、ここでレヴュラ討伐の依頼を受け、報酬を得るために活動している。


 『ギルド』という名がついたのは、創設者がその手の作品に影響を受けたからだとはいうが、呼びやすさもあり、誰も異を唱えることはなかった。

 もしこれが『歌舞伎町狩人連合』だの『新宿狩猟組合』などといった、いかにも日本らしい堅苦しい名前だったら、呼び辛くて仕方がなかっただろう。


 ――本来、クオム外でスカウトが集めたレヴュラの偵察情報は、一度ギルドに買い取られ、その後、討伐依頼としてハンターに『販売』される。

 一度受注された依頼は、そのハンターが破棄しない限り独占的なものとなり、他者が横槍を入れて奪うことはできない。


「おい、その新米スカウトのいい加減な仕事のせいで、俺は死にかけたんだぞ?」


 真の声には怒気が滲み、周囲の空気が一瞬で固まった。

 だが、すぐにアリスがその腕を掴み、穏やかな声で諭す。


「真、落ち着いて。藤原さんが悪いわけじゃないよ」


 アリスの手が、彼の腕をしっかりと抑える感触が伝わる。

 しかし、真の顔に浮かぶ苛立ちの色は消えない。


 言葉に偽りはなかった。

 彼が受けた依頼――その不完全な偵察情報のせいで、命の危機にも瀕したし、長年大切にしてきた愛銃を失った。

 そして、それを補うために使ったのは、高価な69式火箭筒(中国版RPG-7)

 二発もの貴重な弾薬を消費する羽目になったのだ。


 死にかけただけではなく、金銭的な打撃も大きい。文句のひとつも言いたくなるのは当然だった。


 ――レヴュラ討伐において、スカウトが持ち込む情報の精度がいかに重要かは言うまでもない。


 最下級とされるD級であっても、予想以上に数が集まっていたり、厄介な個体が紛れていることもある。

 真のようにソロで活動するハンターにとっては、スカウトが持ち込む情報は単なる『目安』などではなく、生死を分ける分水嶺なのだ。

 情報が誤っていれば、それだけで状況は一変し、命の危険に晒される。


「この件は、きちんと報告しておきます。今後、スカウトにも、より徹底した調査を行うよう指導しますからっ」


 真奈美は席を立ち、深々と頭を下げて一旦その場を離れると、すぐに他のスタッフと、問題となったスカウトについて話し合いを始めた。


 ――電災から一年余りが過ぎ、新宿クオムが安定を見せると、それをモデルに各地で新たなクオムが誕生し始める。

 

 それまでは多くの者がビルなどに身を寄せながら、各々がコレクターのように、自分の腹を満たすもの、役立ちそうなものを求め街を彷徨っていた。


 彼らをクオム建設へ駆り立てたのは、後にサヴェージスと呼ばれることになる、ならず者の集団が現れ始めたからだろう。

 

 新たなクオムが誕生し始めた当初は、異なるクオムに属するハンター同士が交錯し、度重なる衝突も珍しくはなかった。


 特に、新宿クオムと絶対防衛線が隣接している渋谷クオムでは、若年層が多いせいか、血気盛んな者たちがトラブルを引き起こしがちだ。


 銃器などという、かつて縁のなかった強大な力を手にしたことで、無謀に力を誇示し、粗暴で攻撃的な者が増えていったのだ。

 経験は浅く、血の気だけは人一倍の若年ハンターが、その場の衝動で諍いを起こし、そのまま対人戦闘に発展する――そんな血生臭い事件も実際に発生している。


 だが、この荒廃した世界で、クオムの住民同士が争って得られるものなど何ひとつない。

 電災を生き延びた者として、すべての人間が共に生きるために手を取り合わなければならない時だ。


 当然、こうした問題はクオム上層部によってすぐに調停され、深刻な遺恨を残すことはなかった。

 しかし、生きるために金を稼ぐ以上、レヴュラ討伐に端を発する小競り合いは未だ完全には解決されていない。


 頻発するトラブルを受け、最近では各クオムのハンターに、自らの所属を示す標章の装着が義務付けられた。

 これにより、一目で所属が分かるようになり、無用な衝突を抑制する狙いがある。


 しかし、レヴュラという存在は、人間の秩序など意に介さず、予測不能な行動を繰り返す。

 想定外の方向へ移動し、突如として別のクオムのテリトリーに現れることも珍しくない。

 ……その結果、討伐依頼が重複し、ハンター同士の衝突を招く要因となっていた。


 電災以降、パソコン自体は依然として使用することが可能だが、インターネットをはじめとする高度な通信網は完全に機能を喪失している。

 そのため、異なるクオム間でリアルタイムに情報を共有することは不可能だ。


 今や、新宿クオムだけがレヴュラ討伐を担っているわけではなく、各地のクオムもまた、それぞれのギルドを通じて無数の依頼を処理している。


 それゆえ、ギルドは討伐依頼を出す際、まず展開される敵個体の特性を基に、その行動や予想される脅威、また作戦区域が他クオムのテリトリーと重複しないかなどを慎重に精査した情報をもとに『討伐依頼』として掲示するのが通例だ。



 ――しかし、今回は、その基本すら守られていなかった。



 「はぁ……もう、いいよ。B級相手に無事に帰れただけでもありがたいし、今回は報酬さえしっかりもらえれば……」


 席へ戻ってきた真奈美に、潤んだ瞳を向けられた瞬間、真はつい口をつぐんだ。

 彼女の瞳に漂う切実さの前では、強く言い返すことなどできなくなってしまう。


 真とて、別に女性を相手に、威圧的な態度を取る趣味はない。

 今回のイレギュラーについても、アリスに言われた通り、彼女に責任があるわけではないと理解している。


 それに、真奈美の清楚で優雅な外見には、この荒れ果てた世界の中において、稀有な癒しを求めるファンが多く存在している。

 そのファンたちから恨みを買い、絡まれるのは御免被りたい。

 熱狂的なファンというのは敵に回すと何をするかわからないのだ。


 何より、あの柔らかな表情で潤んだ瞳を向けられたら、真も強くは言えなくなる。


 ――ああ、そうか。


 ……これが『あざとい』ということか?


 思わず苦笑が漏れた真は、抗議を諦め、本来の目的である撮影データの提出を優先することにした。

 ――何の責任もない真奈美に()()を巻いたところで、何も変わらない。

 それではA.I.A.の連中と同じになってしまう。


 ハンターの討伐報酬は、記録映像をギルドに提出し、確認を受けた上で、ハンターランクに応じた額が後日支払われる仕組みだ。


 ――同じ依頼内容でも、ハンターランクが上がれば報酬倍率も増加する。

 腕の良いハンターには、その実力に見合った報酬が必ず与えられるのだ。


 この仕組みがあるのは、優秀なハンターが他のクオムへ流出しないようにするためでもあった。

 技術や貢献に見合った報酬が得られるという点では、電災で世界が滅茶苦茶になった今のほうが、公正に評価されるというのも皮肉な話だが。


 尤も、物価が狂ったように高騰しているこの世界では、少しでも収入が増えるのはありがたい。


 ――映像の提出には、カメラ本体もセットで提出するのが通例になっている。


 厳密に言えば、映像が記録されたストレージメディアさえあれば事は足りる。

 だが、確認作業はほぼギルド職員の手作業で行われるため、メディアの紛失を防ぐ目的もあり、撮影機器ごと提出することが義務付けられていた。


 それに、この世界の物価は、常識では計り知れないほど高騰している。

 命を繋ぐため、少しでも多くの金を手に入れようとする者が、そこらじゅうに溢れているのだ。


 その結果、過度のオーバーワークによる判断ミスで命を落とすハンターも珍しくない。

 

 そもそも、ハンターという職業は、常に命の危険に晒される過酷な生業だ。

 だからこそ、休息時間(クールタイム)を強制的に設けるため、この方法が取られている。

 

 また、経験豊富なハンターが依頼を独占し、他の者が仕事に()()()()ことを防ぐ意味も兼ねていた。


 それに、こんな世界では、記録用のカメラは決して安価でもなく、容易に手に入るものでもない。

 一度カメラを提出してしまえば、返却されるまでの間は、依頼を受けても報酬を得られないため、殆どのハンターはその期間、自然と休暇を取ることになる。


 複数のカメラを持っていれば連続で依頼を受けることもできるが、そんな余裕があるのは、大規模なハンター部隊くらいのものだろう。

 ただでさえ手に入りにくいカメラだ。複数台を所有している者もいるが、その殆どは、破損に備えてストックしている事の方が普通だし、真も予備のカメラは持っている。



 だが、真は映画やアニメに登場するような歴戦の猛者でも、超人的な力を持つヒーローでもない。

 毎回の依頼で神経を擦り減らし、帰還後には泥のように眠る、ただの一個人だ。


 ……休めるときには休む。

 金も大事だが、体調管理を疎かにする奴は、長生きできない。


 どうせ、無理に稼いだところで、あの世に金は持ってはいけないし、この世の中では金の使い道も限られている。

 ならば、食うに困らない分だけ稼ぎ、次の任務を生きて帰るため、体調を整えることが最も重要だと、真は強く思っていた。


「……じゃあ、あとはよろしく」


「篠崎さん、今回は本当にすみませんでした!」


 報酬請求書に必要事項を記入すると、後の手続きを真奈美に任せ、謝罪の言葉には軽く手を振りながら、その場を後にした。



「おい、篠崎。なんだそのツラは? 下水屋(汲み取り屋)にでも転職したのか?」


 ラウンジの前で、別のハンター仲間が声をかけてくる。

 だが、今は軽口に付き合っている余裕はない。

 行かねばならない場所があるため、軽く返事を交わしてその場を後にする。


 何より、浮浪者のような格好を何度も弄られるのは、地味に堪えた。


 ――(俺だってたまには傷つくんだぞ……)


 それでも、顔馴染みの仲間が無事に生きていることを確認できたのは、少しだけ救いだった。

 その顔にまた明日会えるかどうかはわからない……皆、そういう世界に生きているのだから。

 

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