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電災都市  作者: あるふぁ
第二章『新宿クオム』
4/18

『新宿クオム』-1

今回は少し長めのお話になっています(前回の倍ぐらい)

この世界のホームタウンとなる場所のお話がしばらく続いていきます。

――ビルの隙間から差し込む夕陽が、ひび割れたアスファルトを赤く染めていた。


 B級レヴュラ『スカラベ』を辛うじて撃破し、帰途に就いた真とアリスは黙々と歩き続ける。

 眼前に広がるのは、見渡す限りの廃墟と、そこら中に遺されている戦闘の爪痕。

 

 吹き荒ぶ風が瓦礫の山をなぞり、時折、砕けたガラス片や乾いた紙屑を舞い上げた。

 

 かつては人々の往来で賑わった筈の場所――通り沿いの街並みは無人のまま沈黙し、今や見る影もない。

 

 割れたガラスが歩道に散らばり、錆びついたシャッターが無造作に閉じられたまま、時の流れに取り残されている。

 割れたショーウィンドウに残るマネキンは、埃をかぶったまま、不毛な都市の亡霊のように立ち尽くしていた。


 ふと足元に、風に飛ばされたチラシが擦れる音。

 

 派手な色彩で印刷された紙……ボロボロになった電災前のキャンペーン広告が色褪せていた。

『新生活応援セール!家電セットがお得!』

 それを見下ろしながら、真は肩を竦める。

 

 ……ここには、もう『新生活』を始める者など、どこにもいやしない。

 

 真とアリスの背後では、砕けたビルの残骸が風に鳴り、沈黙した街がその静寂を飲み込んでいった。


 

 道端にはタイヤが潰れ、フロントガラスには蜘蛛の巣状の亀裂が走る車。

 フロントガラスどころか、全てのガラスが疾うに無くなってしまった車もそこら中にある。

 そのどれもが、ボディには錆が浮き、もう二度と地を走る事はないであろう朽ちた姿を曝していた。

 

 中には、どうすればこんな事になるのか、首を傾げたくなるほど、天地を間違えた状態の車両さえある。


 道端に放置された車のシートには、かつて誰かが座っていた形跡があった。

 助手席に落ちた小さな靴、チャイルドシートの残骸。

 そこにあったはずのものは、時間と共に失われ、残されたものだけが、全てを黙したまま風に吹かれていた。

 

 無法の荒野と化したこの街では、もはや秩序の象徴すら嘲るように、哀れな姿に変わり果てている。

 車内を散々荒らし尽くされた姿を見せるのは、治安の番人としての役目を終え、打ち捨てられたパトカー。

 白と黒のツートンカラーの車体は、下品なスプレーの悪意に塗り潰されていた。

 

 警光灯(パトランプ)は叩き割られ、無線機をはじめ、あらゆる部品が持ち去られている。

 もはや、車内にはゴミしか残っておらず、ハンドルすら引き剥がされていた。

 ――ハンドルなど持ち去ってどうするつもりなのかは、理解に苦しむところだが。


 

 電災が発生してから三年近く経つ。街の様子は見るも無惨な姿に変わり果てた。

 目に入る物全てが、過去にテレビのニュースで見た、遠い国の内乱のような有様。

 改めてここはもう『戦場』なのだと、現実を否応なく突きつけられる。

 


 道路の中央には、何かを引きずったような黒ずんだ痕。

 乾ききった血痕か、あるいはオイルの類なのか――容易に判別することはできない。

 ただ、周囲に立ち込める異様な臭いだけが鼻をつく。


 車や瓦礫などの無機物だけであればまだいい。

 そこに遺されているのは、最後の言葉すら誰かに伝える事も叶わなかった存在。

 

 もはや珍しくもないほどに散在する――かつて『どこかの誰か』だったもの。


 瓦礫の隙間、崩れた壁の陰、倒壊した看板の下――。

 散乱する金属片や砕けたコンクリートの間に、ぽつりぽつりと『かつての形』がある。


 無造作に伸びた肋骨が、錆びた鉄筋の間に絡みつき、砕けた頭蓋は、転がる瓦礫と見分けがつかないほど静かに横たわる。

 

 ――錆びた車両の陰に、一際目を引く姿があった。

 崩れた壁の下、瓦礫に半ば埋もれるように、ふたつの影が寄り添っている。

 ひとつは大きく、ひとつは小さい。

 大きな方は、まるで小さな影を庇うように、腕を回したまま……決して動くことはなかった。


 その手の中に、小さなものがある。

 色褪せ、砂埃にまみれた、子供用のぬいぐるみ。

 頭には小さな手の痕が残り、それを抱きしめたまま、時が止まっていた。


 ――だが、そんなものは珍しくもない。

 ここでは、誰もが何かを守れずに、或いは守るために命を落とした。

 そして、誰も彼らを弔うことはなかった。


 もう、誰も泣くことはない。

 もう、誰も叫ぶことはない。


 ただ、乾いた風が吹き抜けるだけだった。

 

 

 うんざりするほど荒廃した景色の中、真は何度も溜息をついた。

 頭では分かっていながら、何度見てもそれは慣れる事ができない。

 

 

 肩に掛けた荷物が枷のように重く食い込む。

 

 ここ数日、まともな食事さえも取れていない。

 体力はとうに限界を迎えていたが、それでも、鉛のように重くなった足を止めるわけにもいかなかった。

 

 拳銃(ハンドガン)の銃把を強く握りしめ、いつ、どこから襲ってくるかもわからないレヴュラに警戒しながら歩く事、およそ4km。

 2時間ほどが経過した頃、やがてそれは見えてくる。


──かつて東洋一の歓楽街と謳われた、新宿・歌舞伎町。

 

 ……だが、今やその地も歓声の気配はなく、電災後の世界に変貌を遂げ、往年の面影を僅かに残すのみとなっていた。


 歌舞伎町のシンボルと言えば、誰もが思い出すであろう、『歌舞伎町一番街』のアーチ。

 それは未だその場にあり、この街の入口を飾るランドマークとしては健在だ。

 

 だが今は、薄汚れた金属フレームが遺物のように、その場で佇んでいる。

 夜の街に眩く瞬き、幾多の者を出迎えた赤い電飾も、今となってはその光を放つ事はない。


 代わりに頑丈そうな金属製のゲートが聳え立ち、この地に近付こうとする者を頑なに拒否し、外界の脅威を遮断するための、冷たい壁のような表情を見せている。

 

 ……人々を迎え入れるはずの門は、今や訪れる者を選別し、そして拒むための存在に変わった。

 

 ゲートの左手、かつてはコーヒーの香りが漂っていたチェーン店。

 そこは二階部分から足場が張り出す監視所へと姿を変え、銃を携えた者達が鋭い目つきで周囲を睨む。


 新宿三丁目と歌舞伎町の間を走る都道302号線――靖国通り沿いの街並みも、一階部分に廃材や建築資材を堆く積み上げたバリケードがどこまでも形成されていた。

 その異様な光景は、リオデジャネイロのファヴェーラや、今は亡き香港の九龍城砦をも彷彿とさせる。

 

 スレート材や有刺鉄線を使ったバリケードならまだマシな方だ。

 封鎖のためなら何でも利用されたのだろう。どこかのビルから引き剥がされた看板までもが乱雑に積み上げられ、『無料案内所』と書かれた看板が入り口を封鎖している様は、皮肉以外の何物でもなかった。


 ……そう、この地はもはや、かつて歓楽街と呼ばれた歌舞伎町ではない。

 

 ――ここは『新宿クオム』

 電災をきっかけに、真やアリスを含む多くの難民が肩を寄せ合い、バリケードに覆われる居住拠点へと変貌したこの街は、秩序と混沌が紙一重で共存する場所となっていた。

 

 いつからなのか、誰がこの場所を『クオム』と呼び始めたのかは定かではない。

 少なくとも、この街がバリケードに覆われた頃から、その名称は既に定着していたように思う。

 『Quarantine Of urban Metropolis』が語源であるとか、『Quarter Home』が正式名称だとか、そんな話がいくつもあるが、そのどれもが噂話の域を出ない。

 真にとっても、その真相は実のところどうでもいい話だった。

 

 ……新宿クオムへ近づくにつれ、鼻を突く独特の臭いが漂い始める。

 

 電災以降、それまで当然のように享受していた生活インフラは崩壊し、多くの人間が足を運び、繁華街として栄えたこの新宿歌舞伎町ですらも、今となっては貧民街のような独特の臭気を放っていた。

 

 ――いや、そうでもない。

 

 そもそも、歌舞伎町という街は、元から饐えた臭いを放つ特異な街であったかもしれない。

 

 

 酔っぱらい共がその辺に撒き散らした吐瀉物……腹へ散々詰め込んだ脂ぎった食い物やアルコール、そして胃液が入り混じった、何とも言えない臭い。

 毎夜のようにそこら中でぶちまけられるそれは、アスファルトの隙間へと染み込み、蒸れた夜気に乗って、むせ返る酸い匂いを放つ。

 

 狭い路地の壁際に目をやれば、そこには不自然に色の変わったシミが広がっている。

 雨に打たれても流れきる事がなく、じっとりと滲んだそれは、どこかのバカによって夜ごと積み重ねられた『置き土産』の名残だ。

 乾いては染み込み、また新たに塗り重ねられる――僅かに黄ばんだ軌跡が、壁のひび割れに沿って広がっていた。

 

 時給に釣られただけで、まるでやる気のない飲食店のアルバイトが、適当に生ゴミや残飯を押し込んだ袋を乱雑に店裏へと積み重ねる。

 それが目当てのドブネズミや野良猫、カラスどもが争奪戦を繰り広げた。

 

 おまけに黒い悪魔(ゴキブリ)までが人間などお構いなしに、我が物顔でその辺を走り回っていたような街だ。

 

 ……お世辞にもいい香りなど、するわけがない。

 歌舞伎町の裏路地に漂う臭いは、まるで腐りかけた欲望の澱。

 

 夜のネオンに彩られた華やかさとは真逆の姿、麗しきゴミ溜めの如き街……それが歌舞伎町の素顔と呼ぶべき姿だった。

 

 そんな歌舞伎町に生きてきた者達も、今では文明の恩恵を失い、生活レベルは相当に低下している。

 『健康で文化的な最低限度の生活』……そんなものは遠い昔の戯言だ。

 

 今となっては、明日の飯さえ保証される事はなく、どん底の生活を送っている人間はそこら中に溢れている。

 皆、今日を生きる事だけで精一杯だ。

 

 街の景観に気を配る余裕なんてものは誰も持ち合わせていない。


 

 真が監視所の近くまで歩み寄ったところで、不意に聞き慣れた声が降ってきた。

 

「お? 真じゃねぇか。無事に戻ったか?……って、お前、そのツラどうした? まるで肥溜めにでも突っ込んできたみてぇな顔してんな」

 

 見上げると、足場の上には鶸鼠色(オリーブドラブ)の作業服に黒いタクティカルベストを纏い、手には散弾銃(ショットガン)を構えた男が立っていた。

 険しい顔つきに似合わぬ、どこか呑気な笑みを浮かべている。

 

 真の顔や見た目の状態がここまで酷いのも無理はない。

 スカラベの擲弾(グレネード)による攻撃で、嫌と言う程、頭からゴミや埃をたっぷりと被ったせいで、その顔はまるで浮浪者のような有様だ。

 極めつけは、あの正体不明のペットボトルの液体。あれが何だったのか、考えるのも嫌になる。


 

「まさか、この東京のど真ん中で、肥溜めに落ちる心配をする事になるとは思わなかったよ」

 真が自嘲気味にそう軽口を叩くと、男……大野隼人は声をあげて笑った。

 本当に肥溜めに落ちたなどとは思われていないだろうが、それでも笑い飛ばされるほど、真の見た目は酷かった。

 

 ……東京で肥溜め。

 電災後の世界では何も珍しい話ではない。

 

 電力網が停止して以来、上下水道は完全に機能を失っている。

 水洗トイレは過去の遺物となり、溢れ出た汚水が疫病の温床とならないよう、汲み取り式のトイレが当たり前となった。

 今は新しいビルだろうと個人の住居だろうと、水洗トイレなんてものは使えない。

 

 それらの屎尿を処理し、農業用の堆肥へと加工するための場所が、クオムの近くには結構ある。


 東京のど真ん中に、かつての時代なら考えられない『肥溜め』が生まれ、点在しているのだ。

 尤も、転落防止の柵が設けられているから、古い時代の漫画のように、余所見をしているだけで簡単に落ちるような事はない。

 ……大抵は。

 

 だが、ごく稀に、本当に落ちる間抜けもいる。


 「まぁ、実際に落ちたアホもいたしな。あの時はさすがに笑えなかったが」

 「あの時って、大野さんがメインゲートの担当の時だったよね」

 

 形容し難いほどの猛烈な悪臭を漂わせた『間抜け』をクオムへ入れるかどうか、ゲート前で大騒ぎになった逸話もあったほどだ。

 

 


 真が「大野さん」と呼んでいるその男は、歌舞伎町の旧い住民の一人であり、電災が起こる前からの顔馴染み。勿論、年齢は真よりずっと上だ。

 

 強面の顔に走る深い傷跡。その傷跡の経緯も、電災前に何を生業にしていた人なのかも真は知っている。


 真は無言のまま、ポケットを漁り、一片のカードを取り出した。

 その、新宿クオムの住民なら、誰もが持っているカードを、大野さんへと手渡す。

 

 彼はそれを確認し、穏やかな笑みを浮かべながら、ゲートの解放操作に取り掛かった。

 


 重厚な音と共に、『01』と白いペイントで大きく記された金属のゲートが動き始め、ゆっくり解放されてゆく。

 

 勿論、その造りは装甲板などと言う気の利いたものではない。

 

 あらゆる鉄板などを幾重にも溶接し、無理矢理繋ぎ合わせただけの簡素な鉄扉ではあるが、この地を守る重要な扉であり、小銃弾くらいは弾き返す強度がある。

 小型種レヴュラ程度であれば、このゲートを突破する事はできないはずだ。

 

 その様子だけ見れば、この地がかつて世界に名だたる歓楽街であったなどとは、俄かに信じられないかもしれない。

 だが、この新宿クオムには、ここの他にも同様のゲートが複数設けられ、出入りする者を厳しく制限しているのだ。

 

 電災後の世界では、身を寄せ合い、協力しながら生きる者もいれば、そういった人間から『奪う』側の者だっている。

 だからこそ、住民たちはクオムを防衛するため、出入りする者を監視し、不審者への警戒を怠らない。

 

 このゲートを開けるには、住民カードが必要で、いつ、誰が解放要請をしたのかは全て記録されている。

 勿論、住民カードなどと言っても、電災後に手作業で作られた簡素な識別証に過ぎないが、これがなければクオムへ出入りする事は何人たりとも許されない。

 

 ――それが例え、目の前でレヴュラに襲われている顔見知りであってもだ。

 

 

 大野さんのようにクオムの防衛を担う者たちは『ガーディアン』と呼ばれている。

 彼らはゲートの警備や周辺の警戒を分担しながら、昼夜を問わず持ち回りで警備を続けているのだが、この要塞化された街に対して、人手は圧倒的に足りていない。

 

 そのため、比較的強力な武装を持つハンター達が交代で警備活動を兼任する事も多く、真もまた『交代要員』として、度々駆り出されるうちの一人だった。

 

 

 電災で何もかもが変わり果てたこの世界には、街の平和を守るお巡りさんなんてものは、どこにもいやしない。

 警察が消滅してしまったこの世界では、自治組織の存在が不可欠であり、彼ら無くしてはこのクオムがある歌舞伎町とて、ただの無法地帯になっていたかもしれないのだ。


「今日ゲート警備を担当するはずだったハンター小隊がヘマをやらかしてなあ」

 開放記録の書類にペンを走らせながら、大野さんは苦笑混じりに言った。

 その言葉を聞いた瞬間、真は何が起きたのかを即座に察する。

 

 今日の警備は本来、大野さん達ではなく、別のハンター小隊が担当するはずだった。

 だが、彼らの姿はどこにも見当たらない。


 ――つまり、そいつらは今頃ベッドの上で唸っているか……或いはもう二度とこの地に帰る事ができなくなったかのどちらかだろう。


「俺も今日危なくやられるところだったよ……スカウトの野郎に文句言わねぇと」

 真は苦笑しながら頭を掻いた。

 

 スカウトが持ち込んだ情報に不備があった事や、事の経緯を話すと、大野さんは目を細める。

 そして、その目が真の姿を改めて見定めた瞬間、合点がいったように口の端を上げた。


「なんだ、ガセでも掴まされたか?……まあ、B級相手に生きて戻れただけ、ツイてたな」

 肩を竦め笑う大野さんの言葉に、真は深く頷きを返す。

 


 レヴュラなどという、得体の知れない存在を狩る事で生計を立てて生きるという事は、いつ命を落とすかもわからない、危険と隣り合わせで綱渡りのようなものだ。


 この新宿クオムでは、昨日まで見かけた顔も、今日には消えている――そんな事は珍しくない。

 

 そして、明日はそれが自分の番かもしれない……そういう世界である事を忘れた事は一度もなかった。

 

 ……それでも、真はこの場所で生きていくために、ハンターとして戦う道を選んだ。

 

 新宿クオムは、ただ座しているだけでは、決して生きてはいられない。

 ここでは、自ら行動を起こした者だけが生き延びる権利を得る事が出来る。

 誰かを食い物にし、()()()()()生きていられるような甘い場所ではない。

 『生きたければ、自ら動け』そんな単純な摂理が、ここでは絶対のルールだ。


 

 「じゃあ大野さん、俺はもう行くよ。まだ、いろいろ片付けなきゃいけない事もあるし」

 

 「おー疲れたろ?しっかり休めよ? たまにゃ休暇(オフ)の間にでも一杯付き合え」

 

 ゲートの前で長々と油を売るのも気が引けたので、真は手を軽く挙げると、大野さんに別れを告げ、ゲートの奥へと歩を進めた。


 

 かつて歌舞伎町一番街と呼ばれていた路地を歩き始めると、背後では、重厚な機械音とともに、鉄製のゲートが軋みを上げながら、再び閉じられてゆく。


 ……まるで、この世界の内と外を分断する巨大な棺桶の蓋が、ゆっくりと降ろされるかのように。

 

 通りには埃っぽい毛布を頭から被った路上生活者が蹲り、集めた生活雑貨やジャンクを並べた露店が軒を連ねている。

 売られているのは、どこかで拾い集めたジャンク品や、何かの部品だったもの、用途すら不明なガラクタの山。

 しかし、それらひとつひとつが、この街の『経済』を成り立たせているのも確かだ。

 

 そこだけ見れば、近代日本とは到底思えない異様な光景だが、それでもここは愛する我が街であり、我が家だった。

 独特の饐えた臭いでさえも、この街で人々が生きている証だ。

 眼前に広がるいつもの見慣れた光景に、改めて今日も無事に『帰ってきた』という生の実感を噛みしめる。


 ――かつて、色とりどりのネオンや電光看板が光り輝き、昼夜を問わず、多くの人々が行き交う一大歓楽街。

 ……『眠らない街、歌舞伎町』とさえ呼ばれていた事も今となっては懐かしい。


 とはいえ、眠らない街という点については、実のところ今もそう大きくは変わってはいない。

 人間の三大欲求である『食欲』『睡眠欲』『性欲』――十分に満たされる質と量かどうかは別として、その全てがここには揃っている。

 

 生き残るため自分に値段をつけ、際どい服装を纏った女が、道行く男を誘う。

 そして、それを値踏みするように眺め、下卑た笑みを浮かべる男。

 やがて交渉成立でもしたのか、二人は何事もなかったかのように腕を組み、通りの奥にある影宿(ドヤ)へと消えていく。

 

 生存が脅かされるこの世界だからこそ、その欲求が一層強く剥き出しになっているのか否か。

 ……いや、どんな状況であっても人間の欲望と言うのは、案外そうは変わらないものなのかもしれない。


 歌舞伎町一番街の通り沿いには、小さな露店が犇めいていた。

 クオムの外へ出向いて、命がけで価値のある品を探し、それを持ち帰って日銭を稼ぐ『コレクター』や、それらを手広く売買する商人……『トレーダー』と呼ばれる者達が小さなブースに所狭しと品物を並べ商売をしている。


 彼らが並べる品々は、どこから集めてきたのかわからない、ガラクタと称した方が相応しいジャンクから、かつての文明の名残とも言える高級アクセサリーまで実に多種多様だった。

 『金になりそうなもの』は何でも、手当たり次第に売られていると言った方が早いかもしれない。


 あらゆるものの価格が出鱈目なこの世界で、自分自身を商品とする交易者(アクトレス)と呼ばれる女や、それらの者が利用する影宿(ドヤ)もこの辺には多い。

 そのせいか、避妊具(コンドーム)が一箱1万円を超える価格で売買されている様は、電災以前に世間を騒がせた転売屋など霞んで見えるだろう。

 

 勿論、食を提供する店も多い。

 住民の胃袋を満たす食料品の露店や、粗末ながらも温かい食事を提供する屋台。

 お馴染みの『ツナバーガー』の看板が見え、店の前では今日も変わらぬ活気が漂っている。

 

 この荒れ果てた世界の中にあっても、まだ絶望には屈していない人々が、この街には溢れていた。

 命の営みを続けようとする者たちの執念が、この街には脈々と流れているのだ。

 

 やはり、この地の根っこの部分は『歌舞伎町』なのだと実感し、街の姿こそ変われど、根底にあるその逞しさと生命力に、改めて感嘆させられる。


 

 通りを歩く真は、漂ってくる食い物の匂いに鼻腔を擽られ、さっきから空腹を訴える胃袋に何か詰め込みたい気分に駆られていた。

 あまりの空腹で胃酸過多気味なのか、さっきから酸っぱい胃液と共に吐き気がこみあげてくる。

 

 だが、どうしても先に片付けなければいけない先約の用事があり、目の前の誘惑を振り切って、歩き続けた。

 

 ふと、隣を歩くアリスに目をやれば、彼女は立ち寄った露店で小さなアクセサリーを手に入れると、嬉しそうにそれをポーチにしまい込んでいる。やはり、そういうところは女の子らしい。

 

 そういえば、彼女の長い髪を束ねているリボンもこうした露店で買ったのだと、真は懐かしく思い出した。……もう随分経つ気はするが。

 

「アリス、何かいいものあった?」

 

 アリスは少し照れくさそうに笑いながら、リボンをポーチから取り出して見せた。

「うん、ちょうど替えのリボンが欲しいと思って……ボロボロになってからじゃ嫌だし」

 アリスは長い髪を束ねる際、リボンで結ぶことに拘りを持っている。

 戦闘装備を身に纏い生きることが当たり前の今だからこそ、彼女なりの細やかなお洒落なのだろう。

 

 彼女の言葉に、真は頷きながらその現実を改めて実感する。

 今、こうして洒落たアイテムを手に入れる事は、案外簡単な事じゃない。

 それに、金を稼ぐのだって一苦労だ。

 

 今や街に並ぶ品物はどれもが貴重で、手にするまでの間に、誰もが多くの苦労を経て、遣り取りされている。たとえ、それが物であっても、金であってもだ。


 街中に並んだ店々で洒落た服が買えた日々も、遠い昔の話になってしまった。

 今の世の中、機会を逃せば、何の変哲もないパンツ一枚であろうと、二度と手に入らない事は珍しくない。

 そのためか、最近じゃ質実剛健で頑丈なもの、長持ちするものが好まれるようになった。


「……服とか見つけるのってほんと大変だよな」

 真が呟くと、アリスは少し困ったような顔をしながらも頷く。


「うん、女性の服はほんとに少ないし、戦闘用の装備を探すのも大変だったからね」

 

 そう、彼女のために何度も、あの荒れた世界をかき分けて戦闘用の装備を探し回ったり、足繁くトレーダーの店に通った日々を思い出す。

 ただでさえ、歌舞伎町近辺にはミリタリー用品を扱っていた場所は少なく、外で回収する事が叶わなかったため、幾度トレーダーにボられる事になったかわからない。

 

 それに、アリスはいつも遠慮がちにしていて、自分の欲しいものを言葉に出す事が少ない。

 戦いの日々の中で、何よりも優先するべき事が他にあるからなのだろうか、彼女の物欲は、どこかいつも隠されている。


「だから、アリスがこんな風に露店で見ているときは、俺も声をかけるようにしてるんだ。放っといたら、何も言わずに過ごしちゃうから」


 その言葉を聞いたアリスは、微笑みながらも、どこか照れくさそうに下を向いた。

 

 当たり前だったもの全てを『電災』という事象が変えてしまった事によって、作業服の在庫を抱えていた店じゃ、ひと財産築けたのではないかという程によく売れたらしく、それまでの不良在庫が()()()()()()捌けたらしい。

 デニム素材の服なんて、程度の良い出物がある度に、住民同士が奪い合う事は、もはや恒例行事になっている。


 

 一番街を北に少し進んだ先、右手にはかつて映画館や飲食店、ホテルなどが集まった巨大なビルが聳え立つ。

 勿論、その威容は今や失われ、昔の面影はどこにも見当たらない。

 かつて賑わっていた映画館の前には、ポップコーンの香りではなく、煮炊きの匂いが漂っている。誰かが炊き出しでもしているのだろう。

 

 かつての上映スペースには電災後の生存者たちが肩を寄せ合い、狭い空間で寝泊まりをしている。

 椅子で寝ているせいなのか、笑いながら腰を摩り、大きく背伸びしながら出てくる奴によく遭遇するが、それでも、この場所に集まる者たちは、どこか生きる力を感じさせていた。

 

 どこか明るいその雰囲気も、無力感と絶望に覆われた日常の中で、心を救うひとときかもしれない。


 

 そして、左手に目を向ければ、ビルに挟まれた小さな広場がある。

 ……本当の名前は確か、シネシティ広場と言ったか。真とアリスはその広場を通り抜けるように歩いていた。

 

 かつては『トー横エリア』等とも呼ばれ、行く当てもない多くの若者達が集まっていた場所のひとつで、電災前にはこの辺りに屯する未成年の少年少女が、良くも悪くも話題となったところだ。

 

 今では、本当に行く当てのなくなってしまった者たちが、老若男女問わずダンボールやブルーシートを広げ住み着き、肩を寄せ合う場所となっていた。

 

 そこに集まる若者たちが、良くわからない振り付けで踊りだし、思い思いに笑い、語り合っている。

 だが、その振る舞いは、どこか楽しそうだ。

 

 彼らはかつて、大人社会からはじかれた存在ではあったが、今ではクオムの中で小さな商売をしたり、情報を売ったりしながら逞しく生き抜いていた。


 こんな世界で、一体何を楽しみに生きれば良いのか、誰もわからない。

 だが、彼らはこんな世界であっても、楽しそうに笑っている。

 

 電災後の世界は何もかもが残酷で、先の見えない不安な毎日だ。

 そんな中でも笑顔でいられる姿に、心が救われる人間だっているだろう。


 

 不安に満ちたこの世界で、笑顔を交わし、笑って過ごせる事がどれほど貴重な事か。

 

 かつては歌舞伎町の問題児、暗部のように報じられてきたトー横キッズも、今ではこの新宿クオムでビタミン剤のような役割を果たしているのだから、案外世の中わからないものだ。

世界観が世界観なので、読みやすい文字数に拘りすぎてしまうと、

案外収まらなかったり、尻切れ感があったりということもあって、

やはり『3,500文字程度』というのは私の作品に向いていないと

思いましたので、今後は文字数をあまり気にしない事にしました。


私が愛読させていただいている他作品も、7,000文字とか

長いものが結構ありますし。


どうしても、きちんと説明描写をしないと伝わりにくい

独特の世界観というのもあって、長くなりがちなんですよね。


ディティールに拘り過ぎると、文字数が増えて気軽に読めないと

いう欠点を孕んでいるのはわかるのですが、やはり尻切れ感漂う

「つづく」みたいなのって、むず痒くて。


そんなわけで、次回以降も『新宿クオム』のお話がしばらく

続いていきますので、お付き合いいただければ幸いです。


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