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電災都市  作者: あるふぁ
第五章『補給線』
29/29

『補給線』-1

 ――2030年7月22日。


 幹線道路は、道路と呼ぶには、あまりに無残な姿へと成り果てていた。

 アスファルトの黒い皮膚は裂け、そこから遠慮なく草が顔を出している。


 排水溝は枯葉と砂塵に埋まり、車輪が刻んだ轍には、湿った緑の苔が広がり、鈍く光っていた。


 放置された車両は、時間に喰われたかのように錆び付き、風が吹くたび、ナンバープレートがかすかに震える。

 乾いた金属音だけが、誰もいない道に取り残され、皮肉なほど雄弁に語っている……かつて人と車が行き交った往来の名残だと。


 人の営みが交差していたその道は、今や“生と死の境界線”を示す、帯状の廃墟へと変質していた。


 ――段差を越えるたびに車体が跳ね、その衝撃が容赦なく尻に突き刺さる。

 荷台に揺られる者たちは、顔を顰めながらも、ただ黙って耐えるほど殊勝ではなかった。


「ケツが痛ぇのは我慢できる。だがよ、この暑さは勘弁してくれ。着く前にこっちが蒸し焼きだ」

「外の空気を引き込んでるだけだろ。真夏じゃ、ベンチレーターなんて意味ねぇよな」

「冗談きついぜ。こんなもん、換気装置じゃねぇ。ロウリュだ、ロウリュ!」


 ――文明が崩壊し、秩序が瓦解しようと、人間の都合など意に介さぬ顔で、夏は巡ってくる。

 容赦なく照りつける日差しと、逃げ場のない熱気にぐったりしながら、輸送スペースに押し込まれた者たちは、代わる代わる愚痴を吐き捨てた。


「真! 暑いよぉ、なんとかして! B級キラーのヒーローでしょう?」

「……お前は、俺が全知全能の神か何かに見えるのか?」

 同乗している、真やルナといった面子も、交互に愚痴を吐き散らす。

 だが、いくら愚痴を吐こうと、状況は何も変わらない。


 手入れされることもなく、傷み切った路面を、数台のトラックが車列を組み、慎重に進んでいく。

 尤も、それらは“普通のトラック”とは呼び難い代物だ。


 車体前面には、太い鉄パイプや金網を組み合わせた無骨なガードバー。

 側面には、外へ大きく張り出すように追加された、パイプ製の防護フレーム。

 荷台は追加の鉄板で補強され、厚みを増した外装が鈍重な印象を強めている。

 運転席のガラスにはフェンスが取り付けられ、屋根の上には、過剰とも思える数の補助灯が並んでいた。


 世紀末やゾンビ災害を描いたB級映画にでも出てきそうな、物々しい外観。

 その異様なトラックこそが、新宿クオムに属する“兵員輸送車”だった。


 ――尤も、“兵員輸送車”という呼び名から想像されるような、整然とした軍用車両ではない。

 実態はとても単純だ。

 荷台に簡易的な椅子を括り付けた、寄せ集めの――電災前なら、どこでも見ることができた、貨物トラックに過ぎない。


 電災発生時、自衛隊の車両を利用することは叶わなかった。

 隊員たちが駐屯地を離れる際、車両が無秩序に使われる事態を嫌ったのだろう。

 ほぼ、すべての車両は主要部品を外され、動かぬ鉄の塊として封じられていた。


 その結果、既存の民生車両を改造し、レヴュラとの遭遇を想定した車両が各地で生み出される。

 遠隔地から物資を運ぶトランスポーターも、似たようなものだ。


 この“兵員輸送車”もまた、C級レヴュラ程度なら、跳ね飛ばせるだけの強化改造を施されている。

 だが、荷台に並ぶ、取って付けたような椅子が示す通り、快適性などは、最初から度外視されていた。


 気の利いた空調装置など、当然、存在しない。


 電災以降、多くの工場の製造ラインは、レヴュラの支配下に落ち、結果、部品の供給も、新規の製造も断たれている。

 道中の快適さを約束する改造など望むべくもなく、外気導入用のベンチレーターが取り付けられているのが、せいぜいだ。


 尤も、そこから流れ込むのは、夏に焼かれた熱風ばかり。

 気休めにすらならないその風が、ただ体力を削り取っていくだけだった。


「歩かなくて済むだけ、まだマシだとは思うけど……さすがにこの暑さは“くる”ね。着く前に、誰も倒れなきゃいいんだけど」


 そう口にしたのは、この一行を率いる男――山本隆だった。

 新宿クオムのハンター小隊……『アイアンウルフ』

 ――その隊長を務める人物である。


 山本は、かつて陸上自衛隊の特戦群に籍を置いていた経歴を持つ。

 過酷な訓練を通じ、あらゆる技能を叩き込まれた身体は無駄がなく、今では、新宿クオム最強のハンターの一人とさえ囁かれている存在だ。


 だが、その山本ですら、眉をひそめ、暑さへの不満を漏らす。

 焼け付く空気は、筋肉も精神も平等に削り取り、荷台にいる全員の体力を、静かに奪っていく。


 ――電災以前、地球温暖化対策だの、カーボンニュートラルだのと声高に叫ばれようと、結局のところ、何ひとつ歯止めは掛からず、夏の気温は年を追うごとに更新され続けてきた。


 この国の主が、人間から異形の機械兵器……『レヴュラ』に取って代わられようと――夏の灼熱だけは、何事もなかったかのように、同じ顔でやって来る。



 

 …………すべての発端は、一週間前。


 新宿クオム内で、防衛と統治を司る行政組織『ギルド』……そこから出された、ひとつの発表が、この動きを生んでいた。


 

 ――――――――――――――――――――

 


 ――その日、ギルドのカフェスペースは、珍しく人で溢れ返っていた。

 電災後の荒れ果てた世界で、異形の機械兵器『レヴュラ』を狩る、現代の狩人たち。

 この場に集まっているのは、そんな連中ばかりだ。


 クオムの外――すなわち、レヴュラの支配圏へと足を踏み入れ、これらを討ち、危険と引き換えに報酬を得る……最前線の猟犬たち。


 ――その日はどうやら、ギルド側から、何かしらの発表があるらしい。

 その呼びかけに引き寄せられ、新宿クオムに属する、ほぼすべてのハンターが、この空間に顔を揃えていた。


「よう。ギルドから発表があるって聞いたけどさ、何が飛び出すんだ?」


 真は、カフェスペースの一角で、見知った顔を見つけ、軽く声を掛ける。

 ――グレイスライン隊の榊原恒一。

 先日、この場所でバーガーを巡る小競り合い――通称“バーガー内戦”を引き起こし、真を振り回した”悪党”の一人だ。


 とはいえ、オフじゃ、冗談半分の騒ぎを起こす一方で、実戦経験は豊富。

 ハンターとしての腕前も確かで、真にとっても、安心して背中を預けられる相手だ。


「おう、篠崎か。さあな……いよいよ今日で、クオムはおしまいです、なんて言い出すんじゃねぇの?」


 冗談めかした口調だったが、その内容は素直に笑えない。

 実際、ギルドがハンターを総動員して呼び集めるなど、これまでに例がない事態だったからだ。


 軽口の裏側で、場に漂う空気は、どこか張り詰めている。

 一体、何が告げられるのか――誰もが無意識のうちに、次の一言を待っていた。


 だが、真の胸にはひとつ、拭いきれない引っ掛かりが残っている。

 

 先日……ギルドマスターである沢村から耳打ちされた、オフレコの情報――川崎第三クオムが陥落したという話だ。


 もし、それがA級レヴュラによるものだと確定すれば、沢村は新宿でも、レイドを編成するつもりだと言っていた。

 となれば、今日の招集は、その件に違いない。


 レイド――MMORPGなどのネットゲームではお馴染みの言葉だ。

 『強襲』や『急襲』を意味した言葉で、多数の参加者でひとつの難敵に挑む戦闘。

 この世界においても、”小隊”単位のハンターをひとつの大部隊に束ね、レヴュラに挑む作戦をそう呼んでいる。


 普段、それぞれが自由に活動するハンターが、レイドを組むという意味は、実に単純だ。


 単なる小競り合いではない。

 敵の退路を断ち、総力を注ぎ込み、勝つか、潰えるかの戦いに踏み込むという合図である。


 ――無論、無傷で済むはずがない。

 この場に集まっている人間のうち、果たして何人が生きて戻れるのか。

 そんな計算を始めてしまった瞬間、胃の奥が鈍く締め付けられた。


 だが、その話を知っているのは、今のところ真だけだ。

 オフレコと言われた以上、軽々しく口にできる内容ではなく、結果として、真は黙り込むしかない。


 苦虫を噛み潰したような、真の表情に、榊原が怪訝そうな視線を向けていた。


 ――そんな時だ。


「真、朝ごはん買ってきたよ」


 その空気を和ませるような、アリスの声が届いた。

 彼女は、近くの屋台で調達した朝食を手に、軽やかに戻ってくる。


 急な招集だったため、腰を落ち着けて食事を摂る余裕などなかった。

 だから、簡単につまめるものを頼んでいたのだった。


「篠崎はいいよなぁ。こんな出来た嫁がいてさ。俺も、世話女房タイプのパートナーが欲しいぜ」


 榊原の、からかうような言葉に、真は肩を竦める。


「嫁じゃ……ないけどな」


 顔馴染みの間では、もはや様式美と化したやり取りだ。

 苦笑で受け流しつつも、真は内心で、否定しきれないものを感じていた。


 確かに、アリスは甲斐甲斐しく、真の身の回りを世話してくれている。

 装備、食事、体調――細かいところまで気が付き、当たり前のように世話を焼く。

 女っ気のない連中から見れば、単なるパートナーというより、明らかに男と女の関係――そう映っても、不思議ではないだろう。

 実際、電災前だって、メカドールと本気で結婚する奴がいたぐらいなのだ。


 ――真は、新宿クオムではすっかり大衆食となった、ツナバーガーを齧る。

 カフェスペースで無料提供されている、薄いコーヒーを流し込みながら、立ったままで朝食を済ませる形だった。


 別に、ツナバーガー以外の食い物がないわけじゃない。

 ただ、電災後の世界では、食料事情は慢性的に逼迫している。


 原材料を聞けば、思わず顔を引き攣らせるような品も、珍しくなかった。


 たとえば、すぐ近くの屋台で売られている『パワーボール』……その代表例だ。

 見た目は、おにぎりに近いが、米は貴重品のため、使われていない。

 代わりに、食用可能な穀物を寄せ集め、腹持ちと蛋白質を重視した一品である。


 理屈では理解できる。

 だが、原材料の詳細を聞いた途端、二度と口にしなくなる人間も、少なくない。


 贅沢を言っていられる時代ではないが、それでも、“ダーク”すぎる食い物だけは、できる限り避けたい。

 ――それが、多くの人間の本音だった。


 かつて、金がなく、腹を満たすため、文字通り“道草”を食った男を見たことがある。

 ――結果は、悲惨そのものだった。

 嘔吐しながら地面を転げ回り、悶絶するその姿は、今も語り草となっているほどだ。


 そんな経緯もあり、真は主にツナバーガーを選び続けている。

 幸い、店ごとに味付けが異なるため、いくつかをローテーションすれば、飽きずに済む。


 そして、最後の一口を口に放り込んだ――その瞬間。


 カフェスペースの入り口に、ギルドマスター――沢村の姿が現れた。

 それまで雑談と軽口で満ちていた空間は、示し合わせたかのように静まり返る。


 ――誰もが沢村へと視線を向け、次に発せられる言葉を待っていた。


「今日は、朝からの急な呼びかけにも拘らず、こうして多くの人間が集まってくれた。そのことに、まず感謝したい」


 沢村が静かに口を開いた瞬間、真の背筋に緊張が走った。

 周囲のハンターたちが知らない情報を、真だけが抱えている……その事実が、無意識のうちに身体を強張らせた。


 自然と手は握り拳になり、掌にはじっとりと汗が滲む。


「今日、皆に集まってもらった理由だが――ギルドとして、正式にハンター諸君へ作戦要請を出したいと思っている」


 ……来た。

 この言い回し、この流れ。間違いない。レイドの発動だ。


 幸い、真が手配していたAT-4も、M320擲弾発射機(グレネードランチャー)も、数日前に受け取ったばかりだ。

 弾薬も十分に確保してある。装備の準備だけを見れば、抜かりはない。


 だが、A級レヴュラを相手に、それらがどこまで通用するのか――その答えを知る者は、まだ誰もいない。

 最悪の場合、生きて帰れない可能性すらある。


 そんな想像が脳裏を巡り、真の表情は、知らず知らずのうちに硬くなっていた。


「電災から三年余り。皆の力で、この新宿クオムを立ち上げ、支え合いながら今日までやってきた。だが、ここに来て、無視できない重大な問題が発生している」


 この直後に『――A級レヴュラの侵攻が確認された』――そんな報せが告げられたら、この場にいる全員は、どんな顔をするのだろうか。


 ざわつき始めた周囲の空気を横目に、真は一人、先のことを考え始めていた。

 ――それは、アリスのことだ。


 ……もし、レイドが発動されたら、アリスはどうするべきか。


 レイドの難易度から想定される損耗率を考えれば、真自身ですら、生還の保証はない。

 そんな激戦が予想される場所へ、アリスを連れて行くべきなのか。

 

 実際、横浜のクオムでは、多くのハンターが命を落としたという話を聞いている。

 それだけ、A級レヴュラという存在が、常識の外側にあることの証左だった。


 A級レヴュラ――全高およそ八メートルの機動兵器。


 真自身、実物を目にしたことはない。

 だが、横浜で行われた大規模レイドを一蹴し、多数のハンターを屠ったという事実だけで、その異常性は十分すぎるほど伝わってくる。


 一説によれば、A級はクオムのような人類側の居住地や拠点を、直接攻略するために設計された存在だと考えられている。

 横浜を襲撃した結果、あの一帯では“ハンター”という職業そのものが、絶滅危惧種のように扱われるようになった。


 現在も、横浜地区の防衛は、周辺クオムからの応援に頼り、辛うじて漸減作戦を維持しているらしい。

 新宿クオムからも、時折”出張”に行く奴がいるという話だ。



 ――電災直後から、真はアリスと二人で生き延びてきた。


 銃を持つことすら怖がっていた頃から、少しずつ扱い方を教え、今では息の合ったパートナーと呼べるほどに成長している。

 それでも……メカドールとはいえ、アリスは“女の子”だ。


 そんな彼女を、死地へ連れて行く。

 その選択を、真はどうしても躊躇ってしまう。


 初期設定の影響なのかはわからない。

 だが、アリスは心根の優しい性格で、誰に対しても分け隔てなく接する。

 料理の腕前もあり、最悪の場合――真がいなくなっても、このクオムで生きていけるだけの力はあるはずだ。


 決して楽な暮らしというわけにはいかないだろう。

 それでも、命を賭けてレヴュラと戦わず、クオムの中で静かに生きる道も、選択肢としては確かに存在している。


 沢村から、A級レヴュラとレイド準備の話を聞かされて以来、真の思考は、どうしてもアリスの行く末へと引き寄せられてしまう。


 そんな真の逡巡と、ざわめく周囲の声を制するように、沢村は言葉を続けた。


 その言葉に、その内容に、多くの者がざわつく。

 

 そして……。

 

 真だけが一人、盛大にずっこけた。

 


「真、どうしたの?」

 心配そうに覗き込む、アリスの声。


「おい篠崎、どうした? ついにツナバーガーもコオロギ入りになったか?」

 榊原の軽口が飛び、張り詰めていた空気が、わずかに揺らぐ。

 さっきまで胃の痛む思いをしたのは、なんだったのだろうと、真一人だけが、自己嫌悪に陥った。


 ――――――――――――――――――――


 ――ギルドを束ねる沢村の口から語られたのは、A級レヴュラの話などではなかった。

 だが、新宿クオムという共同体は、強大なレヴュラと同じくらい――いや、それ以上に厄介な問題を常に抱え込んでいる。


 ……それが、食料だ。


 沢村の説明によれば、新宿クオムが軌道に乗り始めてから、すでに二年余りが経過している。

 安定した防衛体制と、最低限ながらも秩序だった生活環境――その噂を聞きつけ、他所の土地から流れ着く人間は、年々増加してきたという。


 先日、ギルド内で拳銃をぶっ放し、ガーディアンに引きずられていった『ブレイズ隊』の林なども、その典型例だ。


 もちろん、この世界には、電災以前の自宅に住み続け、周辺を探索して物資を集めながら生きる“ソロビト”と呼ばれる連中も存在する。

 だが、ある程度の安全と、文化的な生活を求めた結果、クオムへと移り住む者が後を絶たないのも、また事実だった。


 現在、新宿クオム内で流通している食料は、大きく分けて四種類に分類される。


 ひとつは、コレクターたちがクオムの外を探索し、掘り出してくる電災以前の食糧。

 缶詰をはじめとする長期保存が可能な食品、カップ麺やレトルトなどの加工食品――いずれも貴重品であり、法外な(ぼったくり)価格で取引されている。


 次に、ビルの屋上やクオム周辺に設けられた菜園。

 芋類を中心とした野菜の栽培が盛んに行われ、土と汗の匂いが、コンクリートの街にかろうじて“生”を繋ぎ留めていた。

 クオム住民達が散々、そのケツから”捻り出した”ものも、乾燥加工を経て肥料として再利用し、東京のど真ん中に畑を作っているのだ。


 さらに、レヴュラの侵攻が比較的緩やかな遠隔地から、トランスポーターが命懸けで運び込む食材もある。

 東京都内だからこそ、比較的潤沢に入手できる電気機材や、その部品などと交換する形が主で、入手できる品は同行するトレーダーの腕次第だ。

 運が良ければ、値段は張るが、“肉”と呼べるものが手に入ることもあった。


 ――そして、最後のひとつ。

 これが、最も厄介で、最も問題視されている。


 電災後に名乗りをあげた、自称”食品事業者”たちが製造する……“できることなら、食べたくはない”類の食材だ。


 原材料を聞いた瞬間、その場で嘔吐する者がいても不思議ではない。

 むしろ、それが珍しくないほど、トラウマ級の代物が、当たり前の顔をして流通している。


 出所がどうであれ、そうしてかき集められた食材は、飲食店や屋台の連中の工夫によって、どうにか料理の体裁を保ってきた。

 味や匂い、食感――あらゆる手段を駆使することで、クオムの住民たちの胃袋を騙し、なんとか満たしてきたのである。


 だが、沢村の口ぶりから察するに、その“なんとか”が、いよいよ限界を迎えつつあるらしい。


 食糧は、弾薬のように目に見えて減らない。

 だからこそ、気付いた時には、手遅れになる。


 カフェスペースに漂う空気が、わずかに重さを増した。

 誰もが直感的に理解していた――この話は、冗談で済む類のものではない。


「野菜についてはな……クオム周辺にいくつも農場を作って、どうにか回してはいる」


 沢村はそう前置きしたうえで、わずかに言葉を選ぶ間を置いた。

 食える穀物や野菜は、十分とは言えないまでも、最低限の量は確保できているらしい。


 だが、問題はそこではなかった。


 新宿クオムで日常的に口にされている大衆食――ツナバーガー。

 その要であるツナ缶でさえも、いよいよ底を見せ始めているという。


 米や小麦といった主食に至っては、需要に対して供給が、明らかに追いついていない。

 それらは、東京のど真ん中にある新宿クオムで、どうこうできる類のものではなかった。


 頼れるのは、トレーダーとトランスポーターだけ。

 だが、操業している工場がほぼ皆無の現状では、残された備蓄品を頭を下げて買い付ける程度が、精一杯だという。


 できるだけ“ダークな食材”を避けたい真にとって、この話は他人事ではなかった。

 いくら栄養価があると説明されても、原材料を聞いた瞬間、食欲は地の底まで落ちる。


 ――『パワーボール』

 あれを主食にしろと言われたら、真は本気で人生を考え直す自信があった。


「現在の新宿クオムが抱える最大の問題は、いわゆるサバイバル食以外の食材が、どれも枯渇寸前にあるという点だ」


 ――サバイバル食。

 聞こえはいい。

 だが、その実態は、電災以前から“食肉供給危機”の名目で推し進められてきた、新たなたんぱく源の数々だ。


 それでも、生き延びるためには食わなければならない。

 少なくとも、犬や猫に手を出す蛮族になるよりは、まだマシだと――誰もが、そう思っている。


「そこでだ。先日から偵察部隊を多方面に派遣した結果――」


 沢村は一拍置いてから、告げた。


「静岡県の焼津に、缶詰食品の製造工場がある。みんなも知っているだろう?おとひめフーズだ」

「そこに、大量のストックが手付かずのまま残っていることが分かった」


 本来なら、誰もが殺到し、中身を根こそぎ奪おうとするはずの話だ。

 だが、現実はそう甘くない。


 ――レヴュラは、どこから現れるか分からない。

 何の武装も持たない一般人では、遭遇した時点で終わりだ。


 その結果……レヴュラを恐れ、人が寄り付かなくなった“空洞地帯”が、いまなお各地に点在している。

 レヴュラから逃げたのか、蹴散らされ、一帯を根絶やしにされたのか……その辺はこの際どうでもいい。

 だが、その缶詰工場も、まさにそうした場所にあり、荒らされることもなく放置されていた。


「だから今回は、この食糧問題を解決するためにだ」

「その缶詰を“頂戴しに行く”。ハンターを派遣したい」


 その言葉が放たれた瞬間、カフェスペースにざわめきが走った。


 反論の声が上がるのも、無理はない。

 ハンターたちは日頃、レヴュラ討伐で生計を立ててはいるが、ギルドの直属でもなければ、軍隊の兵士でもない。


 自分たちで選んだわけでもなく、事前の相談もなしに、“派遣”という言葉を使われれば――反発が出るのは当然だった。

 それも、要請内容は、言い方の違いこそあれ、早い話が”かっぱらい”だ。


 沢村も、それは織り込み済みなのだろう。

 ざわつく声を制するように、落ち着いた口調で続ける。


「無論、これは強制ではない。拒否したい者は、断ってくれて構わない」


 その一言で、場の空気がわずかに緩む。


「ただし、ギルド側からの要請である以上、こちらも相応の報酬を用意する」

「作戦は非常にデリケートだ。参加できるのは、最低でもCランク以上」

「加えて、一定水準の武装を有する者に、限定させてもらう」


 要するに――安物の拳銃一丁や、怪しげな手製武器だけで来られては困る、という話だ。


 新宿クオムで質のいい銃器を持っているという事実は、それ自体が、この荒れた世界で生き残る力を持つ証明でもある。

 場数を踏み、稼ぎ、装備を揃えてきた者だけが、そのラインに立てる。


 つまり今回の作戦は、片手間や度胸試しで挑めるものではない。

 経験と装備――その両方を要求される、本気の仕事だということだった。


「今回は、ギルド側が無理を承知で頼み込む作戦になる。その間は新宿を離れることになるから、通常の討伐も行えないだろう」

「だから今回の参加者には、作戦終了後に一律でAランクの報酬を約束させてもらう」


 その言葉に、別の意味で会場がざわついた。

 ハンターの報酬はランクに応じて段階的に増額される。

 今回の参加条件は最低でもCランクだが、Aランクの報酬となれば、Dランクハンターの倍額に相当する。


 参加対象にならないDランク以下のハンターたちが、そこかしこで溜息をついた。


 それも無理はない。

 確かに、土地勘のない地域でアウェイ要素が高い作戦かもしれない。

 危険度が高いのは間違いないが、今回は複数の小隊が連携する体制であり、やることは壮大な物資回収(かっぱらい)だ。

 個々に降りかかるリスクは、通常より抑えられる可能性がある。

 ――考え方次第では、かなり“美味い”仕事と言えた。


「とりあえず、作戦全体の指揮はアイアンウルフ隊に執ってもらおうと思っている。山本君、いいかな?」


 アイアンウルフ隊――新宿クオム最強と名高い部隊を率いる山本は、隣のメンバーたちに目配せすると、無言で頷いた。


「こちらとしても十分な報酬を用意し、新宿クオムの食糧問題を確実に解決したい。だから、参加小隊は、まずはこちらから指名させてもらう。無理なら断ってくれて構わない」


 破格の報酬を用意する以上、どこの馬の骨とも知れないハンターに任せるわけにはいかない。

 実績と信頼――その両方を備えた連中に託したい。

 沢村の意図は、明白だった。


「指揮はアイアンウルフとして、こちらが指名するのは以下の通りだ」


「サンダーバレッツ、クロウズ、ファイアレイン、プリムローズ、ホーンドアウル、デスペラード……そして、アーバンフォックス」


 アーバンフォックス……真とアリスの小隊名だ。

 つまり、今回の作戦において、沢村の頭の中では最初から真も頭数に含まれていたということになる。


「また、不測の事態に備えて、今回はコンバットレスキューを同行させる」

「ブリザードファングの九名がバックアップとして随伴するが、作戦行動には参加しない。あくまで、万が一に備えてだ」


 ブリザードファングといえば、先日、真の暮らすラブ……もとい、賃貸物件の近くで会った、佐倉大輝がそうだ。

 その部隊は、なぜか九人全員がサングラスやマスクで顔を隠したがる、不思議なガーディアン部隊だった。

 

 ――どこかで見たような気がするのに、どこで見た顔なのか、未だに思い出せない。


 コンバットレスキュー――元々は軍事作戦のひとつである戦闘捜索救難(CSAR)から取られた造語だ。

 普段、彼らはクオム内でエリア警備に就いている。

 いわば“お巡りさん”的な立ち位置で、クオム内の治安を維持してくれていた。


 だが彼らは、万が一ハンターから救援要請があった場合、特殊車両を用いて戦闘区域へ突入し、強行救出を行うことを任務としている。

 その救出費用はハンターの実費負担となり、彼等の世話になるということは、依頼破棄……即ち赤字を意味する。


 それでも、死ぬよりは遥かにマシだ。

 レヴュラに包囲されたハンターにとって、彼らは文字通り“救いの天使”とも言われ、一定の尊敬を集める存在でもある。


 新宿を離れ、状況の読めない遠方での作戦となる以上、万全を期して、彼らも同行するらしい。

 なお、作戦そのものに参加しないのは、ハンターがクオムにとって傭兵のような立場であるのに対し、彼らはガーディアン所属――公務員に近い存在だからだ。


 そして、新宿クオムのハンターたちが、まるで厨二病でも拗らせたかのような部隊名で呼ばれているのには、ちゃんとした理由がある。

 ――とどのつまり、事務処理軽減のためだ。


 電災によって、官公庁や行政機関のデータベースは一切利用できなくなった。

 そのため、使えるパソコンをかき集め、ローカルネットワークのみで事務処理を行っているのだが、そこには致命的な問題がある。


 ――電力が不安定なのだ。


 発電機を回してはいるものの、その燃料は有限であり、二十四時間回し続けられるわけではない。

 新宿クオムには太陽光発電パネルが備え付けられている建物も多いが、それでも街全体が好き勝手に電気を使えるほどの発電量は確保できていなかった。


 ただでさえ、新宿クオムが成立して以降、他所から流れ込んでくる人間は増え続けている。

 そんな状況で、一人ひとりを厳格に管理するなど、到底現実的ではない。


 そこで事務処理を簡素化するため、討伐依頼は小隊単位で受注する形式が定着した。

 討伐報告や報酬の受け取りは、部隊に所属していれば誰でも可能となっており、ギルドは個人ではなく、登録された“部隊”に対して事務処理を行う。


 つまり、真が受注した依頼の報酬を、同じ部隊所属であるアリスが受け取る――そんなことも可能なのである。

 厨二病を拗らせたような名称の数々は、単に苗字や名前から取った『篠崎隊』などでは色気がないからで、いつのまにか、そんな感じのスタイルが定着していただけの話だ。

 クオム、レヴュラ、そして部隊名。もともと誰が言い始めたのかは、未だ定かじゃない。

 


 このシステムは一見すると、報酬の持ち逃げを懸念されがちだ。

 だが、実際に持ち逃げなどしようものなら、その情報は瞬く間に広まる。


 新宿クオムで生きられなくなったハンターが、別のクオムへ流れ着いたところで、ハンターランクなどの実績は一切引き継がれない。

 データのやり取りができない以上、クオム同士でハンターの情報を共有する術がないのだ。

 例えば、新宿最強のアイアンウルフ隊が、お隣の渋谷クオムに移籍したところで、そこでは駆け出しハンターからの再スタートとなる。


 それに、クオム内では発砲が禁じられているとはいえ……“外”は別だ。

 命と体を張って稼いだ金を持ち逃げした不埒者が、ひとたびクオムの外に出たらどうなるか――説明するまでもないだろう。


 稚拙で粗雑な仕組みではあるが、実のところ、この制度が導入されてから、報酬の持ち逃げ被害は一件も起きていない。


 ――そして話題は、静岡くんだりまでの移動手段へと移った。

 さすがに、新宿から静岡まで徒歩で行け、などという無茶な話ではないらしい。


 ギルドが用意したのは兵員輸送車と、物資運搬用のトラック。

 作戦中に消費する食糧や予備弾薬、そして持ち帰ることになるであろう缶詰の山を積み込むためだ。

 それに加え、コンバットレスキューの改造戦闘車両が同行する、という段取りだった。


「よう、篠崎。遠征組だな?」


 声をかけてきたのは、スティールジャガー隊のリーダー、田所武雄だった。

 先日、ギルドのカフェスペースで“きのこたけのこ戦争”の戦端を開き、嗜好論争の渦に真を引きずり込んだ男である。


「スティールジャガーの指名はなかったんだな」


 スティールジャガー隊も未帰還者を出さない熟練ハンター小隊だが、今回の遠征メンバーには選ばれなかった。


「うちはDランクもいるし、実銃よりハンドメイドが多いからな」


 武雄の得物は、機動隊用のジュラルミン盾と鈍器。

 他のメンバーも、改造クロスボウや自作武器が中心だ。


 今回の遠征では装備の充実度も選考基準に含まれているらしく、ハンドメイド武器を愛用する彼らの部隊は外されたのだろう。


「でも、その代わり留守は頼むぜ? 帰ってきたらクオムが潰れてた、なんてのは御免だからな?」


 遠征に選ばれなかったとはいえ、スティールジャガー隊は連携力で生き残ってきた小隊だ。

 その腕前は十分に信頼できるし、“脳筋野郎”を自称する武雄は、何よりも犠牲者を出すことを嫌っている。


 彼のような男なら、安心して留守を任せられるだろう。


「おう、留守は任せとけ! その代わり、食糧確保の方は頼んだぜ?」


 真と武雄は、言葉の代わりに拳を静かに突き合わせ、無言のエールを交わすと、その場を後にする。


 ――遠征に赴く者。

 ――クオムに残り、この脆くも愛すべき楽園を守る者。


 それぞれの思いを胸に、準備が始まる。

ようやく新章突入となります。


電災が発生してから三年余り。

当然と言えば当然の食糧難に関して、どうやって解決策を示そうか、

本当に設定段階で悩んだ部分でもあります。


だって、工場もインフラも停まった世界で、コンビニが利用できるわけはなく、

それでいて、人間は食べないと生きていけないじゃないですか?


よくあるSFものなら、人類の英知を結集し、すべてを解決するスーパーフーズ

等が出てくるのかもしれませんが、本作品では、そういったご都合設定を

とにかく排除しています。


食糧供給に関しても、あらゆるシミュレーションや設定の見直しなどを

念入りにやっており、この方向性が決まったのは、二年ぐらい前ですね。

(実際に、公開開始する数年前から草稿執筆や設定を始めていますし)

実は、新宿クオムの下水道に関する設定を考えるときも、東京都水道局

さんにお話をお伺いさせていただいたりしたんですよ。

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