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電災都市  作者: あるふぁ
第四章『異形を狩る者達』
28/29

『異形を狩る者達』-7

強烈に長いお話になっています。(約16,000文字)

お時間に余裕をもって、お付き合いいただければ幸いです。

 ――歌舞伎町タワーの二階。


 ハンターたちが依頼を受け、報酬を受け取る場所。

 ――通称『ギルド』は、かつて全国展開していたコーヒーチェーンの店舗跡を、そのままカフェスペースとして流用している。


 煤けた天井、剥がれかけのメニュー板、いくら磨き直されても傷の消えないテーブル。

 それらは今や、ハンター同士が束の間……レヴュラとの戦いから距離を置くための、数少ない“中立地帯”でもあった。


 ……尤も、その中立地帯は現在、別種の戦場へと変貌している。


 発端は、実に些細なものだった。

 鳴神製菓が世に放った、ヒット菓子の双璧――『きのこ高原』か『たけのこ林』か。

 いつもの……くだらなくも根深い論争。

 それが、なぜか――いや、必然のように――次なる論争へと飛び火した。


 コーラ戦争……赤なのか、青なのか。

 コココーラを推す派と、ペイシードを推す派の戦い。


 ……いや、戦いなのか?

 


 「……つまりだ」

 「コーラは、単体で完成してる」


 赤派。

 ――コココーラを、信仰に近い熱量で愛する男が、短く息を吐く。

 その顔には、すでに結論を語り終えた者特有の、満足感が滲んでいた。


 「いやいや」


 だが、即座に首を振ったのは青派。

 ペイシード派の男である。


 「何かと一緒に飲むからこそ、だろ」


 「……は?」


 「食い物だよ。食い物」


 ――その瞬間。

 真の背筋を、冷たい予感がなぞった。


 (やめろ……その角度から話を振るな)

 (この流れで、新しい火種を投げ込む気か……?)


 だが、その小さな祈りが届くはずもない。

 空気を読まないのか、読んだ上で踏み込んだのか。

 誰かが、間を置かずに口を開いた。


 「コーラが一番美味い瞬間ってさ」


 青派の男は、勝ち誇るでもなく、煽るでもなく、妙に落ち着いた声で続ける。


 「“何と一緒に飲むか”で決まるだろ?」


 「……あ」


 誰かが、思わず漏らした声。

 それは否定でも肯定でもなく、長年胸の奥に沈殿していた疑問が、今になって言語化された瞬間の音だった。


 「……アリス」

 「うん……」


 真とアリスは、ほぼ同時に視線を交わし、次の瞬間には揃って逸らす。

 嫌な予感を共有した者同士が交わす、無言の合意。


 「さっきまでの休戦宣言って、一体なんだったんだろうな……」


 真の視線は、現実から逃避するかのように、宙を彷徨っている。

 アリスもまた、笑みを崩さぬよう、必死に引き攣った表情筋を制御していた。


 「やっぱ、ハンバーガーとポテト安定だろ」


 誰かが、ぽつりと呟いた。

 あまりにも自然で、疑う余地すらない断言。

 呼吸と同じくらい、疑問を挟む余地のない前提条件。


 ――その瞬間。


 「……だよな?」

 「いや、待て……どこのだ?」


 空気が……はっきりと、一段階、重さを増す。

 冗談という皮を被った熱論。

 議題が“拡張”されたことは、誰の目にも明白だった。


 真は、ゆっくりと椅子から腰を浮かせかける。

 だが――集まる視線の前に諦め、再び腰を下ろした。


 もはや真は、議論の当事者ですらない。

 そこにいるのは、ただの――“歩く射爆場”。


 流れ弾が定期的に飛んでくる、哀れな中立存在に過ぎなかった。


 「やっぱ、コーラとバーガーのセットなら、マクドリル一択だろ」


 一歩前に出たのは、グレイスライン隊の榊原恒一。

 腕を組み、どこか懐かしむように天井を仰ぐ。


 「脂、塩味、炭酸――全部が噛み合ってた」


 「ポテトを頬張って、コーラで流しこむ」

 「……あの一連の流れな」

 「あれは”効く”よな」


 赤派が次々と、勝ち誇った顔で力強く頷く。


 テーブルの上には、もはや所有者の分からない菓子袋や、使いかけの紙コップが無秩序に散乱していた。

 議論の対象から外れた『きのこ高原』と『たけのこ林』の潰れた袋。

 その隙間から、甘いチョコレートの香りが、仄かに漂う。


 「マクドリルのバーガーはな……」

 「コーラを前提に設計されてたと言っても、過言じゃない」


 「あの絶妙な炭酸の強さと、わずかなスパイシーさが、脂を一気に流し去ってくれる」

 「そして、口の中が一度、きれいにリセットされるんだ。ベスト中のベストな組み合わせだよ」


 その断言を合図に、周囲がざわめき始める。

 賛同と反発。

 相反する感情が、同時に火を噴いた。


 「……それは、暴論」


 低く、しかしよく通る声が、熱を帯び始めた空気をふたつに割った。

 怒鳴るでも、被せるでもない。

 ただ、断定するための声音。


 「モスフィールドを差し置いて、バーガーとコーラを語らないで欲しいなぁ」


 ナイトバックス隊の三枝七海が、一歩、前へと出る。

 その所作は落ち着いているが、退く気配は微塵も感じられない。

 むしろ――ここからが本番だと言わんばかりの、静かな余裕すらあった。


 「野菜の瑞々しさ、肉の旨味」

 「そして、そこに重なる、ソースの層」


 指折り数えるような口調。

 だが、そのひとつひとつに、揺るぎのない確信が宿っている。


 「どれもが喧嘩しないで、ちゃんと調和してる……それが、モスフィールド」

 「……そこに、コーラを合わせるから、完成するの」


 ――すかさず、マクドリル派が噛みついた。

 間合いを詰めるような、鋭い声。


 「コーラは“添え物”だってのかよ?」


 だが七海は、一拍も置かずに言い返す。


 「そう」


 ――即答。

 躊躇いの欠片さえもない。


 「モスフィールドとコーラは、互いに美味しさを引き立てるの」

 「コーラの役割も、口に運ぶ順序も……まるで、違うのよ」


 誰かが、思わず首を傾げた。

 理解が追いつかない、というより――もはや、何を言っているのかわからない、といった表情だ。

 ……うん。信仰とは、時として末恐ろしく感じるものがある。

 そういえば最近、レヴュラを使徒とし、電災を神の裁きだなどと騒ぐカルトがいるらしいが。


 「そう。まず一口、噛む」

 「それから、少し間を置いて――コーラ」


 「……その“間”が、大事なの」


 「間……? なにそれ……ポエムかよ?」


 誰かが吹き出し、一気に笑いが弾ける。

 テーブルを叩く乾いた音が響き、場の空気が一瞬、緩んだ。


 だが――その笑いの裏側で、真は確信していた。


 (ああ……これは、誰にも止められない)


 コーラ戦争は、いつの間にか“バーガー内戦”へと、確実に激化している。

 思えば、発端はきのこか、たけのこか――その程度の話だったはずなのに。


 「バーガークイーンを忘れんな」

 「ロムロムバーガーこそ、隠れた至高だろ」


 そんな声も聞こえてくるが……いや、この際、お前らの意見はどうでもいい。

 頼むから、これ以上口を挟んで、話をややこしくしないでくれ。


 「で、篠崎」

 榊原が、にやりと口角を吊り上げる。

 獲物を追い詰め、逃げ場を確かめる狩人の――それだ。


 「コーラ片手に、どこのバーガー、食ってた?」


 「篠崎さん!」

 今度は七海。

 一歩も引かず、静かな圧で視線を絡めてくる。


 「どっち?」


 「篠崎、答えろー」

 「真、逃げんなー」


 周囲のハンターたちは、もはや隠す気もなく、完全に煽りに回っていた。

 カフェスペースの熱量は、下手な戦場の高揚よりも高いのではなかろうか。


 視線と笑い声が、一斉に真へと集中する。


 ……完全に、おもちゃだった。


 「……お前らさ」


 真は、観念したように両手を上げた。

 降参の意思表示というより、これ以上抵抗しても無駄だと悟った動きに近い。


 「……頼むから、よってたかって、俺をレヴュラより追い詰めるの、やめてくれない?」


 ――どっと、笑いが弾ける。


 そうだ。

 真も、この場にいる誰もが、分かっている。

 これは最初から“わざと”だ。

 たまたま今、おもちゃにされているのが真だった――ただ、それだけの話。


 「それは無理だな」

 「レヴュラは殺意しかないけど、こっちには、愛があるから」


 「余計に質が悪いわ!」


 笑いの波に飲み込まれながら、真は、逃げ場が完全に塞がれていることを悟る。

 

 「……マクドリルは、仕事帰りとか、朝の……ちょっとしたひとときとか?」

 「モスフィールドは――そうだな……誰かと一緒の時……それか、ガチで腹が減ってるときだ」


 「もう、それでいいだろ!」


 ――そして、再び訪れる沈黙。


 「……結局それか」

 「欲張りめ!」

 「中立は一番信用ならねえ!」


 真は、がっくりと肩を落とす。

 そんな真の背中へ、容赦のない追い打ちが飛んだ。


 「真……」

 苦笑を滲ませた声で、囁くアリス。


 「……地雷踏むの、うますぎるよ?」


 「踏みに行ってねえよ……」


 ぼやいた、その直後だった。


 「……でもさ」


 誰かが、ふと、遠くを見るような目をする。

 先ほどまで熱を帯びていた空気が、わずかに緩んだ。


 「もう、どっちも無いんだよな」


 ――その一言で、場が静まり返る。


 看板の光。

 夜道に滲んでいた、OPENのネオン。

 紙袋越しに伝わる、ほんのりとした温もり。

 焼けたパティの匂いと、揚げたてのポテトが混ざり合う、あの香り。


 仕事帰りに、ふらりと立ち寄った店。

 並んだメニューを前に、無駄に悩んだ時間。

 一人で、あるいは誰かと向かい合い、くだらない話をしながらハンバーガーを頬張る。

 ”匂い”を抱えたまま、少し早足で家路を急いだ夜も、確かに存在していた。


 だが――それらすべては、電災を境に、遠い追憶の彼方だ。


 それぞれが懐かしい思いに浸る沈黙の中で、誰かが静かに口を開く。


 「だから話すんだろ……覚えてるうちに」

 「俺達が、この壊れかけた世界に、染まりきっちまう前に……さ?」


 別の誰かが、低く続けた。


 「守りたいものとか、取り戻したいものを……忘れないために……とかな」


 真は、その言葉を胸の奥で反芻しながら、完全に冷めきったコーヒーへと視線を落とす。

 黒く濁った液面には、天井の照明がぼんやりと揺れて映り込み、まるで今の空気そのものを閉じ込めたようだった。


 ――くだらない。

 ――ばかばかしい。


 それでも。

 だからこそ。


 この時間が、まだ“生きている”証なのだと。

 ここにいる誰もが、言葉にせずとも理解していた。


 「……でもさ」

 その一言が、静まりかけていた場に、再び小さなさざ波を立てた。

 完全な沈黙に落ちる直前――あえて石を投げ込むような、間の悪さ。


 ハンバーガー内戦がひとまず収束し、誰もがどこか名残惜しそうに、カップや紙袋へと視線を落とした――まさに、その瞬間だった。


 「正直、言うとさ」

 誰かが、ぽつりと零す。


 ――いや、これは呟きじゃない。

 確信犯だ。

 火種を落とす、乾いた音が、確かにした……気がする。


 「電災のあと、最後の味方って……結局、カップ麺だったよな?」


 真は、反射的に目を閉じた。

 (どうして……どうしてこいつらは、休戦という概念を、学ばないんだ……)

 『人は過ちを繰り返す』――はて、誰の言葉だったか。


 「……ああ」

 「異論は、ないな」


 「バーガーの夢は見ても、現実は……これだ」


 誰かが、自然とテーブルの中央へ視線を向ける。

 そこにあったのは、色褪せたパッケージのカップ焼きそばだった。


 かつては、棚一面に並び、どれにするか悩む余裕すらあった“夜の相棒”。

 何も考えずに湯を注げば、それだけで空腹も、気持ちも、どうにかしてくれた存在。


 今では――見つけただけで、運がいいと言われる代物だった。

 賞味期限がとっくに切れているはずなのに、一個五千円で取引される、平和だった頃の……電災前の残滓。


 「で?」

 わざとらしく首を傾げる声が、間を置いて響く。


 「どれだった?」


 真は、まだ名指しされてもいないというのに、嫌な予感だけで肩をすくめた。

 この流れは――だめだ。

 これは、絶対に逃げ切れない。


 「やっぱ、X-9だろ」

 低く、揺るぎない声が、場を貫く。


 「日辰食品こそ、カップ麺の王様だ」

 「湯を入れて、混ぜて……匂いが立った瞬間で、勝負が決まる」

 「ソースの主張が強くて、とにかく、ガツンと来る」


 同意見の者たちが、うんうんと頷きながら目を閉じ、遠い過去の味覚を反芻する。


 「だから、腹が減ってる夜に効くんだ」

 「空っぽの胃袋を、力ずくで黙らせる味だろ」


 その一言一言に、実感が滲んでいた。

 机上の理屈じゃない。

 何度も、何度も、深夜をそれで越えてきた猛者どもの声。


 ……いや。

 決して、そこまで崇高な話などではないのだが。


 「……わかる」

 「徹夜明けによく食ってたわ」


 低い共感が、あちこちから零れ落ちる中、当然のように、反論もすぐ飛んだ。



 「いやいや、屋台三平君こそ、夜食の王様だよ」

 「祭りで食べる焼きそばを思い出させてくれる……あれは、唯一の存在だ」


 「軽い甘さと、鼻に抜けるマヨの匂い。そして――“まだ人間でいられる味”」


 「X-9はさ……全部が、ちょっと暴力的すぎるんだよ」


 その表現に、真は思わず顔を上げた。


 (……待て)

 (じゃあ、X-9食ってるやつは、人間以外の何なんだ?)


 視線の先で、X-9派の面々が、揃って眉をひそめる。

 新たな戦線が、静かに――だが、確実に、開かれようとしていた。


 「……いや、結局さ」


 低い声が、場に残っていた熱を、すっと割って入った。

 喧騒の縁をなぞるような、落ち着いた調子。


 「なんだかんだ言って、カップ焼きそばの全ては、ペタンクに通ずる」


 新たな陣営の参戦に、視線が集まる。

 まるで無言の照準が、その男に合わせられたかのようだった。


 (いや、たかがカップ焼きそばを、“全ての道はローマに通ず”みたいに言うなよ……)

 真は、心の中で即座に突っ込む。


 「シンプルで、王道」


 男は、諭すように続けた。


 「濃すぎず、薄すぎない、あのソース。毎晩食っても、喧嘩しない味だ」

 「そこに、最後の一押しをくれる……あのスパイスの小袋」


 「理屈じゃない。夜中に腹が減ったら、あれ一択だった」


 その言葉に、ペタンク派の何人かが、小さく息を吐く。

 否定ではない。

 思い当たる節がある時の、あの反応だった。


 「知ってたか?」


 男は、ほんの少しだけ得意げになる。


 「“ペタンク”って名前」

 「ペアと、タンクから来てるらしいぜ」


 「発売当初は、高かったカップ麺を二人で分け合って食えるように――って話だ」

 「その時の麺の量が、後のカップ焼きそばのスタンダードになったらしいぜ」


 実にどうでもいい蘊蓄話ではあるが、ペタンク派には好評のようだ。


 「……ああ。確かに、金なかった頃、友達と半分ずつ食ったな」


 「うちは弟と分けてた」

 「なんか、そんな漫画のワンシーン、あったよな?」


 思い出話が、ぽつり、ぽつりと連なっていく。


 ――どれも、派手じゃない。

 だが、ざわめきは、静かに広がっていた。


 そこには、もはや豪語も、罵声もない。

 ただ、「そうだったな」という感情だけが、ゆっくりと空気を満たしていく。


 ――そして。


 「篠崎」


 「お前は?」


 (……やっぱり、こうなるのかよ)


 真は、観念したように、ゆっくりと両手を上げた。

 ……降参の合図だ。

 こいつらの信仰じみた論争に巻き込まれた以上、抵抗は無意味だということを、すでに学んでいる。


 「……俺は」


 一拍置き、言葉を選ぶ。


 「その時、手に入ったやつ。安かったりとか、最初に目に入ったやつとか」


 再び、沈黙。

 ――この後どうなるかなど、考えるまでもない。


 「やっぱ、逃げたぞ」

 「異端者め」


 真は椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。

 年季の入った照明が、わずかに明滅しながら、白く滲んで見える。


 (異端者呼ばわりされるくらい、俺、何か悪いことしたかなぁ……? 一生懸命、レヴュラ倒してるのになぁ……)

 (あ、これ、もしかして……林の呪いか?)


 先日、この場所で騒動を起こし、今はユニオンに拘留中のブレイズ隊――林のニキビ面が、脳裏をよぎる。

 あの場で、彼を追い詰めたのは、他ならぬ真だった。


 ――因果応報、というやつか。


 ……いや、待て。

 食の好みだけで、そんな報いを受けてたまるか。


 「……電災で、電気が落ちてさ」


 誰かが、ぽつりと低い声で語り始めた。


 「ガスも水も、いつ止まるかわからなくて」

 「それでも……買い置きしてたカップ焼きそばに、救われたんだ」


 あれは三年前の四月……。

 空腹を満たすため、容器に湯を注ぎ、ただ待つ。

 立ち上る蒸気が、暗闇の中で冷え切った部屋の空気を押し返し、ソースの匂いが、ゆっくりと広がっていく。

 ……たったそれだけのことが、当時は確かな救いだった奴も多いはずだ。


 「やけにそれが旨くてさ……“生きてやる”って、思えたんだよ」


 沈黙が、静かに落ちる。

 それを茶化す者は、誰一人としていない。


 ギルドの外には、荒れ果てた歌舞伎町が広がっている。

 ――崩れかけたビル、錆びついた看板。

 かつて洪水のように溢れていたネオンは、今では指折り数えるほどしか残っていなかった。


 不夜城と呼ばれた街は、夜を拒むように、重たい闇を纏っている。


 だが……このカフェスペースの一角だけは。

 ほんの一瞬、電災前と同じ、“どうしようもなくくだらない熱”を取り戻していた。


 真は、小さく息を吐き、苦笑する。


 「でもさ」


 誰かが、続けた。


 「こういうのが残ってるから……まだ、戦えるんだろ」


 確かに、この場にいる全員が、かつてはそれぞれの生活を持っていた。

 仕事帰りに愚痴をこぼし、週末を待ち、くだらない娯楽に一喜一憂する――そんな、ごく当たり前の日常だ。

 まさか自分が武器を握り、異形の無人兵器と向き合う日々を送ることになるなど、誰一人として、想像していなかったはずだ。

 そんな日常を取り戻す……あの平和だった時代に帰る。


 ……それこそが、この壊れかけた世界で、武器を手に取り、レヴュラという名の異形と睨み合う――現代の狩人たちの『戦う理由』


 アリスが、真の隣で小さく頷く。


 「うん」

 「だから真も、逃げちゃだめ」


 「……俺、できれば、今すぐにでも逃げたいんだけど?」


 真の即答に、堪えきれなかったように笑いが弾けた。

 低く荒れた笑い声が、ギルドの天井に反響する。


 ――――――――――――――――――――


 ――その後、真は、テーブルに突っ伏していた。

 額の下には、空になったコーヒーカップ。陶器の冷たさが、やけに現実的だ。

 肩は重く落ち、魂の半分くらいがどこかへ行っている――いや、置き忘れてきたと言ったほうが、正しいかもしれない。


 周囲では、さっきまで激論を交わしていたハンターたちが、まるで何事もなかったかのように、雑談へと戻りつつあった。

 紙袋やカップを片付けながら、独特の緩さだけが漂っている。


 「いやー、今日はいいもん見た」

 「篠崎、よく耐えたな」

 「遊んだ遊んだ。なぁ、次は何戦争やる?」


 「お前ら……」

 真が、テーブルに顔を伏せたまま、かすれ声を絞り出す。

 「完全に俺を、おもちゃにするつもりだったろ……」


 だが、そんな恨み節は、散々ワル乗りで盛り上がったハンター連中には、届かない。


 ――その時だった。


 「――真? この世の終わりみたいな顔して、なにしてんの?」


 軽くて、よく通る声。

 カフェスペースのざわめきを、軽々と跳び越えるような明るさだった。

 この世の終わり……現実的に考えれば、この世はとっくに終わっているような気もするが。


 真は、顔を上げる気力すら湧かず、呻く。


 「……ほっといてくれ……」


 ――ルナだった。

 討伐帰りらしく、ジャケットの上にキャリアプレートを着込み、手には明らかに銃器の入った行軍嚢(ダッフルバッグ)

 そのくせ、髪は乱れていないし、頬には薄く上気したような赤みが残っていた。


 なにより、その表情。

 ――どう見ても、面白いことを見つけたという顔だ。


 「なに? レヴュラに撃たれた?」

 「それとも、お財布でも落とした?」


 「……違う……もっと、手強いやつだ……」


 ルナは、真を上から下まで一瞬だけ眺めると、口角をきゅっと上げた。


 「ふーん?……じゃあ、なに?……コーヒーの代わりに、泥水でも出された?」

 「――どんだけ、ギルドに嫌われてんだよ、それ」


 真は、ゆっくりと顔を上げる……が、その目は、死んだ魚のようだった。

 「……たった今さ……長きにわたる戦争の末に……やっと……やっとだぞ? 休戦協定が結ばれたんだ……」


 「……?」

 ルナは、きょとんとした顔で、ぱちぱちと瞬きをする。


 「なにそれ? 意味わかんないんだけど?」


 そこで、アリスが、くすくすと笑いながら、ルナの耳元で囁いた。

 声を潜め、指折りで、手短に説明していく。


 発端は、スティールジャガー隊のきのこ高原と、たけのこ林の論争。

 そして、赤のコココーラと、青のペイシード。

 マクドリルと、モスフィールド。

 そして――夜食のお供、カップやきそばたち。


 話が進むにつれ、ルナの表情は、呆然から困惑へ、そして理解へと変わり――次の瞬間。


 「――なにそれ!」


 ルナは、腹を抱えんばかりに笑った。

 「超、面白いんだけど!」


 明るい笑い声が、カフェスペースいっぱいに弾ける。


 「全然、面白くねぇよ……」

 真は、再びテーブルに突っ伏した。


 ルナは、そんな真の背後に回り込み、屈むようにして、顔を覗き込む。

 距離が近い。わざとだ。


 「え、なに? もしかして、全部、巻き込まれたの?」


 「そうだ……完全に巻き込まれて、逃げられなかった」


 ぐったりしながら、かすれた声をひねり出す真をよそに、ルナは楽しそうに声を弾ませる。


 「真、真。それさ――レヴュラと戦うより、よっぽどダメージ受けてない?」


 「否定できない……」


 そんな真の、精根尽き果てたかのような反応に、周囲から、堪えきれなかったような笑いが漏れる。


 「お、ルナ、いいとこ来たな」

 「今日の篠崎、なかなか芸術点高いぞ」


 「へえ?」


 ルナは、真の横に腰を下ろし、テーブルに肘をついて顔を近づけた。

 覗き込む角度も、視線の位置も、計算済みだ。

 さすが、歌舞伎町で生きてきた、元キャスト。


 こいつはいつだって、自分を一番可愛く見せる角度を、わかっている。

 男をドキドキさせることに関しては天下一品だ。

 ――この小悪魔メカドールめ。


 「ねえ、真……? で、結局どれ派なの?」


 「うるせぇ、聞くな……」


 「えー?」

 「せっかくなんだから、教えてよ」


 真は、しばらく黙り込み――やがて観念したように、深く溜息をついた。


 「……その時、手に入ったやつだ……」


 しばしの沈黙の後……ルナは目を瞬かせ、それから、思いきり笑った。


 「真らしい」

 「ほんと、真らしいよ、それ」


 「臨機応変……こだわりよりも、生き残るために選ぶんだもん」


 その笑い方は、からかい半分。

 けれど、どこか――安心したようでもあった。


 そんな様子に、通りがかったハンターが、肩越しに茶化す。


 「お? なんだ、篠崎。今日もハーレムか?」


 「違うわ!」


 真が、即座に声を張り上げる。


 ルナは肩を竦めると、悪戯っぽく笑ってから、真の肩を――ぽん、と軽く叩いた。


 「お疲れさま。今日はもう、戦わなくていいよ」


 「……助かる……」


 ――真は、心底そう思った。


 ギルドの二階には、実にくだらなく、そして――驚くほど平和な時間が流れている。

 だが、真は、それを……大事に思っていた。


 ――この新宿クオムが、まだ“東洋一の歓楽街・歌舞伎町”と呼ばれていた頃。

 真は、文字通り、一匹の野良犬だった。


 何もかもが気に入らず、うまくいかない自分の人生を呪うように、くだらない理由で人を傷つけ、暴力でしか物事を解決できなかった。


 ――一言で言えば、クズだ。


 それでも、この街で多くの人と出会ってきた。

 時には殴られ、怒鳴られ――少しずつ……ほんの少しずつだが、人間らしい感情を、取り戻しつつあったのだ。

 この街で生きていけるかもしれない……そんな風に思い始めていたある日。

 ……電災は、そのすべてを無情にも奪い去った。


 ――あれから、三年余り。

 この場にいる者たちとて、電災以前からの知り合いではない。


 正直に言えば、よく知らない奴もいる。

 顔を見ても、名前を思い出すまでに時間がかかる相手も、少なくない。


 それでも――この“クオム”という、ちっぽけで、脆い楽園を守るために。

 ハンターたちは今日も、可能な限りの武器と装備を身に纏い、当然のように、“外”へと赴いていく。


 確かに、目的は金だ。

 生きるための、現実的で、否定しようのない理由。


 だが、そのハンターたちがレヴュラを漸減し、クオムへの浸透を必死に食い止めているからこそ――この場所は、まだ“楽園”でいられる。


 自分では狩りに出られない高齢者が、帰還してきたハンターに、ぎこちなく頭を下げ、小さな声で「いつもありがとう」と告げる光景。

 ――真は、これまで何度も目にしてきた。


 電災で、多くの者が目にした、無秩序な暴力。

 あの機械兵器が、再び本格的に襲い来れば、犠牲者が増えるのは疑いようもない。


 真っ先に狙われるのは――間違いなく、高齢者と、女子供だ。


 ハンターたちは、「生きるためだ」と口にしながら、クオムに住まう人々の命をも、同時に背負っている。


 ――誰も、口にはしない。

 だが、誰もが、それを理解していた。

 ……自分たちが、このクオムの防衛線(ディフェンスライン)であることを。


 中には、ヘタを打って仲間を喪った者もいる。

 レヴュラに、二度と消えない傷を刻まれた者もいる。


 大した娯楽のないこのクオムで、こんなくだらない馬鹿話で盛り上がれるのも――“次”があるとは、限らないからだ。


 今日、ここで笑っていた顔が、明日には、物言わぬ骸として、クオムの外に転がっている。

 ――そんな現実は、決して珍しいものではない。


 だからこそ、語る。

 だからこそ、笑い合う。


 それは、『明日もまた会おうぜ』という、言葉にしないエールだ。


 こんな些細な論争ですら、今日まで生きてきた証。

 そして――また次も、くだらない話をしよう。

 そのために……生きて帰って来ようという、無言の誓いなのだった。


 


 ――――――――――――――――――――

 


 ――そして、夜の帳が、元・歌舞伎町一番街に、ゆっくりと下り始めた頃。


 昼間の喧騒が嘘のように遠のき、屋台は次々と店じまいを始める。

 電力供給が十分でない現在、通りに設置された街灯の多くは、もはや役目を十分に果たせていない。


 灯るはずの光を失ったそれらは、夜の闇の中で、ただの錆びたオブジェとして立ち尽くしていた。


 だからこそ、人々は闇が完全に訪れる前に、自然と足を速める。

 影が伸び、夜の闇が街を覆いつくすその前に――家路を急ぐ。


 そんな、薄暗くなり始めた通りの一角に、母子が、寄り添うように立っていた。


 ――母親は、クオムの末端労働者。

 清掃作業や雑務をこなしながら、日銭を稼ぎ、なんとか娘を養っている。


 だが、この世界の経済は狂っている。

 日々を生き延びるだけでも精一杯で、余裕など、どこにもない。

 稼ぎが少ないのではない。物価が出鱈目なのだ。


 それでも――娘の視線は、ある一軒の屋台に、釘付けになっていた。


 電災以降に生み出された、ツナバーガー。

 大量に回収できたツナ缶を、肉の代わりに用いて作る大衆食だ。

 この通りにも、同様の屋台や、放棄された店舗を再利用した飲食店で、多く売られている。


 普段なら、それらを出す、ごくありふれた屋台のひとつ。

 だが、その日、その屋台の前には、手描きのポップが掲げられていた。


 『本日限定 スパムバーガー』


 ……経緯はどうあれ、スパムの缶詰が手に入ったのだろう。

 焼いたスパムと野菜を、ツナバーガー用の代替粉バンズで挟んだ――即席の特製品らしい。


 この街の住民は、いつだって蛋白質に飢えている。

 

 野菜は、屋上菜園や、クオム周辺に作られた農園などで、なんとかなっている。


 ……だが、肉となると、そうはいかない。

 流通という概念が死んだ東京のど真ん中で、まともな肉が簡単に手に入るはずもなく、その結果、蛋白質は……最も手に入れにくい栄養素のひとつとなった。


 ――だが、蛋白源がない……というわけではない。


 たとえば……『パワーボール』と名付けられた、米とは異なる穀物で握られた、おにぎりのような代物。

 蛋白質も摂取できるとは言われているが……その材料名を聞いてしまえば、多くの者が言葉を失う。


 かつて、世界がまだ平和だった頃に、食肉危機の代用品として、一時期ニュースにも取り上げられた――()()


 大人でさえ、口にするのを躊躇う代物だ。

 子供なら、泣きながら吐き出すかもしれない。


 願わくば、避けて通りたい食い物のひとつだ。


 ――だからこそ。


 屋台を見つめる娘の目は、まるで宝物を見つけたかのように、きらきらと輝いていた。

 希少な肉製品を使った、特製バーガー。


 それは、たったひとつで――母親が必死に働いた一日分の収入……その三分の二が吹き飛ぶ。

 それでも、母親は、娘にこれを食べさせてやりたかった。


 母子家庭で、娘にしてやれることは多くない。

 今の世の中、新しい服も、贅沢な遊びも、望めない。


 せめて……せめて今日だけは、美味しいものを食べさせてあげたい。


 そう思った母親は意を決して、屋台へと歩み寄った。


 

 「……はい、どうぞ」


 笑顔の店主から、丁寧に包まれたスパムバーガーを受け取る。

 中身は贅沢にアレンジされ、肉厚なスパムと、新鮮な野菜が、たっぷりと挟まれていた。


 この荒廃した時代では、こんなものであっても……『高級料理』と呼ぶことに、誰も異を唱えない。


 母親は、娘の小さな手に、それをそっと持たせた。

 娘は目を輝かせ、ぎゅっと、そのご馳走を抱きしめるように持つ。


 ――高価な食事だ。

 だが……我が子の、この笑顔を見られるなら――明日からも、また頑張れる。

 母親はそう思い、微笑みながら、スパムバーガーを大事そうに持つ娘と、家路につこうとした。


 ――しかし。

 運命は、あまりにも無情だった。


 「きゃっ!」


 ふらついた酔っ払いの男が、娘の肩にぶつかる。

 その拍子に――小さな手の中にあったバーガーが、するりと抜けて宙を舞った。


 母親と娘の目の前で――それは、無情にも地面に叩きつけられ、ぐちゃりと潰れる。


 たった一口も、口に運ばれることのないまま。

 肉も野菜も……ソースさえも、そのすべてが無惨に、汚れた路面の上で散乱した。


 「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 娘の悲痛な叫びが、静まりかけていた通りに突き刺さる。

 母親は反射的に娘を抱きしめたが――どうすることも、できなかった。


 酔っ払いの男は、「チッ」と舌打ちをひとつ鳴らしただけで、謝る素振りすらも見せず、足早に立ち去っていく。

 周囲にいた人々も、見て見ぬふりを決め込み、関わりたくないとばかりに視線を逸らし、無言で通り過ぎていった。


 ――そう、こんな世界では、誰もが人のことを気遣う余裕がない。

 みな、自分を生かすことで、精一杯なのだ。

 電災という出来事は、多くの人間から、他人を思いやる余裕さえも、奪い去った。


 母親は、震える手で財布を開く。

 だが、そこに残っていたのは、わずかな紙幣が数枚と、小銭だけ。


 ――もうひとつ、買えるような余裕はない。


 娘は、しゃくり上げながら、泣き続ける。

 たったひとつのご馳走さえ、我が子に与えてやれない……母親の顔には、どうしようもない絶望が、はっきりと浮かんでいた。

 


 ――――――――――――――――――――


 「……真……あれ……」


 ギルドからの帰り道。

 真とアリスも、夕食を調達するために、一番街へと足を向けていた。

 

 彼女が、小さな声でつぶやく。


 ――彼女の視線の先。

 屋台の前で、泣きじゃくる少女と、その小さな肩を抱きしめる母親。

 そして――路上に、無惨に散らばった、食材の数々。


 真は、一言も発さず、アリスに目を向ける。

 そして、小さく、無言の相槌を打った。


 ――分かっている。


 本来なら、気まぐれで誰かに施しをするべきではない。

 こんな世界だ。一人に手を差し伸べれば、「俺も」「私も」と、その善意に縋りつく者が現れる。

 縋る者すべてを救う余裕はない。

 だから、こういう場では、見なかったことにするのが基本だ。


 ……だが。


 その時の真は、どうしても、そうはできなかった。


 買ったバーガーは、どうやらひとつだけ。

 その唯一の食事が、地面の上で、無惨に散らばっている。


 泣きじゃくる娘を抱きしめる母親は、やけに痩せていた。

 きっと、自分の食費を削ってまで、娘にご馳走を食べさせたかったのだろう。

 ……だから一個だったのだ。

 


 ――それは、かつての自分には、決して与えられなかったもの。


 母親の、無条件の愛情。

 自分を顧みず、我が子を思う母の愛情は……真が、欲しくても得られなかったものだ。

 


 ――アリスは、泣きじゃくる娘に近づくと、そっとしゃがみ込み、優しく声をかける。


 「大丈夫?……落としちゃったの?びっくりしたよね」


 そう言いながら、細い背中に手を添え、ゆっくりと撫でる。

 その動きは、幼子をあやすというより――守るような所作にも見えた。


 「でもね、まだ買えるみたいだから。安心して」


 そう言って、アリスは屋台へと歩み寄る。

 迷いはなかった。


 躊躇いもなくスパムバーガーをふたつ注文し、受け取ると、再び母子のもとへ戻る。


 「これ、あなたとお母さんに」


 アリスは、母娘に包みを差し出した。


 「お母さん、あまり食べてないでしょう? この子のためにも、ちゃんとご飯、食べてくださいね」


 母親は驚いたように目を見開き、言葉を失ったまま、一瞬だけ手を止める。

 だが――アリスの柔らかな微笑みに背中を押されるように、そっとそれを受け取った。


 「……ありがとう、ございます……本当に……」


 母親の声は、かすかに震えていた。

 娘は涙を拭いながら、もう一度、スパムバーガーを胸にぎゅっと抱きしめる。

 まるで宝物を失くすまいとするように。


 「今度は、落としちゃだめだよ?」


 だが、アリスがそう声をかけた、その背後で――場違いな声が、空気を切り裂いた。


 「おいおい、いいご身分じゃねぇか」


 振り返ると、汚れたコートを羽織った年配の男が、ニヤついた笑みを浮かべて立っていた。

 頬は赤く、足取りもおぼつかない。誰の目にも、酒に酔っているのは明らかだった。


 「メカドールが人間様に奢るなんざ、大したもんだぜ?」


 男は、ふらふらと距離を詰める。


 「だったらよ、俺にも奢ってくれよ。そこの限定バーガー、もう一個……な?」


 アリスは、何も答えなかった。

 少なくとも、この小さな子に危害が及ばないようにしなければならない。

 男に視線を向けることなく、娘の方を見つめたままだ。

 怯える娘に、目で「大丈夫だから」と訴えかける。


 ――だが、その沈黙が、却って男の癇に障った。


 「おい、聞いてんのか?」


 男は唾を飛ばしながら、声を荒げる。


 

 「それともよ……食い物がダメなら――身体でサービスしてくれてもいいんだぜ?」


 男の目つきが、露骨に下卑たものへと変わり、値踏みするように、舐め回すように……アリスを見た。


 確かに、メカドールは、『そういうこと』すらも可能な設計だ。

 そうした用途で利用されてきた個体も、決して少なくない。


 電災が起こらなければ――アリスもまた、メカドール専門の風俗店で、キャストとして生きていたはずだった。


 酔った男の脳裏には、長い間、鬱屈して溜め込んできた欲望が浮かび上がる。

 それを、目の前の存在で発散できるのではないか――そんな歪んだ期待が、にじみ出ていた。

 

 相手は所詮メカドール。人ではなく、『モノ』だ。

 影宿(ドヤ)にでも連れ込んでしまえば、誰にもわからないだろう――そう考えていた、その時。


 ――男のすぐ後ろで、深いため息が落ちる。

 男は、目の前のアリスに”連れ”がいるとは、予想もしていなかったらしい。


 「……ほんと、どうしようもねぇな」


 その一言と同時に、真は一歩、男の前へと踏み出した。


 「んだと?」


 男は、酔いの勢いもあって、最初こそ威勢よく睨み返した。

 だが――真の腰にぶら下がる大型のナイフ、そして太腿のホルスターに収められた拳銃が視界に入った瞬間、その顔から、みるみる血の気が引いていく。


 クオムの一般住民は、基本的に銃火器とは無縁の生活をしている。

 政府が機能していないとはいえ、ここは日本だ。

 銃とは、遠い世界の話――映像の中か、噂話の中にしか存在しないもの。

 至って普通の反応だろう。


 ――だが、ハンターは違う。


 クオムの内外を問わず、常に銃器を携え、刃物を身につけている者たち。

 それは誰かを威圧するためでも、ましてや見せびらかすためのものでもない。

 

 「いつでも死ぬ場所へ赴く」という覚悟を、日常の一部として背負っている証だ。


 そして――ハンターである以上、その暴力の象徴を「どう使うか」……よく理解している。


 「お、お前……」


 男の喉が、ひくりと鳴る。

 酒で赤らんだ顔に、汗が滲み始めていた。


 「――言っておくけどな」


 真の声は低く、抑えられていた。

 怒鳴るでもなく、脅すでもない。

 それがかえって、男の背筋を冷やす。


 「俺は今、猛烈に機嫌が悪い」


 ギルドのカフェスペースで、ハンター仲間に捕まり、延々と続いた、くだらない嗜好論争。

 どうでもいい話題で引き止められ、散々からかわれ、時間を奪われた。

 その疲労が、まだ抜け切っていない。


 ――その上で、だ。


 目の前で、人の善意を踏み躙ろうとする、醜い姿を見せられた。

 それだけで……真の奥底で、ふつふつと眠りを覚ます粗暴な本能。

 真をはじめとするハンターたちは、こんなくだらない連中の安寧を守るために、命を賭け、“外”の世界に赴いているのではない。


 真は、ゆっくりと男を見据える。

 その視線には、感情らしい感情が、ほとんどなかった。


 ただ――数え切れないほどの死地をくぐり抜けてきた者だけが持つ、鋭い刃物のような、冷たい重み。


 その冷徹な目に射抜かれ、男は思わず一歩、後ずさる。


 酒の勢いを借りて強がることはできても、銃を携え、なお平然と立っているハンターを前にして、同じ態度を貫ける人間は、そう多くない。


 クオムの中で暮らす者にとって、ハンターとは――安全を守る存在であると同時に、決して日常に溶け込まない、“別の世界の住人”だ。


 銃を持ち、レヴュラと殺し合い、昨日まで隣にいた仲間が、次の日には戻ってこないこともある。

 そんな現実を、当たり前のように背負っている人間。


 たとえ、電災前に平和な暮らしを送っていた者であっても、“外”で生き抜くことを選んだ人間には、皆、独特の雰囲気がある。

 生き抜くためには手段を択ばないという、冷徹な判断ができる者たち。

 それが、ハンターという生き物だ。


 その視線を、真正面から向けられるという意味が、この男にも、ようやく分かり始めていた。


 尤も……ハンターとて、頭に血が上ったからと、クオムの中で無闇に銃をぶっ放すなどということは、許されていない。

 だが、男は、そのことまでは知らないようだった。


 ――だからこそ、男は想像してしまう。

 ――最悪の結末を。


 どこまでも深淵の闇へと続くような、真っ暗で冷たい銃口を向けられ、引き金が引かれる瞬間を。

 撃鉄が落ち、黒い孔から飛び出す、わずか数グラムの鉛が、自分の肉体を容易く貫く。

 あるいは、腰のナイフで一閃……喉笛を切り裂かれるかも知れない。

 

 ――血と脳漿を撒き散らしながら、悔いる間もなく、自分の命が確実に刈り取られる瞬間を……容易に想像できてしまう。

 


 「……ク、クソが……」


 苦し紛れに吐き捨てたその言葉は、負け犬の遠吠えにもならないほど、弱々しかった。


 男は視線を逸らし、肩をすぼめるようにして踵を返す。

 さっきまでの下卑た余裕は跡形もなく、足取りも定まらないまま、闇の中へと逃げるように消えていった。


 

 

 ――アリスは、特に気にした様子もなく、母子の方へと振り返る。

 こういった荒事も、真がいれば問題ない――そんな信頼が、その表情には当たり前のように浮かんでいた。


 「さ、冷めないうちに食べて」


 その一言で、張り詰めていた空気が、ふっと和らぐ。

 母親は何度も頷くようにして深く頭を下げると、娘と一緒にスパムバーガーを頬張った。


 そんな様子に、さっきまで冷たい目をしていた真の表情にも、ゆっくりと柔らかさが戻る。


 「お……それ、美味そうだな? せっかくだし、俺たちも食おうぜ。ちょっと買ってくるわ」


 そう言って屋台へ向かう真の背中を見送りながら、娘が小さな声で、アリスに問いかける。


 「あの人……お姉ちゃんの彼氏?」


 突拍子もなく、不躾な質問に、母親は真っ赤な顔で、娘を慌てて制する。

 だが、アリスは気にした様子もなく、少し首を傾げて、くすりと笑った。


 「んー、どうかなぁ? どう思う?」


 娘は一瞬だけ考えてから、満面の笑みで答える。


 「お姉ちゃんの彼氏! だって、仲良さそうだもん!」


 アリスは、くすっと小さく笑い、指を唇に当てて、優しく微笑んだ。

 


 


 

 ――この世界は、優しさすらも満足に与えてくれない。

 

 「……いつまで続くんだろうな」


 スパムバーガーを頬張りながら、真はぽつりと呟く。

 誰もが当たり前のように、好きなものを食べることすらできない。

 そんな暮らしは、一体いつ終わるのか――と。


 ――それでも。

 自分を削ってでも、娘にご馳走を食べさせようとする母親の思いを確かに見た。

 そんな小さな思いが踏み躙られることのないように……クオムを守り続けなければならない。

 自分も含め、この街に住む者達が、あの平和だった日々へと帰るために。


 ――だがこの時、真はまだ知らなかった。

 自分が思っている以上に事態は深刻であり、この新宿クオムに、危機がそこまで近づいていたことを。

前回の『きのこたけのこ』戦争からの流れになってまして、

いささかくどい感じがしますが、どうしてもバカバカしい

遣り取りをさせたかったのと、そのために、食の論争で

話を切る事も憚れたので、長文そのままで投稿する

ことにしました。


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