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電災都市  作者: あるふぁ
第四章『異形を狩る者達』
27/29

『異形を狩る者達』-6

 ――旧歌舞伎町タワー。

 かつては眠らぬ街、歌舞伎町を象徴するランドマークとして、夜ごと無数の人波を飲み込んでいた高層ビルである。

 だが、電災以降、その役割は一変した。

 今では新宿クオムの中枢施設として利用され、街の鼓動そのものを内包する、いわば心臓部のような存在となっている。


 ――その二階。

 世界的なコーヒーショップチェーンが営業していた区画は、ギルドの手によって最低限の改装が施され、現在はハンターたちの溜まり場として機能していた。

 

 

 高い天井を持つ開放的な空間には、かつての面影を残す木製のテーブルや椅子が無秩序に配置され、壁際には銃器ケースや行軍嚢(ダッフルバッグ)、防弾プレートの外されたボディアーマーなどが、半ば投げ出されるように積み上げられていた。


 ――床には、乾いた泥と煤の混じった靴跡が幾重にも刻まれ、ここが“日常”と“戦場”の境界線であることを、無言のまま物語っている。


 窓越しに見えるのは、灰色の空の下に広がるクオムの街並み。

 ――歪んだバリケード、溶接跡の残る鉄板、無秩序に組み上げられた足場。

 かつて観光客がカメラを向けた風景は、もはやどこにも存在しない。


 “戦場”から戻ったハンターたちは、決まってこの場所に立ち寄る。

 命を削る時間から距離を取り、銃把の感触ではなく、陶器のカップの温もりを掌に思い出すためだ。

 レヴュラという無人兵器を相手に、銃や刃物を握り続ける日々こそが異常であり、本来はこちらの時間が“普通”であるはずなのに……そう錯覚してしまう自分自身を、彼らはどこかで苦く笑っている。

 今日も多くのハンター達が、討伐帰りやギルドへ立ち寄ったついでに屯し、そして、さまざまな話に花を咲かせていた。


 ――電災によってすべての輸出入が途絶え、本物のコーヒー豆というものは、文字通りの贅沢品となってしまった。

 『弾薬より高値で取引される』——そんな噂も、決して誇張ではない。


 クオム内では、チコリや穀物を焙煎した代替品が主流となり、それが“コーヒー”と呼ばれる現実に、誰も異を唱えなくなって久しい。


 ――だが、この場所だけは例外だった。

 ギルドの管理する備蓄庫には、かつての店舗から回収された、正真正銘のコーヒーが厳重に保管されている。


 湯を注げば、心安らぐ香りが立ち上り、鼻腔の奥を刺激する。

 ――その一瞬だけ、世界は電災以前へと巻き戻される。


 生き延びるための稼業であるとはいえ、クオム防衛の最前線に立ち、命を賭して“外”へ出る者たち。

 そんな彼らに対し、薫り高い一杯を差し出し、何も語らずに労う。

 それが、このギルドのささやかで、しかし確かな流儀なのだ。

 


 ――真とアリスは、新たな討伐依頼を求め、ギルドへと足を運んだ。


 先日、銃器をまとめて購入した代償は、想像以上に財布の中身を冷やしている。

 必要な出費だったとはいえ、金というものは、減る時ほど容赦なく、その存在感を主張してくるものだ。


 いくら真が『新宿クオムの台所』と呼ばれる王明(ワン・ミン)の庇護下にある身とはいえ、すべてが保証されているわけではない。

 王は面倒見の良い男ではあるが、自ら動こうとしない者まで養うほど、甘くもなかった。


 そして、座して待つ者に差し伸べられる手など、この街には存在しない。


 結局のところ、自分の食い扶持は自分で稼ぐしかないのだ。

 その単純で冷たい理屈こそが、新宿クオムを成り立たせている背骨だった。


 ――電災以降、人間の本性が剥き出しになった者は少なくない。

 誰かの庇護や労力に寄りかかりながら、自分はほとんど何もせずに済ませようとする。

 住む場所を用意しろ、食い物を寄こせ――そんな、どこにも記されていないような権利を、さも当然のように叫ぶ連中も、珍しくはなかった。


 だが、新宿クオムでは、老若男女を問わず、誰もが居住税を納める義務を負う。

 それは労働でも、物資でも、あるいは危険を引き受ける覚悟でもいい。

 クオムの秩序を脅かさない限り、稼ぎ方に口出しされることはない。

 ――たとえそれが博打賭博の類や……自らを売る行為であってもだ。


 自らクオムの外へ出て、レヴュラを狩る者がいる。

 廃墟を巡り、情報を掘り起こす者。

 必要な物資をかき集め、内部で流通させる者もいた。

 それすら難しい者には、瓦礫の撤去や設備の補修といった、地味だが欠かせない仕事が回ってくる。

 クオム内の清掃やごみの処分だって、立派な仕事だ。


 そうして、自ら動く意思を示さぬ者は、この最後の楽園に居場所を持てない。

 善意に胡坐をかき、労せずして生き延びようとする者は、静かに……しかし、確実に淘汰されてゆく。

 電災によって、なにもかもが変わり果てた今、安寧は無償ではないのだ。


 「ふぅ……やっと一息つけるな」


 真はなんとか新たな依頼を確保し、カップを両手で包み込むようにして、肺の奥に溜まっていた息をゆっくりと吐き出した。

 湯気とともに立ち上る香りが、張り詰めていた神経を、わずかに緩めていく。


 ――最近は、ハンターやスカウトといった、クオムの外へ赴く者の数が目に見えて増えている。

 クオム内での勤労奉仕的な作業では、生活は成り立っても、金は残らない。

 飢えはしないが、些細な贅沢すら許されない日々が続けば、人は次第に焦りを募らせる。

 それは、どんな人間であっても、静かに精神を蝕んでいくものだ。


 物価が常識を失ったこの世界では、安全と引き換えに得られる報酬など、たかが知れていた。

 それならばと、危険を承知で“外”に出る道を選ぶ者が増えるのも、無理はない。


 結果として、比較的リスクの低い近場の討伐依頼には、経験の浅いハンターたちが群がりはじめている。

 奪い合いに近い光景は、今や珍しいものではなくなっていた。


 とはいえ、討伐依頼は誰もが受けられるものではない。

 ハンターにはランクが存在し、ギルド情報部が必要な技量をもとに、討伐依頼を受注する最低ランクを決定する。

 当然、駆け出しのハンターは、比較的緩い討伐しか受ける事ができないため、Bランクを有する真とは、依頼が被る事はまずない。

 

 ――Bランクとは、クオムにおいて、討伐達成回数が30回を超え、なおかつ一定以上の射撃技能を持つ者だけに与えられる。

 こうした格付けは、クオムが人を縛り付けることができない以上、有力なハンターを他クオムやサヴェージスのようなならず者に流出させないよう、考え出された。

 ランクによって報酬の上乗せ額が変わり、端的に言えば『腕のいいベテラン程稼ぎが増える』というシステムである。

 

 「いい香り……やっぱり、本物は違うね」

 アリスは小さく息を吸い込み、そう呟く。


 チコリコーヒーをベースに、あらゆる工夫を重ねて生み出された代替品は、今やクオムの日常に溶け込んでいた。

 苦味やコクはそれなりに再現され、口に含めば“それらしい味”はする。

 だが、湯気とともに立ち上る香りだけは、どう取り繕っても、本物には及ばない。

 

 おまけにカフェインもないらしく、何杯飲んでも眠気が覚める事はないそうだ。

 それを知らずにガブ飲みして、逆に具合が悪くなって吐いた奴を見たことがある。


 その差は、数値でも、理屈でも説明しきれない類のものだった。

 記憶の奥底を直接刺激し、揺さぶる何か――それが、決定的に欠けている。


 だが、アリスは笑顔のままカップを掲げ、貴重な一杯を惜しむように楽しんでいた。


 

 ――その時だった。

 カフェスペースの奥から、唐突に怒号が響き渡る。


 「たけのこ林こそ至高だ!」


 一言。

 それだけで空気が切り裂かれた。

 遠慮も含みもなく、まるで銃声のように明瞭な宣言だった。


 思わず視線を向けると、顔なじみのハンターたちがテーブルを挟んで向かい合い、チョコ菓子の袋を振り上げながら激論を交わしている。

 拳銃ではなく菓子袋が凶器になるあたり、この場所らしい光景とも言えた。


 ――大した娯楽もないこの時代だ。

 酒も、映像も、音楽も限られる中で、嗜好品に対するこだわりだけが、妙に先鋭化していく。

 菓子だの飲み物だのといった些細な話題で火が付くのは、もはや日常の風景だった。


 「また始まったか……」


 真は肩をすくめ、アリスへと小声で囁く。

 「……なんか、巻き込まれる予感がする」


 無論、あの手の言い争いが、本気のいざこざへ発展することは、まずない。

 せいぜい声が大きくなり、周囲が巻き込まれる程度で終わる。


 ――ただし、当事者に捕まった場合の話は別だ。


 連中は決まって、自分の主張への賛同を強要してくる。

 どちら派かを明確にしろ、理由を述べろ、異論は認めない。

 真は、その熱量をレヴュラ討伐に回せと、何度思ったか、数えきれない。


 とにかく、巻き込まれる側にとっては、たまったものではなかった。


 ――スティールジャガー隊。

 そのリーダーを務めるのが、田所武雄という男だった。

 筋骨隆々、腕っぷしだけなら、新宿クオムでも指折りと評されるハンターだ。


 どこから見つけてきたのか、武雄は機動隊用のジュラルミン盾を愛用している。

 レヴュラの注意を一身に引き受け、仲間の前に立ちはだかる盾役。

 D級やC級レヴュラが放つ銃撃は、本物の銃弾ではなく、金属リベットの類だ。

 そんな紛い物の弾丸で、機動隊用の盾が貫かれることはない。


 そして突出してきた個体を、鈍器で文字どおり殴り飛ばす。

 D級程度なら、その一撃で簡単にひっくり返る。動けなくなったレヴュラをどうするかは……説明不要だろう。

 銃火器を主体とする他の部隊とは一線を画す、豪快かつ原始的な狩り方だった。


 言うまでもなく、レヴュラ相手の肉弾戦は、危険度が跳ね上がる。

 一歩間違えば致命傷。たとえ金属リベットとはいえ、肉体に喰らえば即死もあり得る。


 それでもスティールジャガー隊は、発足以来、未帰還者を一人も出していない。

 その事実こそが、彼のやり方が単なる蛮勇ではないことを物語っていた。


 “脳筋野郎”という渾名が妙に似合う武雄だが、決して無謀な男ではない。

 誰よりも前に立ち、誰よりも危険を引き受けるのは、仲間を死なせたくないという一点に尽きる。

 自らが盾となり、仲間は安全な距離から確実に仕留める。

 単純だが、徹底された役割分担だった。


 そんな武雄が放った、『たけのこ林』こそ至高、という主張に対し、間髪入れず、低い声が返る。


 「……は?」


 ――坂城優美。

 同じくスティールジャガー隊に所属するハンターで、理論派、戦略重視の慎重屋。

 元アーチェリー経験者で、銃よりも“確実性”を信条とし、改造クロスボウを携える。

 尤も……そこに番えられる“矢”は、鉄筋を切断し、削り出した、殺意の塊のような代物だが。

 

 「それ、今ここで言う?」

 「言うさ。今だからこそだ」


 武雄は腕を組み、これ見よがしに胸を張る。

 その手には、くしゃりと握り潰された『たけのこ林』の袋。

 まるで戦場に翻る軍旗のように、それを高々と掲げた。


 向かい合って座る優美は、静かにカップを置く。

 次いで、ゆっくりと立ち上がった。

 

 その表情は、完全に受けて立つ構えを示している。

 そんな優美に、武雄は満面の笑みを浮かべ、言い放った。

 

 「サクサク感、チョコとの一体感、噛んだ瞬間の満足度。全部“たけのこ”が上だ。これは好みの問題じゃない。紛れもない事実なんだよ」


 「……事実?」


 だが、優美はその力説を鼻で笑い、今度は『きのこ高原』の箱を机の上に置いた。

 乾いた音が、妙に大きく響く。


 「“きのこ”は香ばしさよ。チョコが前に出過ぎない。ビスケットが土台として完成してるの。たけのこは、甘さで殴ってくるだけ。雑」


 ――断言だった。

 余韻も、逃げ道も残さない言い切り方だ。


 「……雑、だと?」


 これには、武雄の眉がぴくりと跳ね上がる。

 その反応だけで、周囲は察した。


 「おい、始まったぞ」

 「ああ、今日は激しくなりそうだぜ」

 「きのたけ戦争は根が深いからな」


 近くにいたハンターたちは椅子を引き、立ち位置をずらし、テーブルから半歩下がった。

 さりげなく距離を取り、“流れ弾”に当たらぬよう、完全に観戦態勢へと移行する動きだ。


 真の胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいく。


 「……アリス、これ、巻き込まれたら絶対に面倒くさいやつだよな?」

 「うん。逃げるなら今だと思う」


 アリスも即座に同意し、二人揃って“戦略的撤退”を試みる。

 だが――時すでに遅かった。


 「篠崎!」

 「篠崎さん!」


 ――同時だった。完璧な挟撃。

 武雄と優美は一歩も引かず、当然のように自分たちこそが正論だと信じ切っている。

 その圧を一斉に向けた先は……先日のB級レヴュラ討伐で、なにかと注目を浴びている……真だ。


 真は心の中で零した。

 (なんで俺なんだよ……)


 「お前はどっちだ!」

 「篠崎さん、公平な意見をお願いします!」


 武雄も優美も、自分の意見が絶対だと信じてやまない。

 そして互いに、自分の主張を真が受け入れると確信し、詰め寄ってきた。


 「え、えっと……」


 真はコーヒーカップを持ったまま、完全に固まっていた。

 立ち上る湯気が指先をかすめるが、それすら意識に入らない。


 ――おかしい。

 今日はただ、討伐依頼を受けに来ただけのはずだ。

 そのついでに――ハンターの特権と言っていい、本物のコーヒーをじっくり味わっていただけ。

 それだけだった。


 それがどういうわけか、気が付けば全力で他人の戦場に引きずり込まれている。


 ――武雄が、一歩前へ出た。

 床板が、ぎしりと小さく鳴る。


 「考えるまでもない。たけのこは“戦闘糧食”としても優秀だ。きのこと違って、形も崩れにくくて食べやすい。満足感がある」


 ……戦闘糧食?

 さすが脳筋。発想の着地点が、常に戦場である。


 (……いや、ただのスナック菓子だぞ、それ)


 「それを言うなら、きのこは“精神安定剤”です」


 優美が、間髪入れずに切り返した。

 声は低く、だが妙に通る。


 「疲労時、思考が煮詰まったとき。チョコの甘さと、ビスケットの香ばしさは人を落ち着かせる。たけのこはテンションを上げるだけで、持続性がない」


 ――今度は精神安定剤。なんだこの理屈。

 本当に大丈夫か?

 スナック菓子だぞ?スーパーやコンビニで誰でも買えた、お菓子だぞ?


 ……お前ら、まさか毎日、鳴神製菓の製品を拝んで、出撃前に社訓斉唱とかしてたりしないよな?


 「戦場に必要なのはテンションだろ!」

 「違います!生き延びるには冷静さです!」


 言葉が真正面からぶつかり合い、熱が一気に上がる。

 その勢いに引きずられるように、スティールジャガー隊の他メンバーまでもが参戦し始めた。


 誰かが机を叩き、誰かが身を乗り出す。

 テーブルが軽く揺れ、カップの中で液面が波打った。


 空気は、まるで戦争前夜のような熱を帯びている。

 冗談の皮を被った、本気の熱だ。


 ――だが、忘れてはいけない。

 ここで論じられているのは、“スナック菓子の好みがどちらであるか”……本当に、それだけの話だ。


 真と同じように論争へ巻き込まれたハンターの一人が、無言で袋を開ける。

 乾いた音とともに、中からそのひとつを摘み上げ、躊躇なく口へ放り込んだ。


 それを合図にしたかのように、他の何人もが続く。


 「ほら、この歯触りだろ?」

 「違う。口溶けを感じてから言いなさい」


 ……声は相変わらず荒い。

 だが、いつの間にか論争の焦点は、単なる味覚の優劣から外れていた。


 次に語られ始めたのは、理屈でも好みでもなく――それぞれが胸の奥に抱えてきた、個々の記憶だった。


 武雄が、ふっと声のトーンを落とし、それまで張り詰めていた肩から、力が抜ける。


 「……電災前さ。夜勤明けに、よくコンビニで買ってたんだ。小腹が空いてる時、家までの帰り道に食いながら帰るんだよ」


 その一言で、場の空気がわずかに沈んだ。

 先ほどまで飛び交っていた声は止み、ざわめきが引いていく。

 誰もが、言葉を探し――結局、見つけられなかった。


 優美も、視線をわずかに逸らしたまま、呟くように言葉を落とす。


 「……私は家で。何も考えたくない夜によく食べてた。それだけで、嫌なことを忘れられた気がした」


 ――誰も、笑わない。

 軽口を叩く者も、茶化す者もいなかった。


 それぞれが過ごしてきた、あの何気ない時間。

 仕事帰りのコンビニ。夜更けの部屋。

 その日の気分で、何の迷いもなく選んでいた甘い菓子。


 そうした“当たり前”は、電災によって、誰の手からも等しく奪われている。


 その場にいた誰もが、同じ方向を見ていた。

 灰色の空でも、壁の染みでもない。

 ――決してもう戻らない、遠い過去の方角だ。


 仕事帰りのコンビニ。

 真にも、覚えがある。


 ――バイト先だった焼肉屋。その、すぐ近くにあった一軒のコンビニ。


 レジに立っていた、一人の女性のことを、ふと思い出す。

 当時は喫煙者だった真の吸っている銘柄を覚えてくれていて、缶ビールを買えば、いつもと銘柄が違う事にさえ、すぐ気付いた。


 ……些細なことだ。

 だが、それが妙に嬉しかった。


 笑顔が柔らかく、気の利く子で、やがて連絡先を交換する仲にもなったが――今となっては、そのやり取りも意味を持たない。


 ――電災から、三年余り。

 スマートフォンはただの重りとなり、通信網は沈黙したまま。


 一人に一台とさえ言われた文明の利器は、今ではレヴュラを引き寄せる、忌むべき存在に成り下がった。


 ――彼女が今どこで、何をしているのか。

 それを知る術は、もうどこにも残されていない。


 しんみりと沈みかけた空気の中で、真は意を決したように口を開いた。


 「……どっちも、悪くないんじゃないか?」


 ――次の瞬間だった。


 「それはない!」

 ……即答かよ。


 「中立は最大の侮辱だ!」

 「選ばないという選択は、逃げです!」


 あまりにも容赦がない。

 せっかく丸く収まるかと思った矢先だっただけに、真の顔は、完全に引き攣っていた。


 「……アリス、助けて」

 隣に座る“相棒”に、縋るような視線を向ける。


 「……ごめん、無理。これはもう宗教戦争と同じだよ、真」


 真の細やかな願いは、無情にも切り捨てられた。

 そこに慈悲は、どうやら存在しないらしい。


 ――やがて議論は、『子供の頃、どっちを先に食べたか』という原体験の話から始まり、『箱派か袋派か』『最後に残すのは軸かチョコか』と、信じられない速度で細分化されていく。


 枝分かれした主張は絡まり合い、もはや誰が何を擁護しているのか、当人たちですら把握できていない。


 それでも声量だけは落ちないあたり、ある意味で――見事だった。


 だが――誰一人、席を立とうとはしない。


 この場にいる全員が、薄々理解している。

 レヴュラという異形の機械兵器を相手に、日々命を削るハンターにとって、保証された明日など存在しない。

 こんなくだらないことで本気になれる時間も、生きているからこそ許される贅沢なのだ。


 「甲乙つけがたいくらい、どっちも美味いで、今日のところはいいんじゃね?」

 やがて、誰かが疲れたように深く息を吐き、誰かが苦笑いを浮かべ、誰かが菓子袋を丁寧に畳んだ。


 「そうね……今日はここまでにしましょう」

 優美が、肩の力を抜いた声で言う。


 「……ああ。休戦だな」

 武雄も、その言葉を受け入れるように、小さく頷いた。


 ――そして、その瞬間。

 真だけが椅子に崩れ落ち、心の底から息を吐き出した。


 肩に重くのしかかっていた、見えない重圧が、ずるりと床へ滑り落ちていく。

 すっかり温くなったコーヒーから立つ、かすかな香りが、現実へ戻ってこられた感覚を与えてくれる。


 疲れ切った真は、ようやく平和が戻ったのだと――実感しかけた。


 ……だが。


 まさに、その時だった。


 「……そういやさ」

 誰かの、あまりにも何気ない一言。


 「コーラって、どっち派だった?」

 その瞬間、真の背筋が、ひくりと跳ねる。


 (……おい……今、なんて言った?)


 「は? どっちって?」

 「だから、赤いのか、青いのかって話」


 ――空気が、再び変質する。


 さきほどまで椅子に身を預けていたハンターたちが、まるで獲物の匂いを嗅ぎ取った猟犬のように、ゆっくりと、そして一斉に顔を上げた。


 「……おい」

 「やめろ。それは、まずい」


 忠告を飛ばす者もいるが、火種を落とした当人に、悪意は微塵もなかった。


 「いや、なんとなくさ……昔、よく飲んでたろ?」


 ――“昔”。


 その単語が、静かに、そして確実に――再び争いの発端を開く。


 「当然、赤だろ」

 どこからともなく飛び出した、低く、揺るぎない声。


 「断然、コココーラだ。あれを一気に飲むために生きてたわ」

 「炭酸の立ち方が違うんだよな。喉にガツンと来る“角”がある」


 ――赤派のハンターたちは、もはや神話の語り部のような目をしている。

 遠い記憶を反芻するように、視線は宙を彷徨い、言葉には確信めいた熱が宿っていた。


 「やっぱ、瓶が最強だろ」

 「王冠を開けた瞬間の音がたまんねぇ」

 「夏の暑い日、海とかで飲む瓶は格別だな」


 「わかる……」

 「瓶は反則だよな」


 周囲から、“赤”――コココーラを支持する、同意とも、呻きともつかない声が、次第に広がっていく。


 真はそっと椅子の背にもたれ、視線を宙へ投げた。

 (あ、これ……さらに長くなるやつだ)


 

 「……それ、思い出補正じゃね?」

 即座に、“青”――ペイシード派が噛みつきはじめる。


 「ペイシードの方が、後味も軽い」

 「甘さが残らず、口当たりがすっきりしてんだよ」

 「赤は重いんだよ。甘さが口に残る」


 両陣営の間に、見えない火花が散った。

 ――先ほどの休戦協定など、最初から存在しなかったかのように。


 「来たな……きのたけより根深いぞ」

 「誰か、止めに入る勇者おる?」


 野次馬を決め込んだ連中が、面白半分に小声で笑う。


 ――そして、真だけが、明らかに“巻き込まれ待ち”の位置に立たされていた。


 「で?」

 赤派が、当然のように真を見る。


 「篠崎は?」

 「真はどっちだ?」

 「お前、どっち飲んでた?」


 三方向から視線が突き刺さる。


 (だから、なんで俺なんだよ?)


 「……いや、俺は――」


 言いかけた瞬間、青派が身を乗り出した。


 「まさか赤とか言わないよな?」

 「ペイシードの良さ、わかるだろ?」


 だが、赤派も引かない。


 「いやいや、真は絶対に赤だろ」

 「篠崎は、そういう顔してる」


 「いや、どんな顔だよ!」


 思わずツッコミを入れる真。

 アリスはそのやり取りを眺めながら、困ったように、しかしどこか楽しそうに苦笑するしかなかった。


 「ちょ、待て待て。どっちも飲んでたし、状況によるだろ、普通」


 真は、コーラに特別なこだわりがあるわけではない。

 コンビニでは、何も考えずに赤を選ぶことも多かったし、ファミレスやカラオケボックスのドリンクバーでは、青であることも多かった。


 だから――どっちだと聞かれても、返答に困るのだ。


 「これは逃げだな」

 「中立は罪だって、さっき学んだばっかだろ?」


 畳みかけるような声に、真は肩をすくめるしかなかった。


 テーブルの上には、いつの間にか誰かが持ち出してきた空き缶と、年季の入った紙コップ。

 照明の弱い室内で、赤と青のロゴが、やけに自己主張して見える。


 ――かつて、一日に何百人もの人間が行き交っていたであろうフロア。

 今では、傷だらけのテーブルや椅子が無造作に並び、外壁の補強材が剥き出しになっている。

 遠くでは、どこかで風に煽られたトタンが、かたん、と乾いた音を立てた。


 ――それでも、この場の空気だけは、やけに平和だった。


 「なあ、真」


 武雄が、完全に火を焚べる側の顔で言う。


 「ここはひとつ、男らしく言い切ってみろよ」


 「どっちか選べ」

 「赤か」

 「青か」


 ――まるで尋問だ。


 真は思わず、アリスの方を見る。

 アリスは肩をすくめ、「巻き込まないで」とでも言いたげに、視線を逸らした。


 (助ける気、ゼロかよ……)


 真は深く息を吸った。

 「……強いて言うなら、だぞ?」


 前置きを置いた瞬間、全員の視線がさらに鋭くなる。


 「状況次第だ」

 「たとえば……真夏で、外で汗だくだったら、一気飲みの赤」

 「でも、飯と一緒なら、青も捨てがたい」


 ――一瞬の沈黙。


 「ほら見ろ」

 「やっぱり逃げだ」

 「条件付きはズルい」


 四方八方から、即座に却下が飛ぶ。


 「いや、理にかなってるだろ!?」

 真は声を荒げる。

 「炭酸の強さと甘さは、体調とシチュエーションで――」


 「理屈はいい!」

 赤派の誰かが、ぴしりと言い放つ。


 「魂の話をしてるんだ」


 「いや、魂でコーラ選ぶなよ!?」


 ――笑い声が、どっと起きた。


 誰かがテーブルを叩き、誰かが腹を抱える。

 その拍子に、紙コップが倒れ、わずかに残っていたコーラが床に染みを作った。


 黒い染みは、ゆっくりと広がっていく。

 まるで、さっきまでの殺伐とした戦場が嘘だったかのように。


 真はその染みを見下ろしながら、ふと気づく。

 ――こんなことで腹を立てて、笑って、言い合える夜が、どれほど貴重なものかを。


 「……もう、いいでしょ」

 優美が、やや呆れたように、だがどこか楽しげに言った。


 「篠崎さんを、これ以上追い込んでも、答えは出ないわ」


 「だな」

 武雄も頷く。


 「今日は赤青、痛み分けってことで」


 「それ、妥協じゃなくて一時停戦ってだけだからな?」


 誰かが言い、また笑いが起きた。


 「……でもさ」

 誰かが、ふと思い出すように続ける。


 「クソ暑い日に飲む赤は、旨かったよな」


 その一言で、場の空気が変わる。

 青派も、すぐには噛みつかなかった。


 「……青もさ」

 誰かが、ぽつりと続ける。


 「部活帰りに飲むと、やたら沁みたんだよ。後味が軽くてさ」


 ――一瞬の沈黙。

 笑いも、煽りも消えた。


 ――失われた時代。

 どうでもいいことで真剣になれて、くだらないことで腹を立てて、それでも明日が当然のように来ると信じていた、平和な日常。


 真は、その隙間に、小さく言葉を落とす。


 「……どっちも、もう気軽に飲めないけどな」


 電災以降、工場は止まり、流通は途絶えた。

 クオムの中で手に入るコーラは、どこかの倉庫や自販機から掘り出された、いつのものか分からない在庫品ばかりだ。

 賞味期限の印字も、擦れて読めない物さえある。


 それでも人は、過去の味に縋る。

 たとえ、法外な値段だと分かっていても。


 朝の一杯だけは、どれだけ貴重でも本物のコーヒーを選ぶ――そんな真自身も、結局は同類だった。


 コーラ戦争は、いつの間にかカフェスペースの一角を、完全に占拠し、誰かが語れば、誰かが頷き、誰かがさらに思い出を重ねる。


 ――なぜか、真だけが、じわじわと精神を削られていくのだが。

少し、軽く読めるコミカルなお話を書こうと思い、世に根深い『きのこたけのこ』戦争を

電災後の世界に降臨させました。

実はもっと長いのですが、あまりに長すぎたので、今回はカットすることに。


電災後の「食べ物」についての話は、ちょっとあるのですが…

それはおいおいに。

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