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電災都市  作者: あるふぁ
第四章『異形を狩る者達』
24/29

『異形を狩る者達』-3

例によって長いです(約13,000文字)

お読みいただく際には、予めお時間に余裕をもってお楽しみ頂ければ幸いです

 「黙れ、首輪付き! お前ら人形は、黙って人間に従っていればいいんだよ!」


 空気が裂けるように、怒号が響いた。

 林の手には、黒々とした鋼の塊――『黒星(ヘイシン)』が握られている。

 旧ソ連製、トカレフTT-33。……その中国版、五四式手槍。

 硝煙と油の臭いを纏い、その名が示す通り、夜を呑み込むような、黒く鈍い輝きを放っている。


 黒星とは、日本国内では電災以前から密輸拳銃の代表格として知られ、映像作品や小説などでもお馴染みの拳銃だ。


 素人が何らかのツテで拳銃を求めるなら、大体最初に辿り着くのがこの銃。

 ――それほどまでに、黒星は“手の届く悪意”の代名詞だった。


 コストダウンを図った粗雑な弾丸は、皮肉なことに、異常なまでの貫通力を誇り、防弾装備の業界を震撼させることもある。

 『トカレフ対応』――その言葉が宣伝文句になるほど、悪名と実力を兼ね備えた拳銃であったのも確かだ。


 その貫通力のせいで、反動も強烈であり、狙ったところに飛ばないなどと誤解されがちだが、それは誤りだ。

 とある専門家によれば、実際には9mmパラベラム弾を使用する拳銃よりも扱いやすい一面さえあるという。

 暴れ馬のような印象を植え付けたのは、銃身が摩耗しきって廃棄されるはずの個体を横流ししたものや、作りの粗雑な密造品といった、劣悪なコンディションの個体によるものだ。

 

 トカレフ本来の設計は、寒冷地において、凍結による作動不良を防止するため、あえて安全装置すら削ぎ落としたもの。

 冷徹な合理性の軍用モデル――兵士の命と引き換えに研ぎ澄まされた機械美がそこにはあり、決して性能が悪いなどという事はない。


 ――だが、林の手にある黒星は、そんな本来の姿からは程遠かった。

 錆びた銃身、刻印もない、ガタつくスライド、油の抜けた鉄の匂い。

 撃鉄を起こす際、金属が悲鳴のような音を立てる。

 見ただけで、その粗悪ぶりは一目瞭然で、ろくな整備すらされていなそうだ。


 刻印の無いスライドは、密造品や横流し品など、五四式手槍に『なり損ねた』劣悪品が多いという。

 ――どちらにせよコンディションは最悪。

 レヴュラとの最前線に赴く、真たちハンターからしてみれば……林の黒星は拳銃の形をしたガラクタだ。


 ――だが、林の顔は、羞恥と怒りで真っ赤に染まり、喉の奥で濁った息が漏れた。

 握り込んだ手は震え、その震えが銃爪にかけた指先へと伝わる。呼吸が乱れ、握力の調節もできない。

 

 ――気付けば、無様に銃爪を弄る指が……勝手に動いていた。

 一瞬の閃光が走り、硝煙の匂いが一瞬でカフェスペースを満たす。


 ルナの視界の端を、細い線のような衝撃波がかすめた。

 耳に残るのは甲高い金属音。

 振り返ると、壁に新しい弾痕が刻まれ、粉塵が静かに降り落ちていた。

 

 ――放たれた7.62×25mm……トカレフ弾は、運よくルナを逸れ、後方の壁に激しく衝突した。

 砕け散ったコンクリートの破片、そして、灰色の粉塵が光の中に漂っている。


 ルナの瞳が、見開かれる。

 だが、彼女以上に驚愕していたのは――撃った本人。


 林は、自分が本当に“撃った”という現実を、まだ脳が受け止めきれていなかった。

 手は震え、黒星の銃口が小刻みに跳ねる。鼓動が耳の奥で反響し、唇が乾いた。

 それだけで、この林がいかに銃などという代物を扱い切れていないか、わかろうというもの。

 

 「おい……」


 背後からの低い声に、林は振り返る。

 その視線の先――そこには、無言のままM1911(ガバメント)を構えた真が立っていた。


 普段は傲慢で軽薄な林でも、目の前で銃口を向けている相手が、“自分より銃の扱いに長けている”ことは理解していた。

 少なくとも、幾多の討伐依頼をこなし、B級レヴュラすら葬ってきた男……この距離で撃てば、外すはずがない。

 林の足りないおつむでも、はっきりと理解できた。


 『殺される』……と。


 その冷ややかな眼差し。

 真の指先が銃爪に触れた、ほんのわずかな動作だけで、空気の密度が変わる。

 射抜くような視線は、林の逃げ場を……そして逃げるという選択肢すらも、一瞬で奪い去っていた。


 周囲では、他のハンターたちも静かに銃を構え、幾重にも重なる金属音と共に、カフェスペースは緊張の檻と化す。

 全ての銃口が、林ひとりを中心に――円を描くように、じわりと向けられていった。


 「……お前、ここがどこだか分かってんのか?」


 真の声は氷のように冷ややかで……低い。

 その一言に、周囲の空気がピリつく。

 カフェスペースに漂う硝煙の匂いが、まるで警鐘のように鼻を刺した。


 ここは――新宿クオムの中枢、『ユニオン』が置かれている場所であり、ハンターたちの本拠地、『ギルド』……そしてこの街の“秩序”を司る場所だ。

 

 本来、クオム内での発砲は固く禁じられている。

 ――それも当たり前の話だ。


 電災前ならまだしも、今はそこら中に銃を携行した者がいる。

 まともな法律も、警察組織すらもないこの状況で、好き放題に発砲されては、秩序もなにもあったものではない。


 だが――それでも例外はある。

 毒には毒を……その規律を破った者に対してのみ、即時の応射と制圧が無条件で許可されているのだ。

 銃器という猛毒をクオム内で振るう者は、同じく銃器を持つ者に、その毒を以て制される。


 そうして、このクオムという場所の秩序は、紙一重の危うさの中で、辛うじて維持されているのだ。


 つまり林は――ここで蜂の巣にされ、たとえ死んでも文句を言えない立場にある。


 真の指先は、しっかりと銃爪にかかっていた。

 ほんの少し力を込めるだけで、全てが……林裕也という男の人生が終わる。


 だが皮肉にも……今の林を命の崖淵から救っているのは――周囲にいる誰もが、“人を殺すことに慣れていない”という現実だった。

 ハンターたちは戦いには慣れていても、銃爪を引く相手はいつだってレヴュラであり、人間相手ではない。

 

 ――それは真自身にも当てはまる。

 幾多のレヴュラを葬ってきた真の銃口でさえ、人間に向けられたことは、いまだ一度もない。


 その境界線の存在が、林にとって唯一の救いとなり、辛うじて命を繋ぎ留めていた。


 ――だが、銃口を向けながら、真の眼差しは怒りと戸惑いの狭間で揺れていた。


 「テメェがメカドールを嫌おうが、A.I.A.だろうが、そんなこたぁどうでもいい」

 声が震え、噛みしめた唇がほんのりと血を滲ませる。

 「ただ――女に向かって引き金を引いた。その一点だけは、見逃せねぇんだよ、林!」


 怒号と共に、構えていたハンターたちが一斉に動く。

 金属の擦れる音が波紋のように広がり、林を中心に描く円が狭まってゆく。

 幾重もの銃口が一人に集中し、逃げ道を完全に消していった。

 

 林は、もはや言葉を武器にするしかない。

 恐怖に滲む声を振り絞り、喉の奥で必死に虚勢を保とうとする。


 「な、何が“女”だ! 首輪付きなんて、ただの人形じゃねぇか! 魂なんてねぇんだよ、そんなもん!」


 「うるせぇ!テメェの価値観なんざ知るか!」

 真が吐き捨てる。

 「ルナもアリスも女だ。メカドールにも心があって、泣いたり笑ったりすんだよ! “人形”なんて呼ぶんじゃねぇ!」


 

 ――そのとき。


 「真、そのくらいにしとけ」


 背後から不意に伸びた手が、真のM1911(ガバメント)を静かに押し下げた。

 重い掌の感触に、真はハッと我に返る。


 ――振り返ると、そこには大野が立っていた。


 いつの間に背後を取ったのか――その動きに、一瞬の隙すら感じさせない。

 皺の刻まれた眉間の奥で、熟練者特有の冷ややかな光が宿る。


 彼は無言のまま、肩から提げていた散弾銃(ショットガン)を構えた。

 その動作は、怒りなどではなく、紛れもない“執行者”そのもの。


 「林……クオムの中で拳銃(チャカ)ぶっ放した結果がどうなるか、分かってるな?」


 その声は低く、鉄のように重い。

 銃口が林の額にゆっくりと焦点を合わせていく。

 ……逃げることは到底適わない。

 逃げようとした途端に、林の頭はスイカのように爆ぜ、飛び散る事だろう。


 ――ガーディアン。

 新宿クオムにおける警察のような存在であり、治安の最終防衛線。

 電災前、歌舞伎町で名を馳せた裏社会の人間、元自衛官、元警察官……そうした猛者たちが、この街の秩序を『圧倒的な暴力』で支えている。


 彼らは無法者を撃つことを躊躇わない。

 それらの命を奪うことに、“理由”を求めない。

 それがこの街で「平和」を維持するための、もっともシンプルで、現実的な答えなのだ。


 彼らの目に映るハンターなど、所詮は遊撃の延長。

 レヴュラ相手の小競り合い、単なる機械相手のハンティングごっこに過ぎない。


 だがガーディアンは違う――彼らがその銃口を向けるのは、基本的に“人間”相手だ。

 その一点において、彼らはクオムの誰よりも冷酷な現実を心得ている。


 ――そして、その現実が、今まさに林を飲み込もうとしていた。


 だが、その大野を前にしても、なおも見苦しく、林は自己弁護と保身を繰り返す。

 

 「ふざけんなよ! 元々その首輪付きが、俺のプライベートなことをベラベラ喋ってたからだろうが!」


 「お前らもおかしいだろ! そんな首輪付きに踊らされて、何得意げな顔してんだよ! そいつは機械だぞ? レヴュラと同じで、いつ人間を裏切るかわからねぇんだぞ!」


 その言葉を聞きながら、真は小さく舌打ちをした。

 林のそのよく動く口で、「偉大で崇高な人間様」を訴える物言いには、もううんざりだ。

 M1911(ガバメント)を向けたまま、真は一歩、また一歩と、被害者気取りの林に詰め寄る。


 「……じゃあ、その裏切ったメカドールってのを、ここに連れて来いよ」


 ――低く、だが鋼のように硬い声音だった。

 真の瞳がわずかに細まり、銃口が「もう汚い声を出すな」とばかりに、林の喉元を正確に捉える。

 その動きに合わせて、ギルド全体の空気がさらに張り詰めた。

 誰もが息を飲み、物音ひとつで崩壊しそうな、危ういまでの均衡を見守っている。


 ――真が知る限り、この新宿クオムでメカドールが人を裏切った例はただの一度もない。

 むしろ、こんな終わった世界であっても……彼らはいつも人間に寄り添い、厄介な仕事を進んで引き受け、支え続けてきた。


 人間が文字通りの汚れ仕事を嫌っても、メカドールは黙ってそれをこなす。

 インフラ整備、清掃や衛生作業。そこら中にあるコンポストステーションをメンテナンスしているのも、主にメカドールだ。

 人間が好き勝手に捻り出したものを、嫌な顔せず黙々と処理してくれている。


 親と逸れ、孤児同然となった、小さな子供たちの面倒や、高齢者の介助などもそうだ。

 メカドールに支えられている事は、数え上げたらきりがない。

 

 満足なメンテも受けられず、結果……フレームが歪み、関節が焼き付き、人工筋肉が引き千切れようとも――それでも彼らは人の隣に立ち続けた。

 そうして“死んでいった”メカドールを、真は何人も見てきている。

 ――クオムが軌道に乗るまでは、そんな光景が、そこらじゅうに転がっていたのだ。


 林のように、クオムの噂を聞きつけ、安寧だけを安易に求めて流れ着いただけの人間に、その積み重ねられた犠牲の大きさが分かるはずもない。


 「いいか……もう一度、俺の前でメカドールを“道具”だの“機械”だの……”人形”だのと言ってみろ」


 真の声は低く、地を這うように響いた。

 そこには怒りよりも冷たく……研ぎ澄まされた剃刀のような冷徹さが宿っていた。


 M1911(ガバメント)の銃口が、林の喉元に――静かに押し当てられる。

 金属と皮膚の擦れる音が、やけに生々しく聞こえた。


 「その時は、俺がレヴュラより酷い方法で……テメェを二度と喋れない身体にしてやる」


 真の目――それはアリスでさえ見たことのない、怒りと凶暴性を込めた……“野良犬”とでも言うべき光。

 理性の皮を剥ぎ取られた、獣のような眼。

 自分に仇為す者を容赦なく噛み千切る……生存と反逆の眼光。


 ルナも、アリスでさえも言葉を失って立ち尽くしていた。

 ギルドに集うハンターたちも息を殺し、誰一人として動けない。

 そこにいる者すべてが、本能的に理解していた――今の真は、本気だ。

 

 ……そして、こんな目をした真を……この場にいる誰もが、見たことがない。


 

 ――歌舞伎町に流れ着いたばかりの頃の真は、いつもこんな目をしていた。


 クソみたいな家を飛び出し、何の根拠も……確信もなく辿り着いた歌舞伎町。

 だが、この街は、別に真を温かく迎えてくれたわけではない。


 キラキラとした一握りの輝きを掴む者と、地べたを這い、汚水を啜る者。

 街に生きる者は、ざっくり分けてそのどちらかしかいない。当然真は後者の方だった。


 ……何もかもがうまくいかず、心も体も擦り切れてしまいそうな毎日。

 理不尽な現実に腹を立て、ぶつけようのない憤りだけが積み重なってゆく。

 肩が触れた、目が合った――そんなくだらない理由で喧嘩を繰り返し、殴った殴られたの毎日。


 歌舞伎町の日陰で生きるという事は、そういう事だ。

 歯向かう者は叩き潰す。舐められれば終わり。

 力と覚悟を示せなきゃ、明日の歌舞伎町に自分の居場所はない。


 それが嫌なら、全てに目を瞑り、耳を塞ぎ……波風を立てず、ひっそりと歩く。

 ――それがこの街の“ルール”だ。


 そしてある日、真は……思い知る。


 手を出した相手が悪かった。

 広域指定暴力団・東邦連誠会……直参荒神会。その構成員。

 ……早い話、極道者(ヤクザ)だ。


 荒れた思春期を生きてきた真は、それなりに、喧嘩には自信もあった。

 チンピラ相手の些末な喧嘩と、タカをくくっていたのだが、所詮は、ただのはねっ返り。

 少しばかり、ガキ同士の喧嘩に覚えがあろうと、この街には『本物』がいくらでもいる。


 この街の力関係を理解していない、はねっ返りの青年(クソガキ)がしでかした”おいた”は、ただで済ませてもらえるはずもなかった。

 ……真は、一人の男に徹底的にブチのめされることになる。


 ――文字通り、足腰も立たなくなるほどに。ボロ雑巾という言葉すら相応しいほどに。


 その時、真を徹底的に叩きのめした男こそ――――大野隼人という男だった。

 歌舞伎町をテリトリーとする荒神会の若頭。


 ――幾度となく繰り広げられた国内外組織との抗争においても、部類の強さを発揮し、荒神会の名を知らしめた街の顔役。

 この街で長く生きているなら、数々の武勇伝を知ったうえで、彼に喧嘩を売ろうとするバカはいない。

 

 尤も、真はそんな事も知らない、バカの方だったが。

 


 ――だが、真を一方的にブチのめしたその後が、もっと衝撃的すぎた。


 「お前、この街でこんなことばかりしてたら、そのうち本当に殺されるぞ?」


 大野は道のど真ん中で、大の字になり、転がっている真の前にしゃがみ込む。


 「おう、場所変えるぞ? ちょっとツラ貸せ」


 彼はそう言って、顔を腫らし、ズタボロの真を――近くの焼肉屋へ半ば強引に連れて行った。

 そして、山盛りの飯と皿に盛られた、大量の肉を真に勧め、静かに笑う。


 「腹を減らしてるガキってのは、後先も考えず碌なことをしねぇ。だから腹一杯食え。腹一杯になりゃ、少しは落ち着いて物事考えられるだろ?」

 自分の部下に手を出したはねっ返りに、たらふく飯を食わせたのだ。


 だが、その時の言葉は、どこか胸に刺さった。

 ズキズキと痛む腫れた顔。しこたま殴られたせいで、口の中のあちこちが切れ、タレが染みる痛みを感じつつ、真は肉と飯を夢中でかきこんだ。

 

 「美味ぇ……」

 

 ――この街で初めて――彼こそが真を“人”として扱ってくれた存在だったのかもしれない。


 大野の言う「こんな事ばかりしてると、いつか殺されるぞ」という言葉――。

 それは脅しでも、誇張でもない。

 それは、本気の警告であり、歌舞伎町という街の“現実”そのもの。


 この街は、表の顔こそネオンの輝きに覆われているが、裏では無数の牙が潜んでいる。

 日本人だけではない。中国系や韓国系、ロシアン、中近東。南米や東南アジアのマフィアまでが犇めき、いつも火花を散らし合っている場所。

 極道(ヤクザ)、半グレ、マフィア――ならず者(アウトロー)の肩書きだけでもよりどりみどり。まるで犯罪組織の見本市だ。


 煌びやかな表通りから、路地を一本入った裏通りでは、アンダーグラウンドな取引、密売、そして情報でさえも売り買いされる。

 

 ドロドロとした欲望と謀略が渦巻いている東洋一の歓楽街は、同時に、東洋一の混沌そのもの。

 ……いつだって底なし沼のような、闇の扉を大きく開き、転がり落ちてくる”間抜け”を待ち構えている。


 ほんの小さな揉め事が、明日の“行方不明者”を生み、昨日まで笑っていた奴が、翌朝にはこの街から煙のように姿を消す。

 そして誰もがそれを深追いすることはしない――知らない方が、幸せだからだ。


 本来なら、真もそんな“消える側”の人間になっていたのかもしれない。


 大野は、長年この街で“野良犬のような目”をした若者を飽きるほど見てきたのだという。

 夢は地べたに転がり落ち、未来に手を伸ばす気力もなく、鬱屈したエネルギーだけを抱え、どうしていいのか分からない。


 ――そんな屈折した連中が歌舞伎町にはゴマンといる。


 そして大抵の奴は、その行き場のないエネルギーを“他人”へ向けることしかできない。それしか知らないのだ。

 ちょっと肩がぶつかった、目が合った、口の利き方が気に入らなかった――理由なんて、何でもいい。

 力を示すことで自分の価値を確かめる。

 負ければ“底”へ落ち、勝てば調子に乗り、最後には、裏の路地に沈んでいく。


 そうして裏社会に呑まれて生きていく者もいれば、ある日突然、前触れもなく街から消える者さえもいる。

 

 消え方は人それぞれ、まちまち。

 生きているか死んでいるか、その違いぐらいなものだ。


 そして、その真相を誰も確かめることはしない。

 ――知ろうとすること自体、この街では“死に近づく行為”。


 長生きしたければ『余計なことに首を突っ込まない』それがこの街で生きていくためのコツだ。

 


 その日、大野は真に“別の道(ケジメ)”を示した。

 暴力や恐怖ではなく、たったふたつの選択肢で。


 ひとつは荒神会の盃を受け、彼の部下として生きること。

 裏稼業の世界に踏み込み、陽の当たらぬ道を進む生き方だ。

 言葉ひとつで指や命が消し飛び、法律とて自分を守ってくれない世界。

 そんな世界に足を踏み入れたのであれば、二度と引き返すことはできない。

 


 そして、もうひとつは――心を入れ替え、真っ当に生きること。

 泥水を啜ろうと、地べたを這おうと、どれだけ無様でもいい。

 それでも“陽の当たる道”を目指して歩くこと。


 拍子抜けするほど単純な二択だが、その裏には、数多の若者の“転落”を見届けてきた男の、深い眼差しがあった。

 大野は、真の目を見て即座に悟ったのだという。


 ――このガキは、まだ引き返せる。


 歯を食いしばって耐える強さも、間違いを恥じる素直さも、全部擦り切れちまったわけじゃない。

 まだ、どこかに残っている。

 その芯さえ折れていなければ、人は立ち直れる。

 

 その時、真は初めて“大人”の本気を見た気がした。

 彼を虐待し続けた親でもなく、守ってくれなかった教師でもなく、歌舞伎町に生きる一人の極道(ヤクザ)が示した本気。


 暴力で従わせるでもなく、恫喝するわけでもない。

 ただ、真という一人の人間を見て、真剣に”道”の選択を迫った。

 その本気を見せる眼光に、抗うことなどできない。


 だから真は……“陽の当たる道”を選んだ。

 別に肩で風切って歩く有名人(ウレモノ)になりたいわけじゃない。

 

 ……ただ、堂々と生き、平穏に暮らしたい。

 その思いが、人生の軌道をわずかに――しかし確実に変えた。


 そして、「この人を失望させたくない」という思いは、仕事に対する真剣さにもつながっていく。

 

 日雇いだろうと、どんな仕事だろうと……たとえ泥や埃に塗れようと、手を抜かずに必死で働いた。

 決して臆することも逃げることもせず、“地に足をつけて生きる”という生き方を、ようやく掴み取ったのだ。


 ……だからこそ、誰よりも知っている。

 大野だけは……真のこんな目を、決して放っておいてはいけないということを。


 「真……そのへんにしとけ。……あとは俺らの仕事だ」

 彼は、ため息混じりに二人の間へと歩み出た。


 ――低く、だが芯のある声。

 大野はじっと真の目を覗き込み、眉をひそめる。


 「……てめえはまたそんな目ぇしやがって。(アリス)が怯えるぞ? また野良犬に逆戻りか、ああ?」


 軽く諫めるような言葉を吐きながら、真の肩を叩く。

 大野の掌の重さは、真にとって、言葉以上に強い。

 それだけで、真の指先から少しずつ力が抜けていった。


 

 そして、大野は林に向き直ると、腰のホルスターから手錠を取り出し、ためらいもなく林の手首に掛けた。

 冷たい金属の閉まる音が、静寂を裂く。


 ――さすがの林も、もう抵抗する気力は残っていないようだ。

 顔面は蒼白で、歯の根がかすかに鳴っている。

 真を挑発していた時の威勢は、微塵も残っていない。


 

 「落ち着いたかな?……話は聞かせてもらったよ」


 その声に、場の空気が一瞬で凍りついた。

 重苦しい沈黙が辺りを包む。

 

 全員の視線が吸い寄せられた先――そこに立っていたのは、このフロアの統治者、ギルドマスターである、沢村だった。


 彼がこの場に姿を見せたのも不思議ではない。

 つい先ほどまで、奥の応接スペースで真と話していたのだ。銃声と騒ぎに気付かないはずがない。

 彼の耳には一部始終が届いていただろう。


 「篠崎君の言う通りだ。この新宿クオムで、メカドールが騒動を起こしたり、人間に危害を加えたことは……一度として無い」


 静かな口調に、しかし圧倒的な威圧が宿っていた。

 沢村の声が響くたび、場の熱はじわじわと鎮まっていく。

 緊張に満ちた空間の中で、彼の言葉だけが冷水のように均衡を取り戻し……一人、また一人と、構えた銃を下ろしていった。


 「メカドールは常に我々の味方として戦ってくれている。この数年、どれほどの命を救って、支えてきたか……ここにいる君たち自身が、一番よく知っているはずだ」


 その場にいた者たちは、否応なく口をつぐむ。

 林を包囲していたハンターたちの中には、もう銃を構えている者はいない。

 真もまた、無言のままホルスターへ銃を戻していた。


 ――沢村の眼差しが鋭く光る。

 メカドールに対する偏見や嫌悪は個人の自由かもしれない。だが――このクオムで生きる者が、互いの信頼を壊すことは許されない。


 「――ブレイズ隊、並びにそのリーダー林裕也。君たちのハンター資格を、現時刻をもって剥奪する。また、発砲の件についてはユニオンからの裁定が下るまで拘留とする」


 無機質な宣告が下された瞬間、空気が弾けたようにざわめき……林は言葉を失い、その場で俯いた。

 血の気が引いた顔に、苦々しい諦めと恐怖が混じっている。


 ――ブレイズ隊の資格剥奪。

 それは単に仕事を失うということだけではない。

 言い換えれば、この新宿クオムで生きる術そのものを失うということだ。


 しかも、ユニオンの裁定次第では追放――レヴュラの跋扈する“外”へ出て行けという事だ。

 それはすなわち……死刑宣告にも等しい。

 林の浅はかな憎悪と自己顕示欲が、仲間全員を巻き添えにし、生きる術を奪ったのだ。


 「ふん、ざまあみろ……大した戦果もないくせに、いつも威張り腐ってたからな」

 「そうだ、うちのメカドールを馬鹿にした時から気に食わなかった」

 「林より、メカドールの方がよっぽど人間らしいわ。優しいし、可愛いしな」

 「はっ、この前、ブレイズの奴に女寝取られて泣いてたの、誰だったっけ?」


 あちこちから、皮肉と嘲笑、そして侮蔑と恨み言が飛び交う。

 それは憎悪というより、長年溜まりに溜まった鬱屈の噴出だった。

 ――かつてブレイズ隊が振りまいた傲慢の代償が、いま一斉に返ってきている。


 林は顔を歪め、唇を噛みしめるが、彼の味方は、どこにもいなかった。

 人の輪が音もなく広がってゆき、その中心に残された彼だけが、罪人として取り残されている。


 沢村は一瞥をくれただけで、冷ややかに踵を返した。

 無駄な情けも、言葉もなく、統治者としての顔に、容赦という二文字は存在しない。


 林自身が招いた事態とはいえ――ほんの少し、哀れにも思う。

 だがここは、誰もが共存と協力を原則とし、生き残るための地だ。


 いちいち情に流されていては、法のないこの世界の……ちっぽけな居住地の治安はたちまち崩れ去る。

 ――その秩序を乱す者に、情けをかける必要はない。


 林は無言のまま拘束され、大野たち、ガーディアン部隊に腕を取られて連行されていった。

 その背が見えなくなるまで、誰ひとり声をかける者はおらず、それが見えなくなると、場の空気はようやく弛緩した。


 ――ユニオンの裁定を受ける。

 その結末がどうなるかは、言わずとも誰もが察していた。

 もしかすると、このクオムで彼の顔を見ることは、もう二度とないのかもしれない。


 林自身が望もうと望むまいと……彼と、部隊(ブレイズ)メンバーは、レヴュラのテリトリーである“外”に放り出される。

 生きて別の居住地へ流れるもいい、ソロビトのようにどこかに住み着くのもいいだろう。

 ……レヴュラから生き延びられるのであれば……だが。


 ――騒ぎがようやく一段落すると、集まっていたハンターたちは三々五々に散っていく。

 テーブルの上に残された飲みかけのカップ、床に転がる薬莢の匂いが、さっきまでの混乱を物語っていた。

 沈黙とざわめきの境界線――その中で、ようやく日常の空気が戻りつつある。


 「B級の話したかったんだけど、情報はまた今度な?」

 顔なじみである何人かのハンターたちも、気まずさを感じ取ったのか、真の肩を軽く叩いて去っていった。

 真はその背を無言で見送り、深く息をつく。


 その中で――騒動の発端となったルナが、胸を押さえて小さく息を漏らした。


 「うぅ……さすがに撃たれたときは焦ったよぉ……怖かったぁ……」


 その声には、震えが混じっていた。

 冗談めかして言ってはいるが、頬はまだわずかに引きつっている。

 ルナを狙って放たれた実弾。たとえ外れたとしても、わずか数センチの差で彼女の命は終わっていた。

 メカドールの身体は、人間とほぼ同等の強度しかない。

 銃弾を弾き返すヒューマノイドなど、アニメや映画の中だけのお話だ。


 「林みたいなバカを煽りまくるからだ。お前、死んでたかもしれないんだぞ」


 真の声には、呆れと――それ以上に、焦燥が滲んでいた。


 ルナは一瞬目を見開き、それから俯いて口を噤む。

 まるで叱られた子供のように、小さく肩をすくめながら、ぽつりと呟いた。


「真は……メカドールが“死ぬ”って表現するんだね」


「ん? 当たり前だろ。人間だろうとメカドールだろうと、撃たれたら死ぬ。何かおかしいか?」


 その答えに、ルナは一瞬だけ真の目を見た。

 そして、すぐに視線を逸らす。

 唇がかすかに動く――が、言葉にはならなかった。


「……ばか。そういうことじゃ、ないんだけどさ。ま、いいや」


 照れ隠しのように、自分の荷物を抱え込むと、ルナは小さく笑ってみせた。

 その笑顔は、どこかぎこちなく、それでもどこか救われたようにも見える。


「私、もう行くね。――じゃあ、またね、真! アリス!」


 ルナは外へ向かって早足で歩き出した。

 手をぶんぶんと振りながら、わざと明るく振る舞っているのがわかる。


 ――けれど、その顔は一度もこちらを見ていなかった。まるで、顔を見せたくないように背けて。


 真とアリスは、静かにその背中を見送る。

 陽の傾きかけた通りの光が、ルナの髪を淡く照らしていた。


 やがてその姿が人波に紛れると、騒ぎのあとに残ったのは、いつも妙な静けさだ。


 「ほんと、人騒がせな奴だよな」


 「……」


 アリスは無言のまま、微かに眉を寄せて何かを考え込んでいる。

 その表情には、言葉に出せない何かを抱えているような影があった。


 「どうした、アリス?」


 「ひとつ、わかったことがある」


 「……?」


 真が首を傾げると、アリスは小さく、低く溜息を漏らす。


 「……真って、鈍感だよね?」


 その言葉には、軽い苛立ちと少しの呆れが混じっていた。

 確かに真は女性経験が乏しく、微妙な空気や心の機微を察する能力が、絶望的に欠けている。

 だがアリスにそうまで言われるとは、真自身も想像していなかった。


 「な……!? どういう意味だ?」


 「ルナさんって……真と話してるとき、すごく楽しそうなんだよね」


 「そうか……いや、たぶんルナは、俺のことからかいやすいからじゃねぇのか?」


 真は少し笑みを浮かべながらも、アリスの眉間には、呆れの皺が寄る。


 「……やっぱり、真は鈍感だね」


 アリスはそれだけ言うと、急に口を閉じ、視線を地面に落とした。

 真はその変化に戸惑いながらも、間を置いて問いかける。


 「え? どういうことだよ……あ、おい、アリス、待てよ」


 「……知らないっ」


 そう言うと、アリスは少し不機嫌そうに歩幅を早め、一人、先に歩いて行った。

 真は慌ててその後を追いかける。

 平静を取り戻したフロアに二人の足音だけが、淡く響いていた。


 

 ……確かに、ルナはメカドールであることを差し引いても、十分に可愛らしい存在だ。

 話していると、自然と心が軽くなる。

 感情表現が豊かで、笑顔を絶やさず、言葉の端々には微かな遊び心や気配りが垣間見える。

 時折、友達以上の意味を孕んだニュアンスさえ感じ取れる……さすがの真も、その違いくらいは薄々気づいていた。


 ……だが、今の真にはアリスがいる。

 この荒れ果てた世界で生き延び、彼女を守ることだけで、今は手一杯だ。

 あの日、オーナーに見捨てられ、孤独に置き去りにされたアリスを守ると誓った以上、その誓いを違えるわけにはいかない。


 (……まあ、そういうことは、レヴュラに怯えずに済む日が来てから考えればいいだろ)


 今の時代は、誰もが個人の幸福を渇望しながらも、必死に戦い続けている。


 ……もう少し世界が落ち着けば、人々は恋に胸を躍らせ、希望を夢見ることもできるだろう。

 それまでは、守るべきものを胸に……このくそったれな世界を、がむしゃらに歩き続けるしかないのだ。


 ――真とアリスはシネシティ広場を抜け、セントラルロードへと足を進める。


一話に約13,000文字って、”なろう”作品のトレンドの約四倍なんですよね。

ただ、これまでにも申し上げてまいりましたが、私はこのスタイルで

行こうと思っているのです。

確かに、一話当たりを3,000文字強で読みやすいサイズにすれば、もっとPVも

伸びるのかもしれませんが、秀逸な作品がいくらでもある”なろう”において、

私如きの稚拙な作者がPVを気にするのも烏滸がましいですし、なにより、

私自身が、こってりとした重厚な作品が好きなもので。


そんなわけで、まるで胸焼けしそうなほどの脂っこい、山盛りメニューで

お出しする事は今後も続けるつもりです。


今回は、物語冒頭で登場した「大野さん」と真の過去について触れました。

どうして、コテコテの「極道者」である大野さんと真がそこまで信頼関係を

築き、レヴュラに襲われる彼を真が決死の覚悟で助けようとしたのかという

理由や、真の中にある、どこか屈折した闇について描かさせてもらいました。


前回から登場したメカドールのルナですが、人物設定では「大きい」です(何が?)

少しおしとやかな感じのアリスに対して、どこか小悪魔な感じの可愛らしい女性像

で描いていますが、今後も登場する予定です。



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