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電災都市  作者: あるふぁ
第三章『電脳災害』
20/24

『電脳災害』-8

 ――夕暮れが、歌舞伎町の廃墟じみた街並みを鈍い鉄色に染め上げていた。

 焦げた油と鉄粉の匂いが混じり合い、どこか工場地帯のような空気すらも纏っている。

 時折、溶接の白光が閃き、火花が弧を描いて散った。

 それが、まるで滅びゆく文明の断末魔のように、寂しく、どこか美しく見えた。


 汗を滲ませた作業服の男たちが、黙々と鉄骨や鉄管を担ぎ上げてゆく。

 真っ黒に汚れた軍手が、錆びた鉄の表面を滑り、軋むような音を立てた。

 

 慣れた手つきで廃材を仕分ける者もいれば、初めて握るスパナの使い方に戸惑う者もいる。

 それでも、彼らは黙して作業を続けた。

 ――誰もが、生きるために。


 

 ――真はその中に立っていた。

 古びたキャップのつばを下げ、眼差しだけで現場を見渡す。

 

 ――かつては歓楽の象徴だったこの街が、いまや人の手で要塞へと作り替えられようとしている。

 その現場の片隅に、彼もまた、一労働者として立っていた。


 

 「その角度じゃ重心が偏る。……もう少し、こっちに傾けて」

 低く、通る声で指示を飛ばす。

 真の言葉に、男たちは即座に反応した。足りない腕力を補い合いながら、鉄板のバランスを取り直す。

 彼らの動きは、決して滑らかとは言い難い。だが、確実さと……何よりも熱意があった。

 そして、指示を出す真の声には、現場を知る者の重みがある。


 ――この街に流れ着いた頃は、食うために、手当たり次第に働いた。

 だが、誇れる経歴など、何ひとつない。

 履歴書には数行足らずの学歴と、僅かばかりの職歴が記されていただけだった。


 この国では、能力や熱意よりも、出身校の名前や肩書きのほうが重んじられる。

 履歴書の一行が人生のすべてを決める――真のような、何の後ろ盾も持たない人間に回ってくる仕事など、限られているのが常。


 だが、皮肉なことに――“輝かしい経歴”を持つ連中が嫌がる仕事にこそ、生きる余地があった。

 汗と埃にまみれ、筋肉痛と共に朝を迎える肉体労働。

 誰もやりたがらない現場こそ、真にとって唯一の居場所だった。


 重たい足場の資材を担ぎ、それを組み上げたり、コンクリート型枠を立てていた時もあった。時には廃材の仕分けもある。

 減少する作業員の穴埋めするように、日本語の怪しい外国人労働者が増え、時にはそれらのメンツを率いて現場を回る事もあった。

 

 理不尽なノルマや低賃金にも、文句を言う暇はなく、今日を食うために働く――ただ、それだけが現実だった。


 だからこそ今、真はこの新宿クオム建設の現場でも、迷うことなく動けた。

 生きるために働き、生きるために指示を出す。

 そうして、いつしか周囲の男たちの手も、真の動きを真似るように確かさを帯びていった。



 ――歌舞伎町タワーで行われた会合から、わずか数日。

 『歌舞伎町の不動産王』羽山彰一の演説は、あの夜を境に街の空気を一変させた。


 「縄張りを一度、手放してもらい、街の総力を挙げて要塞都市を築く」


 そんな、突拍子もない方針に、口では不満を漏らし、眉間に皺を寄せ……多くの者が反発した。


 会合の場に居並んだのは、長年この街の裏社会を牛耳ってきた面々。

 その誰もが、金と暴力の渦の中で生き抜いてきた強者たち。

 彼らにとって“縄張り”とは、己の血と誇りを注ぎ込んできた証そのもの。

 その象徴を捨てろと言われて、はいそうですかと従う者など、いるはずがない。


 「バカ言ってんじゃねぇ」「誰がそんなもん信じるか」

 罵声と煙草の煙が入り乱れ、皺だらけの額がいくつも寄せられた。

 主だった組織の者たちは提案に対し、眉間の皺を深く刻み、幾多の人間を無言で震え上がらせてきた鋭い眼光を羽山に向けた。


 だが――その場の誰一人として、代案を出すことはできなかった事もまた事実。

 この街の現実を、誰よりも理解しているのは彼ら自身だ。

 機能を喪い、国民を見捨てて保身に走った日本政府。幾多の場所が破壊され、瓦礫と化した都市。そして日々増えていく“機械の亡霊”たち。

 

 いまや、人間同士で奪い合う時代ではなくなった。

 ――そして、その敵は……人間の形をしていない。


 

 結果として、各組織は重い沈黙の中で羽山の提案を受け入れる。

 長年、血で守り抜いた縄張りを自ら手放し――“街全体”を生存圏として守る、前代未聞の共同戦線が動き出した。


 その中でも、特に存在感を放っていたのが、広域指定暴力団と呼ばれる『東邦連誠会』……その直参『荒神会』である。


 直参――それは、一般人には縁遠いが、極道社会では重みのある言葉だ。

 盃を直に受け、親分から“血”を授かった者だけが名乗れる称号。

 代が変わるとき、次の頂点に立つ者は、直参の中から選ばれることが通例だ。

 企業でいえば、社長の実子か、養子にあたる存在だろう。


 中でも、歌舞伎町をテリトリーとする荒神会は、名に違わぬ猛犬の群れだった。

 血気盛んな若衆も多く、気性は荒く、暴れることを躊躇わない。

 他の組織からも一目置かれる――いや、恐れられるほどの“武闘派”だった。


 その若頭を務める男……大野誠司は、銃弾を受けた脚を引きずりながらも、現場の先頭に立っていた。

 脚の痛みなど意に介さず、煙草を咥え、指示を飛ばす姿は、まるで古の戦場に立つ将のようだった。


 ――機械による襲撃が発生してから三日後。

 街の一角で起きた混乱の最中、大野たちは、謎の機械の襲撃を受けた。

 組員数名が重傷を負い、一人は命を落とす。そして、大野自身も右脚を貫かれた。

 銃弾が骨を掠めたその痛みは、今も歩くたびに灼けるように疼き、まだ癒える気配はない。


 それでも、彼は現場に立った。

 会合の席には出られず、代理を送り出したが――その代理が、あろうことか香港紅龍會の副総監、沈と一悶着を起こしかけた。

 それを聞いた大野は、怒号を上げて怒鳴り散らしたという。


 「バカヤロウッ!生きるか死ぬかの時に、ヨソと揉めてどうすんだ!」

 香港紅龍會と荒神会は、歌舞伎町の覇権をめぐり、過去大きな遺恨がある。

 王明の台湾黒社会『青竹聯盟』が仲介し、抗争は集結したものの、その過去を未だ根に持つ者は双方の組織ともに少なくはない。

 そんな相手に対して一触即発の火種となりかけたことに、大野はひどく激怒し……結果、代理の男は“しこたまシメられた”。


 未知の機械が我が物顔で跋扈し、人間を攻撃してくる今……縄張りも、看板も、威勢も――もはやなんの意味もなさない。

 必要なのは、力でも金でもなく、生存の意思。 大野も……主だった組織の連中もそれを理解していた。

 

 その夜を境に、歌舞伎町と、その周辺地域の東邦連誠会系団体は一枚岩となる。

 歌舞伎町を縄張りとする荒神会を筆頭に、三次団体、四次団体、さらには友好組織までもが、生き延びるための“防衛戦”に加わったのだ。


 


 ――大野は、痛む脚を引きずりながらも、吠えるように命令を飛ばした。


 「おい、そのワゴンはこっちの壁に積め! 看板はその角度で固定だ、軸ブレさせんな! わかったか!」


 その声には、血の通った迫力があった。

 部下たちは「押忍ッ」と短く応じ、汗だくになりながら鉄板を運ぶ。

 ワゴン車の残骸を積み上げ、廃材を骨組みに括り付け、火花が散るたび、夜気が揺れる。


 ――雑多で、混沌としている。だが、そこには秩序があった。

 即席の足場、バラしたフェンス、崩れたビルのコンクリート塊。

 それらが次々と組み上げられ、街が少しずつ、要塞へと変貌していく。


 大野の舌鋒は鋭く、罵声まじりに飛ぶ指示はどこか楽しげでもある。

 戦場を前にして笑う男。

 それが、荒神会の若頭――大野誠司という男だった。

 

 そんな時だ。

 

 ――突然、足場の一本が軋んだ。

 金属が呻き、鉄板がわずかに傾ぐ。


 「危ねぇっ!」


 反射的に真が手を伸ばし、鉄板を押さえる。

 ギシリと嫌な音を立てながらも、板はどうにか持ちこたえ、転落しかけた男が息を呑む。


 「まだ仮設の足場は端っこに立っちゃ危ないよ?」


 真の静かな叱責に、男は目を泳がせ、安堵と照れが混じったような笑みを浮かべる。

 どう見ても、慣れた職人の動きではない。

 その腕や胸元から覗く、どう見ても肌の一部とは思えない、極彩の模様……”オリエンタルなアート”の意匠。この男の“元の職業”を雄弁に語っていた。


 ついこの間まで、歌舞伎町の街中で、肩で風を切り歩いていた『荒神会』の一員。

 それがいま、工具箱を抱えて足場に上がり、電線を束ねている。

 そんな光景が、今夜のこの街の“日常”だ。


 「……お前、やっぱり現場慣れしてんな。助かったわ」

 救われた男が、ぶっきらぼうに言うと、ぎこちない笑顔を見せた。


 ”稼業”のせいか、笑う事より睨む事の方が日常的な彼等。

 それでも、短い沈黙ののち、誰からともなく笑い声が漏れた。

 それはぎこちなくも、確かに“人間らしい音”だった。

 

 それに合わせ、溶接の火花が散り、焦げた鉄の匂いが風に乗る。

 


 その笑いに、大野もふっと口角を上げ、脚を引きずりながら指示を飛ばす。

 「次はセンサーの配線だ。ここに電源を通せば、ゲートが自動で警戒モードに入る」


 男たちは頷くと、汗にまみれた手で工具を握り直す。

 溶接の閃光が瞬き、闇に白い火花が走る。


 この場を支えるのは、元電気工や、配線屋といった、”寄せ集め”の人間たち。

 それが、まるでひとつの生き物のように動き、ひとつの“壁”を作り上げていく。

 肩書きも、過去の罪も、いまは関係ない。

 必要なのは、手と知恵、そして“生きる覚悟”だけだった。


 今や新品で良質な部品など、期待している暇はない。

 壊れたものを拾い、再利用し、蘇らせる。

 壁の穴をふさぐ為なら、ダンボールだろうと鍋の蓋だろうと、何でも使う。

 ……それが、彼らの明日を繋ぐ術だ。


 瓦礫の中に埋もれていた部品が、ひとつ……またひとつと、まるで息を吹き返すように次々と組み上がっていく。

 そこには、かつての繁華街の喧噪とは違う“熱”がある。

 

 生存を賭けた、手作業の祈り――そんな匂いすらも漂っていた。


 

 ――やがて夜の帳が降り、月の光が鉄屑の上で鈍く反射する頃……ゲートの全貌が静かにその姿を現す。


 かき集めた鉄板と外壁材を無骨に継ぎ合わせた扉は、即席でありながら、どこか荘厳な重みを湛えている。

 溶接の焦げ跡も、油の滲みも、まるで“この街の傷”そのものだった。

 それでも、確かに立っている――人の手で築かれた“最初の砦”として。


 吹き抜ける夜風が、焦げた鉄の匂いをさらってゆく。

 その風の向こうに、彼らの新しい夜が、静かに始まろうとしていた。


 ……コーヒーショップとコンビニの建物を利用した左右の監視所。

 そこに組み込まれた足場では、男たちが即席の銃座を組み上げ、銃口の角度を確かめながら、黙々と最終点検を進めていた。


 発電機が唸りを上げ、油の焼ける匂いが漂う。

 サーチライトの試験点灯が始まると、眩い光が靖国通りを切り裂いた。


 かつては、昼夜を問わず車列が流れ、喧噪と人の熱が渦巻いていた大通り。

 今はただ、主を喪った車両が散乱し、埃を纏って時を止めている。

 

 サーチライトの光がそれらのボディに反射し、まるで墓標のように街の闇を浮かび上がらせた。


 「ここで踏ん張れば、街全体が生き延びる」

 真は鉄扉に手を置き、指先に伝わる冷たい感触を確かめた。

 厚みは成人の腕三本ほど。焼け焦げと油の混じった匂いが、鉄の中に深く染みついている。


 汗を拭いながら顔を上げると、遠くの路地では、なおも作業が続いていた。

 誰かが廃材を運び、誰かが放置車両を押し上げ、巨大な看板を鉄骨に括りつける。

 全てがこの街を守るための行動だ。


 バリケードの構造に設計図など存在しない。

 勘と経験、そして“生きたい”という意思だけで組み上げられた即興の壁。

 それでも、こうして出来上がった光景は不思議なほどの存在感を放っていた。

 歩く者すべてに、「ここが生き残る場所だ」と無言の力で訴えかけてくる。


 ――いまや、この街では肩書きも経歴も、人種さえも、もはや何の意味も為さない。

 誰もが皆が同じ“住人”として肩を並べていた。


 

 真は大野の隣に立ち、完成したゲートを見上げる。

 

 「こうなるように作ったとはいえ……できあがってみると、結構すげぇな」

 大野の視線の先には、歌舞伎町一番街のアーチ――その前に聳え立つ、巨大な鉄扉。


 サーチライトの光に照らされたその扉は、荒々しくも荘厳だった。

 それは威圧ではなく、“守り抜くための覚悟”を体現する存在。

 鉄と廃材の集合体の背後で、街は息を潜め、それでも確かに生きていた。


 「一番街のアーチが見えるように作るってのが、歌舞伎町らしくて、にくいよね」

 真が笑いながら言うと、大野が肩をすくめて苦笑する。


 「短期間で、ここまで仕上げるなんて。人間って……やっぱりすごい」

 隣で小さく呟いたのはアリスだった。


 彼女はこの作業には加わっていない。

 だが、アリスは『童話の国』に留まり、掃除や洗濯、簡単な食事の支度といった日常を整えることで、真の帰る場所を守ってきた。

 外で体を張る者がいれば、それを支える者もいる。それもまた、この街の“もうひとつの戦い”の姿。


 低い笑い声がゲート前に響く。

 「おう、そう言ってもらえると頑張った甲斐もあるってもんだ」

 アリスの言葉を受け、大野は満足げに笑った。

 作業着の袖は油に黒く染まり、ベストの端は焼け焦げている。

 それでも、その顔には疲労を超えた充実の色が宿っていた。


 三人はしばし言葉を失い、ただ無言でゲートを見つめた。

 ――かつて、夜ごと赤い電飾を輝かせ、笑いと欲望の渦を迎え入れていた歌舞伎町一番街のアーチ。

 その前には今、街を隔て、守るための“扉”が立っている。


 それは単なる鉄の塊ではない。

 人々の恐怖、怒り、希望、そして祈りが、火花と共に溶け込み、形となった“意志”だった。


 やがて夜風が吹き抜け、焦げた鉄の匂いが街の奥へと流れていく。

 その風が、誰にも知られぬまま、ひとつの時代の終わりと、もうひとつの夜明けを告げていた。


 


 ――謎の機械兵器による襲撃以降、街は混乱の坩堝と化していた。

 

 銃器や弾薬の奪い合いは、まるで飢えた獣が餌に群がるかのように各地で頻発していた。

 

 ……それも当然だ。

 

 この状況で、銃という“力”を持つ者こそが、生存の可能性を最も強く掴む。

 たとえ、相手が機械であろうと、人間であろうとだ。


 救いのない現実において、誰もがその力に縋りたがる。

 そして、その欲望こそが、さらなる争いを呼び起こしていた。


 だが、そんな混沌の中でも、ひとり冷静に全体を見渡していた男がいる。

 王明――台湾最大の黒社会組織『青竹聯盟』の日本総管。

 その目は、他の誰よりも深く、冷たく、街の流れを読み切っていた。


 彼の判断は、明快かつ非情だった。

 「銃器に特化しろ。食料や雑貨は後でいい」


 王明にとって、秩序を作るための最初の道具は“飢えを満たすもの”ではなく、“暴力を制御する力”だった。


 ライバル組織――香港紅龍會や他の無頼の徒たちも、荒れ果てた街を彷徨い、金になりそうな物を手当たり次第に回収していた。

 ――いずれ彼らは探索ルートが重なり、衝突する。

 

 しかし王明は、無駄な流血を嫌った。

 その代わり、目標を“銃器”に絞り、綿密な分散回収網を築いたのだ。


 彼の部下たちは、警察署や自衛隊の駐屯地、そしてもぬけの殻となった在日米軍基地にまで足を延ばす。

 機械兵器の徘徊する都市を潜り抜け、影のように動き、武器を集め続けた。

 彼らは誰一人として余計な声を発せず、ただ王明の命令のもとに動き続ける。


 こうして集められた銃器は、いくつもの隠された倉庫――“集積所”へと運び込まれた。

 その場所を知るのは、王明とごく一部の腹心だけ。

 この場所自体が襲われ、大量の銃器が奪われることを懸念し、各所に分散して備蓄する事にしたのだ。

 

 銃器の整備に長けた者が手入れを施し、錆を落とし、撃鉄を磨き上げる。

 油と金属の匂いに包まれた空間は、もはや工房というよりも“祈りの場”のようだった。


 やがて王明のもとには、都市全域でも屈指の火力が集まる。

 拳銃、サブマシンガン、アサルトライフル――。

 中には、混乱が始まる以前から大きな声では言えない経路で、この国に運び込まれていた品も少なくない。

 ロケットランチャーのような大物ですら、彼の手の中にある。

 


 整備を終えた銃器が整然と並ぶ倉庫を、王明は静かに歩いた。

 足音が床に響くたび、作業員たちは息を止め、姿勢を正す。

 誰もが理解している――この男の一瞥が、生と死を分けることを。


 王明は、黙って一丁の拳銃を手に取った。

 静かに遊底を引き、薬室を確かめ、冷たい鉄の感触を掌で転がす。

 僅かに満足げな頷きを見せた後、無言のまま銃を元の位置に戻した。


 倉庫の空気が一際張り詰める。

 彼の言葉を必要とする者は誰もいなかった。

 “統べる”という行為が、もはや言葉を超え、そこに存在している。


 他組織が食料や金を巡って小さな衝突を繰り返す中、王明は銃器という“力の血管”を握りしめ、静かに街を掌握していった。

 

 ――この男の許可なく銃を手にする者は、長くは生きられない。

 これは、歌舞伎町に住まう誰もが理解してゆくこととなる。

 


 王明の狙いは、単なる支配ではなかった。

 狂気と暴力に沈む街で、最低限の秩序を保ち、人間としての“線”を守るため。

 そのためにこそ、彼は銃を支配したのだ。


 銃という過ぎた力は、時に人を容易く暴走させる。

 自らが流通させた銃によって、歌舞伎町に危害が及ばぬよう。

 悪しき欲望を加速させないがために、彼は武器の流通を支配し、適度な不便さを与えるため、売る者を選んだ。

 


 夜、倉庫の灯をひとつ落としながら、王明は窓の外に沈む街を見下ろした。

 遠くで火が上がり、闇を焦がす。

 まるで、世界そのものが血を流しているようだった。


 それでも、彼の瞳はわずかに光を帯びていた。

 その光は――狂気でも、絶望でもない。

 ただ静かに、己の“責務”を燃やす男の光だった。


 こうして王明は、銃器という街の命脈を握り、無秩序の中にひとつの秩序を築き上げた。

 その存在は、もはや誰も逆らえぬ“沈黙の支配者”として、街全体を包み込んでいく。


 


 ――歌舞伎町の要塞化計画と並行して、王明のグループは街の経済インフラにも手を伸ばしていた。

 狙いは、即物的な風俗や娯楽の収益ではない。あくまで不動産管理権だ。

 

 混乱以前から営業を続けていた台湾同胞の店舗を含む複数のビル。ラブホテルや雑居ビル――そこに多額の出資を行い、賃貸業を中心に運営の体制を整える。

 風俗や娯楽産業そのものには手を出さず、管理権の確保と賃料収益の安定に徹していた。


 一方で、風俗や娯楽産業は他組織が勢力を拡げ、渇ききった欲望を満たす店舗が徐々に増えていく。

 今では香港紅龍會がカジノを始めたり、純粋に酒を飲ませる店も増えている。

 半グレたちは、無人となった店舗から回収された高級品などで、オークションを開いたりもしているそうだ。

 

 こうして街の中には『王明グループ管理の賃貸物件』と呼ばれるブロックが形成され、住民や小規模店舗は、ある種の秩序と安定を享受できるようになった。


 真もそのひとつの部屋を借りることとなる。

 いつまでも風俗店の一室で、薄いエアマットに寝るのも限界であったことは確かだが、王明が強く転居を勧めた理由は、そんなことではない。

 ――それは、真が持つ銃の存在だ。


 歌舞伎町の要塞化が進んでるとは言え、秩序が保たれているとは言い難い。

 街灯も点かず、暗い路地での略奪は後を絶たず、女性を狙った事件も散発的に起こっている。

 そんな状況下だ。良くも悪くも、絶大な力を持つ真の銃は、もはや垂涎の的だ。

 

 王明の庇護下にあるとはいえ、護衛がつくわけでもない真の銃は、いつ狙われてもおかしくないだろう。

 場合によっては、アリスまで巻き込まれるかもしれない。

 

 ――ならば、施錠可能で、王の目が届く物件に移ることが安全策となる――それが王明の提案だった。


 こうして、真はアリスと共に『童話の国』を出て、新たな住まいへと移ることになる。

 

 瓦礫の撤去が進む路地を抜け、区役所通りを北へ進むと、バッティングセンターが見えてくる。

 その手前の路地を入り、少し歩けば目的の物件だ。


 「……ここが、その、俺たちの……新しい、住まい……だ」

 普段より少し高めの声で、言葉は途切れ途切れになる。

 アリスは部屋を興味深そうに見渡すだけで、特に動じる様子はない。


 簡素なリビングセットに小型冷蔵庫、鏡張りの壁面。存在感を主張する大きなベッド。

 枕元には、小さな箱――あからさまに隠さない、しかし微妙に意味深な“備品”が置かれている。

 この場所が何に使われていたのかは、もはや説明を要さないだろう。


 アリスはその箱に視線を留めると、ゆっくりとベッドに腰を下ろし、足を組む。

 そして、わずかに首を傾げ、冷ややかに口を開いた。


 「……ふーん。なるほどね」


 その無機質な声の裏に、わずかに呆れと悪戯っぽさが混ざっていた。


「あ、あの、だから……これは……その、寝るための……いや、違うんだ。生活するための場所で、えっと、べ、別に……」

 言葉はどんどん迷子になり、真は手をもぞもぞと動かしながら視線を泳がせる。


 アリスはそんな真を横目に、枕元の小箱に手を伸ばした。

 指先で軽く蓋を開け、中身を覗き込む。

 整然と並ぶアルミ包装の薄い小袋――用途は言うまでもない。

 

 アリスはそのひとつを指先でつまみ上げ、光に透かして眺める。

 そして――唇でそっとそれを挟み、悪戯っぽく目を細めた。


 「……使う?」


 わざとらしく無表情な口調が、逆に真を追い詰める。

 真は息を呑み、慌てて口を塞ぎながら、背を縮めた。頭から激しく湯気が出そうな気分だ。


 「ち、違う! これは……その、元々置かれてただけで、使うとかそういうんじゃなくて……」

 その声が裏返り、言葉は空回りする。


 アリスは唇から“備品”を外すと、その薄く四角い包装を指先で撫でながら、わざと囁くように言った。

 「真はそういう気分なの?」


 その問いと同時に、ほんの僅かに首を傾げる。

 目を少し細め、唇を少し開き……どこか楽しんでいるような微笑み。


 「……あ、いや、その……ち、違う! 誤解だって!」

 真は両手を振って必死に否定するが、声は情けなく裏返るばかりだ。

 

 


 そして、アリスは一度、俯く。


 顔を見せず肩を震わせ――やがて、我慢できなくなったように笑い出した。


 「……真、顔真っ赤。ほんと面白いっ」


 笑いながら“備品”を箱に戻し、肩をすくめる。

 「そんなに慌てるなんて、やっぱり男の人だね」


 真は耳まで真っ赤になり、言葉も出ない。

 メカドールとはいえ、アリスは女の子だ。

 そして、彼女がこの部屋の“意味”を完全に理解していることは、もはや疑いようがなかった。


 それでもアリスは特に気にする様子もなく、すぐに立ち上がり、室内を歩き回り始める。


 元々の建物に備え付けられたソーラーパネルで明かりは点き、改造された給水タンクは雨水を貯める。

 限定的ながら、シャワーも使えるようだ。

 生活拠点としての条件は悪くない。その”使い心地”を一通り確認した後……。


 「便利そうだし、割ときれいだね」

 アリスは明るい声でそう言うと、窓際に立って外を見た。


 真は、ようやく落ち着きを取り戻しながら、小さく息をつく。どうやら、誤解は解けたようだ。


 いや……もしかしたら、最初から誤解などされてはいなかったのかもしれない。

 この”住まい”の特殊性を利用したアリスの悪戯……だったのかもしれないが、それでも心の奥で――自分とアリスの“新しい日常”の始まりを、静かに実感していた。

 


 翌日、真とアリスは、ラブホテル……もとい、新居を出て街を散策する。

 

 風俗店のエアマットではなく、きちんとしたベッドで眠ったせいか、ひさしぶりに……まるで泥のように熟睡できた気がする。


 歌舞伎町の路地には、機械の襲撃による傷跡と、新しい日常の兆しが混在していた。

 歌舞伎町一番街通り……”だった場所”を散策すれば、商魂逞しい者達が、廃材を加工し、屋台を作っていた。

 飲食店の元従業員たちが簡易的な炊き出しを行い、缶詰や残り物などを活かし、腹を空かせた者達をもてなしている。

 

 街全体が少しずつ、しかし確実に息を吹き返していることが感じられるほどに、トー横キッズと呼ばれる若者たちが、路上でおどけながら騒いでいた。

今回は、新宿クオムの顔でもある、一番ゲート。

歌舞伎町一番街の赤いアーチはみなさんご存じだと思いますが、あの前にレヴュラを食い止める

鉄のゲートが鎮座しています。(新宿クオム編第一話で出てきたところです)

そのゲートができるまでと、レヴュラに関する事を散りばめた内容でしたが、本来は

もっと長いお話だったのです。

あまりにも長くなりすぎたので、レヴュラに関するお話は次回に繰り越しさせて

いただくことになりました。


特にキャラクター絵などがあるわけではありませんが、アリスは美少女タイプのメカドール

ですし、真はそんな彼女とラブホテルの一室を居室としていますので、少し、アリスに

悪乗りさせて、「あれ」をちょい咥えるのをやらせてみました。

ま、おピンクな展開はありませんけどね。



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