『電脳災害』-7
――本来ならば、反目し合い、決して交わることのないはずの連中だった。
どの顔も……ひと癖もふた癖もある連中ばかり。
刃物のような個性を剥き出しにして生きるアウトローたち――その一人一人を、同じテーブルへと着かせたのは羽山彰一という男だ。
真もその名ぐらいは知っている。尤も――実際に姿を直接見たのは初めてだったが。
だが、歌舞伎町という街に根を下ろして生きる者ならば、彼の噂は嫌でも耳に届く。
不況で死にかけた店舗を次々と蘇らせ、見事な再建手腕で名を上げた男。
いつしか『歌舞伎町の不動産王』とさえ呼ばれ、今や東京都内に数多のビルを所有する、新進気鋭の実業家。
僅か十数年、一代にして築き上げた『HAYAMAホールディングス』は、自社で所有するビルだけでも数十棟に及び、管理物件を合わせれば、数百にものぼる物件を好きに動かす事が出来るとさえ言われている。
台湾最大の黒社会組織……青竹聯盟を背後に持つ王明や、巨大組織、香港紅龍會でさえも、不動産という土俵では羽山の足元にも及ばない――それが、この街における共通の認識だった。
だが、羽山にとって歌舞伎町は、単なる商売の舞台などではない。
彼はこの街を『第二の故郷』と呼び、こう語ったことがあるという。
――「この街で生きる者たちにとって、歌舞伎町は帰るべき家であってほしい」と。
その言葉は空疎な理想論ではない。
混乱と崩壊の渦中にあってもなお、歌舞伎町の未来を信じ、守ろうとする男――羽山彰一は、そういう存在だった。
――羽山は、ふと自身の過去にも触れる。
今でこそ、経済誌の表紙を飾ることもある成功者だが、この街に来たときの彼は、何ひとつ持たない流れ者だったという。
学歴も肩書も……なんの後ろ盾もなく、財布の中身は僅かばかりの札が数枚と、今にも尽きそうな小銭だけ。
だが、それでも――この街には夢があった。
歌舞伎町という場所は、日本でも極めて稀有な街だ。
ここで「生まれ育った」という者はそう多くない。だが、日々あらゆる土地から無数の人間が集まり、夢を追っては、時に散ってゆく。
数多くの野心と、無数の亡骸の上で、歌舞伎町という街は今日も息づいている。
かつての真がそうであったように、羽山もまた、夢を抱いてここに辿り着いたひとりだった。
普段の歌舞伎町は、酔いどれの吐瀉物がアスファルトにこびりつき、生ゴミを漁るドブネズミやカラスが、人間を恐れもせず闊歩する。
――据えた臭気の籠る、混沌と欲望の迷宮だ。
人種も思想も混ぜこぜになった無数のアウトローが騒ぎを起こし、人が人を貶め、蹴落とすことなど日常茶飯事。
一見すれば、まるでゴミ溜めのような街にも見えるだろう。
だが、この街に憧れ……挫折と奮起を繰り返し、血を吐くような日々を耐え抜きながら、それでも成り上がりを夢見る者は少なくない。
何も持たぬ自分を受け入れ、牙を研ぐ猶予を与え、そして成功へと導いてくれた――この街。
羽山彰一にとって歌舞伎町は、ただの投資対象でも、通過点でもない。
荒んだ夜の風を吸い込み、幾度も膝を折りながら……それでも、彼を育ててくれた”母胎”のような場所だった。
そんな彼が、今や人類の希望の砦にしたいと語るのだから、その計画が尋常であるはずはない。
それは壮大で、大胆で……そして意外なほどに単純な構想だった。
「歌舞伎町は、もはや以前の街ではありません」
壇上に立った羽山が、静かに口を開いた。
その瞬間、それまでざわついていた空気がぴんと張りつめ、日々、暴力や恫喝を生業とする面々の視線までもが一斉に吸い寄せられてゆく。
「生き残るためには、互いの利害をぶつけ合うだけでは足りない。街そのものを“守る”意識を持たねばならないのです」
目を細めた羽山の声音は、鋼のように冷ややかでありながら、不思議な熱を帯びていた。
不動産王という顔の裏側に、歌舞伎町という生き物を誰よりも愛している本性が、はっきりと滲んでいる。
「まず事実を確認しましょう」
羽山は視線を巡らせながら、緩やかに言葉を続けた。
「騒動が発生してから、私なりに情報を集めました。その上で、いくつかわかったことがあります」
合図とともに、スクリーンが唸りをあげて起動し、様々な風景の写真が映し出される。
そこには――黒光りする鋼鉄の壁が、ある建物を封じる光景が映っていた。
「首相官邸と国会議事堂には――緊急展開用防護壁が展開されています」
会場に微かなざわめきが走る。
「中に入ることも、様子を窺うことも不可能です。さらに霞が関一帯の主要省庁も、耐爆シャッターを降ろし、国民を締め出しています」
――|21式緊急展開用防護壁。
本来なら巨大地震による津波から都心を守るために開発され、2021年より配備が開始された第二次防災システムだ。
既存の土嚢や仮設鋼矢板では展開に時間がかかり、都市機能の喪失を防げないことから、「数分で街区単位を物理的に遮断」できることを目標とした。
自衛隊専用の多脚自走展開車両が街路に張りつき、蛇腹のような装甲板を立ち上げ、短時間で都市の一角を封鎖する。
後に生物・化学災害や暴動制圧、感染症流入封じ込めにも応用が検討され、自衛隊以外にも、消防庁や警視庁にも配備された。
もちろん、これだけで津波の圧倒的な猛威を抑え込むことなどはできない。
この装備は、内陸に到達し、威力の衰えた津波にブレーキをかけ、地下街や地下施設への浸水を防ぐ事を主眼に置いていた。
東京の地下は、様々な構造物が網の目のように張り巡らされている。
その東京の心臓や血管と呼べるべき場所を守るための装備が、今は政治の中心部……首相官邸や国会議事堂を丸ごと囲み込んでいる。
つまり、日本政府は――それを「国民ではなく、自分たちを守るため」に展開した。
「国自党本部も同じく、分厚い耐爆シャッターで完全に閉ざされています」
羽山は淡々と述べるが、低音にこもる苛立ちは隠しきれない。
「あの神輿総理、国のためになることは何ひとつしなかった癖に、逃げ足だけは一流ってわけだ」
「税金は下げねぇ、給付もしねぇ、移民は呼びまくってお客様扱いみてぇにもてなして、予算使って自分らだけは守る。あのカス総理、なんだったら出来るんだよ」
「財源が足りねぇとか喚いてた割に、自分らを守る道具だけは、税金で準備してたとはな」
会場のあちこちで、誰かが鼻を鳴らし、誰かが唇を噛んだ。
抑えていた鬱憤が、じわじわと滲み出してくる。
――近年、この国の政治は信用を失い、「信頼」という言葉そのものが風化していた。
それも無理はない。
『日本の経済を冷え込ませる悪税』とまで言われた消費税を20%に引き上げ、年金制度はさらに改悪され、移民政策や外国人への手厚い保護は多くの誤解と混乱を生んだ。
少子高齢化や貧困問題は悪化の一途を辿り、歴史ある日本企業は次々と姿を消し、大都市でさえシャッター街が増殖した。
所得はほとんど増えず、物価だけが上がってゆく。
政府の行った“悪行”は、数え切れないほどに膨れ上がった。
その姿は、もはや腐りかけた果実のように脆く、触れただけで崩れ落ちる虚像。
それは、国民であれば誰の目にも明らかだ。
そして、彼らはついに、この混乱に際して「自分たちだけを守る」ことを選んだ。
「結果として――日本政府はもう機能していません」
羽山は一拍おき、静かに断言した。
「政治家は事態の収拾を諦め、国民を見捨てました」
その言葉は、重りのように会場全体へ沈み込む。
「桜田門は完全に無人でした。警察官は一人も残っていません」
「同様に、消防も動いていない。火災が鎮まる気配すらないことからも、おわかりいただけるはずです」
確かに、外では今も炎が橙色の舌を伸ばし、黒煙があちこちで低く垂れこめている。
混乱が始まった当初は、盛大に鳴り響いていたサイレンさえ、今はもう聞こえない。
「自衛隊も同様です。隊員たちは私物を抱えて駐屯地を去っており、在日米軍でさえも撤収を開始しているとの情報もある」
警察も消防も自衛隊も――そのいずれも、日本政府という柱があって初めて機能する。
その柱が自ら崩れ落ちた今、誰もがアホらしくて、命を賭けてなどいられないのだ。
――使命感だけで人は繋ぎ止められない。
得られる対価も、未来もないのなら、誰もが逃げ出す。
――今のこの国には、その現実しか残っていなかった。
機械どもを相手にできる、圧倒的な火力と装備を誇っていたはずの自衛隊。
そして、世界最強と謳われた米軍さえもが、戦わずしてこの地を去った。
その事実に、会場の空気は揺れ、ざわつきが奔った。
無骨に腕を組んでいた者たちでさえ、眉根を寄せ、互いに目を見交わしている。
そんな中、誰かがぽつりと呟いた。
「……そういやよ、すぐそこの区役所も、もぬけの殻だったぜ」
「職員なんて、誰も残っちゃいねぇ」
歌舞伎町のすぐ傍にある新宿区役所――そこですら、すでに人影はなく、行政の灯は完全に消えていたらしい。
羽山は、静かに頷いた。
「そうです。つまり――もう誰も、我々を守ってはくれないということです」
「だからこそ、我々は自分たちの身を、自分たちで守らねばならない」
羽山の声音は、鋭さを帯びていた。
「この街をバリケードで囲い、内部に残っている機械を徹底的に駆逐する。その上で歌舞伎町全体を“要塞”とし、事態が好転するまで生き延びるのです」
さまざまな人種と組織と利害が混在し、混沌の坩堝と化した街――歌舞伎町。
その全てを束ね、一枚岩として再構築するというのが、羽山の打ち立てた計画だった。
だが、「街を囲う」などという言葉に現実味を感じられる者はほとんどいない。
それでも羽山は、寸分の迷いも見せず計画の全貌を語り続けた。
「北は職安通り、東は明治通り、南は靖国通り……西は西武新宿駅を含む駅前通りに沿って、バリケードを構築します」
「その要所にゲートを設け、街への出入りは原則そこからのみとします」
使えるものはなんでも使う――放置された車両、廃材、剥ぎ取った電光看板、瓦礫の山。
そのすべてを積み上げ、街を覆い、機械の侵入を物理的に遮断する。
「だが――“砦”を築く以上は、従来のテリトリー意識や縄張り根性は捨ててもらわねばなりません」
羽山の眼差しが、一人ひとりを射抜くように巡った。
「“外”には、人を殺す機械がいる。 内側で縄張り争いに明け暮れている余裕はないのです。 どうか皆、自分たちがひとつの城に暮らす民だと――そう考えてほしい」
「そして、封鎖が完了した後の歌舞伎町には――行政が必要になる」
羽山は言葉を区切り、会場を静かに見渡した。
「そこに暮らす住民が平等に暮らすために、経済も必要となるでしょう」
「新規通貨の発行も考えましたが……大量に造幣する手間とコストを考えれば非現実的。 既存の日本円を、そのまま流通通貨として用いようと思います」
「まずは、その原資として、私はいま手元にある全ての資産を差し出すつもりです。 強制はしませんが――可能な方は、どうか出資をお願いしたい」
ざわつきが、再び広がった。
「出資いただければ、その額に応じて、歌舞伎町内の不動産管理権を分配します」
「管理のやり方は、その管理権を持つ組織に一任します」
羽山はすでに、自身の所有するビル群を避難所として開放していた。
人影がまばらになったと思われていた歌舞伎町には、まだ多くの住民が息を潜めていた――その大半は、羽山が解放したビルに身を寄せ、機械兵器から辛うじて生き延びていたのだ。
だが、その羽山の構想に、会場の空気は冷ややかだった。
主だった組織の代表者たちは顔を顰め、黙り込み、あるいは露骨に鼻を鳴らしている。舌打ちさえも聞こえていた。
それも当然だ。
この街に根を張り、時には対立組織と血で血を洗う抗争を繰り広げ、長年積み上げてきた勢力圏が――羽山の計画のもとでは、等しくリセットされてしまうのだから。
「……要塞化だと? 縄張りはどうする?」
「こっちのシマも、あっちのシマも――全部まとめてチャラにするってのか?」
東邦会の三次団体、新誠会の幹部が、鋭い視線を羽山に向けた。
その声を皮切りに、場の空気がざらつき始める。
続けて、同じ東邦会系列――この街を縄張りとする荒神会が、低い声で言葉を継いだ。
「羽山さんよ……アンタの言うこと、もっともらしいがな」
「俺らは昔、この街の縄張りを巡って、血を浴びるまで争ったんだぜ?」
「何十人も死んで……やっとのことで青竹聯盟が間に入って“手打ち”になった。それを――簡単に縄張りを白紙? 笑わせんなよ?」
「”奴ら”がまた好き勝手に動かねぇと、誰が信用できる? ……なぁ、紅龍會さんよ?」
挑発的な視線が香港紅龍會に向けられる。
香港紅龍會の副総監……沈は薄く笑みを浮かべ、煙草をくゆらせた。反論も同意もすることなく――ただ静かな沈黙で返す。
その沈黙こそが、最も効果的な挑発だった。
香港紅龍會と東邦会直参荒神会は、過去に数々の遺恨があり、その勢力圏を巡って、歌舞伎町を震撼させるほどの抗争事件を何度も起こしている。
互いに信用し合うなど無理な相談だろう。
「ふざけんな! うちはカネもヒトもねぇんだ! 出資なんてできるか!」
「これじゃ大組織だけ得する話じゃねぇか!」
「羽山さんよ、結局アンタが一番の地主ってだけじゃねぇか! テメェの持ちビルを押しつけて、家賃で俺らを縛りつける気だろ!」
怒声と罵声が一斉に湧き立つ。
利権を食い合い、奪い合ってきた連中だ。大組織だけでなく、流氓、様々な外国人グループ、半グレの一部までが、我先にと声を張り上げる。
羽山の理屈は理解できる。
だが――綺麗事で、この獣の檻のような街がまとまるはずもない。
――そのときだった。
「――やかましいッ!」
怒号が、場を切り裂いた。
テーブルが激しい音と共に蹴り倒され、全員の視線がそちらへと向く。
立ち上がったのは、玄武会三代目会長だった。
見るからに昔気質の――初老の男。絵に描いたような極道者と言って差し支えないだろう。
だがその眼光は鋼の刃のように鋭く、場の空気を一瞬で凍らせた。
「小銭欲しさのゴロツキ共がピーチクパーチク……好き勝手にさえずりやがって」
「おう、あの機械に何人殺された? あとどんだけの数がいるんだ?」
「俺たちは縄張り争いしながら、どうやって機械から生き残るんだ? 言ってみろや!」
怒声がフロア全体に響き渡る。
――玄武会は的屋系の団体と言われるが、荒事に関して数々の武勇伝を持つ。
その三代目は若き日に白鞘刀を手に、関東へと進出を目論む、西の大組織をも震え上がらせたという。
今日日のヤクザは、獲物を握って派手にドンパチをやるような時代ではない。
だがこの男には、実際に幾多の修羅場を……場数を踏んで刻まれてきた迫力が確かにあった。
その圧に、騒然としていた場が水を打ったように、静まり返る。
「――敵が機械だけならマダいい」
王明が静かに口を開いた。
「デモ、ここに集まタ連中と権力巡って抗争再開すれば、倒れるノ皆の同胞ヨ」
「無駄な流血……避けたいネ」
――台湾人はこの街で商売人として働く者も多い。
無益な勢力争いで台湾人の血が流れることは、青竹聯盟の代表として、王明は望んでいなかった。
羽山は、深く頷き、再び声を上げる。
「――あくまで“一時的”に、です」
「生き延びることが先決。もはや組織間の境界線は意味を失いました」
その言葉に、場を覆っていた沈黙がじわりと動き始める。
従来通りの利権など、もはやこの街では得られない。
今、対立を再開すれば――それは自分たち自身の寿命を削るだけ。
やがて、渋々ながら、羽山の計画に賛同を示す手が、肯定の頷きと共にぽつりぽつりと挙がり始める。
「……ですが」
羽山は視線を巡らせ、静かに言葉を続けた。
「正当な貢献をもって得た不動産管理権は――それを管理する組織の“新たな縄張り”と言えるでしょう。その中で利益を追求することは、誰にも咎めさせません」
「つまり……その管理権とやらを持てば、家賃とって人に貸すことも?」
羽山の声に対し、真っ先に声を上げたのは、東邦会系の小さな組だった。
彼らのような小さい組織にとって、歌舞伎町で不動産を所有するなど夢物語。
だが今、羽山の言う“出資”によって、不動産管理権を得られるのなら――実質的には、時価数億ものビルであろうと、好きに扱っていいという話になる。
「もちろん。必要とあらば、店舗などにしていただいても構いません」
羽山は頷いた。
「たとえそれが、以前なら違法とされた業種であっても――です」
「……つまり、賭場だろうと、裏カジノだろうと、女を売る店だろうと……自由にシノギかけていいってことか?」
低く問う声に、羽山は一瞬も目を逸らさず、静かに肯定する。
「誤解のないように申し上げますが――要塞化とは、塀を作って、金を出せばいいという話でもありません」
「これからは、街のインフラ整備、物資の調達、治安維持……これまで“行政”が担っていたことを、すべて我々自身で賄わねばならない」
「出資できないなら――働けばいい。やるべきことは山ほどあります」
その声には、淡々としながらも揺るぎない決意がこもっていた。
だが、その言葉に割って入ったのは――鬼哭会。
スキンヘッドの男が、唇の端を吊り上げて嗤う。
「ハッ……要塞だの城だの、聞こえは立派だな」
「けどよ、俺らは元々――あんたら極道やマフィアの“縄張りの隙間”で飯食ってきた連中だぜ?」
「誰に頭下げるでもなく、好きに動いて、好きに稼ぐ。それが俺らのやり方だ」
「テリトリーを白紙? 協力? 結局は、デカい組織が全部かっさらう算段だろ?」
「そんなもんに縛られるくらいなら……俺らは外で自由に動くさ」
その言葉に、場がざわめいた。
半グレに同調するように、小規模なグループの何人かが小さく頷く。
対して、大きな組織の重鎮たちは、表情ひとつ動かさずに様子を窺っている。
外で自由に動く――?
真は、思わず歯噛みした。
何を平和ボケしたことをヌかしてるんだ、あのハゲ。
――あの機械どもを相手に戦うというのが、どれだけ簡単にはいかない事か。
それは真自身が、身をもって理解していた。
奴らはどこに潜み、いつ襲いかかってくるのか、誰にもわからない。
姿を見せぬまま、無音の銃撃で肉を紙のように貫いてくる。
その数も、種類も、どこからやってきたのかも。まして――なぜ人間を排除しようとするのかさえ、誰も知らない。
弾薬は有限で貴重だ。
万一、弾が尽きたなら――新たに補給する手立ても無い。
”あの大野”でさえ、機械相手に手傷を負った。
景気よくドンパチしてお祭り騒ぎできるほど、甘い相手ではない。
それは今も、この街のあちこちに転がる腐臭漂う骸が証明している。
ろくに“片付け”すら追いつかない現状が。
……だが、生憎と真はどこの組織の代表でもない。
王明の威光で同席を許されているだけの、ただの部外者。
吐きかけた言葉を、喉の奥で噛み潰すしかなかった。
そんな真の隣で、王明が静かに口を開く。
「羽山サン、言ってるコトは立派ネ」
「デモ……あなたの声掛けだけで“王”が決まってしまうなら、私たちノ立場はどうなる?」
「歌舞伎町を守るために力出すのはイイ。デモ、我々の組織と人間たちが血流す……その結果、一番美味しい果実は誰のモノになるヨ?」
極道でも、流氓でも、マフィアでも……なんでもいい。
機械と戦い血を流し、街を守って――結局、最後に誰が一番得をするのか、という話だ。
実際、日本の政治家というものはそうだった。
国民が不況に喘ぎ、爪に火を灯すような節約を強いられようと、自分たちの利権と椅子だけは、どれほどの苦境でも手放さず、私腹を肥やす。
国の発展だ、国民のためだと――耳障りのいい言葉を並べ立てても、やっていることは押し並べて、自分たちの保身ばかり。
そんな“王”なら、最初からいらない――ということなのだ。
「私は――独裁者になるつもりはありません」
羽山はまっすぐ王明を見返した。
「もちろん、この混乱した世界の中で――歌舞伎町の王様気取りをするつもりもない」
「ただ、どこよりも先駆けて要塞都市を立ち上げる以上、対外的な“代表”という肩書を一時的に名乗るだけです」
「すべてが軌道に乗った後は……今日のように会合を重ね、皆さまの合議によって、リーダーは選ばれるべきだと考えております」
羽山は、一人ひとりの目をしっかりと見ながら、言葉を区切って続けた。
「街の外を探索し、そこで得た物資は――各組織が自由に販売していただく。昔の“楽市楽座”のように、市場を開放するのです」
「これならば、どの組織も――力を尽くすほどに正当に利を得られる」
「ほう……つまり俺らが外で命張って持ち帰ったモンを、自分たちで自由に値付けして売って構わねえってわけか?」
これには、多くの参加者がざわめき、目の色を変えた。
羽山はその反応を見届け、穏やかに付け加える。
「ええ。ただし――暴利を貪ったり、住民を欺くような商売はご法度です」
「これは“生き延びるため”の経済です。互いに信用を裏切らぬことが肝要です」
だが、それでも全てが納得の表情というわけではなかった。
小さな組織の一人が、なおも疑念を滲ませる。
「……結局よ、その“楽市”ってやつは、上手く商売できる奴が得するだけじゃねえか」
「俺らみたいに縄張りでみかじめ取ったり、細く稼いできた連中には、損しかねぇだろ」
ここで、香港紅龍会の沈がゆっくりと口を開いた。
「日本人てのは、どうしてこうも短絡的に物を考えたがるネ?」
「我々が互いに自分達の権利主張しても――街の人間みな死ねば、ご破算ヨ」
「街壊されても同じネ。あんたら、機械と死体相手に商売する気カ?」
「中国の黒社会だけじゃない。マフィアも、流氓も、日本のヤクザも……どこからも助け来ないのわかってることヨ」
「だから、今できるビジネスしながら生き残る――あとの事は生き残ってから考えればいい。そんな簡単なこと、わからないカ?」
「どれだけの数がいるかもわからない、正体不明の機械とドンパチやるほど……酔狂じゃないヨ。我々は、危ない橋は死んでも渡らないネ」
「よって――香港紅龍會は、生き残るために羽山サンの提案、乗ることにするヨ」
「紅包大抽籤』やるのもいいネ」
沈の声音には、恐怖でも焦りでもなく、ただ理路整然とした“損得勘定”があった。
この混乱の中であっても、確かなビジョンが頭の中に描かれているのだろう。
そして、王明も静かに続いた。
「私は商売人ネ。同胞が穏やかニ商売できるよう動くヨ……物資集めるコト、力入れることにするネ」
そう言って、傍らの部下に耳打ちをする。
日本語ではないため、真には何を言っているのかも理解できなかったが、おそらくは物資回収の段取りだろう。
――そもそも、歌舞伎町という場所は――昔から「均衡」という名の奇跡で成り立ってきた街だった。
雑居ビルが肩を寄せ合い、昼と夜の境界が曖昧に混ざるこの街では、無数の勢力が互いに牙を剥きながらも、決して深く噛み合うことはなかった。
かつては暴力団が盤石の牙城を築いていたが、それはすなわち「外から来たはねっ返りを早々に排除できる統制」の裏返し。
その後、流氓や様々な国のマフィア、さらには半グレが台頭し、勢力図は幾度も塗り替えられてきた。
だが――広い目で見れば、それはあくまで「歌舞伎町の利権」をめぐる順位争いに過ぎない。
時折小競り合いや発砲事件こそあれど、海外ニュースで見るような暴動や内乱に発展したことは一度もなかった。
互いの組織が絶妙な緊張を保ちつつも、一線を越えぬという暗黙の合意―― その危ういバランスの上に、歌舞伎町という街は奇跡的に“平穏”を装い続けてきたのだ。
羽山の呼びかけに応じる以上、各組織が新たなテリトリーや利権の分配を計算ずくで考えているのは言うまでもない。
だが、いまこの場に限っては――勢力争いよりも、「共存と生存」が最優先されるべきだという点で、ようやく話はまとまりつつあった。
そして、次の議題は“街そのもの”の運営について。
要塞都市として生まれ変わる歌舞伎町は、全ての人間が生き延びるために手を携えなければならない。
誰かの善意や労力の上に胡坐をかく者は、いるだけで罪だ。
政治家のように、人の生き血を啜る、蛭のような存在は必要ない。
そのため、羽山は条件を示した。
――要塞化された歌舞伎町に滞在する者は、全員が毎月の「居住税」を納めること。
そして、老若男女を問わず、街を支える活動に参加し、賃金を得ることを義務とする。
瓦礫の除去、物資の搬送、防壁の補修、街の生活インフラ整備……やらなければならない事は山のようにあり、仕事にあぶれるなどという事はまずあり得ない。
さらに、街の治安と防衛――これも避けては通れない。
羽山は、そこには「荒事に長けた人間」を積極的に登用したいと告げた。
歌舞伎町に残った人々の大多数は、機械と戦った経験どころか、銃を撃ったことすらない。
だが――かつて街の鼻つまみ者と呼ばれた連中が、生き延びるために身体を張り、命を賭して街を守るとしたらどうだろう?
反社、アウトロー、半グレ……かつては厄介者と蔑まれた彼らが、今度は街の住民から“敬意”を向けられる存在となるのだ。
それは、彼らにとって「名誉」となり、「誇り」となり、ひいては失われかけた「自尊心」をも満たすだろう。
「……つまり、俺たちは街を守る正義の味方になるってことかい?」
半グレの一人がぽつりと呟く。
羽山は黙って、その問いに頷いた。
なにより――今は、法も秩序も形骸化した世界だ。
混乱に乗じて、人を食い物にしようとする者は必ず現れる。
かつては警察という秩序の番人がいたからこそ、かろうじて保たれていた治安も、いまは望むべくもない。
だからこそ――毒には毒をもって制す。
歌舞伎町に根を張る裏社会の勢力を前面に立たせるのは、そのためでもあった。
彼らならば、暴力の論理を理解し、暴力を制御する術も知っている。
街の外縁で機械を狩り、近づけさせない「防壁」となる部署を設ける事で、 同時に、持ち過ぎた武力が内側で暴走しないように見張る「楔」をも用意する。
もちろん、最初から、なにもかもがうまくいくはずはない。
手探りで始め、試行錯誤を重ね、少しずつ最適な形にアップデートしていく――それしかないだろう。
だが羽山は、静かに締めくくった。
「結局は、全ての人間が――自分にできることで生き抜くために力を出し合う」
「それが、これからの“歌舞伎町居住区”の目指す姿だ」
参加者たちも、諸手を挙げて歓迎とまではいかずとも――ここまで明確なビジョンを掲げ、街を牽引しようとする気概ある者は、この場には羽山を除いて誰一人いなかった。
――こうして、歌舞伎町の要塞化計画は動き始める。
街中の住民が総力を挙げて取り組む、未曽有の都市再編計画として。
自治組織が立ち上げられ、歌舞伎町タワーを本部とし――かつて混沌の坩堝だったこの街で、「生き残るため」の組織づくりが急ピッチで進められていった。
この時はまだ、レヴュラや電災、クオムと言う名称はありませんでした。
歌舞伎町と言う舞台において、一般人ばかりが何かとうまくいって、生き残りの
ためのホームを作れるとは思えませんので、少し歌舞伎町のアンダーグラウンド
差を散りばめ、本来はもっとドロドロした街である描写を強めてあります。