表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電災都市  作者: あるふぁ
第三章『電脳災害』
18/20

『電脳災害』-6

ご注意:

とても長いエピソードとなっております。

――真とアリスは、それからも『童話の国』に身を寄せ続けていた。

 すでに三週間以上が経過していたが、奇妙なことに一度も機械の襲撃に遭っていない。

 

 この場所は不完全ながらも、拠点としての体裁を備えつつあり、結果として……真とアリスにとって避難所であると同時に、仮初の住まいとなった。


 外ではいまだに、正体不明の機械が徘徊している。

 数こそ減ってはいるものの、万が一遭遇しようものなら、奴らは発見した人間を容赦なく追い回し、襲ってくる。……その命を刈り取るために。

 

 そんな状況下で、エプロンドレスに身を包んだアリスを連れ歩くのは、自殺行為としか言いようがない。

 異様なほど場違いな装いは、ただでさえ人影の絶えた街並みでは目立ちすぎる。


 そして、食料事情も楽観視することを許してはくれない。

 焼肉店から持ち出した肉はとうに食い尽くし、コーラも空になった。

 ミネラルウォーターも残ってはいない。


 ――外から拾ってきた鉄板を組み合わせ、即席のコンロで肉を調理した夜、アリスは湯気の向こうで微笑みながら言った。


 「私、料理が得意って“設定”みたい」


 初期設定の中で、真が指定したわけではない。どうやらそれは、最初から彼女に組み込まれていた”個性”なのだそうだ。


 保存のためだけに、真が雑に処理した干し肉さえ、アリスの手にかかれば立派な料理へと姿を変える。

 限られた食材と道具を活かし、起用に調理する姿は、彼女が人工の存在であることを忘れさせるほどに自然だった。


 ……だが、そんな干し肉でさえ、この場所に留まり始めてから四日目に食い尽くし、残ってはいない。



 やむなく真は、食料を求めて外へ出る。


 歌舞伎町の路地を抜け、時には靖国通りを渡り、JR新宿駅のある三丁目付近まで足を延ばすこともあった。


 喧騒が途絶えることもなかった日常の残滓だけが、わずかに残り、否応なく気分を憂鬱にさせる。

 人の営みが途絶えた街は異様な静けさに包まれ、残されているのは、主に見捨てられたかのように、もぬけの殻と化した店ばかり。


 歌舞伎町同様に、店内が既に荒らされた場所もあるが、探索できる店が、まだまだ多く残されている事は救いだった。


 やはり、機械が徘徊している状況では、思うように探索する事も叶わないのだろう。誰もが真のように銃を持っているわけではない。


 その無人となった店を、宝探しよろしく慎重に漁れば、乾物や缶詰、あるいは調味料を見つけられることは多い。

 米などの主食とまではいかないが、贅沢さえ言わなければ、腹を満たせるものはまだ手に入る。


 美味いかどうかは別の話……という条件付きではあるが。

 

 

 ――だが探索の最中、機械と鉢合わせすることもあり、その度に真は銃を抜かざるを得なかった。


 引き金を絞れば、硝煙の刺激臭が鼻腔にこびりつく。

 撃ち放った際の反動が、いつまでも手に残り、じっとりとした疲労が背中を湿らせた。

 

 実銃を扱うことが少しずつ肌に馴染んでゆき――それまでは異質でしかなかった行為は、少しずつ心を蝕み、壊してゆく。


 

 ――だが、それでも無事に帰れば、必ずアリスが待っていてくれる。

 『童話の国』の扉を開けば、彼女はいつも笑顔で真を出迎え、労ってくれた。


 その光景は、どこか同棲する恋人のようでもあり、家庭を思わせるぬくもりすら漂わせる。


 ――もっとも、二人の暮らす場所は、どこからどう見ても風俗店そのものであるため、情緒も趣もあったものではないのだが。


 それでも、扉の向こうに誰かが待ってくれているという事実は、決して軽いものではなかった。

 

 ――たとえそれが、息を潜める者ばかりとなった壊れかけの街の中であっても。人の営みが途絶えた荒野であっても。


 ――そして、待ってくれている存在が、機械仕掛けの存在であったとしても。

 その光景だけで、真のささくれだち、乾いてゆく心は、幾許か救われるのだった。



 ――夜になると、アリスは必ず“眠り”に入る。


 メカドールは構造上、最大限まで充電しても48時間以上の稼働はできない仕様になっているのだ。

 過酷な環境で、非人道的な強制労働に従事させることを防止するため、国際法で厳格に定められているらしい。


 とはいえ、アリスが動力源として食事を必要としないという点だけは、この状況下では救いでもあった。

 少ない食料を分け合わずに済むのはありがたい。

 

 ――その反面、女の子の前で、自分ひとりだけが食事を口にするという、後ろめたさが付きまとうのだが。


 

 ただ、人工筋肉を駆動させる液体を浄化するため、今のアリスは飲用水を必要としていた。

 本来であれば、正規のサービスセンターでメンテナンスを受けるのが正しいのだが、街の惨状を見れば、無理な相談であることは誰にでもわかる。


 ……今の歌舞伎町で、そんな設備を望むのは、砂漠の中で雨乞いをするようなものだ。



 飲み水に関しては、幸いにもビルの給水タンクがまだ生きているため。まだなんとかなる。

 

 水が必要なのは、人間である真とて同じだ。

 ただ――東京の水道水は、お世辞にも美味いとは言えない。


 鼻を刺すような塩素臭、舌の上にまとわりつくぬるりとした感触。

 近年はマシになったとは言われているが、まるでプールの水を飲んでいるかのような錯覚に、喉を通すたびに顔をしかめる。


 お湯を沸かせば多少は口当たりが和らぐものの、限られたガスボンベを温存する事を考えれば、その都度沸かすわけにもいかない。

 結局、温く不味い水を嚥下するしかなく、そのたびに胃の奥がじわりと重くなる。


 ――だが、水道が止まってる以上、タンクの水も無限ではない。

 このままでは、いずれここも水の枯れた砂漠の様相へと変わるだろう。打開策を考えてはみるものの、建築士でも水道業者でもない真に、妙案など浮かぶはずもない。


 代わりに、探索で手に入る清涼飲料などで喉を湿らすことが日常となっていくが、甘い飲み物を嫌う真にとって、特に缶コーヒーの甘ったるさは拷問に近かった。

 温い上に砂糖まみれの甘い風味は喉に貼りつき、余計に渇きを覚えるばかりで、気分だけが滅入ってゆく。



 ――食料を求めて外を彷徨う以外は、案外やることがない。


 テレビやラジオは勿論の事、スマホに至っては、ネットに繋がらないばかりか、その信号を辿って機械を呼び寄せてしまう。

 つまり、娯楽や時間を潰す類のものは何ひとつないのだ。

 

 ソファに寝転び、メカドールのマニュアルを何度も読み返しては、既に暗記した文章を惰性で追う。


 そして、ありあまる退屈を紛らわすため、56式歩槍を何度も分解し、組み立て直した。

 その行程は、ネットの動画で何度も見たし、買い漁った書籍にも載っていたので、知識としては頭に入っている。

 それでも、はじめのうちは上手くいかず、スプリングを飛ばしたり、機関部の縁で手を切ったりと散々だった。

 

 だが、今後、命を預ける事となる相棒だ。部品の重みやバネの感触を、手のひらで記憶に刻むように何度も繰り返す。

 

 その様子を、アリスは頬杖をついて眺めている。

 無言で、けれども柔らかい光を宿した瞳。興味と親しみが入り混じり、まるで、同じ退屈を共有しているかのような温度があった。

 


 ――そうして、些末な暇潰しをしていると、案外瞬く間に時は過ぎ、また夜が訪れる。


 電力が途絶え、照明が機能しておらず、昼間でも薄暗い風俗店の内部は、夜ともなればさらに深い闇に沈む。

 LEDランタンの淡い光だけが、漆黒をかろうじて押し返していた。


 先日、大野から得られた情報では、夜になると機械の徘徊は減り、幾分か大人しくもなるらしい。

 ――だが、今の東京では、機械だけが敵とは言い切れなくなってしまった。


 食糧や武器を奪うため、はたまた、混乱に乗じで己が欲望を満たすため。人を襲う人間はそこら中に潜んでいる。


 極限状態に追い込まれれば、人間の仮面など容易く剝がれ、本性が露呈するものだ。

 『生きるため』と言う免罪符を振りかざし、剥き出しの欲望だけが牙を剥く。


 良心の呵責や道徳心なんてものは、街の混乱に乗じて、どこかに捨ててきたのだろう。

 ――もし、そんな人間に銃を奪われれば……真とアリスの命など、紙切れのように容易く千切れ飛んでしまう。


 実銃――その力は圧倒的だ。

 だからこそ、その力を欲する人間はいくらでもいる。

 故に、絶対に奪われてはならない。


 真は毎夜、ドアに鍵を掛け、ソファやテーブルを積み上げて簡易のバリケードを築いた。

 さらに、釣り糸と鈴を組み合わせた原始的な警報装置まで取り付け、それから横になる事が日課となる。


 必要以上に惰眠を貪る必要はない。ただ、出来る限り体を横たえ、少しでも力を温存すること。

 それこそが、生き延びるために、真が選択できる唯一の方法だった。


 風俗店の安っぽいエアマットに、二人並んで身を横たえる。

 たとえ人工の存在……メカドールとはいえ、アリスは女の子だ。それに、メカドールを実際に恋人や伴侶として選ぶ者は増えていると聞く。

 家柄や容姿、経済力……それら、人間のカタログスペックや格付けに左右される事無く、常に自分の内面を理解し、受け入れてくれる。

 ――そんなメカドールに恋する人間は多いのだそうだ。

 

 真だって、男だ。

 ……これがもし、電災が起きる前であれば、頬を赤らめるような感情のひとつも芽生えたかもしれない。


 だが、夜空を震わせる銃声と爆発音が子守唄代わりの今、その感覚はあまりにも脆く、簡単に霧散してしまう。


 一度だけ――真が目を覚ました時に、思いがけない光景を目撃したことがある。

 体を拭こうと、無防備に肌を晒していたアリスの姿。

 ――人間と寸分違わぬ身体の造形。


 マニュアルに記されていた通り『そういう機能』すら備わっていることは理解していたし、『童話の国』のような店が実在していることも、その証明だ。

 だが、実際に目の当たりにすると、胸の奥にざわつくものが走る。


 しかも、予想以上に“強調された造形”だったのだ。

 思わず視線を逸らし、心の中で苦笑まじりに「オーナーの趣味なんだろうな」と呟く。


 それもそうかもしれない。こんな状況にならなければ、彼女は今頃この店で、キャストとして働いていた筈なのだ。

 客のニーズに応えべく、オーナーの趣味が、色濃く反映されたものなのだろう。

 

 ――男として全く関心がない……というわけではない。

 ただ、この状況で余計な冒険心を抱くほど、真は愚かでもなかった。


 ――生き延びること。

 それだけが、今この瞬間、真の胸を支配し、余計な煩悩を抱く余裕などはなかった。

 


 寝袋は結局使っていない。アパートから持ち出した時のまま、丸めてある。

 メカドールとはいえ、女の子を差し置いて、自分だけ快適に眠るのは気が咎めたし、かといって二人で入れる大きさでもない。


 季節は春。とはいえ四月の夜は、まだまだ底冷えが厳しい。

 毛布の類もないため、仕方なくサバイバルキットのアルミブランケットを広げ、アリスと二人で潜り込む。


 薄い金属膜はガサガサと耳障りな音を立て、柔らかさの欠片もないが、それでも、体温を逃がさないだけで命綱にはなった。


 真冬でなかったことが、唯一の救いだったかもしれない。


 

 アリスと続ける、ままごとのような生活。

 しかし日を追うごとに、歌舞伎町のあちこちから響く銃声は頻度を増し、音色を変えていった。


 あの日、街を覆った破裂音にも似た音とは違う。

 今は明らかに銃火器の音。乾いた単発、鼓膜を突き刺すような連射の咆哮が、途切れ途切れに空気を震わせる。


 「……外、にぎやかになってきたね」


 エアマットの端に腰を下ろしたアリスが、遠くの音に耳を澄ます。

 その仕草はあまりに自然で、とても機械の人形とは思えなかった。

 光の乏しい室内で、膝を抱える姿は、どこにでもいる女の子のようにしか見えない。


 「様子を見てくる。アリスはここで待ってて」


 短く言い残すと、彼女は静かに頷いた。真は立ち上がり、銃を手に取る。


 内側から施錠された音を確認してから、56式歩槍を握りしめ、ビルの階段を慎重に下りていった。

 静かに……壁に身を寄せ、息を殺しながら、様子を窺う。


 ――その刹那、至近で銃声が轟き渡る。


 物陰から覗いてみると、ビルの向こうで、数人の人影が機械兵器に銃火を浴びせていた。スーツ姿の男、ジャージ姿の若者もいる。 ――警察でも自衛隊でもない。

 ただの”市井の人間”が銃を握り、機械兵器に容赦のない銃撃を浴びせていたのだ。


 その中に、覚えのある顔を見止める。

 台湾人である(ワン)さん……王明の店で働いていた(グオ)――確か、そう呼ばれていた。


 彼の手にあるのは自動小銃。闇の中でもわかるフォルムは、真が手にするのと同じ56式歩槍のようだ。


 「よぉ、郭さん……何やってんだ?」


 機械が煙を吐いて沈黙したタイミングを見計らい、声をかける。振り返った郭が弾倉を替えつつ、目を見開いた。


 「オオ! 篠崎サンじゃないノ? アンタ、まだ生きてたネ!」


 久々に交わす人間との会話。その響きに、胸の奥が微かに揺れる。

 言葉のままに受け取れば随分な物言いだが、なにも悪意があるわけではない。

 異国訛りを含んだ、ただただ不器用で残念な日本語。それだけだ。


 「郭さんも無事でよかったよ。王さんは……無事なの?」


 問いかける声が、思った以上に切実に響いた。郭はにっこりと笑う。


 「オオ、老板(ラオパン)、全然無事ヨ。今はネ、組織挙げテ、変ナ機械蹴散らしてるネ」


 その言葉に、真の心は僅かに軽くなる。

 王明は街の顔役というだけではない。真にとっては、混沌の街で居場所を繋いでくれた恩人だった。


 彼の存在無くして、真がこの街に根を下ろし続ける事は難しかっただろう。

 その無事を知り、深いところから安堵の息が漏れる。


 さらに郭は続ける。


 王の部下だけではない。歌舞伎町の主だった外国人グループ、暴力団や半グレまで――普段なら互いに、その喉笛を狙い合うような連中までもが、揃って機械を相手に肩を並べているという。

 街を満たす轟音は、その証左にほかならなかった。


 「老板、今ちょうど歌舞伎町タワーにいるヨ。篠崎サンも行ってみるイイ。きっと喜ブね」


 思わぬ情報に、心が大きく揺れる。

 すぐさま、恩人の顔を見るために、駆け付けたい気持ちは確かにある。――だが、ふと脳裏に浮かんだのは『童話の国』に残してきたアリスのことだった。


 武器も持たずに、ただ一人、『童話の国』の薄暗い店内で真が戻るのを待っている。

 

 この街には、良識や人間らしさなど、とうに失った者も数多く彷徨っている。万が一、そんな連中に見つかればどうなるか。

 メカドールは漫画や映画のサイボーグとは違い、圧倒的なパワーで人間を制圧……なんてことはできない。


 

 ――思わず、去年起きた、新宿反機暴動の惨状が脳裏を過る。


 あの時も滅茶苦茶だった。

 

 メカドールを相手に、一方的に浴びせられる怒号。

 どこからともなく、悪意と共に投げつけられる瓶。

 無抵抗のメカドールを取り囲み、殴る蹴るの暴行を加える者達の光景。


 暴徒と化した人間の逮捕者が217名。

 ――そして、何の罪もなく、そこに居合わせただけ、そこで働いていただけのメカドール18体が破壊される惨事となった。

 

 ――あの時、テレビのニュースで見た、破壊されたメカドールの姿に、無垢なエプロンドレス姿のアリスが脳裏で重なる。


 「……郭さん。この辺りの治安は、どうなの? もう安全かな?」


 真の問いに、郭は只事ではない気配を感じたのか、短くなった吸い殻を指先で弾き、アスファルトに投げ捨て笑った。


 「アー、ここら、もう大丈夫ヨ。東邦会ガめちゃくちゃ機械壊して回ってるネ。いっぱいスクラップだらけヨ」


 その名を聞いた瞬間、真の脳裏に大野の顔が過る。


 東邦会――正しい名前は東邦連誠会。古くから日本の裏社会に名を刻む、広域指定暴力団。東日本最大級の極道組織(ヤクザ)だ。

 関東一円を勢力下に収めるその中でも、あらゆる業種の犇めく歌舞伎町は、彼らにとっての本拠地(ホームグラウンド)のようなもの。


 特に、この歌舞伎町をテリトリーとするのは、東邦会の中でも武闘派と言われ、幾多の抗争を生き抜いてきた直参荒神会(こうじんかい)

 ……あの大野が名を連ねる組で、先日彼を運び込んだ事務所だ。もし彼等が本格的に動いているのなら、確かに頼もしい。


 ふと、視線を落とせば、蜂の巣にされた機械の残骸がいくつも転がっている。

 

 外装は紙細工のように穴だらけで、破片や部品を派手に撒き散らしていた。

 自動小銃の射撃というより、至近距離から複数の散弾銃で”徹底的に破壊しつくされた”と言った方が近い。


 ……この様子なら、この辺りの安全はひとまず確保されていることだろう。

 あとは、頭のネジがぶっ飛んだ連中にだけ気をつければいい。


 「じゃあ、俺……王さんのところに顔を出してくる。その前に――」


 真は、すぐそばの『童話の国』が入るビルを指差した。


 「この中に連れが隠れてるんだ。しばらく、様子を見ててもらえないかな」


 郭は新たな煙草に火を点け直し、紫煙をくゆらせながら口元を歪めた。


 「連れ? アー、篠崎さんのいい人ネ? ワカたワカた、任せるいいヨ」


 小指を立てて真の顔を覗き込む仕草――場所も場所だけに、どう見ても誤解している。

 だが、いちいち否定するのも面倒で、時間も惜しいため、真は苦笑のまま肩を竦めた。


 次の瞬間、郭はくるりと振り返り、部下たちへ鋭い声を飛ばす。


 「篠崎先生之愛人匿於斯! 汝輩,縱使殞地,亦當誓死護伊!」


 その声に応じ、部下たちは一斉に散開すると、ビルの周囲へと散っていく。

 無言で入り口を固め、自動小銃や散弾銃……それぞれの”獲物”を構えたまま、鋭い視線を四方に巡らせる。

 そして、郭は道中の護衛にと、散弾銃で武装する部下を二人ほど同行させてくれた。


 台湾人たちの義理堅さは折り紙つきだ。彼らは自分達のボスである王明の縁者……真の頼みを決して反故にするようなことはしない。

 そして、そんな銃器で武装した彼等が守るビルを襲おうなどと言う物好きは、まずいないだろう。


 ――アリスの待つ『童話の国』周辺の安全は郭たちに任せ、真は歌舞伎町タワーへと向かう。その道中、真は街の様変わりに息を呑んだ。


 かつて夜通し乱痴気騒ぎに明け暮れていたトー横近辺。今やその高く聳える劇場ビルや近隣の店先は、簡易の避難所や炊き出し所に姿を変えている。

 人々は絶望的な状況下でも身を寄せ合い、息を潜め、命を守っていた。


 人工物の類が悉く静まり返った街は、かつて喧騒に包まれた歌舞伎町からは想像もできない程、静かなものだ。

 だが、その静けさの中にも、生きるために抗おうとする微かな息吹を感じられた。

 

 少し離れたところで、機械の残骸を片付けている者もいれば、何人かが力を合わせ、瓦礫をどかしたりもしている。


 ――歌舞伎町に生きる者は逞しい。一年を通して、多くの者が行き交い、毎夜騒ぎと事件が横行する、背徳と欲望と混沌の街。

 そこに住まう者達の力強さ、逞しさは、真が想像する以上のものだ。


 一方で――シネシティ広場に差し掛かると、半グレたちが声を張り上げ、群衆を煽り立てていた。


 「ここは俺たちの街だ! ガラクタどもは蹴散らせ!」


 普段なら秩序を壊し、暴力と厄介事を撒き散らす、街の問題児。

 しかし今は、多くの若者を鼓舞し、機械との戦いに立ち上がらせていた。


 自分たちの聖地(テリトリー)を守るため、礼儀知らずの余所者(機械ども)は徹底的に叩き潰す――その意地が、思いの外、集団をひとつにまとめている。


 彼らに呼応するようにトー横キッズたちが集まり、鉄パイプや金属バットを振りかざす。

 戦う者達の高揚――半グレが叫ぶたび、手にした武器を高々と掲げ、笑顔で飛び跳ねた。


 まるで祭りの熱にでも浮かされているかのようだ。

 だが、真は郭の部下たちと苦笑しながらも、その無邪気さに目を離せなかった。

 

 一歩間違えば簡単に命を落とす状況だというのに、広場にいる少年少女の目は、恐怖よりも昂奮の方が勝っている。

 ――だが、暗い顔で縮こまっているよりは、確かにマシだ。

 根拠のない自信も、時に強い武器となる。

 今のこの街にとって、一人でも多く立ち上がる人間が必要なのだ。

 


 ――そんな興奮の続く広場を通り抜け、真は歌舞伎町タワーの入り口に辿り着く。


 そこには、この街に眠っていた銃火器のすべてが、吐き出されたかのような光景が広がっていた。

 今までどこにあったのか……自動小銃、散弾銃、軽機関銃。ありとあらゆる鉄の凶器が並び、さながら、街の裏面史そのものを剥き出しにした、違法銃器の見本市だ。


 普段なら抗争の最中でも、これだけの量の銃火器は、まずお目にはかかれない。

 その気になれば、この街を火の海にできるほどの量だろう。

 

 敵意を向ける者に、無慈悲な破壊をもたらす銃口を向け、男たちは即席のバリケードの影に身を潜めながら、静かに辺りを睨んでいる。

 ――もはや、ここはもう繁華街などではなく、戦場なのだ……真は改めて思い知らされた。


 電力の途絶えたビルは、エレベーターが動くはずもなく、郭の部下に礼を言って別れた真は、階段を踏みしめて五階まで上る。


 かつて創作料理のレストランがあったフロアは、プールサイドのテラスに椅子とテーブルが並べられ、仮設の会議場へと変貌していた。

 ――歌舞伎町の顔役たちが、名を知られた人間たちが、テーブルを囲むように居並んでいる。


 ――だが、そこに大野の姿はなかった。

 あの日、機械に襲われた傷が、いまだ癒えていないのだろうか。

 代わりに、事務所で見かけた強面の一人が部下を従え、椅子に深く腰掛け、緊張の面持ちを見せていた。

 ……つまりは、彼が荒神会の代表という事なのだろう。


 真はその輪の中に、馴染んだ顔を見つける。

 王明――。

 真の視線に気づくと、彼は柔らかな笑みを浮かべ、大きく手を振った。


 「真! よく無事だったネ。サァ、こっち来テ座るいいヨ」


 普段は歌舞伎町で中華飯店をはじめ、いくつもの店やビルを経営する、好々爺然とした実業家。

 ……それが、多くの者が知る王明と言う者の”表”の顔。


 ――だが、真は彼の本当の顔を知っている。

 


 ――台湾最大の黒社会組織『青竹聯盟』の重鎮、日本総管。

 日本における組織活動を一任されている彼は、敬意と畏怖の意味を込め、『黒王』の名で呼ばれる影の支配者で、歌舞伎町では多大な影響力を持つ。


 かつて、彼の逆鱗に触れた福建グループの流氓がどうなったか……それは真のような者ですら知っている程、歌舞伎町の語り草になっている。

 ――昔はどうだったか知らないが、彼と直接事を構えようとする愚か者は、今の歌舞伎町にはいない。

 


 ……あれはまだ真が、日雇いアルバイトで食いつなぎ、住む家もなく、ネットカフェに寝泊まりしていた頃。


 ――2024年12月24日。


 クリスマスイブの歌舞伎町は、例年以上に熱を帯びていた。

 ネオンに混じるイルミネーションが雑居ビルの窓を照らし出し、夜空は赤や緑……様々な色へと滲んでゆく。


 ――2000年代初頭から、急速に経済大国へとのし上がった中国は、世界中へと、その手を広げていった。


 その波は歌舞伎町とて例外ではなく、ビル丸ごと中国系の店舗が犇めき合う光景すら珍しくはない。

 たかだか0.34平方キロメートルしかない、狭い繁華街のあちこちで、中国人が巣食うように増殖し、コミュニティを形成してゆく。

 ――そして、その彼らがバラ撒く莫大な金に、誰もが涎を垂らし尻尾を振る。

 ジャパンマネーが世界で大手を振っていた時代はとっくに終わり、いつしかその立場はチャイナマネーに置き換えられていった。

 ……嘘か本当か知らないが、中国系の店の一部じゃ、人民元でも支払いができるという話だ。


 ――とはいえ、中国人とひとくちに言っても、流氓のようなアウトローばかりではない。


 寧ろ、表向きは堂々と企業の看板を掲げ、正業に勤しむ者の方が多数だ。

 高層ビルにでかいオフィスを持つ中国企業はいくらでもある。

 

 その背後に何を隠しているかはまた別の話……ではあるが。



 ――クリスマスで浮かれる表通りは、光と熱気に包まれていた。

 カップルや観光客が肩を寄せ合い、ネオンの下で笑い声を交わす。

 

 だが、そのすぐ裏通りでは――別種の熱が渦巻いている。

 『紅包大抽籤ホンパオダーチョウチェン』と呼ばれる裏富籤の話題が、酒の匂いやタバコの煙と一緒に飛び交っていた。


 表向きは『華僑社会が開催するアンダーグラウンドの富くじ』

 中国本土の厳しい規制をかいくぐり、華僑同士の絆と日本社会の隙間を縫って成立したその仕組みは、毎年クリスマスになると街全体を熱狂させる。


 アンダーグラウンドなイベントとは言え、様々な中国人勢力も夢中で金を突っ込むため、抽選だけは公明正大とされ、参加者は後を絶たない。


 ――だがその実態は、大陸系マフィアが牛耳る国際的なマネーロンダリング装置であった。


 それでも、巨額の金が転がり込むかもしれない禁断の博打。


 遊び方は簡単だ。紅包大抽籤は、香港の六合彩をモデルにした裏賭博で、参加者は01~49の数字から6個を選び、さらにジャックポット用に1~2桁を指定する。

 6個すべて一致すれば高額賞金、ジャックポット数字を含めた完全一致でさらに巨額の賞金を狙える。

 ジャックポットの金額は数十億とも数百億とも言われていた。


 特徴的なのは、ジャックポットの数字はワイルドカードとして1つ好きな数字と入れ替えが可能で、当選金額は目減りするが、完全一致でなくても賞金を受け取れる仕組みだ。

 抽選自体にインチキやイカサマは断じてないことから、紅包大抽籤は参加者すべてに一攫千金の夢を与える、年末の一大イベントとなっている。

 

 ――そして、その蜜に群がるのは、中国人だけではない。

 噂では、新宿署の汚職に塗れた刑事や、都庁に勤めるお偉いさんなんかも紅包大抽籤に夢中なのだそうだ。


 この街に集う様々な人種が、その香りに引き寄せられ、この夜ばかりは誰もが浮き足立っていた。

 紅包大抽籤を巡り、歌舞伎町を飛び交う金の総額は、想像すらも追いつかない。


 

 ――そんな喧騒のただ中を、王明は数人の部下を従えて歩いていた。

 台湾黒社会の中でも、最大の規模を誇るとされる『青竹聯盟』日本総管としての務め――同胞が営む店を巡り、景気を気遣い、時には懐から小遣いを差し出して労う。


 故郷を離れ、遠い異国の地で暮らす台湾人の同胞たちを、彼は背後から支え続けてきた。

 

 暴力や恫喝で支配する流氓とは異なり、彼は台湾の同胞であれば、分け隔てなく力添えをした。

 地元住民と対立を選ばず、むしろ共存共栄を選ぶ事で、台湾人の誇りと地位を守り、確たる信頼を築きあげ続けてきたのだ。

 


 「王先生、わざわざ、このような日に顔を出してくださるなんて……」

 雑居ビルの一階で営まれる、小さな点心屋。

 蒸籠から立ちのぼる白い湯気と、八角の香りが路地に漂う。


 肉汁あふれる肉餡をぎっしり詰めた 肉包子(ローパオズ)――日本で言うところの肉まんが評判の店だ。

 

 同じ肉包子でも台湾と大陸ではまた味わいが違うらしく、台湾式は日本人の口にも合いやすい。

 だからこの店も、台湾の同胞だけでなく、日本人の客もよく行列を作っている。

 

 両手を合わせ、深々と頭を下げる店主へ、王は分厚い封筒を手渡した。

 「こうやって頑張るお前たちがいるから、同胞は安心して暮らせるんだ。健やかで良い年を迎えなさい」

 柔らかく笑みを浮かべるその姿に、周囲の緊張がふっと和らぐ。


 ――普段なら、決して警戒を解かぬ男だった。


 だが、この夜ばかりは違った。

 クリスマスイブと紅包大抽籤が重なる、一年で最も浮かれた夜。

 祭りの空気に押されるように、王は肩の力を抜いていた。

 部下たちも酔いの熱を帯び、笑いながら歩いている。

 ほんの年末の挨拶回り――その程度のはずだった。


 だからこそ、不意を突かれた。



 台湾黒社会の重鎮に刃を向けるなど、歌舞伎町の住民なら……それが、どういうことなのか、誰もが解っている事だ。


 ……だが、例外はどこにでもいる。はねっ返りは、理を顧みない。


 廊下の陰から躍り出る人影。

 刃物が照明の光を反射して閃き、耳をつんざく外国語の怒号が響いた。


 狭い雑居ビルの廊下。

 逃れる間合いはなく、身を翻すことすらままならない。

 部下たちの腰には黒星(中国版トカレフ)が忍ばされていたが、跳弾で自分達の老板(ボス)を傷つける恐れに手が止まる。


 次の瞬間――振り下ろされた、鉈のような刃が、一人の肩口に深々と突き立った。

 迸る鮮血と、男の腹から捻り出されるような絶叫。


 

 ――明らかに日本語とは異なる、その絶叫が響いたとき、真は担当フロアの清掃をしていた。


 何事かと反射的に顔を上げ、声のする方へ向かう。


 そこには、鉈のような刃物を振りかざす、東南アジア系と思しきチンピラと……初老の男を庇おうと立ち塞がる若い部下の姿。


 もう一人の部下らしき男は、肩から血を溢れさせ、蹲っている。その赤が床を染め広がる中、凶刃は次の標的を――初老の男へと定めた。

 

 狭い廊下では銃より刃物のほうがよほど恐ろしい。銃は跳弾が味方を傷付ける事すらもあるからだ。

 だが刃は――ただ振り下ろすだけで、簡単に命を奪える。

 

 技術はなにもいらないし、何も考える必要はない。ただ、目掛けて振り下ろすだけ。

 もっともシンプルであり簡単なやり方だが、ここのような、狭い廊下では一番確実な方法だ。


 


 ……この街では、外国人同士の諍いなど珍しくもない。


 移り変わりの激しい勢力図。互いに理解不能の言語で罵り合い、時には相手を袋叩きに、時に刃物沙汰にもなる。

 この街では、よくあること……見慣れた光景だ。


 理屈では分かっている。この歌舞伎町と言う混沌の街で、平穏に暮らしたいなら、他者の諍いに首を突っ込むべきではない。

 だが――気付けば身体は動いていた。


 チンピラが鉈を振り上げた刹那、真は手にしていたモップを突き出す。

 ありったけの力を込め、モップの柄で強く男の背中を突いた。なぜそんなことをしたのか、自分でも理解できない。


 だが、その反射的な一撃が、運命を変えた。

 突然の出来事に、呆気にとられる男。モップの二打目で男の手から刃を叩き落とし、全体重を乗せた体当たりを食らわせる。

 そのまま相手の身体を壁に押し付け、腕を捻じ上げた。


 暴れる身体を必死で押さえつけていると、男の部下たちが真に加勢し、やっとのことで襲撃者を取り押さえる事に成功する。

 ――間一髪の出来事。それこそが、王明という男との最初の出会い。


 

 後日、真の下に、王の使いと名乗る者が現れる。

 あの夜名乗ったわけでもないのに、どうして彼が真の名前と所在を掴めたのか、この時の真には、まだわからなかった。

 

 真は部下の運転する車で、中華の名店『台山大飯楼』に案内されると、そこには笑顔の王明が待ち構えていた。

 好々爺のように穏やかな笑顔を見せる彼は、日雇いアルバイトで食いつなぐ真では、到底ありつけないような、豪勢な料理の数々を振舞う。


 「今後、何か困ったことがあれば、私を尋ねなさい」

 

 台湾人は恩義と家族を重んじる。王もまた、自らの命を救った青年への恩義を忘れることなく、以来、真を『身内』として遇し続けた。

 時には友人、時には人生の先輩として、そして時には父のように。


 ――真の暮らしていた初台のアパートも、彼の口利きで借りる事が出来た物件なのだ。


 「篠崎先生(シィェンシォン)、どうぞ」


 席に着いた真の前に、部下のひとりが烏龍茶を差し出す。

 お湯を沸かすことができないため、ペットボトル詰めのものではあったが、最近の劣悪な水事情で辟易としていた真には、鉄観音のすっきりした味わいが喉を潤し、沁みわたってゆくようだった。


 茶を運んできたのは、あの夜に肩を斬られた部下――(リウ)

 幸い致命傷には至らず、今ではすっかり傷も癒えている。

 彼もまた、真に対しては礼を尽くし、誠実に接し続けてくれている一人。


 王の庇護下にあるとはいえ、明らかに歳も立場も上である者から「先生シィェンシォン」と呼ばれるのは、少々むず痒くも感じる。

 だが、彼等が示す敬意を無下に拒むことなどできなかった。


 

 そして、この場に集う顔ぶれを見渡せば――裏の世界で実際に力を持つ者ばかりだ。

 東邦会をはじめ、的屋系の玄武会、半グレもいる。鬼哭会にトーキョーマッド、ゼロ・ナイン……。

 そして、滅多に街には顔を出さない人物がいる……あれは香港紅龍會の副総監、(シェン)だ。バイト先に転がってた実話系雑誌で見たことがある。

 真がおいそれと手を出せるギャンブルではないが、あの紅包大抽籤も香港紅龍會がはじめたものらしい。

 

 

 ――それぞれが、それなりに大きな規模を持ち、普段なら互いに顔を合わせることすら避ける集団ばかり。

 できることであれば、街で顔を合わせたくない勢力(アウトロー)の者達が、この場に勢揃いしている。

 こんな光景は、歌舞伎町の長い歴史の中でも前代未聞の出来事だろう。


 ――もちろん真はそのどこにも属さない。

 それでも、王明の隣に座っている時点で、その庇護を受けている者と思われているせいなのか、誰も彼を部外者として追い出そうとはしなかった。


 ――そして、そんな真達の前に、一人の男が決意を露にした表情で、姿を現す。

新宿クオムが誕生するエピソードだったのですが、思いの外、

初期設定が完了し、自我が目覚めたアリスとの暮らしや、序盤で登場した

王明との出会いなどを描いてゆくにつれて、長くなってしまい、完全な

クオム誕生のお話までは入れ込むことができませんでした。


次回では街のアウトローに声をかけて集めたのは誰かなどが明らかになってゆきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ