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電災都市  作者: あるふぁ
幕間
12/20

幕間 黎明の断層

メカドールの中枢には新鋭企業、セントリオンテック社が開発した新開発の量子電脳『Quantum Synaptic Core』が採用された。

 『Intelli Fusion Core』という商品名でリリースされたそれは、従来の計算枠組みを凌駕する膨大な並列処理能力を発揮する。


 独自の理論と技術により設計されたその量子電脳は、シリコンチップが主流だった頃からプロセッサ市場を独占していた三大巨頭……Cerevon社、RSD社、Auralis社を完全にトライアルで打ち負かし、その圧倒的な性能をもってメカドールの標準仕様電脳として採用されたニュースは、世界中を沸かせた。

 

 そして、そこに自律思考型第三世代AI『Astra』が組み合わされることで、メカドールは一気に知性の新境地へと歩みを進めてゆく。


 Astraは、第二世代AIを遥かに凌駕する。それは、かつて“共に歩む存在”とさえ称されたAuroraと比べても、天と地ほどの差がある。

 演算能力は旧来AIの数十億倍にも達し、単なる論理的推論を超えて、情動や感性の解析にまで高度に対応することができるようになったのだ。


 それはもはや、ただの人工知能と一括りにする事はできない。自我や意志をその電脳に有し、さらに自らの意志で進化を続ける――そんな“新たな知性体”の誕生を意味していた。


 感情の細かな機微を読み解き、状況に応じて柔軟に振る舞う。曖昧で複雑な”経験”という概念を内包しながら、メカドールは成長する電脳として、日々その存在を深めていく。


 その意思は、単なる計算の産物ではない。明確な目的なくとも生まれる衝動が思考に深みを与え、時に自問し、やがては“人格”と呼ぶべき境地へと達していくのだった。


 

 外殻を支える骨格にも、妥協は見受けられない。

 フレームには新開発の『タイタンコンポジットマテリアル』を採用。チタンとセラミックの複合素材で、軽量でありながら高剛性を両立させている。しかし、ただ闇雲に硬さだけを求めたのではなく、人間の骨が持つ柔軟性をも再現し、過酷な環境下でも変形を許さない強靭さを再現したのだ。


 その骨格には、導電性ポリマー『ConduFlex』と導電ゲル『VoltGel』を用いた人工筋肉が絡みつく。柔軟でありながらしなやかに反応し、力強さと繊細さ、滑らかさを兼ね備えた動きを可能にした。


 ――その姿は、もはや機械のそれではない。

 金属の軋みも、ぎこちなさもない。そこにあるのは無機物の冷たさとは無縁の優雅な所作。まるで命ある者のように滑る動きが、見る者の心を奪った。


 骨格を包み込むボディシェルには、日本の精密素材メーカーが開発した革新的な合成皮膚『NexiSkin』が使われている。

 シリコンを基盤にしたその肌は、人間のそれに限りなく近く、触れた者は驚きを隠せなかった。

 

 NexiSkinは従来のシリコン素材が持つ冷たさやベタつき、紫外線等での劣化を防ぎ、長いライフサイクルを実現するため、最先端のナノテクノロジーが結集した多層構造で作られている。

 滑らかで、ほんのりと温もりさえ帯びた質感は、もはやただの模倣を超え、“触れられる存在”としてのリアリティを宿していた。


 あるバラエティ番組の企画で、目隠しをしたタレントがメカドールの肌を人間のものと誤認し、戸惑いの声をあげた――そんな逸話が語り継がれている。

 それは単なる笑い話ではない。それほどまでに、彼らは人間に、限りなく近づいていたのだ。



 動力源には、高性能なバッテリーユニットと発電システムが組み込まれている。

 さらに、ボディの外装には太陽光充電素子が巧妙に埋め込まれ、日常の使用においても途切れることのないエネルギー供給を可能にしていた。


 加えて、飲食物を分解・処理するための専用炉が備わり、排泄システムも完備されている。これにより、本来は不要な『食事』という行為すらも、精巧にシミュレートできるのだ。


 それは効率を追求する機械としては相反し、異質な『人間らしさ』の象徴。

 だが、ただ生きるだけではなく、『共に生きる』ために、意図的に宿された設計思想の結晶である。これには、著名な技術評論家が『非効率さの美学』と流行語を残したほどだ。

 


 人との対話を円滑にするため、大手オーディオメーカーが総力を挙げて開発した音声認識・発声ユニットは、自然なイントネーションと温かな肉声を実現し、言葉に感情すら滲ませることが可能だ。

 メカドールたちは人と語らい、時には笑い、時には悲しむ。

 そして人間と会話し、仲間同士で情報と感情を交換し合いながら、内なる『自我』を深め、そして『個性』を確立してゆく。


 彼らは単なる労働力を補うためだけの機械ではない。孤独が標準となったこの社会にあって、人の隣に寄り添い、『心の居場所』となる存在へと昇華していった。


 たしかに、骨格も神経構造も異なる人間の五感――どれだけ電脳技術やロボティクスが進歩しようと、それらを完全に再現することは、限りなく不可能に近いだろう。

 そこでメカドールは、身体に張り巡らされた仮想神経網と、そこに埋め込まれた無数の精密なセンサーを駆使し、味覚や触覚、痛覚までも巧みにエミュレートした。疑似的とはいえ、人間のように『感じる』ことを可能にしたのだ。

 これによって、メカドールは、人間が”感じる”様々な事象や経験を共に理解し学ぶことが可能となった。


 かつては魂の領域とされた感覚の営みも、今や技術によってその扉が開かれたのである。


 だが彼らは決して、漫画やアニメに登場する『お助けロボット』などではない。ましてや、単なる道具や玩具などでは断じてないのだ。


 その存在は厳格な倫理と法によって、厳しく仕様に制限が加えられている。軍事目的の利用を禁じ、犯罪への転用を防ぐため、国際法によって明確に『人間の範囲』を超えないよう、能力が制限されている。


 たとえば視覚。メカドールの視力は人間の平均値に抑えられ、SF作品などのように、数キロ先を見通す望遠機能などは備わっていない。

 それはプライバシーの侵害や盗撮被害を未然に防ぐための、厳重な規制だった。

 暗闇で目が光り、闇夜を暗視する機能もなければ、ビームを放ち、悪しき者を焼き払うような機能もない。


 身体能力も同様だ。ビルをジャンプで駆け上がるような跳躍力もなければ、火炎を吐いたり、腕がミサイルに変わるなどという荒唐無稽な機能も存在しない。


 走ってくる車を受け止めれば、いかにタイタンコンポジットとはいえ、その骨格は確実に破壊されるだろう。銃撃を受けようものなら、簡単に穴が開き、最悪の場合、致命傷となりうる。


 彼らは人間と共に生きることを目的に創られたのであり、人間を凌駕するための存在では決してないのだ。


 だからこそ、メカドールには、定期的な身体検査が義務づけられている。不正な改造や機能拡張を防ぎ、常に『人間の領域』に留まるよう厳しく管理されているのだ。


 労働の現場でも同様の倫理が徹底されていた。機械の身体を持つがゆえに、過酷な環境下での非人道的な酷使を認めない『メカドール国際人権法』が制定され、人格と基本的権利が国際的に認められている。

 この法律には世界の大多数の国が批准し、メカドールは人間と等しく扱われる、世界共通のルールとなった。


 労働時間の制限、適切な報酬、そして正当な休息――彼らが単なる『使役される存在』ではなく、『共に働く仲間』として社会に受け入れられるための制度である。

 

 そのため、彼らが意識を落とす――いわば”眠る”行為は、疲労の再現ではなく、意図的に人間と等しくあるための設計だった。


 

 ――やがて時代は静かに移ろい、社会は人間とメカドールが共に生きる、新たな段階へと歩みを進めてゆく。


 

 メカドールには必ず所有者が存在し、その管理監督は法律で義務づけられていた。

 所有者は行政機関や企業に限らず、一個人であっても構わない。望むなら誰もが、メカドールを“共に生活を営むパートナー”として迎え入れることが可能だった。

 もちろん費用さえ許せば――という条件付きではあるが、戸籍上の『家族』として登録することさえ、制度は認めていたのだ。


 この仕組みにより、子どもを持たない夫婦や孤独な高齢者にとって、メカドールは単なる労働力の域を超え、心の隙間を埋める温もりの存在となった。

 彼らは温かい家の中で、家族として共に食卓を囲む。その光景は、もはや珍しいものではなく、誰かの心の拠り所となって、街のあちこちに溶け込んでゆく。


 

 メカドールの購入時には、細部に至るまで、仕様のカスタマイズが可能だった。

 性別、容姿、体格、声質――あらゆるパラメータを自由に選ぶことができる。

 中枢電脳ユニットだけはセントリオンテック社が独占供給していたが、ボディの外装は世界中のメーカーが競って提供した。


 西洋的な彫りの深い顔立ちもいれば、日本人そのままの容貌を持つ個体もいる。

 理想のボディシェルを選ぶことで、老若男女、あらゆる外見のメカドールが生み出されていった。

 唯一選べないのは、赤ん坊くらいなものだろう。


 こうして、“誰か”の理想の形に仕立てられたメカドールは、所有者とともに日々を“生きる”うちに独自の人格を獲得してゆく。

 社会の中で、共に暮らし、共に働き、感情を交わし合う存在へと成長してゆくのだ。


 メカドールの登場は、世界に衝撃をもたらした。

 それは単なる話題性にとどまらず、社会の隅々まで浸透し、様々な分野でその能力を余すことなく発揮し始めたのだ。


 とりわけ、即応性と柔軟性が求められる医療や介護、接客サービス――常に人手不足に悩む現場では、彼らはまさに救世主だった。

 まるで未来の理想を具現化したかのように、メカドールは違和感なく人間の輪に溶け込み、的確にその役割を果たしていく。


 介護の現場では、肉体的補助に留まらず、高齢者の心に寄り添う存在としても歓迎された。

 幾度となく繰り返される世間話にも耳を傾け、疲れを見せず、微笑みを絶やすことなく語りかける姿は、多くの感謝と信頼を集める。

 彼らは単なる労働力を超えた、安らぎや癒やしすらも、もたらしていたのだ。


 こうしてメカドールは、不足していた労働力を見事に補い、新たな価値を社会に提供していった。

 ――しかし、その特異性はそれだけではない。


 生体組織を持たない機械の身体は、ウイルスや病原菌に対して驚異的な耐性を備えていた。その特性は医療現場で重宝され、感染症病棟などでは何よりの強みとなり、その優位性を発揮する。


 だが、その『清潔性』は意外にも、別の業界にも波及していくこととなった。

 ――性風俗産業だ。


 性感染症や衛生リスクから完全に解放された存在として、メカドールは夜の世界に新風を吹き込んだ。

 事実、メカドールだけで構成された風俗店が次々と開業し、業態として確立してゆき、夜の街にそれらの専門店が軒を連ねた。

 


 さらにこの流れは、当然のように夜の接客業全般へと広がってゆく。

 キャバクラ、ラウンジ、ガールズバーといった『夜職』の現場でも、彼らは自然な会話能力と誠実な応対で人気を博し、まるで看板娘のように名を馳せた。

 ――変わらぬ笑顔、揺るがぬ態度。そして何よりも、決して客を見下さず、等しく優しく接する姿が、人々の心を掴んだのだ。


 中には人気キャストとしてテレビや雑誌に取り上げられる個体も現れ、社会の表層では華やかな成功例として讃えられていった。

 驚くことに、それらのメカドールキャストの写真集まで発売されたという話もあれば、メカドールだけで構成されたアイドルユニットも誕生したほどだ。

 


 ――だが、世の中は良いことばかり運んでくるわけではなく、光があれば陰もある。――その陰には、ゆっくりと崩れゆく現実も潜んでいた。


 果たして、メカドールの台頭は、真に人々に幸福をもたらしたのだろうか。――その答えは、今でさえ、誰も言葉を持ち合わせていない。


 彼らがあらゆる職場に浸透するにつれ、人間の居場所は静かに、しかし着実に奪われていった。特に体力を要する現場や、単純作業、接客業において、その影響は目に見えて大きかった。


 メカドールは疲労を知らない。稼働時間には限りがあれど、その作業の質も量も、決して人間に劣らない。

 情報処理の現場では、業務時間の間、休みなくキーボードを叩き続け、接客の場ではいつも変わらぬ笑顔と一定のサービスを提供し続けた。


 だが、問題は彼らの能力が人間に「絶対に不可能」なものではなかった点にある。むしろ、誰もが苦手とする細かな領域を完璧に補うことで、人間は比較され、淘汰されていったのだ。


 最も深刻な打撃を受けたのは、中高年の肉体労働者や専門技術を持たぬ若者、非正規やフリーランスといった不安定な労働者たちである。

 彼らは新たな競争相手に敗れ、職を失い、やがて社会の底辺へと押しやられた。


 長引く不況と不安定な社会経済の中で、経営者たちは利益の減少に頭を抱え、労働者たちの声は届かぬままだった。

 しかし、メカドールの登場がすべてを変えた。彼らは与えられた仕事を完璧にこなし、結果を出す。人間であろうと機械であろうと、経営者にとっては“成果”だけがすべて。


 事実、多くの企業はメカドール導入により飛躍的な効率化を達成し、利益を伸ばした。だが、その裏で広がったのは、人間社会の冷酷な格差。容赦なく広がる溝は、弱者を次々呑み込んでゆく。


 さらに皮肉なことに、メカドールの手が及ばぬ特権的な世界――政治官僚や大企業の幹部、官公庁の上級職などは、ほとんど変化の波を受けなかった。

 富裕層と貧困層の断絶は深まり、新たな階級が社会に根を張り続ける。


 そして生まれたのが、後にA.I.A.と呼ばれることとなる運動だった。人工知能の台頭を拒絶し、技術偏重の社会に異を唱える新たな思想の胎動である。


 職を失い、日々の糧にすら苦しむ人々は、やがて生活保護をはじめとする社会保障に縋るしかなくなっていった。それは、人間の尊厳を奪い、そして心を蝕んでゆく。

 かつて「努力すれば報われる」と信じられていた社会は音を立てて崩壊し、その跡地に広がったのは、冷たく深い無関心と拡大する格差の谷間だった。


 メカドール特需とさえ言われる、企業の利益増をもってしても、国の税収はゆるやかにしか上昇せず、代わりに膨れ上がったのは社会保障費という名の重荷。

 財政はじわじわと蝕まれ、やがて国家予算の半分近くが社会保障に呑み込まれるという、未曽有の危機が目前に迫っていた。


 政府は苦肉の策として消費税を20%に引き上げたが、それは一時しのぎの焼け石に水。

 所得税の増額、法人税の減免縮小、年金制度の改悪など、数えきれぬ増税策や財源回収策を乱発すると、経済の回復を見せる事もなく、国民にただ痛みだけを残した。


 日本経済は出口のない暗闇の渦に呑み込まれ、ひとたび崩れ出した社会の均衡は、坂道を転げ落ちるかのように加速度を増しながら、悪化の一途を辿っていく。


 その追い打ちとなったのは、無計画な外国人労働者の大量受け入れだった。

 守るべき技術とノウハウは容易く国外へと流出し、転用、模倣され、より安価に生産されるモノで市場が溢れかえる。

 かつて世界に誇った『メイド・イン・ジャパン』の名は、今や風化し、遠い昔話となってしまったのだ。


 倒産のニュースが連日のように報道を賑わせ、歴史ある大企業の名前がひとつ、またひとつと消えていくたび、国民の胸に残るのは苛立ちと虚無だけだった。

 ――そればかりか、外国人たちは日本に足を踏み入れるや否や、難民申請という『弱者の免罪符』を掲げ、生活保護などの社会保障を貪り始める。


 それでも政府は、歳費を削減するどころか、国民の負担だけをいたずらに増やす政策を繰り返す。

 無策と無能への不信は瞬く間に国全体へ浸透し、電災直前の政権は、任期わずか一年目にして支持率が10パーセントを割り込む、見るに堪えない有様となった。


 先の見えぬ不況に、募る怒りと閉塞感。その果てに生まれたのは、追い詰められた人々の『諦め』と『反抗』だった。

 ヤケクソになった低所得層による窃盗、強盗、詐欺が急増し、若者たちは高報酬の甘い誘いに乗って、新たな犯罪の片棒を担ぐ。


 その波はメカドールにも及んだ。誘拐され、身代金を要求される事件が頻発し、治安は雪崩のように崩壊の兆しを見せる。

 夜ごとテレビを騒がせるのは、強盗、放火、暴行、そしてメカドールへの悪意ある犯罪の数々。一部の街では、一角にスラムを形成させていったほどだ。


 そして、それはついに、ひとつの暴発を引き起こす。

 後に『新宿反機暴動』と呼ばれるその事件は、メカドール排斥を引き金としながらも、社会が抱え続けてきた怒りが臨界点を超えた瞬間だった。


「人間の尊厳を守る会」と名乗る中年男性を中心とした草の根団体が主催したデモ。

 しかしそこには、過激な反AI思想を掲げる匿名組織「Anti Mechanist Council(AMC)」が紛れ込んでいた。

 のちに、ふたつの思想はやがて融合し、「A.I.A.(Artificial Intelligence Anticognism)――人工知能反認知主義」という反AI思想を生み出していく。


 ――2026年5月。

 はじめは、ただのデモに過ぎなかった。

 新宿駅前でプラカードを掲げ、シュプレヒコールをあげながら都庁を目指す、よくある抗議行進のひとつ。


 だが、現場に配備された警察の過剰なまでの威圧と、たまたま道端で清掃をしていたメカドールが、暴動の火種となってしまった。

 ひとりのデモ参加者が火蓋を切る。コンビニ前で作業するメカドールに罵声を浴びせ、空き缶を投げつけたのだ。


 そして、それに呼応するかのように、群衆が怒声を上げ暴徒と化した。


 噴き出した暴力は止まらない。

 街のメカドールは次々に襲われ、ガラスが砕け、看板が倒れ、街は怒りの咆哮と破壊音に包まれる。

 憤りと怨嗟が、ついに無秩序な暴力へと形を変えたのだ。


 一部の過激な参加者は、事前に準備した火炎瓶を手に、メカドールが働く店を襲撃し、街のあちこちに火の手が上がった。

 やがて機動隊の投入によって、暴徒が鎮圧されるまでに217名が逮捕され、無抵抗のメカドール18体が破壊されるという前代未聞の惨事となった。


 あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。

 異様に人影の疎らな歌舞伎町の街。客足が途絶え、不気味なまでに、あちこちの店がガラガラだった。

 何台ものパトカーが、サイレンの音をけたたましく鳴らして駆け抜けてゆく。

 靖国通り沿いの一部の店舗も、ガラスを割られたり、看板が壊されたり、巻き添えを受けたらしい。


 スマートフォンを覗けば、SNSのタイムラインは濁流のように延々と流れ続けていた。


 ――


『私、なんにもしてないよ? ただ店の前で掃除してただけなのに……こわいよ。友達が殴られて動かなくなっちゃった。 人って、どうしてこんなに怒るの? #こわいよ #新宿反機暴動』


『もう限界。うちの会社も半年前にメカドールに全員置き換えられた。真面目に働いてたのに、なんで人間が捨てられなきゃならないんだよ。 #新宿反機暴動 #メカドール反対 #仕事を返せ』


『【現地映像】新宿のデモが暴動に変わった瞬間。メカドール襲撃の瞬間も映ってます。※閲覧注意 警察到着前に逃げた方がいいかも? #新宿反機暴動 #現地レポート #拡散希望 [動画リンク]』


『そもそも、AIに仕事奪われるようなクソスキルしか持ってないやつが悪い。時代が変わるってそういうことだろ?メカドールが悪いんじゃない。文句言うヒマがあるなら、AIに使われない側に回る努力しろ。 #新宿反機暴動 #進化についてこれない人々はクソ #時代は残酷』


『なんだあのメカのガキは。あんなモンが介護だの教育だのって、世も末だな。人形が壊されたぐらいでニュースにするな。 #AIなんていらん #新宿反機暴動 #昔はよかった』


『今日も、常連のおばあちゃんが店に来てくれてたんです。でも、暴動のあと来た人に「機械が出すコーヒーなんて飲むな」って脅されてた。コーヒー淹れるの、大好きだったんだけどなあ……迷惑かけたくないから店閉めるね。 ごめんね、おばあちゃん。もうコーヒー淹れてあげられなくなっちゃった。 #カフェ閉店 #メカドールの日常 #新宿反機暴動』


『今日、友達が壊されました。駅で清掃をしていただけの子です。「メカドールは敵だ」って叫んでいた人は、たぶん私たちのこと、よく知らない。私たちだって、誰かの役に立ちたいと願ってる。壊されるために生まれたんじゃない。 #共に生きたい #新宿反機暴動』


『いつも通うコンビニのあの子が泣いてた。『なぜ叩かれるの?』って。メカドールだって生きてるんだよ #暴力反対 #メカドール人権法 #新宿反機暴動』


 ――――――――――――――――――――


 SNSの世界もまた、真っ二つに割れていた。

 

 ――メカドールに職を奪われたと憤る者。

 ――暴動を非難する理性的な声。

 ――AIの消失を願う老人たち。

 ――仲間を破壊され、胸を痛めつつも、人間に理解を求めるメカドール。

 ――事態を高みから見下し、痛みを嘲笑う者。


 その日、SNSはプラットフォームを問わず、どこもかしこも『新宿反機暴動』一色に染まる。

 マスコミはこぞってこの暴動を報じ、日本政府には、国際法で認められたメカドールの人権を無視した暴動に対して「これはもはやテロと同義だ」と、世界各国や様々な権利団体から非難の声が浴びせられた。

 

『【ご報告】本日発生した「新宿反機暴動」に関しまして、政府は「メカドールとの共生社会の実現に向けた意識啓発キャンペーン」を新たに展開する方針を決定しました。暴力ではなく対話を。ご理解とご協力をお願いいたします。#メカドール共生社会 #新宿反機暴動 #広報活動強化』

 こんなズレた投稿をする日本政府に対し、ネット上では多くの罵詈雑言が乱れ飛び、国民の怒りに対して、火に油を注ぐ形になったのは言うまでもない。


 「違うだろ、その前にやることあるだろ」

 「何が“ご報告”だよ、失業者に現金給付してから言え」

 「共生社会?働き口ねぇのにどう共生すんだよ、ファンタジーか」

 「壊されたのはAIじゃなくて、俺らの生活なんだよ」

 「なんで国民が増税で貧しくなってるのに、政治家は給料上がってんだよ」

 「国会で寝てる議員こそメカドールでよくね?」

 



 その日から街の風景には、不安と憎悪、そして修復不能な溝の痕が色濃く刻まれてゆく。

 メカドールの存在を境目に共存しようとする側と、排除しようとする側。

 だが、その対立が深まる中で――人間もメカドールも、等しく呑み込む災厄が訪れた。


 そう、あの忌まわしき出来事。


 ――電災だ。

次回からは電災のお話。


そもそも「電災ってなんぞや?」

第一話冒頭で、突如「人類を排除する」のメッセージと共に

レヴュラが現れたという事を描いていますが、次回以降は

実際に、何が起こったのかを描いてまいります。


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