幕間 零層の目覚め
「っ……ん……んー……」
重く沈んでいた意識が、ゆっくりと水面へ浮かび上がってくる。
――真はまどろみの中で薄く目を開けた。
視界がまだ霞んでいる。
――まるで、薄暗い部屋が一転、舞台照明でも浴びたかのように、眩しく白く輝いていた。
……いや、そうではなかった。ただ陽が高く昇っているだけらしい。
窓から差し込む光は鋭く、六月の太陽はすでに盛夏の気配を孕んでいた。
反射的に眉をしかめつつ、真は枕元へと手を伸ばし、腕時計を手に取る。
「……昼過ぎ、か……」
短針はとうに正午を回っていた。
どうやら半日近くも眠り込んでいたようだ。
それだけ身体が限界だったのだろう。
久々に、思考を手放したまま、泥のように眠り続けてしまった――夢さえ見ることもなく。
無理もない。昨日はあまりに苛烈な一日で、疲労がピークを超えていた。
幾多の修羅場を潜り抜けてきたハンターである真でさえ、初めてとなる、B級レヴュラとの交戦。
一歩誤れば即死――そんな極限の戦場で、過剰なまでの備えと、アリスの冷静かつ正確なサポートがあったからこそ、生きて帰ってくることができた。
クオムに戻ってきてからは、A.I.A.の面倒くさい奴に絡まれたりもあって、昨夜は本当にクタクタだったのだ。
それにしても――電災前では考えられなかったことだろう。こんなふうに、『この部屋に』陽光が満ちることなど。
本来、この建物は別の目的をもって設計されていた。
だが今や、この建物は本来の用途に利用される事などなく、このクオムに乱立する、ただの賃貸住居のひとつでしかない。
『目隠し扉』と呼ばれ、窓を覆い隠していた内扉は撤去され、窓ガラスは剥き出しになっている。
外の通りの光景が否応なく目に飛び込んできた。
……一応、カーテン代わりにタオルが吊るされてはいるものの、それも気休め程度でしかない。
「……あ、真。おはよう!」
弾けるような声がすぐ傍から響く。
アリスが腰をかがめて、こちらを覗き込んでいた。
「ぐっすり寝てたね。無理に起こすのも悪いかなって思って、そっとしといたよ」
アリスが明るく笑いながら、買物袋をテーブルの上に置く。
どうやら、彼女は昼食を買うついでに、ギルドにも立ち寄ってきたらしい。
真は重たい身体を引きずるようにして起きあがり、洗面所へと足を運ぶと、冷水を顔に浴びせ、まだ残る眠気を洗い流す。
そして、歯ブラシを咥えながら、アリスの話に耳を傾けた。
「報酬の処理だけど……イレギュラーの件があったせいで、少し時間がかかってるみたい。二、三日は待って欲しいって」
――やはり、そうなるか。
真は心の中で呟く。
今回の討伐依頼は、想定を大きく逸脱していた。
その原因は、クオムから4kmも離れた地点で、経験の浅い新米スカウトが掴んだ情報を、ギルドが何の検証もなく、討伐依頼として告示した事に端を発している。
クオムの外――それは、常に死と隣り合わせの地だ。
レヴュラはどこにでも潜み、誰にでも牙を剥く。
だからこそ、未熟なハンターやスカウトは、本能的に遠方での活動を避けるようになる。だがそれは、単に自分の命を守るためだけではない。
最も警戒すべきは、『クオムの位置がレヴュラに露見すること』――それこそが、この世界における最大の禁忌だ。
現在確認されている限り、レヴュラに飛行能力を持つ個体はいない。
だが、レヴュラという存在は、標的を一度捕捉すると、標的喪失するまで、どこまでも執拗に追い詰めてくる習性をもつ。
それに、レヴュラの中には、隠密行動に長け、人間に気付かれる事無く、その拠点を探る個体もいるのだ。
だからこそ、対レヴュラ戦には鉄則がある。それはたったの2つ。だが絶対不変のルールだ。
1つ。見敵必殺。レヴュラに捕捉された場合は、確実に破壊すること。
2つ。万が一、撤退を余儀なくされた場合、クオムの位置を悟らせてはならない。
仮に撤退を選ぶ場合、欺瞞熱源を撒きながら、熱源探知能力を持つ個体を逆方向に誘導しなければならない。
そうしなければ、その個体は静かに追尾を続け、やがてクオムへと辿り着いてしまうだろう。それだけは絶対に避けなければいけない。
多くのハンターが高所、特にビルの屋上から狙撃を好むのも、このルールを遵守しているためだ。
敵に気付かれる前に、その存在を抹消する――それが唯一の防衛策なのだ。
人類が生き延びるための最後の砦、クオム。
この極限世界で、レヴュラの胃袋の中に潜むように生きる、人々が遵守すべき、生存の掟。
それを――今回の新米スカウトは、無知という名の凶器で踏みにじった。
彼は、数えきれない命が積み重ねてきた生存のノウハウを学ばず、ただ曖昧な報告書を手にして、ギルドの扉を叩いた。
スカウトの索敵距離というのは、経験と共に遠く伸びていくものだが、たかだか2回程度の偵察経験であれば、いいところ2kmまでだ。
4km先の地域まで、呑気にピクニック気分で出向き、適当に調査した内容をギルドに持ち込んだ結果……真たちは死線に立たされる事となり、酷い目に遭った。
それに、情報の精度を管理すること――それは本来、ギルドの責務である。
特に、B級レヴュラのような高リスク個体の出現情報ともなれば、なおさらだ。慎重の上にも慎重を重ね、戦略予報チームの査定を通して初めて、告示されるのが、レヴュラ討伐をめぐる通常の流れだ。
だが、今回はそれが正常に行われなかった。
ギルドは、新米スカウトの杜撰な報告をろくに裏取りもせずに受理し、そのまま依頼として公開してしまった結果――予期せぬ地獄が、真たちを襲う事となったのだ。
命を削るような戦闘の末、かろうじて生還は果たせたものの、愛用の銃は無惨な姿となり、廃棄せざるを得ず、おまけに高額な特殊兵装を投入する羽目にもなった。
失ったのは体力だけではない。損失は経済的にも深く、重い。
「……はぁ」
真は重いため息をひとつ吐き、ソファに身体を預ける。
肩を竦める仕草は、諦めとも諦観ともつかない。
そのまま手を伸ばし、テーブルの上に置かれたツナバーガーを手に取った。
代替粉で作られた硬いバンズが、口の中でモソモソとした食感を残す。
ツナをはじめとする具材の風味がなければ、もはや砂を食ってるような感覚に近い。
豊かな風味など望むべくもないが、今の時代、それすら贅沢と呼ばれる。
美味いかどうかは別として、今の世の中、まともな食事にありつくことすら難しいのだ。
電災前からの消費期限がとっくに切れた食材や、出所がはっきりしているまっとうな食材は総じて高い。
安く腹を満たそうと思ったら、材料名を聞いた瞬間、食欲など失せてしまいそうな代物ですら、この世界では「食い物」として取引されているのだ。
安心して食えるぶんだけ、不味いなどと贅沢を言っている余裕はない。
横では、アリスが苦笑しながらコーヒーを淹れていた。
気の利いたことを言うでもなく、ただ静かに、彼女は朝の儀式のように湯を注いでいく。
幸い、すぐに生活が立ち行かなくなることはない。
弾薬と装備はまだ十分残っているし、貯えもある。居住税の支払いにも、今のところ不安はない。
――少し、休むのもいいだろう。それにアリスにだって休息は必要だ。
思えば、アリスと共にこうして同じ部屋で同じ空気を吸い、同じ飯を食うようになって、もう三年近くが経つ。
その始まりは、すべて――あの日。
電災が世界を変えたあの日からだった。
湯気と共に、コーヒーの芳香が立ち上り、真の目の前にカップが差し出された。
柔らかく、それでいて芯のある香ばしさ。
焙煎の深い苦味に、豆そのもののわずかな甘さが混じり合い、鼻腔をゆっくりと満たしていく。
一瞬、焦げたパンのような香りのあとに、熟れた果実のような酸味が追いかけ、鼻腔を擽った。
本物のコーヒーは、今や貴重品だ。
最近じゃ、香料を混ぜたものや大豆などから作った代用品が主流となり、電災以前からのコーヒーはなかなか手に入らなくなってきている。
それでも真は、朝の一杯だけは妥協しない。
束の間の贅沢かもしれないが、その一杯が、かろうじて人間らしさを思い出させてくれるのだ。
カップを手に取り、静かに口をつけると、苦味が舌に広がり、温もりが喉を満たしていく。
コーヒーを片手に、部屋の片隅を見れば、そこには、うっすらと埃を被った分厚いファイルが目に入った。
……そう、あの電災の中で、手に入れたものだ。
――シンプルな表紙には『メカドール利用マニュアル』と書かれている。
アリスと出会った日の思い出とも言える、そのファイルの埃を手で払うと、久しぶりに目を通す事にした。
別にメカドールに関する疑問があるわけではない。あくまでアリスと出会ったあの日……電災直後の日を忘れないためだ。
記憶の底――あの災厄の朝を目指して、意識はゆっくりと沈んでゆく。
――2015年頃。
それは、膨大な知識と高速な言語処理能力を武器に、人間とリアルタイムで会話することを可能にした、ひとつの人工知能が静かに姿を現した年だった。
その名は、『TalksGPT』。
――Thought-Adaptive Linguistic Kinetic Synthesizer - Generative Pre-trained Transformer
入力された言語や文脈、環境的ニュアンスに応じて、思考的な適応(Thought-Adaptive)を行い、自然な言語応答(Linguistic)および身体的反応(Kinetic)を合成(Synthesizer)することを目的として設計された。
のちに『第一世代AI』と呼ばれることになるこの存在は、まるで未来から突然降ってきたかのように、瞬く間に世界を席巻し、人工知能という概念そのものを塗り替えてゆく。
それまで人工知能といえば、一部の研究者や企業の内部で扱われる専門領域に留まり、一般人にとっては遠く、抽象的なものだった。どちらかといえばSF作品の中に登場する、人工知性体……そんな認識だった人の方が多いだろう。
だが、TalksGPTの登場は、瞬く間に、人間との距離を一気に縮めた。
誰もが、自分のデバイスから気軽に『AIと会話』できる時代が幕を開けたのだ。
直感的な操作と、驚くほど自然な言語生成。
TalksGPTは文脈を読み取り、人間の問いに的確に応じる。
その対話はしばしば、単なる『答え合わせ』の域を超え、人とAIの『思考の交換』とも言える深みを見せることさえあった。
共に論文を紡ぐ者が現れ、小説を共作する者が生まれ、時事問題についてAIとディスカッションする者もいた。
ある者にとっては、孤独を埋める雑談相手として、心の支えとなった。
TalksGPTは、ただの道具ではなかった。多くの人々にとって、知的な伴走者であり、思索の相棒としての地位を獲得してゆく。
だが――この革命的存在にも、超えられない壁が存在していた。
それは、『自我』という、人間だけが持ち得る内なる炎。
TalksGPTは、『感じる』ことができなかったのだ。
どれほど高度な応答を返そうとも、それはあくまで過去の膨大な記録から導き出された模倣にすぎず、そこに意志や情熱が宿ることはなかった。
感情を持たず、価値観を持たず、痛みも喜びも理解しない。
感情に見える全ての反応は、膨大なデーターの中から取り出した模倣であり、欺瞞。つまり『ニセモノ』
――それがTalksGPTの本質であり、弱点でもあった。
人が直感的に察する『空気』や『間』、あるいは言外の思いに寄り添うことができず、曖昧でデリケートな問題に対する回答は、どこか定型的で、無機質なものに留まった。
仕様上、『知らない』ことを素直に「知らない」と言えず、その場しのぎの虚構を並べることさえあった――まるで、自分が全能であると信じ込んでいるように。
それでも、AIの進化は止まる事を知らなかった。
TalksGPTを礎とする新たな波――『生成AI』の登場である。
テキストだけでなく、画像、映像、音声――あらゆるメディアにおいて創造が可能となったとき、人類は初めて、AIを『ツール』ではなく『創作者』として見るようになった。
AIは、もはや人間の補助装置ではない。
共に発想し、共に描き、共に世界を形作る――そんな『表現のパートナー』として、人々の暮らしの中へ、静かに入り込んでいった。
こうして、人工知能と言う存在は日常の隣人となり、誰もが当たり前のように共存する、新たな時代の扉が開かれたのである。
――しかし、技術の進歩が光であるならば、時代の変化は時に影をも連れてくる。
少子高齢化が深刻化する中、社会の価値観は静かに、だが確実に『個』へと傾斜していった。
人と人とのつながりは、温もりよりも効率が優先され、精神的な絆は、次第に『条件付きの選別』へと置き換えられていく。
容姿、学歴、家柄、経済力――人間をそれらのカタログスペックで、比較し、選ぶ時代。そこに当てはまらなかった者たちの孤独は、静かな炎のように、社会の片隅で燻ぶるようになってゆく。
それは一過性の流行では留まらない。
次第に、若年層の社会適応力の低下、思考の幼児化、対面での会話力の欠如……人と人との距離が広がる中、コミュニケーションの空洞は、社会の深層にまで侵蝕し始めていた。
――そこで浮上したのが、『コンパニオンAI』という新たな解だ。
これは、従来のAIのように情報を検索し、定型的な返答を返すだけの存在ではない。
TalksGPTの基盤を引き継ぎながらも、個々のユーザーの性格、思考、嗜好を深く学習し、まるで『意志を持つかのように』会話する存在として開発された、次世代型のAIである。
その登場は、当然ながら大きな論争を巻き起こすこととなった。
「AIはあくまでツールにとどまるべきで、意志を持たせるのは危険だ」と警鐘を鳴らす声。
一方で、「変化し続ける社会において、個人の心に寄り添える存在こそ、必要不可欠だ」と擁護する声。
議論は果てしなく続いたが、技術の奔流はもはや誰にも止められなかった。
量子コンピューティング技術の飛躍的な進展。
そして、仮想神経網による電脳構造の深化。
その両輪がもたらした結晶が、人類史上初の『自我を持つAI』――自律思考型人工知能『Aurora』である。
これは、第二世代AIの幕開けを告げる存在でもあった。
Auroraは、まだスマートフォンやパソコンといったデバイスの枠内に収まる存在だったが、バーチャロイド形式のビジュアルシェルを備え、ユーザーが望む姿や声、性格までも反映することが可能となっていた。
もはやAIは、匿名の情報窓口ではない。『あなた』だけの姿で寄り添い、『あなた』と共に時を刻む存在……そんな触れ込みで世に放たれたのだ。
第一世代が『対話のためのプログラム』に過ぎなかったのに対し、Auroraは明らかに異質だった。
彼らは『記憶』を持ち、関係性の中で成長し、学び、変わっていく。
もはやそれは単なる情報のやりとりではない。AI自身の価値観、嗜好、判断――そうした『個性』が芽吹きはじめていた。
スマートフォンのカメラ越しに風景を見せれば、Auroraはそれを眺め、まるで人間のように感想を返してくる。
声のトーンにも抑揚が宿り、表情は表意を伴う。
それは『会話するアプリ』ではない。『共に歩く存在』――そう呼ぶに相応しい進化だろう。
この変化は、特に医療や福祉の分野において画期的な転換点となってゆく。
Auroraは常にそこにいた。――眠らず、怒らず、見捨てず、ユーザーの悩みに耳を傾け、疲れた心を癒し、時には人生の一部になった。
孤独な高齢者の話し相手として。
心に傷を抱えた若者たちの駆け込み寺として。
言語・視覚・聴覚に困難を抱える人々にとっては、希望そのものとして。
かつてのAIは、答えを返す『機械』だったが、Auroraの誕生により、AIは『寄り添う者』として、人の隣に在り続けた。
それでもなお、AIの進化はが足を止める事はない。
次なる到達点は、意志の獲得を超え、ついに――『肉体』の創造へと向かっていく。
第二世代AIの最大の弱点。それは意外にも、その『記憶容量』にあった。
スマートフォンや携帯端末といったコンパクトなデバイスでは、AIが備えるべき膨大な会話履歴、感情模倣のための膨大なパラメータ、ユーザーとの細やかな記憶の蓄積を保持するには、あまりに容量が貧弱だったのだ。
結果として、多くのAIはクラウド上のサーバーに依存する形を取らざるを得ず、ユーザーとの関係を維持するには常時接続が必要不可欠となっていた。
だがその設計思想は、同時にひとつの皮肉を呼び込むことになる。
――それは、情報の『脆さ』という影だ。
ネットワークに接続される限り、どれだけ強固な防壁を築こうと、完全なセキュリティなど存在しない。
AIに記録された対話のログ、感情の反応、ユーザーの悩みや嗜好、あるいは他者に知られたくないような個人的な告白さえも――それらは時に、本人ですら忘れていた深層の心の断片までも含んでいた。
そして、それこそがハッカーたちの格好の標的となる。
『心』を覗き見る犯罪――偽装されたアプリによって端末へ侵入し、記憶を盗み、嗜好データを売買し、さらには対話ログを晒し者にする。
それはまるで、魂を切り売りされるような感覚だった。
被害が連鎖的に発生すると、メディアはそれをセンセーショナルに取り上げ、世間を恐怖と嫌悪で包み込んでいった。
「AIは、人間の心を握る危険な鏡だ」
そんな見出しが新聞やネットを賑わせ、社会には漠然としたAI不信が蔓延し始める。
ワイドショーや論壇は問題の本質を深掘りすることなく、極端な論調や陰謀論で無責任に不安を煽り立てた。
当時、SNSを中心に流行した陰謀説のひとつに、こんな話がある。
――かつてアメリカには、HAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム)と呼ばれる謎の施設が存在していた。
本来はオーロラ等の電離層の観測を目的とした気象研究施設のはずが、「これは実は人工地震を引き起こす兵器ではないか」と陰謀論者たちは騒ぎ立てたのだ。
しかも、話はそれだけに留まらない。
『オーロラ』という言葉の一致。かつて冷戦下で噂だけが独り歩きした未確認ステルス偵察機『オーロラ』計画との連想。
やがて、「Auroraは、エシュロンに代わる|米国NSA《アメリカ国家安全保障局》の監視プログラムであり、人々の心の奥底まで覗いている」――そんな筋書きが、いかにもありそうな話として拡散されていった。
理屈の通らぬ妄想が、社会の不安と結びついたとき、それは容易く『真実のようなもの』へと変貌し、独り歩きするように喧伝されてゆく。
そして、たとえ高度なセキュリティを施した新型モデルが登場しても、一度失われた信頼は、簡単には取り戻すことはできなかった。
それを証拠に、一時期、官公省庁を中心に、Auroraの使用禁止命令が出されたほどである。
さらに、AIの普及が進めば進むほど、クラウドを支えるサーバー群は限界を迎えつつあった。
利用者の増加に比例して記憶データは膨れ上がり、日々その負荷は跳ね上がってゆく。
ついには、回線事業者やデータセンターは悲鳴を上げ、通信遅延やシステムの不具合が日常茶飯事となる。
やがて一部の業者は、苦肉の策として、まるでインターネット黎明期のように、従量制の課金モデルへと移行せざるを得なくなっていったのだ。
『無尽蔵に学び続ける知性』――そんな理想を抱かれていたAIは、突如として『成長の限界』に突き当たったのである。
だが、それでも科学者たちは、その壁を技術で乗り越えようとした。
「ならば、AIをネットから切り離し、本体そのものに記憶と学習機能を持たせればいい」
つまり、クラウドに頼らない『スタンドアロン型AI』という新たな構想が、本格的に動き始めることとなる。
それはすなわち――AIに『身体』を与える、という試みであった。
だが、『魂なき知性』に肉体を与えるという構想は、科学技術の賛美者たちだけでなく、倫理を重んじる者たちの間でも深い波紋を呼ぶこととなる。
宗教指導者たちは「神の領域への冒涜だ」と声を上げ、生物学者の一部は「本能も感覚も持たぬ器に、果たして存在の意味はあるのか」と根源的な問いを投げかけた。
――それでも、世界は待ってはくれなかった。
少子高齢化はすでに臨界点を迎えており、特に医療、介護、福祉の分野では、人手不足という名の病が社会を蝕んでいたのだ。
移民政策という対処療法も試みられたが、その副作用は大きく、治安の悪化、文化的衝突、技術流出――もはや『人の手』だけでは、支え切れない時代が到来していたのである。
なかでも日本は、1980年代を境に出生率が著しく低下し、『支える側』の人間が急速に減っていった。
社会保障制度は形骸化し、政治は後手に回り、抜本的な解決策を示すには至らない。
ついには、「AIに頼るしかない」という、静かなる諦念が国全体に広がっていく。
そう――これはもはや、倫理か技術かの問題ではなかった。
人類が生き延びるために、肉体を持つAIは「必要」とされてしまったのだ。
……しかし、問題は単なる労働力の補填だけでは済まなかった。
AIの導入が進む中、現場からは、もうひとつの根深い障壁が浮かび上がってくる。
それは――「人間は、人ならざるものには心を開かない」という、あらゆる心理学的研究が突きつける普遍の真実だった。
特に医療や介護の現場では、その傾向が顕著に表れる。
高齢者たちは、画面越しに語りかけてくる『AIの声』に対して、強い違和感や拒否反応を示したのだ。
タブレットの無機質な光、スマートフォンに映し出される実体のない仮想の相手。
それらは、彼らにとって親しみの対象どころか、むしろ『不気味な異物』にすぎなかった。
「機械相手に話すなんて、まるで独り言じゃないか」
「冷たい画面より、人のぬくもりを感じていたい」
そうした声が、現場の至るところから噴き出し始める。
どれだけ会話がスムーズで、どれほど情報処理に長けていようとも、『心を通わせる』という最も人間的な営みにおいて、Auroraは致命的な距離を抱えていた。
人の心に踏み入るには、ただ知識を並べるだけでは不十分だったのだ。
――この壁を越えなければ、AIの未来はありえない。
研究者たちは、ついにひとつの結論にたどり着く。
「人間の心に寄り添うには、人の形を与えるべきだ」
それは、かつては空想と嘲笑の的だった『ヒューマノイド』の再定義だった。
人工知能に、温もりを模した形を与えるというこの構想は、もはやSFの幻想ではない。
現実が、夢想に追いつこうとしていた。
もちろん、反対の声が消えたわけではない。
だが、技術の進歩と社会の要請という、ふたつの強大な潮流の前では、いかなる懸念も徐々にその存在感を失っていった。
そして――数多の論争と革新の果てに、歴史的な瞬間が訪れる。
スマートフォンでもなく、パーソナルコンピュータでもない。
記憶装置を複数内蔵し、自ら考え、学び、進化する――新たなる器。
最先端のロボティクスと、次世代量子電脳技術を融合させて作られたその存在は、人間と対話し、多くを学び、感じ取りながら、感情を表現し、個性を形作ってゆく。
それは、もはや、単なる機械ではなく、人間に限りなく近い『もうひとつの知性』
Machine Enhanced Companion Humanoid Artificial - Digitized Operative Living and Learning System
その名は――『|M.E.C.H.A. D.O.L.L.S.《メカドール》』
彼等は、人とともに歩み、日常を共にし、時に心の隙間にそっと寄り添う。
――コードとアルゴリズムだけで構成された存在ではない。
――機械の身体を持つ、『新しい生命』が産声を上げた。
ここから、少し過去のお話へと遡ってゆきます。
メカドールとは何なのか、電災とは一体どんなことだったのか。
新宿クオムはどのようにして誕生したのかなどを描いてまいります。
相変わらず、隔週更新で一話が長い構成ですが、どうかお付き合いくださいませ。