長い長いエピローグ
僕は、
『世界』は限りなく、それは際限なく広いと思っているが同時に狭いとも思っている。
近未来、
誰でも北極に旅行できるツアーがあり、
僕はエントリーして日本を発ち、飛行機、船を乗り継ぎ、その北極ツアーに参加した面々と会う。
すると、ほぼ僕の顔見知りだった…みたいな話だ。
『広くて』『狭い』の、あるんじゃないのか!?話。
【名選手は名監督であらず】とは、もう最近、あまり聞かない。
僕は若かりし頃、プロ野球を見ていて、
かつて名選手だった人が監督になり、
そのチームが負け続けているのをテレビで見た。
その時、ふいに僕は、
「名選手は名監督ではらあらず、だね…。選手としては大活躍だったけど監督として采配することには長けないんだな…。」と呟いた。
その僕の呟きを隣で同じく試合を観ていた父親が聞いていて僕に、こう言った。
「それ意味、違うんだよな…野球をプレイするチームの中に監督自身が、もう選手として、いないんだよ…!」と。
その父親の言葉が、ずっと引っ掛かっていて、その後、僕は何度も【名選手は名監督であらず】を吟味した…。
監督は選手時代、四番だった。
それこそ、四番の仕事をまっとうした。
ここぞという時に長打、ホームランだった。
監督になり、
打順を考えて、試合は始まる。
四番を任せた選手が全く打てない…。
試合は負け監督は、現役の四番に言う。
「選手時代の私なら、打っていた!」と…。
友人の橋本は趣味で小説を書いている。
短編しか彼は書かなくて、
まず作品に取りかかる前に、
己の日記帳を見るそうだ。
日記は毎日、書いていて、
そこには世間批判や愚痴が、わんさか書かれているそうだ。それらは彼の小説の、もとネタでは、あるらしいが、それを小説にはダイレクトに反映させないらしい。
「グロテスクなこと、胸くそわるいことをそのまま文に、ただ、そのまま文にする…それを小説に、そのまま引用する…俺が出来ないことはないだろう……小説において文字を用いて何をどう表現するのかは本当に自由だから。でも、それはせずに、誰かに読んでもらうことを前提とした小説作品を俺は書きたい!」と彼は言う…。
その完成品を僕は、たまに彼から読ませてもらう。
それが僕の楽しみの一つになっているが僕は彼の日記帳には、全く興味がないのだ。
人生が『限りのあるレース』みたいなものなら…
僕の好きだった完結済みの連載漫画に、
大陸を馬で横断しレースをするという、それはスーパー物語があって、
主人公、その相棒とも各々が各々の馬に乗りレースをしていくのだが、
相棒は、決して己の鞍に女性は乗せない、と言う。
主人公は、なぜ?と聞く。
相棒は言う。
「俺の鞍には既に勝利の女神が乗っている。だから、女性を乗せたりすると、勝利の女神が嫉妬して、俺に女神は微笑まず俺は勝てない。」と。
勝利の男神とは、まず僕は聞いたことなくて、女性の勝負師も勝った際のインタビューで、
「私に勝利の女神が微笑んでくれました!」などと言う。
僕の現実は近年、女性と共に行動することが仕事でもプライベートでも皆無に等しい…。
何をもって、人生のレースの勝者と呼ばれるのかは定かではないが、
リアルな女性と、
ただ一人のリアルな女性と幸せに暮らしていけることを僕は己の人生において、まだ諦めてはいなかった…!!
【おわり】
スポットで多額の収入があったとき、申告しなければならないのは筆者、分かっておりますが、そこらへんの描写は敢えて書きませんでした。
今作を最後までお読みくださり、ありがとうございました♪