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風雅の君  作者: 神間 那古井
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第9話 後の祭り

 夕暮れ時——西園寺李桜(さいおんじりおう)は呆然としていた。

 椿つばきが見せた涙が頭から離れない。

 感情を制御できずに勢いで無理やり自分のものにしようとしていた李桜を責めていたのかもしれない。

 鬼灯きとうから椿を預かってから半年——預かったからには大事にしてきたつもりだった。

 だが今は胸を張ってそう言い切ることなどできない。

 そんな所業をしてしまった。

 どうしていいかわからなくなった李桜は、答えを導き出してくれそうな人の助言がほしかった。

 家臣の三木みきの制止を振り切って邸を飛び出し、考えごとをしながら歩いていた彼は気がつくと六波羅ろくはら御所の前にいたのだった。

 門番に声をかけようとすると、珍しく扉を開きながら現れた鬼灯が目を見開いて李桜を見ていた。

「……ん? 月華つきはなではなかったか」

「鬼灯様……お邪魔でしたか」

「いや」

「折り入ってご相談があるのですが、少しお付き合いいただけませんか」

「悩みごととは珍しいな、李桜。入りなさい。事情は中で聞こう」

 そう言って鬼灯は李桜を六波羅門の中に招き入れた。

 相変わらず長い髪を揺らしながら堂々と前を行く鬼灯の後ろで李桜は無意識のうちに大きくため息をついた。

「何だ、李桜。この世の終わりとでもいった様子だな」

 吐き出されたため息を聞き逃さなかった鬼灯は振り返り様、不敵に微笑んだ。

「さすがの中務少輔なかつかさしょうゆうでも色恋沙汰は手に追えぬか?」

「え……どうしてわかるのですか」

「お前の顔に書いてある」

「か、か、か、か、顔に!? ど、どこです、何て書いてありますか」

「…………重症だな」

 からかったつもりだったが、真に受け自分の顔をあちこち触りながら驚愕する李桜は、もはや朝廷で切れ者と言われる優秀な官吏の影もなかった。

 鬼灯の書院に案内された李桜は促されるままにその場に腰を下ろした。

 座るなり盛大に息を吐いた李桜を見て鬼灯は眉根を寄せる。

「で、何があったのだ?」

「鬼灯様はどうやって奥方と夫婦になったのですか」

「……はっ?」

 李桜は思いつめたように言った。

「僕は椿殿に求婚してから半年——すぐに答えを出してもらえなくても彼女の気が向くまで待とうと思っていたんです。でも……もう待てない」

「椿殿は近衛柿人このえかきひとの件でお前に迷惑をかけると返事をするのを躊躇っていると聞いたが、そうではないのか? 彼女はどう考えているのだ」

「それがわかるなら苦労はしませんよ……。鬼灯様から預かってからひとつ屋根の下で暮らしてきましたが、椿殿は一向に返事をしてくれる様子はないし。でも、僕のもとを離れていこうとしないところを見ると気持ちがないわけじゃないと思ってた。それが、他の男と逢瀬を楽しんでいたりして……もう、椿殿が何を考えているのかわかりません」

「男との逢瀬?」

「……どこの誰なのかも知りません。悠蘭(ゆうらん)が色白の男と楽しそうにしている椿殿を見かけたと——」

「ほう。それで、お前はどうしたいのだ」

「椿殿を妻にしたいに決まってます」

「では悩む必要などなかろう。答えは出ているのではないか」

「それが——」

 李桜が続きを答えようとしたところで、襖が大きく開かれ鬼灯の待ち人が現れた。

「鬼灯様、遅くなりました……ん? 李桜、来ていたのか」

 現れたのは鎌倉から到着したばかりの月華だった。

 月華の後ろには可愛らしい少女が立っている。

 年の頃は15、6といったところだろうか。

 鬼灯は優しく目を細めて答えた。

「月華、菊夏きっかの護衛を頼んで悪かったな。ご苦労だった」

「いえ、俺もそろそろ百合ゆりに会いたいと思っていたのでちょうどよかったです。菊夏殿の送迎を引き受けたおかげでしばらくこちらに滞在できますしね」

 月華は珍しく、鬼灯から引き受けた仕事を心から喜んでいた。

「李桜、紹介しよう。姪の菊夏だ」

 鬼灯に手招きされた少女はすっと歩み寄ると李桜に一礼した。

「鬼灯様の姪御さん、ですか。では鎌倉から?」

「ああ。菊夏はこう見えても鎌倉幕府お抱えの薬師のひとりでな。最近、みやこで毒殺事件が続いていると小耳に挟んだゆえ、菊夏に解毒薬を作らせようと思って呼びよせた」

「解毒薬を作っていただけるのですか! それは朝廷としても願ってもないことです」

「すぐには無理かもしれぬがいずれ完成するだろう。それまでに犯人が捕まればよいが……まあ、万が一の際の備えはあって邪魔になるものでもない」

「鬼灯様……お力添え、ありがとうございます」

「しばらくはこの六波羅に滞在させるが、情報収集のためにそのうち中務省へも向かうかもしれぬ」

「そうですか……昼間、悠蘭から月華が戻って来る話を聞いていましたが、まさか薬師の送迎で来るとは想像もしていませんでした」

 李桜は鬼灯の横に腰掛けた菊夏に向かって微笑みながら言った。

「菊夏殿、僕は西園寺李桜だよ。解毒薬のこと、よろしく頼むよ」

「こちらこそ、お世話になります」

 鬼灯が太鼓判を押しているからには、きっと解毒薬の開発を成し遂げるに違いない。

 目の前で恭しく頭を下げる菊夏を見ながら、李桜はひとつの光明を見つけたように感じた。

 今は個人的な悩みを抱えている場合ではない。

 今この瞬間にも次の標的が狙われるかもしれないのだ。

 李桜は本来の職務を思い出し、すぐに立ち上がった。

「鬼灯様、今日はもうこれで失礼します。突然伺って申し訳ありませんでした」

「もういいのか、李桜」

「……とりあえず今日のところはどうしようもないので」

 小さく息を吐くと李桜は襖の前に立ち尽くしていた月華に目で挨拶し、そのまま部屋を出て行った。

「俺も家に帰ります。菊夏殿、俺は九条家にいるから暇ができたら遊びに来るといい。百合のことを紹介しよう」

 菊夏は月華に頭を下げた。

 それを見届けた月華は李桜を追いかけるように鬼灯の書院を後にした。

 月華は六波羅門を出たばかりの李桜の肩を後ろから掴み、声をかけた。

 立ち去り際に見せた視線が気になっていたからだった。

「李桜!」

「ああ……月華」

「元気がないようだが、何かあったのか」

「いろいろあり過ぎて頭の整理がつかないよ」

 切れ者と称される李桜にしては珍しく落ち込んでいるようだった。

 長年付き合いのある月華も見たことがない姿に、その先を追及せずにはいられなかった。

「もしかして椿殿と何かあったのか」

「……何でそう思うの」

「いや、お前が答えに辿り着けないことなんてそれくらいしか思いつかないからな」

「…………」

 月華から見た李桜は、何かもの言いたげに口を開きかけ、迷った上に視線を逸らしたりしながら明らかに不自然な様子だった。

「月華はさ、もし百合殿と出逢ってなかったらって考えたことある?」

「考えたことはないが、考えられないな。百合以外のひとと夫婦になるなんてなかっただろうから、多分今も独身だったんじゃないか」

「僕も同じだよ。椿殿以外のひとと夫婦になるなんて想像すらできない」

「返事はまだでも西園寺家の邸で一緒に暮らしているのだろう? 夫婦みたいなものじゃないのか」

「……だったらよかったんだけどね」

 そう言い捨てると李桜は再び背を向けて路地を歩き出した。

 月華は慌てて李桜を追いかけた。

 肩を並べて歩きながら友人の顔を伺う。

 すると李桜は唐突に白状した。

「……椿殿を泣かせてしまったんだ」

「泣かせたとは、穏やかじゃないな」

「昼間、悠蘭から椿殿が知らない男といたところを見たって教えてもらったんだ。すぐに邸に帰って彼女に事情を確認しようとしたんだけど、歯切れの悪い感じでさ。気がついた時には無理やり口づけてたし、押し倒してた」

「李桜にしてはずいぶん強引なことをしたじゃないか」

「自分でもらしくなかったって反省してるよ。でもあの時は歯止めが効かなかった。他の男と一緒にいたって聞いただけで、何か事情があったのかもしれないのに、大人げなく椿殿を責めたんだ。最低だよ……」

 李桜は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 再び後悔の波が彼を襲っていた。

「今は毒殺事件を解決することが最優先で個人的なことを悩んでる場合じゃないのに……月華ももう鬼灯様から聞いてるんでしょ? 京で今、何が起こっているか」

「ああ、大変らしいな」

「わかってるんだ、今は椿殿のことで悩んでる場合じゃないって。だけど彼女のことが気になって仕方ない」

「……じゃあ、ちゃんと話し合えばいいじゃないか」

 しゃがんでいる李桜は月華の顔を見上げた。

「話し合うって?」

「言葉にしないと伝わらないこともあるだろう」

 月華も李桜の目線に合わせてその場にしゃがみ込むと、静かに続けた。

「百合はいつでも自分の想いをぶつけてくるんだ。だから俺も全力で受け止める。俺たちはそうやって互いに想っていることを伝えあっているからすれ違うことがない。椿殿はああいう活発な性格の人だから、思い立ったらすぐ行動してしまうのかもしれない。だが、彼女は賢い人だ。李桜へ答えを出せずにいるのは、何か彼女なりの理由があるからなんじゃないのか。もしそうなら、その悩みを解決できるのは李桜しかいないかもしれない」

 月華は李桜の肩を軽く叩くと立ち上がった。

 続いて李桜も立ち上がる。

 李桜は月華の話にも一理あると思った。

 確かに椿とは互いの気持ちを、膝を突き合わせて話したことはない。

 椿が何を考えているのか訊く機会もなかった。

 近衛柿人が最初に倒幕を目論んだ時、人知れずそれを何とかしようと最初に行動を起こしたのは椿だった。

 椿は自分の身を犠牲にして百合や近衛家を守ろうとひとりで戦っていた。

 冷静に考えてみれば、考えなく椿が行動しているとも思えない。

「……少し気持ちが楽になったよ、月華」

「俺はしばらく京にいるから近いうちに酒でも呑むか。愚痴くらいなら聞くことができるしな」

「酒もいいけど、暇を持て余してるなら仕事を手伝ってよ」

「朝廷の仕事をか? 冗談だろう? 俺は刀を振るのが専門で筆を持つのは得意じゃない」

「嘘ばっかり。鬼灯様に代わって事務処理もやってるんでしょ。月華の能力がどのくらいのものか、僕が知らないとでも思うの?」

 睨みつける李桜に月華は肩を竦めながら苦笑した。

 ふたりは月明りの中を、昔話をしながら歩き大路の途中で別れそれぞれの帰路に着いた。

 李桜は1度邸に戻った後、着替えるとその足で職場へ戻ることにした。

 その頃にはすでに朝廷一の官吏の顔に戻っていた。

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