最終話 九条家の秘密
悠蘭と菊夏の祝言が終わり、それぞれが帰路に着いた頃。
雪柊と別れた時華と鬼灯は同じ牛車の中で京に向かっていた。
楽しく呑んだ酒と牛車の揺れにほどよく酔いが回り、友人ふたりの話は久しぶりに花が咲いていた。
ふたりが知り合ったのは10年以上前のことで、夜盗に襲われた時華の乗る牛車を鬼灯が助けた時のことだった。
供の者をみな夜盗に殺されたことで、京からの迎えが来るまでの間、時華は鬼灯の世話を受けて過ごしたのだった。
「そう言えば時華殿と出会ったのもこんな夜でしたね」
「そうだったな。まだ、奥州が征伐される前のことであったか……。そなたの世話になったことで私の幕府に対する考え方も変わった」
「あの頃は毎晩、呑みましたな」
「うむ。葵殿にもずいぶん世話になった。奥方はお元気か?」
「おかげさまで。菊夏を娘のように可愛がっておりますので、そのうち京へ来る機会もありましょう」
「それは楽しみだ。そなたと一緒で、葵殿もあの頃と変わらぬのだろうな……」
「変わらぬのはあなたも同じではないですか」
ふたりは互いに笑い合った。
ひとしきり昔話を終えたところで鬼灯はおもむろに口を開いた。
「時華殿、本当に菊夏を悠蘭の嫁としてよかったのですか」
「どういう意味だ」
「九条家であれば選び放題ではないですか。何も武家から嫁を迎え入れる必要など——」
「菊夏殿も立派な北条家の姫ではないか。それに悠蘭本人が選んだ娘なのだ。九条家はどこの姫であろうと、それが町娘であったとしても歓迎するに決まっておる」
「ですが朝廷でより強固な力を得るためには他の摂家あたりから迎えた方がよかったのでは?」
「鬼灯殿もおかしなこと言う。幕府側の者とは思えぬ発言だな。朝廷が今以上に力を持つのは幕府にとって都合が悪いのではないのか?」
「……これはあなたの友人の言葉として受け取っていただきたい」
鬼灯は視線を逸らしつつ、控えめに言った。
自分でもおかしなことを言っていることは理解している。
幕府側の人間として朝廷が勢力を増すことは好ましくない。
再び倒幕を目論む輩が出てこないとも限らない。
だが、権力に固執せず武家に対する偏見を持たない時華が朝廷を動かしているうちは幕府にとって都合がいいことも事実である。
「月華も以前、同じことを言っておった」
「月華も……ですか」
「うむ。悠蘭が妻として迎え入れるのは家が選んだ姫ではなくてもよいか、と訊いてきよった」
「それで、何とお答えに?」
「同じことを答えた。私はあの子たちの思うように道を切り開いてやるだけだ」
時華は微笑みを返すとそれ以上は何も語らなかった。
しばらく牛車に揺られ、物見から外の月明りを眺めていた時華は、ぽつりと呟いた。
「蘭子が私のもとに転がり込んできたのも、こんな月夜だった……」
「…………蘭子殿とは、亡くなったという奥方のことですか?」
「ああ、そうだ。息子たちのあの自由気ままな気質は蘭子のそれを受け継いでいるのだろうな」
「…………」
鬼灯は時華の妻だった蘭子という人を知らない。
出会った時にはすでに他界していたようで、時華も口にしなかったからだった。
旧友ではあるものの、半年前に紅蓮寺で息子を起こそうとした時華がその名を口にしたのが初めてだった。
時華は遠くを眺めながら目を細めた。
そして小さく息を吐くとおもむろに口を開く。
「蘭子は、先帝の妹君だった」
時華の言葉に鬼灯は耳を疑った。
「——今、何と言われた!?」
「本来であれば私が妻に迎えるような方ではなかったが、本人が私の妻になりたいとこんな月夜に九条邸へ転がり込んできたのだ……」
「…………っ!」
鬼灯は驚きのあまり声も出なかった。
先帝の妹君は行方不明になったと朝廷で噂話を耳にしたことがある鬼灯にとって寝耳に水の話だった。
「どうしても私の妻になりたいと言うことを聞かなかった蘭子の我がままに折れた先帝は、行方不明になったことにするから妹を頼むと頭を下げられてな。それからというもの、先帝のお子様たちのお世話もさせていただくようになった」
「ということはあのふたりは今の帝の——」
「ああ、従兄弟に当たる」
鬼灯は牛車の揺れに合わせて倒れそうになった。
額を片手で押さえたまま、事実の整理ができないでいた。
「本人たちには蘭子の素性は伝えておらぬ。だが九条家では周知の事実なのだ。鬼灯殿も月華も九条家の行く末を心配してくれてありがたいことだが、九条家の者にとっては月華と悠蘭の存在そのものがあの家を守る礎だ」
「では、まさか帝は——」
「ああ。息子たちが従兄弟であることをご存じだ。菊夏殿が朝廷の、しかも陰陽寮専属の薬師にあっさり迎え入れられたことを、おかしいとは思わなかったのか?」
確かに鬼灯は不思議に思っていた。
菊夏は優秀な薬師であったが、鬼灯をはじめ彼女に近しい者たちは幕府で薬師を続けることを望んでいなかったため、朝廷に預けることに反対する者はほとんどいなかった。
だが、六波羅探題でさえ朝廷にとっては目障りだと思っている官吏が多い中で、すんなりその役職を新設することを受け入れるとは思っていなかったのである。
「それでは今回のことは帝自らがお決めになったと……? ですが帝は朝議にも現れない方ではないですか。いくら帝といえど、そんな個人的な理由で朝廷が動くとは思えませぬが……」
「帝は必ず毎回、朝議に出られておる」
「……? 滅多に出仕しない私が申すのもおかしいが、お見かけしたことはありませぬぞ」
「帝としては、な」
「——時華殿。どういうことか、からくりを教えていただけませぬか」
「からくりなどない。ただ、帝は少し人を驚かすのがお好きな方なのだ。あれは先帝の気質なのだろうな——私以外は誰も知らぬが帝は日ごろから官吏のふりをして御所の中をうろうろしておられる」
「…………はっ?」
「帝は誰とお会いになる時も御簾を通してしかお会いにならないのは朝廷でも有名なことだが、何かに怯えて人に顔を見せないのだと噂されているのをご存じか? あれは、恐れているのではなく、御簾の向こうにいるのが替え玉だからだ」
「では、本当に官吏のふりをされている、と?」
「ああ。帝は朝廷の中で何が行われているのかをすべて現場で見ておられる。会うことはなくとも、月華が鎌倉から時々京へ来ていることや、悠蘭が雪柊殿のもとで修業を始めたこともご存じだ」
「ずいぶんと事情通なようで……」
「先帝も身罷られている今、帝にとっての血縁は少ない。だからあのふたりのためならば、という想いをお持ちでな。以前、椿殿が近衛家の三の姫と言われていた折に帝の側室として輿入れすることになっていたことは知っておろう?」
「え、ええ、そのように聞いておりました」
「あれは、帝なりの苦渋の選択だった」
「苦渋の選択?」
「月華と悠蘭を優遇していると悟られないために、近衛家にも配慮されていたのだ。自ら、椿殿の美しさに見惚れて寵愛していると噂を流してな」
「…………」
「九条家は月華と悠蘭の存在があってこそ、帝の加護を受けられる。だから他の家の加護など必要ないのだ」
自信に満ち溢れる時華とは対照的に、鬼灯は様々な懸念を抱え青ざめていった。
徐々に表情を曇らせる旧友に時華は心配そうに声をかける。
「鬼灯殿、顔色が悪いようだが大丈夫か?」
「あ、当り前ではないですかっ。そんな高貴な血筋のご子息に菊夏などを嫁がせたのは間違いだったのでは……」
「何を言う。悠蘭自身が選んだのだから間違いなどあるはずもない。帝も月華に続き悠蘭も妻を迎えたことを喜んでくださった。あとはあのふたりに子ができれば九条家もさらに安泰だ」
大笑いする時華をよそに鬼灯は頭を抱えたのだった。
そしてふと冷静になると、さらに恐ろしいことに気がついてしまった鬼灯は半ば恨めしそうに時華に言った。
「時華殿——あんまりではありませんかっ! 月華が高貴な血筋だと知っていたなら、たとえ預かったとて戦場になど連れて行きませんでしたよっ。私は指揮を任される武将でありながら、最前線に出ることも多かった。何も知らなかったとはいえ、何度もそのような前線に月華を連れ出してきたことを思い出すとめまいがする」
「そなたが必ず月華を守りきってくれると信じていたゆえ、私は何も心配していなかったぞ」
「そ、それはその通りですが……」
「鬼灯殿が月華を戦場に連れ回してくれたおかげで逞しく育ってありがたく思っておる」
そう言われて鬼灯はぐうの音も出なかった。
「時華殿もお人が悪い……」
「鬼灯殿、先ほど申した通り本人たちには話していないことゆえ、どうか今まで通り接してほしい」
「……わかっております」
「少し前に百合殿にはこのことを話したのだ。少々刺激が強すぎたようではあったが、一層母親らしい顔つきになっておった。月華の血筋を守ろうと今まで以上に強く思ってくれたようでな。菊夏殿が悠蘭の子を身ごもった時にはこの話をするつもりだ。ゆえに保護者であるそなたに今、打ち明けた」
「なぜ本人たちには告げないのですか。ふたりともいい大人なのですから真実を打ち明けても受け止められるのではないですか」
時華は苦笑しながら鬼灯を見つめた。
その瞳の奥には何か憂いのようなものが揺らめいているように感じたが、それが何なのかは鬼灯にはわからなかった。
「本人たちに告げるつもりはない。受け止めることができたとしても、この真実に悩まされる時もあるだろう。あのふたりには蘭子が抱えていた闇を引きずってほしくないのだ。のびのびとやりたいことをさせる、そう蘭子と誓ったゆえ真実は知らぬ方が息子たちも生きたいように生きられるであろう」
それ以上時華が詳細を語ることはなかったが、夫婦の間に交わされた語られていない何かがあるのだろうと鬼灯は思った。
衝撃的な話が続き、すっかり刻を忘れていたが気がつくとふたりの乗った牛車は近江を出て京へ入ったところだった。
間もなく六波羅御所へ到着する辺りで時華は鬼灯をまっすぐに見据えると静かに言った。
「帝は幕府と共存できる道を進もうとしておる。帝の叔父として私もそれには賛成だ。だが、朝廷の中にはまだ倒幕を目論むような輩が成りを潜めていることだろう。だからこそ、私にとってそなたと知り合えたことは幸運だった。偶然のようで必然だったのかもしれぬな」
「襲われていたあなたの牛車を助けたのが必然だったと?」
「そうは思わぬか? 知り合ったのがそなたでなければ、私は月華を預けるようなことはなかった。そなたが鎌倉一の武将だとわかっていたからこそ預けたのだ。それに、そなたと知り合っていなければ、北条家の娘を嫁にもらうこともおそらくなかっただろう。そう考えるとすべてが必然に思えてならぬ。親戚にもなったことだし、これからも末永くよろしく頼む、鬼灯殿」
そう時華が語ったところで牛車は六波羅御所の前に停まった。
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします、時華殿」
時華は牛車を降りようとした鬼灯の背中にさらに声をかけた。
「あ、そうそう。鬼灯殿、たまには朝議に顔を出されよ」
「…………善処いたしましょう」
最後に釘を刺すことも忘れなかった時華に対し、苦々しげに唸りなら返答した鬼灯は九条邸へ向かう牛車を見送った。
鬼灯と別れ、九条邸へ向けて動き始めた牛車の中で時華はひとり、ほくそ笑んでいた。
(北条鬼灯とは実に面白い男だ。やはりあの男に月華を預けたことは間違いではなかったな)
これで幕府との結びつきは一層深まったと言える。
帝が望むように幕府と共存していくことができればいらぬ血を流すこともなくなる。
そんな世になればどんなにいいことか。
「あとは風雅の君がどう出るか……」
時華は誰もいない牛車の中で呟いた。
世を憂える右大臣を乗せた牛車は暗闇の中を九条邸へ向けて進んで行った。
第二幕の最終話まで読んでくださって本当にありがとうございます。
今回は新しい登場人物が盛りだくさんでした。
少ししか登場しなかったキャラクターもこれから深く関わっていく予定です。
次は第三幕に入る前に、二・五幕とも言える短めのストーリーを投稿していきますので、引き続き楽しんでいただければ幸いです。
ひと月ほど時間をいただき、連載を再会します。
お楽しみに。




