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風雅の君  作者: 神間 那古井
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第57話 心からの忠誠を

 新装開店した甘味処「みつ屋」は今日も繁盛していた。

 味は前よりも格段によくなったと評判で、客層も幅広くなったようであった。

 山吹やまぶきは好物の草餅を頬張りながら店内に出入りする客を呆然と眺めた。

 商人や主人の使いでやって来た者など様々な客が出入りしているが、どれも彼にとっては別世界のものに映っていた。

 争いの中に身を置いてきた山吹にとって、この活気ある明るい雰囲気はどこか偽物のように感じる。

 白檀びゃくだんの供をするようになって、初めて争いの世界から解放された。

 こうして呑気に草餅を食べて呆然としていられるのも白檀が自分を供に選んでくれたからだ。

 白檀こそが自分の生きる道を変えてくれた。

 山吹はそう思っている。

 だからこそ山吹は残りの人生のすべてを白檀に捧げる覚悟をしている。

 主人のためならば、どんなことをすることもいとわないとさえ思う。

 彼がこの店にやって来たのは待ち合わせをしているからだった。

 だがその待ち人はなかなか現れないため、いくつもの甘味を食べ続けただひたすらに待ちながら考えごとをするはめになってしまった。

 備中国びっちゅうのくにを飛び出した白檀を慌てて追いかけたのは半年ほど前のことである。

 土御門皐英つちみかどこうえいを救うためだった。

 輪廻の華を捕らえるために彼が取り入っていたという近衛柿人このえかきひとが、六波羅ろくはらに征伐されるのではないかという情報を聞いて居ても立っても居られなかったのだろう。

 慌てて国を出たものの、結局は間に合わなかった。

 みやこに向かう道中で皐英が亡くなったと聞いた折の白檀は見ていられなかった。

 よほど皐英のことを気に入っていたらしい。

 自分が白檀の供をするずっと前から皐英は主人と親しかったが、どういう関係なのかは最期までわからなかった。

 しかしそこまで白檀に大切にされていた皐英を妬ましく思ったのは確かだった。

 みつ屋の店主に化けていた安芸国あきのくにの武士に最初に出会ったのは、この店の近くでのことである。

 道端でうずくまっていた男を京へ辿り着いたばかりの白檀が助けたのがきっかけだった。

 男の話を聞いて、やりたいようにすればいいと知恵を貸したのは、皐英を失ったことへの当てつけだったのかもしれない。

 ——結局、白檀は何をしたかったのだろう、と山吹は思う。

 何とか手助けをしようと京へ出向いて来たのだろうが、皐英を助けられなかった時点でここにいる理由はなくなっていたはずである。

 それがあの武士にそれとなく加担しながらのらりくらりと何をするでもなく京で半年ものときを過ごしていた。

 近衛椿このえつばきが現れてからの白檀は、まるで水を得た魚のように楽しそうだった。

 朝廷の中枢にいる西園寺李桜さいおんじりおうを敵に回してまで愉悦に浸っていた白檀を、山吹は初めて見た。

 本当はかつて暮らした京に戻りたかったのだろうか。

 備中国では囲い込まれ息が詰まるような思いをしていたのはわかっている。

 利用されていることもわかっていながら、引き取られた恩を忘れない白檀の義理堅さには感服するが、いつまでも傀儡を続けられるものでもないだろう。

 山吹はますます白檀のことがわからなくなっていた。

 3つ目の草餅に口をつけたところで、見知った人物を視界に捕らえた。

「あー、また草餅食べてる。いざという時に太って動けなくなっても知らないからね」

 山吹の正面から堂々とやって来た人物は背中に細い刀を背負った女だった。

 長い髪をひとつに纏め、忍びのような身軽な格好で悠々と向かって来る。

「遅いぞ、紅葉くれは

 女の苦言を受け流し、憮然として山吹は答えた。

「あーのーねー、こう見えてもあたしはあんたの代わりに諸国を回って情報収集してるんですけど? 遅いとか言われる筋合いはないっ」

 紅葉と呼ばれた女は人差し指を1本立て、山吹に言い放った。

「だいたい何で呼び出す場所が甘味処なの? あたしが甘いもの食べないの、知ってるでしょ。それとも嫌がらせのつもり!?」

「いいからまずそこに座れ」

 山吹は紅葉を自分の向かいの席に促した。

 背中に背負っていた刀を降ろすと紅葉は近くに立てかけた。

 山吹の刀と並べられたそれはまるで対を成すような同じ装飾が鞘に施されている。

「で、九条月華くじょうつきはなはどこへ向かった?」

 3つ目の草餅の残りをすべて口の中に入れながらもごもごと言う山吹を紅葉は訝しげに見た。

 半分呆れた顔で不機嫌に答える。

「……鎌倉よ」

「鎌倉だって!? ごほっ」

 草餅を喉に詰まらせそうになった山吹は前のめりに咳き込んだ。

 紅葉に背中を叩かれ、店主によって運ばれた水を流し込み、涙目になりながら彼は紅葉を制した。

「そうよ。どうりでこれまでいくら探しても見つからなかったわけね。京を出た月華を追ったら大倉御所の中に堂々と入っていった」

「…………」

「あの男には関わらない方がいいんじゃない? 深入りすると幕府を敵に回すことになるかもしれない」

 山吹は菫荘すみれそうでばったりあった月華のことを思い返した。

 ひと目見て同じ武士であることはわかったが、まさか鎌倉幕府に属しているとは想像もしていなかった。

 まして月華は公家の中でも名門と言われる九条家の血筋。

 普通に考えればあり得るはずもなかった。

「——備中はどうだった? 白檀様のもとに輪廻の華を探せと文があったがまだ接触できていない。それも九条家にいるらしいが」

「噓でしょ!? ますます捕らえるのは無理じゃないの。国の老人たちは苛立ってたみたい。1度帰って一筋縄ではいかなくなったってちゃんと説明した方がいいと思う。あたしが説明したところで、あの人たちは聞き入れないし」

「わかってる」

 草餅で喉を詰まらせそうになった山吹は店主を呼びつけ、喉腰のいいぜんざいを注文した。

 すぐに出されたぜんざいに口をつける山吹を紅葉はげっそりとした顔で見つめた。

「ねえ山吹。白檀様はどうされるおつもりかしら」

「どう、とは?」

「仮に輪廻の華を捕らえられたとして、戦の道具としてお使いになるつもりかしら。だって輪廻の華って女なんでしょ? あのお優しい白檀様がどんな異能を持っていようと道具のように扱うなんて考えられない」

「……どうだろうな。あの方の本当の素顔は誰も見たことがない。何をお考えなのかもわからないが、俺たちがあの方に誓った忠誠に揺るぎはない。そうだろう?」

「それは、そうだけど……」

「お前は余計な感情を挟まずに仕事をしろ。俺がお前に言うことはそれだけだ」

「何よ、急に兄貴風を吹かせるの、やめてくれない? あたしはただ白檀様が心配なだけ。あたしにとってあの方はすべてなんだから」

 紅葉はすっと立ち上がると立て掛けていた刀を背負った。

 急に立ち上がった紅葉を見上げた山吹は眉間を皺を寄せる。

「どうしたんだ、急に立ち上がって」

「あたし、国に帰る」

「これから白檀様のところへ行くが、お逢いしなくていいのか」

「えっ……やだ、どうしよう。お逢いしたいに決まってるじゃない。でも……あー、うーん……やっぱりやめておく」

「珍しいな。お前が愛しの白檀様に逢わずに行くなんて」

「最近、国の中に怪しい鼠がうろついてるの。なかなか尻尾を掴ませない巧妙なやつなんだけど、何かを探ってるみたい。白檀様に害を成すような輩だった嫌だから、早めに排除したいと思っていたこと思い出した」

「鼠……」

「とにかく詳細はすべてここにまとめておいたから後で読んでおいてよね」

 紅葉は懐から文を取り出し、山吹の眼前へ差し出した。

「助かる。愛してるよ、紅葉」

「や、やめてよ、もうっ! 妹を捕まえて愛してるとかよくそういう恥ずかしいこと言えるわね。そういうことは早くお嫁さんを迎えて、自分の大事なひとに言いなさいよ」

「家族なんだから同然だろう? 無償の愛ってやつだ」

 ぜんざいを最後まで堪能した山吹は椀と箸を置き、満足げに手を合わせた。

「ばか山吹っ」

 そう捨て台詞を吐いて紅葉は店を出て行った。

 悪態をついているのは元気な証拠。

 兄として微笑ましく妹の背中を見送った。

 それにしても——。

 紅葉の話にあった備中国をうろついているという鼠とは一体何者なのだろうか。

 そんな新たな不安を抱えながら山吹は代金を支払い、みつ屋を出た。



 みつ屋を出た山吹が白檀を迎えに行こうと路地を歩いていると、とある店の軒先で腰掛けている彼を見つけた。

 誰かを見送っているのか、白檀は微笑ましく遠くを見ている。

 山吹は近寄って声をかけた。

「白檀様、準備が整いましたのでそろそろ京を出ましょう。いつまでもここにいるといつ朝廷の手が伸びてくるかわかりませんからね」

「そうですか? もうあれから半月も経ったのに誰も私を捕らえに来ませんでしたよ」

「だからってこれからも絶対来ないとは言い切れないでしょう」

「まあ、それもそうですね。生まれ故郷を離れるのは寂しいですが、しばしここを離れるとしましょう。いずれ戻って来るかもしれませんしね」

「……戻って来るなんて微塵も思ってないですよね」

「ひどい言いぐさですね、山吹。私にも郷土愛というものはあります」

「あ、そうですか。それは失礼しました。戻って来るつもりがおありなら今回のようなことは起こさないはずだと思ってものですから」

 山吹は毒殺事件に加担したことを指して皮肉たっぷりに言ったが、白檀はどこ吹く風で気にも留めていない様子だった。

「——ところで白檀様、こんなところに腰掛けて何をされていたんですか?」

「ああ、輪廻の華と少しお話をしていました。珍しく邸からひとりで出てきたようだったので。あなたもそこですれ違いましたよ」

 山吹は驚いて振り向いたが、もうそこには誰の姿もなかった。

 再び白檀の方に向き直ると、ただ友人と話をしていたかのような様子だった。

 備中国からは輪廻の華を捕らえよと言われているはずなのに、みすみす逃したところを見るとはやり白檀は輪廻の華を利用して戦を起こそうとしている者たちには内心、反発しているのだろうと山吹は改めて思った。

 複雑な思いを抱えながら山吹は大げさにため息をつくと白檀に言った。

「それで、輪廻の華とはどんなお話を?」

「他愛もない世間話ですよ。真面目で心根の美しい人だった。皐英が心を奪われたのも頷けます。そう言えば、私と月華の雰囲気が似ていると言っていました。あれはどういう意味でしょう」

「あー、それは俺も少しわかりますね。あれじゃないですか、血は争えないって言うでしょう?」

「それは少し心外ですね。私は月華のように争いを好む人間ではありませんよ」

「別に九条月華は戦が好きだから武士をしているわけじゃないでしょうがっ!」

 山吹はかみ合わない会話にますます頭を抱えた。

「あなたこそ、どこへ行っていたのですか。もっと早く来てくれるものと思っていました」

「申し訳ありません。紅葉と待ち合わせをしていたのですが、あいつ、堂々と遅れてきまして」

「紅葉と? そうですか。彼女は元気でしたか」

「ええ。白檀様に逢いたがっていましたが、先に国に帰るそうです」

「残念ですね。私も紅葉に逢いたかった。しばらく逢えていませんからね。本当は刀など持たずにどこかへお嫁に行ってほしいのですが」

「それは……無理じゃないでしょうか。本人も好きでやっていますし、何よりあなたの役に立てることが本望なんですよ。俺がいくら言っても聞きやしません」

 うんざりとした様子の山吹に白檀は含み笑いをしながら言った。

「あなたたちは血を分けた双子の兄妹なのに、性格はまるで似ていませんね。でもいつまでも身を固めようとしないところはそっくりです」

「余計なお世話ですっ」

 山吹の叫びを無視した白檀は重い腰を上げるとおもむろに歩き出した。

 一度京都御所の方角を振り返る。

 しばらくここに戻ってくることはないだろう。

 思い出を捨てるようにして、白檀は前を向いた。

「白檀様、ひとつお訊きしたいことがあるのですが……」

「何ですか、山吹。そんなに改まって」

「白檀様は輪廻の華をどうするおつもりですか」

 その山吹の真剣な眼差しに、白檀は一瞬立ち止まったがすぐに目を細めると答えた。

「もちろん——守りますよ。争いを好む亡霊たちに渡すつもりはありません」

「なぜですか? 俺にはわかりませんよ。輪廻の華を守ったところであなたに何の利益がありますか。むしろあなたを保護しているあの人たちの逆鱗に触れて、お立場が不利になるだけではないですか」

 白檀は迫る山吹の頭にぽんと手を置いた。

 兄が弟を諭すようなその仕草に、山吹は俯く。

「私にとって大事な人たちが守ろうとしている存在だからですよ。山吹にはあの人たちと私の間に挟まれて苦労をかけますね。でもこの命が尽きるまで、どうか私に力を貸してください」

「そんなことは言われなくともっ! 俺は最期まで白檀様とともにある所存ですよ」

「ありがとう、山吹。私の命は最後の切り札になる。この命、無駄に使うつもりはありませんからね」

 そう言って歩き出した白檀を山吹も追いかけた。

 白檀にとって大事な人——それは誰のことを指しているのだろうか。

 その中に自分や紅葉も入っているとしたらどんなに幸せなことだろう。

 山吹はそんなあり得ないことを頭の中から払拭し、前を向いた。

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