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風雅の君  作者: 神間 那古井
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第40話 風雅の君

 みつ屋で捕り物が行われている頃——月華つきはな華蘭庵(からんあん)にいた。

 部屋の中では妻の百合ゆり近衛椿このえつばきが談笑している。

 自分が不在にしている間、長年の友人である椿が百合のそばにいてくれることは月華にとってありがたいことだった。

「……月華様、ずっとふたりのお邪魔をしてしまってごめんなさい。こんなつもりはなかったのに」

「いや、しばらく滞在してくれて構わない。百合も退屈しなくて済むしな。だが、気が済んだらどうか李桜りおうのもとへ戻ってやってほしい。これは俺からの頼みだ」

「……戻りたくても、もう李桜様は私を受け入れてはくださらないと思うわ。だって、私、李桜様にひどいことを言ってしまったし、彼も私のことを疑っているようだった」

「疑っていたという誤解はもう解けた。あなたが何を言ったのかは知らないが李桜はまったく気にしていなかったよ。そんなことより、もう自分のもとに戻って来てくれないんじゃないかと気に病んでいた」

「本当に……?」

「ああ。昨日はずいぶんと深酒したから今頃、二日酔いで仕事をしてるんじゃないか。呑みながらあいつはずっと椿殿の話をしていたよ」

 月華は嬉し涙を流す椿とそれを励ます百合の姿を微笑ましく眺めながら、頭の中では華蘭庵へ戻る前に寄っていた紅蓮寺(ぐれんじ)でのことを思い返していた——。

 早朝、六波羅ろくはら御所を出た月華はその足でかつての師匠、雪柊(せっしゅう)に会うために近江の紅蓮寺へ向かった。

 それは何か情報を持っているのではないかという一縷の希望を雪柊に持っていたからだった。

 いつもどおり突然の訪問にも関わらず歓迎してくれた雪柊の部屋に案内されると、修行僧の鉄線(てっせん)に出された茶を啜りながら月華は言った。

「雪柊様、昨日はみやこに来られていたそうですね。すっかりすれ違ってしまいました」

「ああ、菊夏きっかが京に来ていると聞いたからね。様子を見に行っていたんだ。そう言えばその後、九条家にも寄ったが月華は西国へ行っていたそうだね。何かあったのかい?」

 北条鬼灯(ほうじょうきとう)のもとを離れた雪柊はその後、紅蓮寺に戻る前に九条邸へ寄っていた。

 身重の百合を気遣ってのことだったが、彼女からは月華は西国へ出かけたと聞かされていた。

「実は、そのことで雪柊様にお聞きしたいことがあって参りました」

 月華は懐から一枚の紙を取り出すとそれを開いて見せた。

 李桜へ渡したものと同じ揚羽蝶の家紋を書き取ったものだった。

「これは……家紋だね」

「はい。これと同じものを実は今朝、李桜に渡してどこの家紋なのか調べるよう頼みました」

「それなら月華は何を訊きにこれを持ってきたのかな」

「……この家紋は、一昨日西国のとある武家から出てきた武士の刀に刻まれていたものです。その武家の家紋とは違うようなので、訳ありのようなのですが家の中までは探れませんでした」

 雪柊は黙って月華の話を聞いていた。

 見るからにだんだん表情が厳しくなっていく師匠を隣で見ていた鉄線は固唾を呑んだ。

「雪柊様は樹光(じゅこう)和尚と全国を旅されたことがあるのではないかと思い、何かご存じなら教えていただきたい、と——」

「月華が訪れたその西国っていうのは、備中国(びっちゅうのくに)のことだろう?」

「やはり何かご存じでしたか」

 雪柊は小さく息を吐いて答えた。

「いや、それほど詳しくは知らないよ。この話は、君たちが追いかけている毒殺犯と関係があるのかい」

「毒殺犯にも関わっているかもしれませんが、半年前の近衛柿人(かきひと)の事件に関わっていると言った方が正しいでしょうね」

「ということは幕府にも関わるということだね」

 月華が頷くのを見て、雪柊は諦めたように苦笑した。

「月華——これ以上深入りすると後戻りできないかもしれないけどいいのかい?」

「……元より覚悟の上です」

 普段はほとんど開いていないように見える両目を見開くと、いつになく厳しい顔で雪柊は言った。

「——その家紋は、平家の家紋だ」

「……平家というとあの滅亡した家の、ですか?」

「そうだ。ずいぶん前の大きな戦になるけど、その時に勝利したからこそ、今の鎌倉幕府がある。平家は戦いに敗れた後、壇ノ浦の海に一族もろとも沈んだ——とされているね」

「…………」

「備中国の有力武士である妹尾(せのお)家はもともと平家を支持していた。だからその妹尾家を頼って一部の平家は落ち延びて備中国に流れたと噂されている」

「なるほど。備中国にあった大きな武家の邸で、この家紋を刀に印した武士が出入りしていたのはそういう経緯でしたか」

「今の幕府は、その平家に勝利したからこそ権力を手に入れた。そんな幕府に対して落ち延びた平家はどう思っているだろうねえ」

「憎い……でしょうね。あるいは滅ぼしたいと思っている、とか。まさか、政権を取り戻したいと思っているわけではないでしょうね」

 月華の問いに雪柊が答えることはなかった。

 それが暗に肯定しているのだと感じた彼は背中に冷たい汗が滴るのを感じていた。

「雪柊様はその平家の者が幕府に戦いを挑んでくるとお考えですか」

「さあ、どうだろうか。真実はわからないが、その鍵は風雅の君が握っているかもしれない」

「風雅の、君……?」

「そう、風雅の君だ。年は君と同じくらいかな。博学で聡明なお人だが、それが返って仇となって彼はみやこにいることができなくなった。それを拾ったのが備中国にいる妹尾家の者だった。将来、傀儡になるように育てて朝廷への足掛けにしようとしたんだろうね。それを足掛かりに倒幕を目論んでいたのかもしれない」

「ま、待ってください。その風雅の君とは何者なのですか」

「——先帝の落とし種だよ」

「…………っ!」

 驚きのあまり月華は手に持っていた茶を零しそうになった。

「先帝の、ということは今の帝のご兄弟ということですか」

「まあ、そうなるね。でも側室にもなれなかった女中との間に生まれたお子なんだ。だからその存在を知る者も少ない」

「……なぜ雪柊様はその方のことご存じなのですか」

「それは朝廷にいた頃、風雅の君を警護していたのが私だからさ」

「……えっ」

「風雅の君は争いを好まない方だ。もし、輪廻の華を欲していたのが近衛柿人ではなく平家の者だったとしたら、あの方はそれに加担するようなことはしないだろう。でも、それを阻止するほど前向きでもない。かつてはどこか世を捨てたようなところもあった。それに少し悪戯が過ぎるところがあってね。茶の湯を趣味にされていたが、よく私もその茶の中にいろいろ入れられて悪戯されたものだよ」

 雪柊は懐かしそうに目を細めていた——。

 はっと我に返り目の前で楽しそうに話をする百合と椿のふたりを眺めていると、月華は妙な(えにし)を感じた。

 百合が輪廻の華と呼ばれるに至る異能を身に着けたのも、言ってみれば偶然の産物だ。

 樹光和尚と雪柊が襲われた幼い頃の百合と出会わなければ彼女は異能を身に着けることもなかった。

 椿が家を失い、刑を免れて李桜のもとに身を寄せることになったのも、鬼灯の気まぐれによるところが大きい。

 鬼灯は倒幕に関わったとされる近衛家の者をすべて処分するつもりでいた。

が、李桜が身元引受人になると踏んだこと、百合を助けようと動いていたことを酌量して椿は助けられた。

 百合が異能を手に入れ、雪柊のもとへ身を寄せていなければ月華と出逢うこともなかった。

 鬼灯の命令だったとはいえ、鎌倉から近江へ来ることがなければ昔のように父や弟と気軽に話をしたり、九条邸に出入りすることはなかっただろう。

 すべて偶然のようでまるで必然のようだ——と、月華は思う。

 倒幕を目論んでいたかもしれない没落した亡霊のような平家が再び牙を向くかどうかの鍵を握っているという風雅の君。

 月華は、その彼を京で警護していたのが雪柊だと聞いて、何らかの縁を感じずにはいられなかった。

「——……様」

 雪柊は風雅の君が今どこで何をしているのかは知らないと言っていた。

 幕府側の者としては、何とかその風雅の君と接触して平家の真意を探りたい。

「——月華様っ!」

 深く考えごとをしていて自分を呼ぶ声が耳に入ってきていなかった月華は、目の前に百合の顔が迫っていることに気がつき、我に返った。

 目が合うと百合はふくれっ面でじっとこちらを見ている。

「月華様、先ほどからお呼びしていましたのに聞こえていませんでしたか」

「あ、ああ、すまない。考えごとをしていた」

「今日は戻られてから難しい顔ばかりされていますね——そう、そんなことより月華様」

「ん……?」

「何やら外が騒がしいのです。あれは悠蘭(ゆうらん)様のお声では?」

 確かに耳を澄ますと、百合が言うとおり悠蘭が叫ぶ声が聞こえた。

 障子をうっすらと開けながら外の様子を伺っていた椿も振り返ると頷いた。

「何だか松島さんを探しているみたい……それにあれは——」

 悠蘭の様子を伺っていた椿は一瞬、顔色を曇らせた。

 月華がそばに寄って外の様子を見ると悠蘭と菊夏きっかが池の前に立っていた。

「あれは、悠蘭と菊夏殿だな」

「菊夏、さん……?」

「ああ。鬼灯様の姪御で、鎌倉で薬師をしているんだ。俺が京に連れてきた。椿殿、暗い顔をしてどうしたんだ?」

「月華様、あのおふたりはどういったご関係なの?」

「んー、まあ端的に言えば恋仲だな。ふたりとも認めないが……」

「……恋仲? 本当に?」

 椿は驚いて目を見開いた。

 悠蘭と一緒にいる彼女は見覚えがある。

 昨日、李桜と仲たがいするきっかけになった、李桜が抱きしめていた女子だ。

「実はね……」

 それまで語らなかった、華蘭庵に駆け込んだ原因の委細を素直に吐いた椿は、話し終えると俯いた。

 それに対し月華は肩を竦めた。

「李桜が何を考えて菊夏殿を抱きしめたのかはわからないが、それは特別な感情があってのことではないと思う。俺にとって妹のように可愛いのと一緒で、李桜にとってもそうだったんじゃないかな。それに菊夏殿は悠蘭のことを好いているらしい。鬼灯様からは九条家に嫁に出したいと頼まれたよ」

「まあ、ではその方は将来、私たちの義妹(いもうと)になるのですね!」

 百合が嬉しそうに言うのを椿は複雑な気持ちで見守った。

(事情を知らなかったとはいえ、私こそが李桜様を信じ切れていなかったのね……)

 月華はますます落ち込む椿の肩に手を置くと微笑んだ。

 李桜の心が誰に向いているのか、親友である月華が誰よりも知っている。

「心配ない、椿殿。あなたの心が李桜に向いている限り、あいつは必ずあなたを妻にするまで諦めない」

 そう言い置いて、月華は九条池の前で立ち尽くす弟たちの様子を見に、華蘭庵を出た。


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