第34話 一問一答の攻防
「それじゃあ、次の質問」
「遠慮なくどうぞ」
李桜はすでに3杯目の茶を白檀から提供されていた。
相変わらずほんのりとゆりの香りがする不思議な茶を口にしながら李桜は言った。
「白檀殿は半年ほど前に京に来たらしいけど、一体何しに来たの? 茶人が本業じゃないのなら別の目的があって来たんでしょ」
「さすがは李桜様。鋭いご質問ですね。あなたはもしや何か私のことを疑っておられるのですか」
白檀は嬉しそうに茶筅を動かしながら新しい茶を点てていた。
「はぐらかさないでくれる?」
「あははっ。約束ですからちゃんとお答えしますよ。私が京に来たのは親しい友人の助けになろうと思ったからです」
少し暗い表情を見せる白檀に李桜はさらに質問を重ねた。
「ふうん……そう。それで一体どこから来たの」
「李桜様、質問はひとつずつ交互にという約束ですよ」
「…………」
李桜は忌々しげに白檀を見つめながら呑み終えた茶碗を畳の上に置いた。
そんな視線をものともせず、白檀は意気揚々と次の質問を投げかけた。
「さて次は私の番ですね。では——李桜様、椿様は今、どこにおられますか」
核心に迫る質問をされ、李桜は一瞬言葉を失った。
嘘は言わない約束である。
だが、正直に言えば、椿がなぜ九条家にいるのかを問い詰められる可能性がある。
悩んだ末、当たらずも遠からず、ぎりぎりの答えを導き出した。
「……彼女の友人の家にいるよ」
「ほう。あなたの邸ではないのですね。喧嘩でもされましたか……まあ、いいでしょう。ではお次の質問をどうぞ」
「じゃあ——先刻言っていた手助けしようとした友人って今も京にいるの?」
「いえ、おりません」
「はっ……?」
「残念ですがもう、亡くなりました」
白檀は寂しそうに遠くを見つめて言った。
李桜はますます混乱を極めた。
白檀が京に来たのは友人の助けになるためだというが、その友人はもういない。
いつ亡くなったのか、一体誰なのか——条件を呑んだ手前、一問一答の決まりを守らなければならず、それがもどかしくさらに苛立ちを募らせた。
「さて、李桜様、先刻の続きですが」
「……何」
「椿様のご友人という方はそのお邸にとってどういった立場の方ですか」
「……嫁だよ」
もしかして白檀は椿が九条家にいることを知っているのだろうか。
何か九条家のことを探ろうとしているように思えて、これ以上詳細を答えたくない思いで李桜は出された新しい茶を呑み干した。
「ほう、そうですか。では九条家は嫡子の嫁を匿っているわけですね。椿様と旧知の仲ということはさしずめ奥州藤原氏の忘れ形見あたりでしょうか」
「……っ」
李桜は驚きのあまり手に持っていた空の器を落とした。
畳の上にむなしく転がる器に目もくれず、言葉を発しかけて口をつぐんだ李桜に対して白檀は口角を微妙に上げ、転がった茶碗を拾った。
「今のは質問ではなく独り言ですので、どうかお気になさらず」
この男、どこまで知っているのか——。
李桜は恐ろしくなり、二の句を継ぐことができなかった。
不安を感じ始めたその時、李桜はそれまで何も感じていなかったはずなのに急なめまいに襲われた。
ふらふらとする感覚の上、頭痛もする。
徐々に吐き気も催してきたような気がした。
胸を押さえながら前のめりに手をついた李桜の姿を見ても白檀は平然としていた。
「おや、具合がお悪いようですが大丈夫ですか、李桜様」
「急にめまいが……」
苦しそうにする李桜を涼しい顔で見ている白檀の様子に、最初から何が起こるかわかっていたのだと察した李桜は、力を振り絞って最後の質問を投げかけた。
「つ、次は僕の番、だったよね。あんた、その茶に何か入れたんでしょ……」
白檀は身を屈める李桜をよそに、柄杓で釜から湯を掬っては釜に流し込み、再び釜の湯をかき混ぜる動作を繰り返した。
ほんのりとゆりの香りが漂う中、申し訳なさそうに白檀は言った。
「ご安心ください、李桜様。この湯の中に毒を入れましたが、通常よりも薄めてあります。全身に毒が回り切るまで一刻ほどの猶予がありますので」
「どうしてこんなことを……何が目的なの」
李桜の言葉は徐々に掠れていき、その場に倒れ込んだ。
苦しみに目を閉じたその顔には血色がない。
「あなたに個人的な感情はないのですが、あなたを取り巻く人たちがどう動くのか見て見たかったのです。これを機に行方不明とされている九条月華にも会えるかもしれないと思うとわくわくしますよ。特に皐英の弟子だという九条悠蘭がどのようにこの事態に対処するのか、楽しみですね」
そんな白檀の独り言は、もう李桜の耳には届いていなかった。
同じ頃——。
山吹は九条邸近くの路地にいた。
門番からは見えない角度の別の邸の壁に背を預け、九条邸の様子を伺う。
人の身長の2倍はあろうかという高い塀に囲まれた広大な敷地の中は覗くことすらも叶わなかった。
門番の監視も厳しく、出入りも少ないこの邸の中を探るのはやはり難しそうだ。
(やはりたとえ九条家の中に輪廻の華が匿われていようとも、その証拠を掴むのは外からでは無理だな)
輪廻の華が百合という名で奥州の生まれであることはわかっている。
亡き皐英から送られてきた文には輪廻の華に関する情報が多数、したためられていた。
近江の山寺の住職が彼女を保護しているらしいというところまでは連絡があったが、その後、忽然と情報は途絶えた。
白檀も山吹も皐英の性格をよく知っている。
熱中すると周りが見えなくなく性格であった皐英のことだから、そのうち進展があれば連絡があるだろうと思っていたが、待てど暮らせど連絡はなかった。
今思えば、不審に思った白檀が動き出した時にはすでに事態は収拾のつかない状態だったのだろう。
妹尾家を通じ、今出川楓に世話してもらって京に辿り着いた時にはすでに皐英は亡くなり、輪廻の華の行方もわからなくなっていた。
——もしかして輪廻の華も九条邸にいたりして……。
そう口を突いて出たのは、適当な考えからではなかった。
九条家とは接点がない百合があの邸の中にいるとは考えにくいことだが、どこをどう探しても見つからないとなると、覗くことができないところにいる、と考える方が自然だったからである。
白檀はそんな山吹の呟きを否定しなかった。
何か考えがあるのだろうが、そこは山吹の考えの及ばない行動をする主人のことである。
考えがあって否定しなかったのだろう。
いろいろ考えていると何だか嫌な予感がしてきた。
九条家の門を眺めていても結局、人の出入りはなく今日のところは何も掴めないと見切りをつけた山吹は菫荘へ向かうことにした。
何ごともなければそれでいい。
だか確かめないことにはこの何とも言えないもやもやした気持ちは収まりそうになかった。
李桜が倒れ、ほどなくして菫荘に戻って来た山吹は、引き戸を開けた。
そこには見たことのない沓が揃えられており、誰かが中にいるのは明らかだった。
山吹は朝の白檀との会話を思い出し、こっそりと襖を開けた。
そして隙間から見える光景に予感が的中し、驚愕した。
「白檀様、殺さないと言ってたのにっ!」
木枠の音が鳴り響くほど勢いよく襖を開け放ち、慌てて室内に駆け込んだ。
山吹が辺りを見回すといくつもの使い終わった高価な茶碗が並び、横たわる李桜の顔からは血の気が引いていた。
「失礼な……殺していませんよ、山吹。よく見てご覧なさい」
李桜に近づき、まだ息をしていることを確認した山吹はそっと胸を撫で下ろした。
「あ……本当だ」
近くで鼻をくすぐるかすかなゆりの花の香りを感じた山吹は湯を入れた釜を指さしながら訊ねた。
「この中に例のものを?」
「少量ですがね。かなり薄めていますから致死量ではありません。ただ毒が全身に回るまでの猶予は一刻といったところでしょう。それまでに対処しなければ、場合によっては死ぬかもしれませんね」
「そんな……」
「附子ほどの強い毒ではありませんから、そのうち誰かが駆けつけて助けてくれるでしょう」
嬉しそうに微笑む主人に山吹はため息しか出てこなかった。
「白檀様、こんなことして……もう京にはいられませんよ」
「まあ、そうですね。でも今日は楽しかったのでよしとしましょう。輪廻の華の居所もわかったことですし」
「えっ……! で、どこにいると?」
「九条家の嫁になったそうですよ」
「九条家!? どうしてわかったのですか。まさかこの西園寺李桜が自ら言ったとは思えませんが」
「ええ。はっきりと言ってはいませんが、私がかまをかけた時の彼の動揺具合から見て十中八九間違いないでしょう」
「まさか……本当に九条家に?」
「あなたが以前、みつ屋で輪廻の華と九条家とは接点がないと言っていたのを覚えていますか」
「ええ、もちろんです。だって事実じゃないですか」
「私はあれからずっと考えていたのですよ。もし、接点があったとすればどういうことがありえるのか、とね」
「…………」
「未だ行方不明となっている九条月華が輪廻の華と出逢っていたとしたら? そしてそれは皐英からの文が途絶えた頃で、近江の山寺だったとしたら? 近衛柿人は倒幕を目論んで輪廻の華を皐英に探させていた。その情報は柿人の娘である三の姫も知っていたかもしれない。京の摂家を代表とする貴族たちは奥州とも交流があったのですから、三の姫である椿が奥州出身の百合と知り合っていたことはあり得ます」
白檀は何ごともなかったかのように立ち上がると着物の裾を払いながら続けた。
「李桜は椿が今、友人の家にいると言いました。その友人とはその家にとってどんな存在かと訊ねたら、嫁だと答えたのです。つまり、椿と百合が友人であり百合が九条家の嫁になったとするなら、誰の嫁になったのかはわかりますね、山吹?」
「……九条月華」
「そうとしか考えられない。その月華本人は影すら見えませんがね。ですがこれで輪廻の華は九条家が匿っていることがわかりました。不本意ではありますが、あの方たちにはありのままをお話するしかなさそうです」
「……妙に嬉しそうですね、白檀様」
「そう見えますか? 私はね、山吹。輪廻の華が九条家の中にいてくれてよかったと思っていますよ。だって、当分は彼女を巡って争いが起こる心配がないでしょう?」
それは確かに白檀が長年、願っていることである。
山吹はどうにも煮え切らない結果になったような気がしていたが、嬉しそうな白檀の前では口を噤むしかなかった。
「輪廻の華がどこにいるかわかったのはいいとして……李桜もこんな状態ですし、ここにはもういられませんね」
「あなたがこの事態を招いたんでしょうがっ!」
「大事を成す時にはある程度の犠牲はつきものですよ、山吹。ですが、もたもたしていると誰かがここへやって来ることは必至」
「誰か? この男を助けにですか」
「助けにかどうかはわかりませんが……彼がこの場所を知っていたとは思えませんから、おそらく今出川楓に訊いたに違いありません。戻らない李桜を探しに来る可能性は十分あります。それに兵部少輔の久我紫苑も毎日、この辺りを警らしていますし、九条悠蘭が鼻を効かせて飛び込んでくるかもしれません。朝廷には優秀な官吏が揃っていますからね」
山吹が最も嫌う面倒ごとになってしまったことで、ついに彼の思考は停止した。
これ以上あれこれ考えたところで、なかったことにはできない。
とにかくこの場を一刻も早く去ること、今はそれしか考えることができなかった。
「とりあえず、俺はみつ屋に行って店主に京を離れる旨、伝えてきますから白檀様とはどこかで落ち合いましょう」
慌ただしく外へ向かう山吹とは対照的に優雅な動きで後をついて来る白檀に、山吹のいらつく感情は最高潮に達した。
「そうですね……では京都御所の門のあたりにおりますから迎えに来てください」
「はぁ……!? 正気ですか」
「ええ。何か問題でも? 私の顔を見知った者はこの京にはほとんどいないのですから山吹が気にするようなことはありませんよ」
言い出したらきかない性格であることをよく理解している山吹は、主人の指示に従うより外なかった。




