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風雅の君  作者: 神間 那古井
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第25話 月夜の懺悔

「おい、何なんだこの通夜みたいな雰囲気は」

 月華つきはなに呼ばれながらも、仕事を片付けてから遅れて西園寺さいおんじ邸にやって来た紫苑しおんと、彼に無理やり引きずられてきた悠蘭ゆうらんは、女中に案内された寝殿の中でにぎやかに酒盛りをしているはずのふたりに呆れかえった。

「悠蘭も一緒だったのか」

 月華の驚く視線を受け悠蘭は小さく息を吐いて答えた。

「一緒と言いますか、途中で強引に紫苑さんに引きずられまして……」

「何だよ悠蘭、悩める少年を助けてやろうと連れてきたのに」

「頼んでませんよね、俺は」

 遅れてきたふたりは無造作に転がる徳利を雑によけながら畳の上に腰を下ろした。

 目の前にはすでに深酒をした李桜りおうが呆然としており、月華は首を横に振るだけだった。

 思いもよらず西園寺邸に来ることになってしまった悠蘭は、内心酒盛りどころではなかった。

 つい四半刻しはんとき前に六波羅ろくはら鬼灯きとうから言われた言葉が頭から離れない。

 ——菊夏きっかが望めば妻にしてくれるか。

 考えておくと返事をしたものの、そんなに簡単な話ではなった。

 そもそも鬼灯はなぜ突然あのようなことを言い出したのだろう。

 確かに菊夏のことは好きだと自覚できるが妻にというのは、まだ想像もできない。

 そんなことは考えたこともなかった。

 考えれば考えるほど深みにはまっていくような気がして、とにかく酒を呑んですべて忘れることにした。

 兄たちが話をする横でもくもくと酒を呑んでいると、紫苑が畳に足を投げ出して言った。

「李桜、何があったか無理に訊こうとは思わねぇけど、抱え込んでるのも体に毒だぜ?」

 そう言った幼馴染に対し李桜は憮然とした様子で不機嫌に言った。

「仕方がないじゃないか。僕だって一生懸命、椿つばき殿のことを知ろうと努力したんだ。だけど、彼女がすべてを隠そうとして何も教えてくれないから……だんだん責めるようになってしまって……」

 ふてくされる李桜の話がどうも要領を得ないため、紫苑は月華に助けを求めた。

「月華、一体何があったんだ? 俺にもわかるように説明してくれよ」

「一昨日の夜、俺が鎌倉から戻った日に李桜は悠蘭が見たという色白の男と何をしていたのか、椿殿を問い詰めたらしいんだ」

「あー、俺たちの前から急にいなくなった日だな」

「そしてその……」

 月華が言い淀むと、李桜は新しい徳利を乱暴に掴み取ってそのまま酒を流し込んだ。

「そして僕が椿殿に無理やり口づけた上に押し倒したんだ」

 そう言い放った李桜の言葉を聞いた悠蘭は口に含んだ酒を思わず噴き出した。

 何の話をしているのかと思えば、自分と同じ色恋の悩みだったとは思いもよらなかった。

 慌てて辺りを拭きとり、少し顔を逸らしてひたすら呑むことにした。

 自分に矛先が向けば洗いざらい吐かされるに違いない。

 そう考えた悠蘭は、なるべく関わらないようにしようと徳利と猪口を握りしめた。

「押し倒したって、お前たちは好き合ってるんだから問題ねぇだろう」

 好き合ってるという言葉に、悠蘭は少し前の鬼灯との会話を思い出し、再び酒を噴き出した。

 おまけに咳き込む。

 ——菊夏あれもお前のことを好いている。

 そんな鬼灯の言葉がふいに脳裏に蘇った。

「何だよ、悠蘭。先刻さっきから噴き出してばっかりだけど、大丈夫か」

「す、すみません。俺のことはお気になさらず続けてください」

 ますます顔を背ける悠蘭の様子がいつもと違うように感じ、月華は含み笑いをしながら、李桜の話が片付いたら次は悠蘭を丸裸にしようと心に決めていた。

「椿殿が僕のことをどう思ってるかなんてわからないよ。だって、押し倒したら彼女は涙を一筋流して怯えた顔で僕を見たんだ」

「はあ、なるほど。それでも俺は彼女がお前のことを想ってるって確信を持って言えるけどな」

「紫苑、なぜそう言い切れる?」

「実は椿殿には口止めされてるんだけどな——」

 紫苑は昼間、菫荘すみれそうを出た後のことを詳細に語った——。

 白檀びゃくだんのもてなしを受けた後、菫荘を出た紫苑は何とも月華に似た芯の強さを茶人の中に垣間見て、楽しくなり鼻歌を歌いながら露地を歩いていた。

 久しぶりに興味の湧く人物に出会った。

 もっと白檀という男の人となりを深堀してみたい衝動でわくわくしていた。

 入口に近づくと生垣の間からこちらに向かってくる人物があった。

 目が合った瞬間に相手は立ち止まってしまった。

「……椿殿じゃねぇか。どうしたんだ、こんなところで——」

 風呂敷を抱える椿の姿に思わず声を出した紫苑に向かって、彼女は駆け寄ってきた上、紫苑の口元を塞ぐように手を当てた。

「し、紫苑様っ! どうかここで私に遇ったことは李桜様には内密にっ!」

「何で……何かあるのか」

 口を塞がれた手をどけると、訝しげに紫苑は椿を見た。

 行先は菫荘に間違いない。

 すでに敷地に足を踏み入れている。

 茶人の白檀が待っていたのはおそらくこの椿なのだろう。

 男のもとへ女が通っている——そんな姿に見えなくもない。

「白檀殿に逢いに来たのか」

「あ、逢いに来たわけではなく……私、茶の湯を習い始めたの」

「茶の湯を? またどうして?」

「李桜様は邸に戻ってきてからも仕事をされていることが多いから、少しでも張り詰めた気を和らげたくてお茶を点てる術を身につけたかったの。百合のところで松島さんがお茶を点ててくれたのを見て相談したら、中務省なかつかさしょう今出川楓いまでがわかえで様がここの白檀様をご存じだと聞いて、それで……」

「へぇ。白檀殿は今出川家と繋がりがあるのか。でも別に秘密にすることか?」

「ちゃんと習得してから驚かせたかったから……」

「ふうん。まあ、とりあえず今日のところは見なかったことにしておくよ」

 ——そんなやり取りを説明すると、李桜は目を丸くしていた。

「な? だから椿殿はお前のために、お前に内緒で茶の湯を習いに行ってるんだ。悠蘭がこの前見たっていう色白の男っていうのはたぶんその白檀殿だな。察するに、彼女が抱えていた風呂敷の中身は茶の湯の道具だと思うぜ。近衛このえ家から追い出されて何も持たない彼女が茶の湯道具を持っているはずはねぇもんな。だから師匠に選んでもらったんだろうさ」

「だったらどうして秘密にしようとするの。茶の湯道具がほしかったなら僕に言えばいいし、邸にだって道具はあるのに」

「あー、それはなんだ、女心ってやつでお前に秘密にしておいて驚かせたかったってことだろ。本人もそんなようなこと言ってたしな」

「…………」

 李桜は理解できないという顔で、ただ眉根を寄せていた。

 月華は李桜から徳利を取り上げると代わりに猪口を渡し、そこに1杯酒を注ぐ。

「李桜。百合ゆりは椿殿から、お前の役に立てることがないと悩みを打ち明けられたと言っていた。その時に松島が点てた茶を呑んで茶の湯を習うことを思いついたらしい。だから、すべてはお前のためを想っての行動だということだろう」

「……じゃあ僕が信じてあげられなかったから椿殿が去っていったってこと?」

「去っていったわけじゃない。お前だって椿殿の性格はよくわかっているはずだ。彼女は思い立ったらすぐ行動する人だ。途中で投げ出すこともしない。だから茶の湯を習得してほとぼりが冷めたら必ず帰ってくるさ。今頃、百合と昔話でもしてるんじゃないか」

「月華……」

「そうだぜ、李桜。お前たちの心は十分に繋がってるように見える。少しすれ違っただけのことだろ」

「……相手のいない紫苑に言われたくないよ」

「それだけ憎まれ口叩けるならもう大丈夫だな。俺だって、好きで独身でいるわけじゃねぇよ。まだその相手に出逢ってないだけだ。出逢えば一緒にいる長さなんて関係ないだろ。恋に落ちる時は、たった1日や2日だって、いや一瞬だって落ちるんだ」

 ふんぞり返って持論を展開する紫苑の横で、悠蘭は再度、酒を噴き出した。

 これが3回目のことだった。

 さらに咳き込む様子にいよいよ兄の月華が乗り出す。

 隠れるように呑んでいた悠蘭の腕を掴み、覗き込んだ。

「悠蘭、お前は先刻さっきから何を動揺しているんだ」

「ど、動揺など……兄上の思い違いでしょう」

 ごまかすように猪口の酒を一気に口に含んだ弟に対し、月華はさらに攻め入った。

「お前、何か隠しているだろう。妙に李桜の色恋話に反応しているようだが、もしかして好きな相手でもできたのか」

「す、好きな相手っ!?」

「椿殿のことが話題に出る度に動揺しているじゃないか。お前にも心当たりがあるのじゃないか」

「そ、そんな人、い、いるわけ……ないじゃないですか……」

 人生の先輩3人に取り囲まれても悠蘭は口をつぐんだまま、決して話そうとはしなかった。

 3人の痛い視線に我慢しきれず、悠蘭は李桜のように徳利の酒をそのまま呷った。

「悠蘭、そんな呑み方をするんじゃない。体に悪い」

 月華に徳利を取り上げられ、若干虚ろな目をした悠蘭はそれでも口を割らなかった。

「そう言えば、お前、六波羅ろくはらの方から歩いて来たよな。鬼灯きとう様のところに行ってたんじゃないのか」

 そんな紫苑の言葉に悠蘭は急激に意識を取り戻す。

「な、何もありませんよ!」

「いや、何か相談していたのかもしれないよ。僕だってこの間、鬼灯様に相談しに行ったくらいだ。自分でもなぜかわからないけど、鬼灯様って相談しやすいんだよね」

「そうか……よし、わかった」

 急に立ち上がった月華を、残る3人は不思議そうに見上げた。

「どうしたんだよ、月華。急に立ち上がって……」

「これから鬼灯様を呼びに行くから、お前たちはここで待っていろ。酒盛りをしていると言えばあの方は喜んで来て下さる。そうだ、ついでに父上もお連れするか。悠蘭が何かを隠しているらしいと言えば何を差し置いても来て下さるはずだ」

 みるみる顔を青ざめていく悠蘭を見下ろし、意地悪く笑った月華が一歩踏み出そうとすると、縋るように悠蘭は裾を掴んだ。

「あ、兄上っ、白状しますから、父上だけには内緒にしてください!」

「……そうか。いいだろう」

 月華が再び畳の上に腰を下ろすと、悠蘭はすべてを白状するしかなかった。

 洗いざらいすべて吐き出すころには夜も更け、月華たちは翌日の予定も考えず酒に溺れながら悠蘭の話に聞き入ったのだった。

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